夏合宿 SIDE先崎秀平③

「こ、怖いですよぅ、先輩」

「俺に抱きついたら鼻にねりけし詰めるからな」

「先輩は何で穴にものを詰めようとするんですか。さっきも僕のお尻狙ってたし」

「語弊があるからその言い方やめろ気持ちわりー」

 学校裏の林道、別名どんよりロードを、俺が持った懐中電灯ひとつでちんたら歩く。辺りは真っ暗。風が吹くたび木がガサガサ、カサカサ、音を立てる。イカくんはこれが怖いらしい。

「ひえええ」

「おめーなぁ。こんなの怖がってたら夜自分の部屋で寝られねーだろ。家でどうしてんの?」

「家ではママが……」

「は? お前マザコン?」

「違いますよぅ。お母さんを大事にしてるだけです」

「いやいやいやいや……言われてみりゃお前お母さんとお風呂入ってますみたいなビジュアルだわ。離れろキモいから」

「キモい……気持キモちいい?」

「ポジティブおばけかお前」

 いいから俺から離れろ、とどつくと、イカくんはひえええと声をあげて「せんぷぁい」と気色悪く呻いた。

「あ……」

 と、いきなりイカくんが振り返ったので俺は立ち止まってイカくんの目線の先を見た。ちょうど木陰の切れ目から、時宗院高校が見えるところだった。

「セミナーハウス……」

 と、イカくんがつぶやく。言われてみりゃあ、あれに見えるは時宗院高校のセミナーハウスだ。海の波をモチーフにした特徴的なデザイン。時宗院の校舎じゃなけりゃセンスがダサすぎる。窓に明かり。何だか不思議な気分になった。

「先輩ぃ……誰かがお風呂に入ってますぅ。あの明かりがついてる窓はお風呂のですぅ」

 と、気持ち悪く呻くイカくんに告げる。

「風呂なんてねーだろ。セミナーハウスにはシャワールームしかねぇ」

 くだらねーこと言ってねーで歩くぞ、と先を促したのだが、イカくんは立ち止まったまま動かない。俺は痺れを切らして「置いてくぞデブ」と罵った。しかしイカくんはセミナーハウスを見上げたまま、つぶやいた。

「先輩、我々は……」

「はぁ?」

「我々は、男子です」

「そりゃ一応ついてるからな」

 お前についてるのかは知らねーけどよ。

「我々が外にいるということは、女子はまだ中にいる可能性がありますね?」

 と、強烈な電撃が脊髄を撃ち抜いて俺は眩暈がした……まさか……まさかこいつ……! 

 イカくんが俺の変化に気づいたのか、ニヤリと笑う。

「……そのまさかですよ先輩」


 女子がシャワーを浴びている? 


 いや。いやいやいや。肝試しには三部活全員で外に出た。だからセミナーハウスに生徒は……し、しかし。

 先に肝試しを終えた女子生徒がさっさとシャワーを浴びている可能性は? そして何より、あそこに見えるセミナーハウスの窓に明かりがともっていることが女子が帰っている証拠なのでは? 

 と、俺の思考と阿吽の呼吸でイカくんが頷く。

「そうです先輩。そして僕は知っています」

 きらりと眼鏡を輝かせるイカくん。

「……セミナーハウスには秘密の入り口があるのですよ……フッ」

「秘密の入り口……だと……?」

「ええ。誰にもバレない入り口です。そこからこっそり入ったとしましょう!」

「しますと……?」

「男子が外に出ているということは?」

「出ていますと……?」

「女子は無防備な格好でうろつく可能性がある!」

「そ、それはつまりますと……?」

「下着姿の女子がっ……いやっ、あわよくば!」


 HADAKAかっ?


「フッ」

 眼鏡をくいっと上げるイカくん。それから親指で後ろを示した。

「行きますか、先輩」

「いざ参ろう、後輩」

 そういうわけで俺たちは肝試しのコースから大きく外れて一路学校を目指した。俺の先を歩くイカくんが、たくましい背中を揺らしながらつぶやく。

「先輩、秘密の入り口はこちらです」

「後輩……」

「先輩が一番に覗いていいですよ」

「後輩……!」

 どんよりロードから時宗院高校のセミナーハウスまでの間には大きな崖があるのだが、イカくんが示す先にはコンクリートの壁を切り開いて作ったような細い階段があった。一人分の幅しかない狭い階段だ。なるほどここから登れるのか。

「セミナーハウス裏の、非常口近辺に出ます」

 イカくんの案内で真っ暗な階段を一歩一歩登る。

「そういやおめー暗いのが怖いみたいな話してなかったっけか」

「……僕たちの前途は暗いですか、先輩」

「後輩……」

 と、イカくんのたくましさを見せつけられ続けながらセミナーハウスの裏手へと出た。そこには金属製のドアと、空き缶がいくつか置いてあった。中を覗く。吸い殻。こんなところで煙草を吸うのはよほどのワルか先生だ。多分、先生だろうな。

「この角を曲がったところの窓ですよ、先輩」

 イカくんが凛々しく歩き続ける。が、やがて見えてきた窓を一瞥するなり、イカくんが足を止めた。俺はその丸い背中にぶつかりながら訊ねた。

「オイどうした」

「おかしいな。秘密の入り口が閉まってます」

 イカくんの目線の先。

 いかにもみんなの頭の中から消え去ってますみたいな、暗い影に設置された窓。思うに、セミナーハウスと植え込みの陰にあるから目立たないんだ。

 で、その暗い影の窓を見ると。

 埃まみれのサッシ、窓ガラス。その向こうに見えるクレセントの錠前は、タブがきちんと降りて鍵が閉まっているように見えた。俺はブー垂れた。

「オイオイオイオイなんだよぉ。秘密の入り口なんじゃねーのかぁ?」

「すっ、すみません……開いてませんでした……」

「イカくん。この罪は重いぞ」

 俺はイカくんのムチムチした肩を掴む。

「どうしてくれっかなぁ?」

「ひえっ、先輩、許してください」

「よーし、じゃあ岬愛子ちゃんか高松琴子ちゃんの連絡先教えてくれりゃ許してやる」

「あ、あの二人のですか……?」

「あのべっぴんちゃんたちの連絡先だよ。知らねーとは言わせねーぞ」

「知らないです」

 あっけらかんと、イカくん。

「だいたいこんなオタクが女の子の連絡先なんて知ってるわけないじゃないですか」

 ぐぬぬ。正論。

「なので諦めてください」

 それより行きましょう、とイカくんが歩き出す。

「入れないと分かれば長居は無用です」

 んだよさっきまでの態度はよぉ。

 そうは思いながらもイカくんの方が正しいので俺は従う。何だかなぁ。損した気分だぜ。


 そういうわけで肝試しからの抜け出しを終えた俺たちは、元のどんよりロードの中に戻ると、ちんたらと歩き出した。途中、イカくんに告げる。

「おいイカ」

「はい」

「俺はこの後やんごとなき事情があって途中でお前を見捨てなければならない」

「えっ、困りますよぅ」

「困りも手毬もない。俺はお前を置いていく」

「そんなぁ」

「少し先に行きゃあ、先発のコンビがいるだろうさ」

 俺は懐中電灯をイカくんに渡す。

「怖けりゃ走れ! そら、ようい……」

「えっ、えっ」

「どん!」

 ひええ、と走り出したデブイカの背中を見て、俺はにひひと笑ってやる。

「さぁて! beautifulなgirlsをときめかせるために隠れっかなぁ。どこがいいもんか」

 と、手頃な藪を見つけた俺はその後ろにしゃがみ込む。虫がぶんぶん。うるせぇなぁ。虫除け買ってくりゃよかった。

 でも、おそらく五分後には後続の加佐見ちゃんコンビが来るはず。麻生とかいう連れが気になるが、どうせ化学部のクソオタクだ。俺の脅かしにビビり散らして小便垂らすかもしれねー。

 さて。脅かす準備はバッチリ。

 それから五分と少しばかり。

 ずっとしゃがんでたら膝が痛くなってきたな……ちょいと脚伸ばしてストレッチでもするか。ぐいぐいと体を動かしていると、少し離れた場所に明かりが一筋差した。おっ、と思っていると案の定、女の子のペアがおそるおそるこちらに来ていた。ありゃ間違いなく加佐見典代ちゃんだぜ。隣にいる麻生とかいうのも……女子か! よっしゃ、これを機にお近づきに……。

 二人が藪に近づくのを待つ。呼吸を止めて数秒、足音と明かりが近づくのを待った。一。二。三。今だ!

「わぁーっ!」

 大声をあげて加佐見ちゃんの前に躍り出……

「いやぁあぁあぁあぁあぁ!」

 刹那、俺の下腹部に車にでも轢かれたような衝撃が走った。同時に数メートル後方に飛ぶ。後頭部をアスファルトにしこたまぶつけていた。視界に火花が散る。鼻の奥が酸っぱくなって吐きそうになる。思わず声が出た。「ぐぇ」。自分でも哀れな声だと思ったが、しかし、その後に続いた女の子の声に俺は救われた。

「ちょっ、あれ、人だよ! 花純!」

「えっ? うそっ? ヒト?」

 クラクラする頭の端で、俺はふと、このまま倒れてありゃ女の子たちのスカートの中を合法的に覗けるかなと、そんなことを思った。

 しかし、無情にも……。

 近づいてくる女子たちの脚は、ジャージに包まれていた。

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