調査 SIDE麻生花純⑤
「俺もまだ分からねぇけどよ。せめてこういう奴じゃないでいてくれ、ってのはある」
「それって、どんな……?」
先崎くんにそう訊ねたが彼は「別に、お前に全部教える義理はねぇよ」とそっぽを向いてしまった。何だか、嫌な感じ。
「仮に殺人で、仮に毒殺だったとして、毒が特定できればある程度犯人に迫れると言っているな?」
長髪くんがそう訊ねてくるので、私は答えた。
「ええ。その薬品が手に入る人間で絞り込むことができます」
「それで言うと化学部は怪しいんじゃねぇの」
先崎くんが私を見つめる。
「部活で色んな薬品触れるだろ?」
「触れるけど、そんな毒性の高いものは使わない。それに薬品は厳重に管理されてるの。薬品庫に入るのだって手続き要るんだから」
「あれじゃね? 化学部の奴とは違う別の人間が薬品庫から薬品盗んで実行したんじゃね?」
「どういう意味?」
「化学部じゃない誰かが、例えばほら、兼部の関係でまだ顔と名前が一致してない奴とかいるだろ。犯人はそういう『あやふやな、でも化学部っぽい誰か』のフリをして、ある種正当に薬品庫に忍び込んで、その中にある一番毒性が強いやつで殺した。なんて話なんじゃねーかってこと」
うーん。あり得なくは……なさそう。少なくとも調べてはいない。検討してみるか……やるだけ無駄な気はするけど。
っていうか、それより先にあの問題がまだ解決していなかった。
ジメチルスルホキシド……DMSOの窃盗。ほんの少し足らなかった。あれがもし、私の管理不足とかじゃなく、盗まれたのだとしたら。
「おい。何か心当たりあるような顔してんなぁ?」
先崎くんがいきなり顔を近づけてきたので私は驚いて身を引く。
「な、何もないわよ」
「嘘ついても分かんだぞ、こちとらよぉ」
「本当に何でもないっ」
しかし語尾は弱くなる。このDMSOの件も調査しないと。事件に関係あるのかないのか……多分、あるけど。
「とりあえず俺たちが思い描いているのは」
と、長髪くんがつぶやく。
「化学部の薬品庫に侵入し、危険な薬品を奪って逃げ、セミナーハウスの秘密の入り口を知っていてそこから侵入し、教師を一名殺した靴下にアレチヌスビトハギをくっつけた女の子というわけだな」
う、うーん。
雑な、というよりはやる気のないプロファイリングだけど、まぁ、そう言うことはできる。
「お前薬品庫行って何か薬品盗まれてないか見てこいよ」
先崎くんにそう言われ、そうだな、それも大事か、と納得する私。
「何にせよ凶器が分からないと進まねぇな」
「だな」
先崎くんと長髪くんが向かい合って頷く。仲良し……なのかな。
「あ、あのっ」
私は意を決して長髪くんの方に訊ねる。
「お、お名前は?」
先崎くんと一緒にいた男子は銀島英司くんと言うらしかった。新聞部部長らしい。先崎くんの紹介では、部長ながらに現場一番の敏腕記者、ということらしい。
そんな銀島くんが、言っていた。
「このところ時宗院高校では盗難が相次いでいる」
いわく、元から公立高校なんていうのは盗難の温床だったらしいのだが、それにしても最近の時宗院は度が過ぎている。少し目を離した隙にロッカーの中が荒らされるような治安の悪さらしい。私は基本的に私物をきっちり管理するタイプなので、今のところその手の被害に遭ったことはないが、言われてみれば朝のホームルームで先生が注意喚起していたような気がする。
「薬品庫から薬品が盗まれている可能性については検討の余地ありだな。化学部の備品と分かれば、容疑の矛先が必然化学部に向く。化学部以外の人間にとってそれはいい目くらましだ」
先崎くんと違って冷静なコメントをくれた銀島くん。それから彼は「何か分かったことがあったらここまで」と、手帳の切れ端に名前とメールアドレスとをくれたのだけど……「銀」の字読めなくない?
とりあえず。
私は薬品庫に入るべく、島田先生のところへ行った。職員室。多分、事件のことで今日も学校に呼ばれているだろうから、と思って室内を見渡すと、いた。くたびれたシャツに緩んだネクタイ。職員室の給湯コーナーでコーヒーを淹れている。
「先生」
「おう、麻生か」
先生は振り返ることもなくつぶやく。
「どうした? 事件のことか?」
関係あるような、ないような。でも素直に告げる。
「はい」
「警察に言いたいことか?」
「いえ、調べたいことで」
「調べたいこと?」
先生が怪訝そうな顔をして振り返る。
「何を調べるんだ?」
「あの、実は……」
と、薬品庫が気になる旨を話す。先生はそれを聞いて少し笑ったが、すぐに、「最近盗難が増えてるからなぁ」と、銀島くんが言った通りのことをつぶやいた。それから先生は私を自分のデスクに連れていくと、薬品庫の鍵と管理ノートと薬品管理表を取り出し、「名前書いとけ」と私に管理ノートとペンを渡してきた。私は素直に「麻生花純」と記すと、先生に返した。
「俺も見に行く。まぁ、多分何もないけどな。一応、薬品管理表と突き合わせるか」
ちゃりちゃりと、先生の手の中で鍵が転がる。私は先生の後について薬品庫を目指した。
「……100mg、あるな。……10g、あるな」
「はい」
私は薬品管理表にある記載と、スケールで薬品を測る先生の実況とを確認しながら頷く。
「最後。DMSO。88mg」
ここに来て私は苦い顔になった。「90mg……」そう、つぶやく。
「2mg足らないのか?」
「そうみたいですね」
素直に、つぶやく。
「お前薬の管理は?」
「しっかりしたつもりですけど……」
「まぁ、2mgじゃ揮発ってことも……いや、2mgも揮発するか……?」
もしかして……? なんて暗に事件のことをにおわせた先生に、私は告げる。
「でも、ジメチルスルホキシド2mgじゃ人は殺せないです」
「まぁ、そうなんだけどなぁ」
スケールがおかしいのかもな、と平たい機器をひっくり返したり振ったりする先生。「でもそうなると今までの計測も全部おかしいことになるしなぁ」
うーん。と、先生と一緒に考える。私はと言えば、今まで一人で抱えていたこの問題を、流れでとは言え先生と共有できたことに安堵感を覚えていた。島田先生はつぶやいた。
「鍵の管理ノートでは、最後にここに入ったのは?」
「先生、ということになっています」
ノートの二番目に新しい欄。島田先生の名前がある。
「ああ。合宿前にDMSO取りに来たのかもな」
ぶつぶつとつぶやく先生。
「あの時点ではDMSOは新品だったから誰も触ってないはずなんだよな。となると合宿中のことになるのか? まぁ、もし盗難だとすれば、の話だけど」
2mgじゃ何とも言えないなぁ。と、先生は再びスケールでDMSOを測定する。
「厳密に見ると88.3mgだな。1.7mg差……うーん。誤差か?」
「何とも言えないですよね……」
「誤差と無視するには大きい。しかし盗難と断定するには小さい」
「2mg弱盗んで何がしたいのか、って話もありますしね」
「それなりに管理が厳重な薬品だから、少量でも危ないっちゃ危ないしな」
「そうですね」
DMSOは細胞への透過性がとてつもなく高い薬品だ。私たちの当初の実験計画では、このDMSOにアゾ染料を溶かして、それに細胞片を浸すことで細胞に染色しようとしていた。DMSOが媒体となり、細胞内に染料を運び込むのだ。
「よし、分かった。気になることとして警察に報告をしておく」
島田先生がうん、と頷く。
「麻生は一旦このこと心配しなくていい。お前がきちんと管理していたことは先生知ってるからな」
温かい言葉に胸がいっぱいになる。頭を下げる。
「ありがとうございます」
「とりあえず今日はこの辺にしとくか」
「はい」
そういうわけで私と島田先生は薬品庫を出ていった。私が一歩踏み出すと、リノリウムの床がきゅっと鳴った。
やっぱり、このことを共有しておこう。
島田先生にDMSOの一件を知ってもらえて安心した私は、この勢いで先崎くんと銀島くんにもこの話をしてしまおうと考えた。もらった紙片に記載されたアドレスに連絡を入れる。ドメインを見る感じ、どうも新聞部の専用アドレスだ。
〈こんにちは。先程お会いしました麻生花純です。薬品の話について共有があります。ジメチルスルホキシド、DMSOという薬品が本当に僅かにですが、なくなっていました。この薬品自体に毒性はそれほどなく、そもそも盗まれたと言っていいのか分からないくらい少量の紛失ですが、一応ご連絡まで〉
送信して一息つき、さぁ、帰ろう、と思ったところでスマホに着信があった。銀島くんからだった。
〈新聞部銀島です。詳しくお話聞きたいです。まだ校内にいらっしゃいましたら、お会いしたいです〉
う、うーん。帰る時間が遅くなるけど、少しくらいなら……。
私は返す。
〈セミナーハウス下の駐輪場にある、自販機の前で待ち合せませんか?〉
そこが一番近くて日陰で風も通る、涼しい場所。殺人現場の真下というのが難点だけど。
「お時間ありがとうございます」
いったいどうやって来たのだろう。私が駐輪場の自販機前に着くともう銀島くんが先にいた。ギロッとした目がちょっと怖い。
「すみません、お待たせして」
私は慌てて銀島くんの近くに駆け寄る。
「こちらこそ。薬品庫の件、詳しく聞きたくて……」
銀島くんがスマホと手帳をさっと取り出す。私がその様を見ていると、銀島くんは私の目線に気づき、「二刀流でして。スマホをボイスレコーダー代わりに」とつぶやいた。ははぁ、さすが敏腕記者さんは使うツールから違うんだ、と私は思った。
「問題の盗難ですが、気づいたのはいつ?」
私は少し躊躇ってから、答える。
「本当を言うと、合宿の最中に『あれ?』とは思っていました。さっきもメールで話した通り、本当に誤差なんじゃないかってくらい少量がなくなっているんです。でもその後に事件があって、先程改めて顧問の島田先生と一緒に確認したら『やっぱり少ないな』って。だから盗難として認識したのはついさっきのことです」
「怪しい気配は前からあったが、確定したのがさっき」
「はい」
「盗まれた薬品は?」
「ジメチルスルホキシド。DMSOとも呼ばれています」
「どんな薬品?」
「うーん。細胞への浸透性がとにかく高い薬品で、いろいろな用途に使われます。分かりやすいのだと化粧品とか。水にも溶けやすいので、溶媒に使われたりもしますね。あとは水溶液は膀胱炎の薬として使われたりもします」
「なるほど。入手しやすい薬ですか?」
「いえ。購入は島田先生の協力なしには無理でした」
「貴重な薬品」
「はい」
「盗まれたタイミングに心当たりは?」
私はうーん、と考える。
「怪しいと思ったのが合宿中のことだったので、まぁその頃かなぁと。ただ実験で使った後なので、やっぱり盗まれたのか使い過ぎたのか、微妙なところではあるんですよね」
「どれくらいの量がなくなったんですか」
「2mg弱です」
「何かもっと分かりやすい例えないですかね。例えばとてつもなく大きなものは東京ドーム一杯分とかって言いますよね」
「うーん。五百円玉片面にたっぷり塗れるくらい、かな……?」
私にしてはいい例えが出たと思う。
「なるほど」
銀島くんはペンを走らせる。それからふう、とため息をつき、続けた。
「実は今回の事件より前、あの合宿に参加していた他の部活でも盗難事件がありました」
私はびっくりする。
「他の部活って……生物部と園芸部?」
「はい」銀島くんが頷く。
「園芸部からはトウゴマの種が。そして生物部からはハムスターが一匹」
「ハムスターが一匹」
結構大きなものが盗まれてる。
「そのハムスターは後日中庭で死んでいるのが見つかりました」
「ええ?」
私は声を上げる。
「盗んだ挙句、殺した?」
「まぁ、現実的な見方をすれば『脱走して死んだ』ですが、生物部の皆さんは『管理を徹底していたので逃げるわけがない』とのことです」
それから銀島くんはすらすらと続けた。
「それに対してトウゴマの窃盗は昨今の流行りも影響があるのかな、と。このところ美容界隈でヒマシ油が流行ってます。肌の保湿やデトックスのために使われている。このヒマシ油はトウゴマの種から搾れるため、まぁ、この一件と無理矢理結び付けられなくはないという」
「は、はぁ」
何だ、時宗院ってそんなに荒れた学校だったのか。
がっかりすると同時に何だか切なくなった。中三の頃、この学校は地上の楽園みたいに思えていたのに。
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