調査 SIDE先崎秀平①

 聴取が終わり、俺たちはひと晩、このセミナーハウスで過ごすことになった。明日朝早い電車で生徒たちは解散。つまり、合宿は中止ということになった。

 一年生たちは怯えていた。どうしよう、これどうしよう。自分たちが起こしたトラブルでもねぇのにガクガクブルブル。まぁ、人が死ぬ場面に出くわすなんて経験はそうそうないか。

 だが俺にはあった。人の死に出くわす場面が。

 小学校低学年の頃、俺は広島県広島市の佐伯区に住んでいた。広島県は県内をたくさんの川が流れる関係で地下鉄がない。どの土地も川と接するので生活の中には川があった。そして子供たちの遊び場も主に川だった。俺もそうだった。

 俺にはてっちゃんという友達がいた。

 角野すみの鉄平てっぺいというひとつ上の学年の男子で、俺はてっちゃんと自治体が運営する子供キャンプで出会った。妹と弟が一人ずついて、その関係か、下の子の面倒を見るのが得意だった。俺も面倒を見てもらっていた。

 ある夏、台風が来た。俺は大雨の中走るのが楽しそうだからとサンダルを履いて出かけようとしたが、父さんに止められた。親の目の前で自殺する馬鹿がいるかと。実際、当たり前のことだが学校は休みで、俺は仕方なく家でゲームをしながら過ごし、翌朝、いつも通りに学校に行った。

 放課後、家に帰る前に靴箱でぐうたらしていたら、慌てている先生たちを見た。

 だがその時は、まぁ、学校の敷地でタヌキでも死んでいたんだろうくらいにしか思わなかった。実際そういうことはよくあって、この間も花壇の近くにあるベンチの上でタヌキが死んでいた。今回もきっとその類だ。そう思ってその日は過ごした。

 てっちゃんの訃報を聞いたのは、その翌日だった。

「昨日、六年生の生徒が一人、増水した川に流されて亡くなりました。みんなも大雨の後の川には近づかないように、先生と約束してください」

 へぇ、そんなことが。この時もまだ、俺はその程度の認識でしかなかった。だが、下校途中、その話を聞いた。


 ――死んだ人って角野っていうらしいよ。

 ――野球クラブの? 

 ――子供キャンプのキャプテンだって。


 嘘だと思った。てっちゃんがそんなことに巻き込まれるだなんて、嘘だと思った。だが家に帰ると母さんが沈んだ顔で、俺の目を見て告げた。てっちゃんが亡くなった、と。

 その後の記憶はあまりない。

 気づいたら俺は綺麗な格好をして、近所の会館でパイプ椅子に座っていた。少し離れたところにある、祭壇みたいなやつにてっちゃんの顔写真があった。その近くで、幼い子が二人、泣いていた。てっちゃんの妹と弟だった。


 ――弟さんの靴が川に落ちたんですって。

 ――それを取りに行こうとしたらしいよ。

 ――ご両親は堪らないでしょうね……。


 面倒見のいいてっちゃんのことだ。弟の靴が流されて、取りに行こうとするのは確かに想像できる。そして流された。

 てっちゃんは今頃、どうしているのだろう。

 葬式の最中。あの世のてっちゃんはいったいどんな心境でこの様子を見ているのか、ふと気になった。

 今でも時々そう思う。てっちゃんは今頃、どうしているだろうか。

 死んだのだからどうしているもこうしているもないのだが、こうして神奈川県に越してきてもなお、思う。

 てっちゃんは今頃、どうしているのだろう。


 その晩は眠れなかった。てっちゃんのことが頭にあったから、というわけでもなく、いや、そのことは少なからず頭にあったが、しかし気になることがひとつあった。高槻先生のことだ。

 具合が悪いと言っていた……ような気がする。夏風邪だって。実際咳をしていた。もしかして風邪で死んだか? 

 んな馬鹿な話あって堪るか。いや、まぁ、元々肺が弱くて肺炎で死にましたくらいのことならあるかもしれないが、それにしたっていい大人だ。簡単にころりと逝くとは思えねぇ。それより気になることがある。

 銀の字が言っていた。

 最近学校で盗難事件が起きている。

 先生がもし、その事件について何か知っていたとしたら? 

 いや、それより、気になることがもうひとつ。


 ――近頃盗難事件があったらしいな。

 ――新しい子の種が盗難にあった。

 ――新しい子。ひまわり、トウゴマ、キキョウ。


 俺は考えた。そうだ。あの時確か、銀の字は言っていた。俺がアルコープでダンス部の真桜ちゃんの練習を覗き見していた時。

 俺は考えた。もし、松下美希ちゃんが……。

 布団から出る。

 俺はゆっくりと男子部屋を出ると、そのまま廊下へ出て足音に気をつけながら下の階を目指した。男子部屋は三階にある。現場になったシャワールームは二階。ひとつ下りるだけ。

 二階に着く。

 俺は足音を忍ばせながら、シャワールームへと向かった。案の定、というか当たり前に、扉がぶっ壊れたシャワールームには黄色い規制線が張られていた。中に入れないように。現場であることを示すように。

 しかし見張りらしき人はいなかった。警官も、教師も、誰も。いやに手薄だなとは思ったが、都合は良かった。多分、密室という現場が特殊だからだ。事件性より事故の方が疑われているのかもしれない。

 スマホのライトをつける。

 何か分かることはないか。俺はそう思っていた。

 いや、俺ごときが何かをしたところで事態が好転するとは思えねぇ。だが動かずにはいられなかった。だって、松下美希ちゃんのことがある。俺の予想が正しければ、。俺はその可能性を棄却しようと考えていた。女の子のために身を挺して動く。俺の理想とするところだった。かわいい女の子のために死ねるなら本望だ。

 死ぬ、なんて言葉に俺の中でてっちゃんが浮かび上がった。てっちゃん。今頃、どうしてるかな。俺のこと、見ているのかな。

 まぁ、そんなことはさておき。

 俺は立ち入り禁止テープの前に立つ。ここから先へは行けねぇ。だが考えることはできる。

 あのメガネ女がドアを蹴破った。だから俺の前、黄色いテープの向こうにはひしゃげた鉄の板がある。そこから右に折れればシャワーの個室……くそっ、こんなことがあったから風呂に入れてねぇじゃねぇか。道理で汗臭ぇわけだぜ。俺は俺の汗の臭いにうんざりしながらスマホのライトをかざす。何か。何か分からないか。

 しかし、ここからじゃ調べることにも限度がある。

 無駄足だったか。そう思って立ち去ろうとした時だった。

 シャワー室で死んだってことは、どういうことだ? その前に接触があったってことか? 

 俺は、こう考えていた。

 現場は三重密室。密室って言葉何かいいな。かっこいい。まぁそれはさておき、入れ子構造になった、中から鍵のかけられた箱の中で人が死んだとありゃあ、その前に誰かが何か仕掛けをして人を殺したってことだ。まぁもちろん、これが事件ならの話だが。現時点では事故の可能性も捨てきれねぇ。だがもし事件なら……。

 シャワールームに入る前に、高槻先生に何かが仕掛けられた。

 その仕掛けは高槻先生がシャワーを浴びた段階で初めて作動し、そうして高槻先生を死へ追いやった。

 高槻先生は体調不良でほとんどの時間をこのセミナーハウスの教員用宿泊室で過ごした。あの部屋に何かが仕掛けられていたとしたら、必然島田先生が怪しいことになる。

 だがここで島田先生の立場になって考える。容疑者が自分しかいない部屋で犯行に及ぶだろうか? 教員用宿泊室で仕掛けをしたとバレたら、すぐさま同じ部屋にいた島田先生が容疑者に上がる。いや、それ以外考えられなくなる。そんな状況で島田先生が高槻先生を殺すべく動くか? 

 犯人の立場に立てば、で事に及ぶはずだ。高槻先生はシャワールームに行く前にどこにいた? 教員用宿泊室に引きこもる前にどこにいた? 俺はざっと考える。

 まず、食堂にいた。これは間違いない。

 だって俺たち園芸部と高槻先生は一緒に食堂に入ったからだ。あの時なら誰が高槻先生にアクセスしたかなんてことは分からない。

 そして、そう、高槻先生はその後体調が悪いと保健室へ行った。

 だがここで何かをされた可能性は低い。それは養護教諭のくーみん先生の立場に立てば分かる。あの先生、おっぱいが大きくて堪らなく……なんてことはいいんだが、くーみん先生も島田先生同様、自分以外疑われようがない現場で事に及ぶとは考えにくい。つまり、そう、食堂、保健室、教員用宿泊室と続き、そこからシャワールームに行ったのだとしたら。

 最後に何かを仕掛けられる現場は、食堂しかないことになる。

 そして、俺は、気づいてしまったのだ。

 食堂で、高槻先生の前に座っていた生徒。

 俺のマドンナ、松下美希ちゃん……。


 俺は、そう。有体に言えば。いや、さっきも言ったが……。

 俺は松下美希ちゃんの容疑を晴らすために動いていた。彼女が犯人、いや、事件に関与している可能性を棄却するために調べることにした。だから事件現場のシャワールームに足を運んだ。だが分からないことだらけだった。こう見えてテストの成績は学年十位にランクインする俺だが、しかし勉強と考察は違った。俺は頭を悩ませた。

 と、俺の背後、廊下の向こうに人の気配を感じた。小さな、本当に微かな足音。衣擦れ、息遣い。それを聞いた。感じた。

 犯人は、現場に戻る。

 そんな言葉が俺の脳裏をかすめた。まさか、まさか、この場に、犯人が。

 俺はスマホのライトを構えたまま、振り返った。そして廊下の曲がり角の向こうを見つめた。

 玄関の明かりに照らされて、人影が一本、床に伸びていた。

 ぼんやりした影。特徴が分からないから男か女かも分からない。だが俺より身長が低いことは漠然と理解できた。もし襲われても、体格で勝てる。

「誰だ」

 俺は訊ねた。しかし同じタイミングで向こうから声が聞こえた。

「だ、だれ……」

 女子だ。この声は女子だ。

 なら、物理的に負けることなんてないんじゃないか? 

 そう思いながら、俺はゆっくり角を曲がった。そうして向こうにいる人物を見た。

「メガネ女?」

 声が出る。するとTシャツ姿のメガネ女が応じる。

「先崎くん?」

 何だ、こいつ、俺の名前を把握してんのか。俺はスマホのライトを消してから、にらみつける。

「こんなところに何の用だ?」

 するとメガネ女も負けじと俺を睨んできた。

「あなたこそ」

「俺は気になることがあって来た」

 こいつが犯人だった場合。

 この言葉がプレッシャーになるはずだ。心が乱れれば隙が生まれる。その隙を突けば、もしかしたら勝機が生まれる。

「私も」

 しかしメガネ女は固い表情のままつぶやいた。俺は返した。

「何が気になる」

「そっちこそ」

 俺とメガネ女は睨み合った。そして、この場は膠着した。

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