聴取 SIDE麻生花純②

「先崎くん?」

 私が声を上げると、先崎くんは「しーっ」と人差し指を口に当て駆け寄ってきた。私も察する。こんな時間にここにいたらさすがに怪しい。

「お前どうしてここに?」

 ヒソヒソ声で私に訊いてくる。私も返す。

「あなたこそ」

 少しの間、膠着。

 沈黙に押しつぶされそうになったこの場を破ったのは先崎くんだった。

「俺は調べごとがあってだな……」

「私だって」

「しかしポリ公がいねぇな。事件の後なんだから誰か張り付いていてもいいもんだが」

「事件と事故の両方で調べるって言ってた」

「誰が?」

「おまわりさん」

「事件の可能性も視野に入れてるにしちゃあ、警備が手薄だぜ」

「事故の方が強いと思っているのかも」

「……まぁ、仕方ねぇっちゃ仕方ねぇか」

 先崎くんがじとっと目を細める。私はその目に訊ねる。

「仕方ないって?」

 すると先崎くんは小さな声で返してきた。

「こんな言い方するのもあれだけどよ……現場」

「現場?」

「ああ。まずこのセミナーハウスに鍵がかかってたな? で、次にシャワールームに鍵。そんでもって最後にシャワーの個室に鍵とくりゃあ……」

 あ、なるほど。

 私は合点がいった。

「三重?」

「そう」

 先崎くんは顰蹙ひんしゅくしながら頷いた。

「三重密室」

 言われてみれば、そうだ。現場は三重の入れ子構造になった施設の中。

「こんな状況で起きたとありゃあ、偶然性の方を信じたくなる気持ちも分かる。事件性ってのは、多分死因が分からないから一旦事件も考慮しときますよくらいのもんじゃねーかなぁ」

「何でそんな警察詳しいの?」

「知り合いが死んだことがあってな。死んだ後の手続きに興味があって、調べたことがあんだよ」

 そっか。嫌なこと聞いたかな。

「……ごめん」

「なんで謝んだよ」

 いや、別に。

「お前は何でこんなとこいんだよ」

 先崎くんに訊ねられた私は答える。

「純粋な、学術的好奇心」

「学術的ぃ?」

 先崎くんが大きな声をあげそうになったので、私は慌てて人差し指を自分の唇に当てる。

「しーっ」

 先崎くんも慌てた様子で口をつぐむと、小さな声で訊いてきた。

「学術的って何だよ」

 一言で説明するのが難しい気がして、私は、手に持っていた『アメリカのシャーロック・ホームズ』を顔の高さに持ち上げた。先崎くんがそれを手に取り、裏表紙を眺めたり中を開いたりした。

「アメリカの科学犯罪捜査の先駆けになった人のノンフィクションなの」

 本を見られているだけなのに、何だか私がじろじろ見られているような気分になる。

「ほえー」

 先崎くんは興味なさそうな声をあげた。

「これを実践したいと」

「違う……けど、違わないというか」

 私、科捜研に行くことが夢なの。

 私がそう言うと、先崎くんはきょとんとして私の顔を見た。私が恥ずかしくて唇の内側を噛んでいると、先崎くんは不意にサムズアップして、「いいね、そういうの」と笑って見せた。それから彼は続けた。

「俺は何になりたいとかねーからなー。かっこいいぜ。夢があるの」

「いや、そんな、大したものでは……」

「かっこいいって」

 何よ。「かっこいい」の押し売りみたい。

「で? 未来の科捜研さんはこの現場に何を感じたんだ?」

 私は俯きながら答える。

「まだ何も分かって……ん? 『感じた』?」

「そう。感じた」

 先崎くんは訳もなさそうに頷く。

「直感でいいぜ。何があったと思う?」

「う? うーん……」

 私は言葉に困ったが、しかし先崎くんが先を急かすようにキラキラした目を向けてくるので、答えた。

「事件だと……事件だと思った。だから、その……殺人」

 すると先崎くんが目つきを変えた。遠い彼方にいる、敵を見据えるような目になった。

「じゃあこれは……殺人だ」


 今にして思えば、さすがに意味の分からない会話だったと思う。高校二年生の男女が二人、夜中に会って色恋に燃えるわけでもなく「これは殺人だ」なんて、風情のかけらもない。ただ、この時私は妙に強い気持ちになれていた。それはもしかしたら、先崎くんの励ましや、私の夢を無条件に受け入れてくれたことへの嬉しさがあったのかもしれない。

「お前名前は? 麻生だっけ?」

 女子部屋まで送ってくれた先崎くんが、別れ際に訊いてくる。私は答える。

「麻生花純。化学部部長」

「へっ。化学部も女子入れた上に部長に据えるたぁな」

 ちょっとカチンと来たので言い返す。

「いけない?」

「いいや」

 先崎くんはニヤッと笑った。

「最高だね。そういうの」

 この人の感覚、やっぱり分からない。

「俺は先崎秀平。二年七組」

 と言われて、私は自分のクラスを言っていなかったことに気づく。

「私、二年一組」

「ちょうど端と端だな」

 端と端。確かに私たちは、両極端なのかもしれない。

「科捜研ちゃんよぉ。俺、この一件自分なりに調べてみるからよ。何か分かったら知らせに行くぜ」

 先崎くんはそう手をあげて、立ち去ろうとする。私はその背中を追うように小さく一歩出て、つぶやく。

「あの」

 先崎くんが振り返る。

「危険だから。無茶はしないで」

 すると先崎くんは揶揄うように笑った。

「おっ? 心配してくれちゃう? 俺今フリーだぜ」

 馬鹿じゃないのこの人。

「私のせいで誰かが危険な目に遭うのは嫌だってだけ。誰があなたみたいなチャラチャラした不良……」

「不良だぁ?」

「不良でしょ」

「初対面の男に飛び蹴り喰らわすような女に言われたかねぇぜ」

「飛び蹴りじゃない。足刀蹴り」

「何蹴りだか知らねーがドア蹴破るような一撃ナチュラルにかますんじゃねーよゴリラ女」

「誰がゴリラですって?」

「知らねーのか? ゴリラってかわいいんだぜ?」

「か、かわいい?」

 先崎くんがまたニヤッと笑う。

「男慣れしてねーな? せっかく共学なんだからお前も楽しんどけよ。女子校の奴ら、こうして男子と夜中に話す場面を想像しただけで鼻血出すぞ」

「か、関係ないでしょ」

 先崎くんはニヤニヤしたまま、告げた。

「じゃあな。さっさと寝ろよ。肌荒れるぞ」

「うるさい」

 こうして私たちは別れてそれぞれの部屋へ戻った。暗い室内に戻り、音を立てないように布団に入る。何回か大きな息を吐いて、それから本を枕元に置き、目を閉じる。

 すぐさま、聞こえてくる。

「男子と会ってたの?」

 のんちゃんの声だった。

「うぇっ?」と変な声が出る。

「バレないと思ってた?」

 暗闇にまだ目が慣れていないから、闇の向こうでのんちゃんが……加佐見典代がどんな顔をしているのか想像するしかない。責めているのか、揶揄っているのか。私はおどおど答える。

「いや、その、別に……」

「会ってたんだ」

 その穏やかな声の中に、揶揄いを感じて、私はため息をつく。

「出くわしただけ」

「どこで?」

 訊かれて困ったが、すぐに「トイレ」と返した。嘘だったが、闇の向こうでのんちゃんがくすっと笑った。

「夜中に男子」

 もう何なの? そういうことしか考えることないの? 

「違う」

「うんうん。分かった」

 衣擦れの音。のんちゃんが寝返りを打ったのだ。

「明日の朝、誰と密会したのか教えてね」

「みっ、密会なんかじゃ……」

「いいから。事情聴取するからね」

 私が言葉に困っていると、闇の中に沈黙が流れた。のんちゃんはそのまま大きく息をつくと静かになった。寝るんだ。そう思って、私も寝返りを打った。

 密会。男子と女子。

 そういうんじゃないって。私はただ現場が見たくて……。

 と、思い出す。

「いいね、そういうの」

 先崎くんの、サムズアップ。


 翌朝、少し寝不足な頭で考えたのは、帰りの電車のことだった。何時の電車だっけ。ああ、もう。眠い。

 ただちょうど起きた頃、私の頭はまだ寝ぼけていて、「シュレディンガーの殺人」とでもいうべき現象が頭に浮かんでいた。

 扉を開けるまで、中にいる人物が生きているか死んでいるか分からない。

 あるいは、扉を開けるまで、中にいる人物は生きながら死んでいるし死にながら生きている。

 妙な夢だった。しかし隣で寝ていたのんちゃんの声で、私は何とか現実に戻ってきた。

「ひどい顔」

 のんちゃんが笑う。

「顔洗っておいで」

「うん」

 私は目をパチクリさせる。目がしっかり休んだ朝昼の内は眼鏡に頼らなくても視力に問題はない。私は眼鏡をケースにしまってから、欠伸をする。

「顔洗ったら聞かせてもらうからね」

 え? と私は首を傾げる。するとのんちゃんが言う。

「昨晩男子と会ってたんでしょ」

 ドキッと、する。


 ――ゴリラってかわいいんだぜ。


「誰がゴリラよ」

 ついたため息は、朝の日差しの中に溶けていった。

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