調査 SIDE麻生花純④

 自室の机の前でうんうん考えていても仕方ない気がして来た。

 時計を見る。午後三時。うちから学校まで正味一時間。行く価値は……あるか? 

 ううん。考えたって仕方がない。

 私はノートとペンと本をカバンに詰めると制服姿のまま立ち上がった。玄関から出ようとした時、お母さんがひょいと廊下に顔を覗かせて訊いてきた。

「どこ行くの?」

 私は一瞬躊躇ってから答える。

「学校」

 母が顔を曇らせた。

「大丈夫?」

「うん。忘れ物」

「送ろうか?」

「ううん。平気」

 すると母は、頭だけじゃなく体も足も廊下に出して、つまりは廊下を歩いて私のところにやってきて、それからそっと私の頭を抱き寄せた。

「何をしてきてもいいけど、無理しちゃダメだよ」

 母の匂いが鼻孔をくすぐって、私は何だかとても懐かしい気分になる。

「あなたを心配してる。だから困ったことがあったらすぐに頼ってね」

「うん」

「今回は事が事だから」

「うん」

「安全第一でね」

 多分、母は、そう。

 分かってる。私が何かに挑もうとしていることを。そう言えば中三の時、私が時宗院を受ける決意を固めた時もただ黙って抱き締めて、それから私の目を覗き込んでから「あなたなら大丈夫」って言ってくれたっけ。父は鈍感で、私の気持ちの変化なんて地球の裏側の出来事みたいに思っている節があるけれど、母はいつでも私に寄り添ってくれる。優しい人なんだ。

「いってきます」

 私は手を振って家から出た。それから、歩く。だんだん気持ちが軽くなっていく気がして、駆ける。傾き始めた太陽の力は弱くなってきていた。日傘、いらないかな。そうして乗った電車の、冷たい空調を肌で感じながら私は思った。

 よし。やるぞ。やってやる。死んだ高槻先生の声を聴く。私の疑問を、高槻先生に教えてもらうんだ。教師と生徒。正しい関係だよね。

 車窓を流れる景色は美しかった。本当、人が死んだ後の景色じゃなければいいのに、というくらい。


 学校に着くとまず私はセミナーハウスに向かった。現場百篇って言うし、実際の場所をもう一度確かめておきたい。

 しかしセミナーハウスの前には規制線が張られていて中に入ることはできなかった。建物の中からはがやがやと大人たちがしゃべる声が聞こえる。うーん。そっか。中には入れないか……。仕方がないので、私はセミナーハウスの外側をぐるり回ることを決意する。

 三重密室。

 私は先崎くんの言葉を思い出していた。

 まずセミナーハウスが閉め切られていた。次にシャワー室が閉め切られていた。最後にシャワーの個室が閉め切られていた。

 シャワー室のドアとシャワーの個室は、私が蹴り飛ばしたから分かる。あの手ごたえは完全に鍵がかかっていた。ドアが閉まっているように見せかけて……なんてことはない。

 ただセミナーハウス玄関の方は分からない。ドアに鍵がかかっていたのは、盗難を防ぐために先生方が決めて行ったことだ。鍵をかけたのは高槻先生。鍵を開けたのは島田先生。先生同士のやり取りなので、厳密にどんなことがあったのかまで私は把握できていない。まぁ、仮に玄関のドアを突破できても、続くシャワー室とシャワー個室をどうにかできないと意味がないのだが……。

 セミナーハウスの周りを歩く。一階部分を歩くのでまず駐輪場。それからゴミ捨て場……斜面を登って、ここからはセミナーハウスの二階に面した場所だ。ベランダの下を通って、うわ、雑草がすごいな。和室外の空きスペースを通って、次にプールの女子更衣室の外へ……。

「へ?」

「お?」

 窓。女子更衣室の窓。

 そこから出てこようとしている、男子生徒が……二人。

 一人。長髪の方が既に窓の外に出ていた。

 一人。Tシャツ姿の男子が窓枠に足をかけているところだった。

 繰り返す。女子更衣室から出てこようとしている男子生徒が二人。

「きっ、きゃ……」

「オイオイオイオイ」

 と、窓枠から飛び降りた男子生徒の一人が私の口を手で覆う。それから人差し指をピンと立ててしーっ、と言ってくる。

「大声出すんじゃねぇよ」

 彼の強い目つきを見て、私は咄嗟に放ってしまった……全力の中段突きを。

 何かが……いや、十中八九骨が軋んだ音がして、男子生徒が後ろに飛ばされた。長髪男子の上に重なるようにして倒れ込む。大声を上げようとして、倒れた彼を見て気づいた。せ、先崎くん? 

「いってぇ……」

 声にならない先崎くん。悶絶。

「この鉄拳女が……暴力振るわねぇとやっていけねぇのか……」

「えっ、うえっ」

 変な声。状況が理解できない。

 えっ、これもしかして先崎くん女子更衣室に侵入してた? いや、先崎くんだけじゃない、そこの長髪男子も、一緒になって、ぐるになって……。

「おい。言っとくけど違うからな」

 先崎くんがゲホゲホしながら私を指差した。

「覗きや下着泥の類じゃない」

「じゃ、じゃあ何を……」

 もしかしてこの人たちが事件の犯人? 

 そんな思考が脳内を駆け巡る。

 先崎くんは犯人だから昨日の晩現場に来ていたの? 犯人は現場に戻るってやつ? 

 しかし先崎くんの下敷きになっていた髪の長い男子が訊ねてきた。

「こいつ何者だ?」

 すると先崎くんが目をぱちくりさせながら答える。

「一組の麻生花純ってやつ……化学部部長」

「この間の学年模試で理系科目トップの?」

「マジ? そんなバケモノ女だったのかよ」

「バ、バケモノって何よバケモノって」

 確かにあの模試調子よかったけどさ! 

「んだよお前。『アメリカのシャーロック・ホームズ』になりに来たのか?」

 苦しそうに喘ぐ先崎くんの言葉で私は我に返った。そうだ。私にはやるべきことがある。

「事件について調べに来たの」

 すると先崎くんがようやく立ち上がった。

「俺もだ」そう、つぶやく。

「何か分かったことあるか?」

 先崎くんにそう訊かれ、私はただ首を横に振る。

「まだ、何も」

 すると先崎くんはニヤッと笑った。

「俺はあったぞ」

 それから彼はすっとポケットに手を入れ、「あれ?」なんてあたふたしながらもやがてそれを取り出した。それはベージュのハンカチにくるまれている。そっと摘み出した指の先。本当に小さな、三角形の、緑色をした……豆? 

「ひっつきむしだ」

 先崎くんが自慢げにつぶやく。

「ほら、草むらなんかを歩くと知らない間に足にくっついている……」

「ああ、動物散布型の植物のこと」

 私は先崎くんの指先にある小さな種子を見た。

「鉤や針、それから粘液なんかで動物の体に付着して種を運ばせる植物。これは……?」

 すると先崎くんがぽかんとしたまま、「知らねぇ」と答えた。

「ひっつきむしであること以外判別できねぇ」

 私は種の特徴を見ながらつぶやく。

「多分、アレチヌスビトハギかな。三角形で、種が小さい。花の季節がちょうど今くらいだし、考えられるかも」

「お前園芸部より植物に詳しいのな」

 唖然とする先崎くんを見て、私は何だか恥ずかしくなった。

「いえ、その、本で、読んだの……」

「品種の特定はありがたいな」

 長髪の男子が口を開く。

「分布によっては『どこを通って来たか』が分かるだろ」

「あ、いえ、そうはならないと思います」

 私は手を振った。

「アレチヌスビトハギは生命力の強い外来種で本当にどこにでも生えてます。多分学校の敷地内とか……ううん。この辺にもたくさん生えてそう。だからこれだけから侵入ルートを特定するのは難しいと思います」

「そうか……」

 と、がっかりする先崎くんと長髪くん。しかし私は、彼の指先にあった種子に睫毛の先程の小さくて細い糸くずがついていることを確認した。

「これ……」

 と、私がつぶやくと、先崎くんも長髪くんも、一緒になってアレチヌスビトハギの種子を見た。

「繊維くずがついていますね」

「ついてるな」先崎くんが頷くと長髪くんも続いた。

「ついてる……ハンカチのじゃないか?」

「ハンカチと違う色、紺色です」

「だな」

 と、私は思い付きを口にする。

「靴下の可能性はないでしょうか……? もしかして、女の子の?」

「靴下、それも女子?」

 長髪くんが首を傾げる。私は応える。

「動物散布型の植物は多くの場合足につきます」

「分かるが、足なら紺色のズボンの可能性だってあるだろう。時宗院男子の制服ズボン」

「いえ、時宗院高校の標準服のズボンは化学繊維でできています。傷んでも表面がつるつるしちゃうような素材なので、アレチヌスビトハギみたいな鉤や針でくっつくタイプの植物は付着しにくいんです」

 すると先崎くんが、唸るような調子でつぶやいた。

「靴下にしたって足首辺りになるぜ。アレチヌスビトハギってのは背が低い植ぶ……」

 と、言いかけて私の言いたいことが分かったようだ。

 私は先崎くんに向かって考察を述べた。

「確かに背の低い個体がいる可能性は否定できない。でも逆に『くっつく範囲が広いものが傍を通った』と考える方がよりシンプル」

 例えば、そう、女子のハイソックスのような。

「時宗院高校の女子の標準服はハイソックスです」

 私の言葉に、二人が黙った。私は種子を見たまま続けた。

「どこで見つけたか知りませんが、これを運んだのは多分女子でしょうね」

「廊下で見つけたんだ」

 先崎くんがぽつりと放った。

「女子シャワールームから出て、水泳用の男子更衣室の前を通る途中。廊下の真ん中にぽつんと落ちていた。水泳部のじゃねぇ。水泳部は部活終わりに掃除してから帰るからな。水泳部の掃除があった後に、そのアレチなんとかとかいう種をくっつけた誰かがそこを通った。そしてその誰かは……」

「女子」

 長髪さんが顎を引いた。そこでふと私は、気になったことを訊いた。

「あの、あなたたち何で女子シャワー室から?」

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