調査 SIDE先崎秀平④

 秘密の入り口から女子シャワールームに侵入した。

 いい匂いがするもんだろうと思って入ったら、するのは塩素の匂いだけ。色気がねぇな。せめてシャンプーの匂いとかしてくれるだけでもよぉー。あれ? それだと俺ってシャンプーの匂いに欲情することになるのか。風呂入れねぇな。

 ま、とにかく。タイルの床を銀の字と素早く駆け抜けて、入り口に背を貼り廊下を確認。人の気配がないことを調べてから二人して廊下に躍り出た。誰もいない。だが、廊下の向こう、遥か彼方に大勢の人の気配。

 シャワールームの方だ。ということは、あそこにいるのは、警察たちだ。

 実際チラチラとフラッシュが焚かれている。現場写真を撮っているのだろう。がやがやとした声は刑事があれこれ指示を出しているのかもしれない。

「これ以上は進めん」

 銀の字が小さな声で告げてくる。

「潜入取材はここまでだ」

「こんなことしてるのに意外と堅実なんだな銀の字。ここまでやったらやることやって帰るぞ」

「下着泥か?」

「馬鹿言え」

 俺はじっと遠く、人の気配のする方を見つめた。

「二十、二十一、二十二……俺の大股で二十五歩くらい離れてるな」

「何がだ?」

「あの人の気配がする方まで。つまりはシャワールーム目前まで」

「そんなことを測ってどうする」

「侵入、事を成し遂げてから帰るまで、どのくらいの時間がかかったかを推定できる……少なくとも、移動時間くらいは」

「大股二十五歩ということは二十五メートル強だと考えているのか?」

「往復だから五十メートル。七秒か八秒かってところだな。片道三秒から四秒と仮定して、『走る、要件、走る』でどれくらい時間がかかりそうかを推定する」

「三分あれば人殺しくらいできるかもな」

 銀の字の言葉に俺はニヤッと返す。

「やっぱそう思う?」

「撲殺や絞殺だったら対象者との体格差や格闘時間なんかを考えなければならないが、高槻先生の体には目立った外傷がなかったんだろう? なかったから事故も視野に入っているんだよな。外傷なしで殺す方法の代表例は毒殺だが、毒を注入するくらいなら、画鋲でも手に持って対象者の肩を叩けば事足りる。つまりはシャトルラン一走分くらいの時間があれば平気かもな」

「移動に十秒足らず。三分内で決着だとすると、残り二分五十秒」

「十分可能だろ」

「だな」

 俺は微笑む。「問題は犯人が男か女かだ」

「最悪格闘になったケースを考えても、男の方が簡単に済ませられそうだな」

 銀の字の言葉に俺は頷く。

「俺もそう思う。ちょうど男子の入浴時間だったしな」

「そして『見込みが簡単そうだ』というのは犯人にとってポジティブな心理作用があるからな。つまり実行した可能性がある」

「おっしゃる通り」

「推定犯人は男だと思っているのか?」

 銀の字の問いに俺は頷く。

「ああ。たぶ……」

 と、言いかけて俺は床に目をやる。三歩前方。緑色の……小指の先くらいの小さな三角形。何だこれ。俺は近づいて摘まみ上げる。

「ひっつきむしだな」

 俺がつぶやくと隣の銀の字も頷いた。

「そうだな」

「おかしいぜ。このスペースを使うのは水泳部が主だろうが……」

 と、俺は辺りを見渡す。

「お前も知っての通り……」

「水泳部は部活動後に掃除をしてから帰る」

 銀の字がちゃんと俺の言葉尻を引き取ってくれたので俺は安心して頷いた。

「だぜ」

「辺りは綺麗だな」

「ああ。埃ひとつねぇ」

「となるとそのひっつきむしはエラーだな」

「……俺たちにくっついてきたなんてことは?」

「お前少し離れたところからそれを拾ってきただろう」

 確かに。俺は三歩先の床からこれを拾い上げた。

「犯人の手がかりじゃないか?」

「マジ? 初めての物的証拠ってやつか」

 俺は指先の緑を見つめながらつぶやく。

「うし。持って帰ろう」

「いいのか?」

 と驚く銀の字に俺は言ってやった。

「俺の手柄だ。俺のものだ」

「……ジャイアンより理屈は通っているな」

「だろ」

 さて、そういうわけで俺と銀の字は、再び女子シャワールームの窓から外に出ようとしたのだが……。


「多分、アレチヌスビトハギかな。三角形で、種が小さい。花の季節がちょうど今くらいだし、考えられるかも」

 脱走先の窓辺で出くわした科捜研ちゃん、麻生花純の一言だった。あの女、また俺に危害を加えやがって……。鳩尾の辺りがじんじんしてやがる。

 加えてこんなことまで言ってきやがった。

「女子が通ったのかもしれませんね」

 駄目だ。駄目なんだよ女子が容疑者じゃ。俺の松下美希ちゃんが容疑の範囲に入っちまう。

 くっそぉ。分かっちゃいたがそう簡単にことは運ばねぇか。俺は唇を噛んで目だけで天を見上げる。母さんが言うには小さい頃から、俺は困ったことになると目だけぐいっと持ち上げて上の方を見るらしい。

「あの、あなたたち何で女子シャワー室から?」

 科捜研ちゃん、もとい空手女麻生花純が俺たちに訊ねてくる。俺は返す。

「男なら誰でも一回は入ってみたいって思うもんさ」

「は?」

 麻生が素っ頓狂な声を上げる。それから続けざまに「変態!」と叫ぶと鋭い手刀を放ってきた。首を振って避けたが一撃は鎖骨の辺りを捉えた。いってぇ。何だこいつ。殺人マシーンか何かか? 

「許しません。先生に言いつけます」

 泣きそうな顔をしてそう訴えてくる麻生を見て、そんなビビるなよ、と思いながらつぶやく。

「冗談だよ冗談。ったくお前、暴力振るう以外に拒否の態度ねーのか」

 と、銀の字の方を見る。何故かこいつは手刀を喰らっていない。

「何でこいつは殴らねーんだよ」

 とキレ気味に訊くと麻生は「その人はまだ自白してないので無実の可能性があります!」なんて「疑わしきは罰せず」みたいなこと言ってきやがった。

 まぁ、でも、何だ。そんだけ嫌な顔するってことはそういうこと言っちまったんだな。俺は首の根元を抑えながらつぶやく。

「悪かったよ。冗談だ冗談。俺もお前みたいに、事件のこと調べようと思ってやってきたんだ」

 それから俺は事の顛末を麻生に話すことにした。

「斑鳩っていう奴がセミナーハウスに秘密の入り口があるって言っててよぉ」

「斑鳩……斑鳩真二くん?」

「あ。そういやあいつお前んとこの奴だっけ?」

 あいつ化学部の人間なんてこと言ってたっけか。そういやあの日肝試しに参加した三部活の中で男子が多いのは化学部だし、そんな気もする。

「その斑鳩真二ってのが俺の肝試しパートナーだったんだけどよぉ。あいつが言うにはセミナーハウスには秘密の入り口があるって……そんでいっちょそこから……」

 と、言いかけてやめる。覗きを冗談で仄めかしただけであの拒否反応だ。未遂とは言えあの晩の、覗きの犯行の意思を示せば今度は頭から真っ二つにされるかもしれねぇ。いや、冗談とかじゃなく。

「……逃げ帰ってやろうと思ってよぉ」

 苦しいがまぁ、言い訳を通す。白い目で見てくる銀の字。

「ほんで肝試しの途中で抜け出してここに来たんだが、その時は遠目に見て『窓が閉まってた』から帰ろうと思って。でも今日、よくよく確認してみたらここの窓の鍵、壊れてるのな。で、試しに入ってみて、『秘密の入り口』から現場のシャワールームまでの距離感はどんなもんか、調べてたわけ」

「どんな感じでした?」

 と、多分意識はしていないであろう、偶然の産物である上目遣いで訊いてくる麻生。意図的かどうかに関わらず、俺は女子のこういう目線に弱い。躊躇うことなく俺たちが得た情報を伝える。

「往復で十秒もあれば余裕で行き来できる。後は犯行にかかった時間だ。俺とそこのギンは、『もし高槻先生が殺害されたなら、その方法は毒殺である』って考えてんだけどよ……」

「あ」と、麻生が口を挟む。

「それ、私も」

「あ」今度は俺が訊き返す番だった。

「お前もそんなこと思ってたのかよ」

「だ、だって事件と事故の両線が考えられるのって毒殺くらいのものでしょ」

「まぁ、そりゃそうか。高槻先生の見た目に大きな傷がないことは俺もお前も見てるしな」

 俺は納得すると次の話題は移った。

「問題はどんな毒を使ったか、だな」

「それ、私も疑問に思ってるの」

 麻生が続ける。

「何らかの薬品だったら購入履歴から辿られる。多分自然に手に入る毒物だろうけど、遺体を調べられない以上何とも……」

「まるで遺体が見られりゃ分かるみたいな言い方だな」

「体内から見つかるでしょ」

「どうやって調べるって?」

「そりゃ、まぁ、その……」

 押し黙る麻生。俺は続ける。

「科学の力を信じるのはいいが、自分の身の丈知っとけよ」

 麻生がむくれた。

「何よそれ。私にできないって言うの?」

「んなこたぁ、言ってねぇけどよ」

 ここで言い争いをしても仕方ない。

「なぁ麻生」

 少しの間の後、俺は訊ねる。

「犯人、どんな奴だと思う」

 麻生はすぐに答えた。

「プロファイリング……! そっか。まだその手が。……ううん、ごめんなさい。まだ分からない」

 んだよ分かんねーのかよ。下唇を尖らせると俺は前髪に息を吹きかける。

「俺もまだ分からねぇけどよ。せめてこういう奴じゃないでいてくれ、ってのはある」

 俺は考える。

 麻生の奴は、犯人は女子じゃないかと言った。

 俺が守りたい人も、女だ。

 ため息をついた。脳裏に松下美希ちゃんが浮かぶ。別に惚れてるとかじゃねぇが、知り合いだ。友達だ。気にかけるのは、当たり前というか。

 ま、銀の字や麻生が犯人疑惑立っても、俺は同じことをするだろうな。

 俺は腹の中、鼻で笑った。夏の日差しが傾いて、もう弱くなっていた。

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