三、事件が起こるまでの状況

夏合宿 SIDE先崎秀平①

 ま、松下美希ちゃんどころか、生物部の加佐見典代ちゃんも同じ宿だと……。

 鼻血が出そう、とはまさにこのことだろうか。合宿ということは、ひとつ屋根の下、同じ夜を過ごし、同じ朝に目覚め、愛を育み、そして……。

「また下らんことを考えてるな」

 夏休みの食堂。冷房の直撃するテーブルで、銀の字がボソッとつぶやく。

「大方美人と同じ宿ということで興奮してるんだろう」

「おめーはしねーのかよ。新聞部は文芸部と同じタイミングで合宿だろ。文芸部と言やぁ、文学少女の益山ひかりちゃんが……」

「彼氏持ちだ」

「マジ?」

「二ヶ月くらい前からだな。お前にしては情報が遅い」

「マジかー! 知らなかった! でも人妻は人妻でまた……」

「人妻って言うな」

「お、安藤舞ちゃん」

 バレー部で一番かわいい子。たった今食堂の入り口に。

「お前の目にはどんな女子も美人に映ってそうだよな」

 銀の字のつぶやきに俺は答える。

「すべての女子は花なのさ」

「言ってろ」

「ま、とにかく俺はこの合宿で美少女と結ばれてみせる」

「言ってろ」

「お前はさっさと白百合先輩で童貞捨てろよ」

「言ってろ」

 さて、そんな夏合宿も、明後日に控えている。トランプ、UNO、王様ゲームアプリ、お絵かき伝言ゲーム用の小さなスケッチブック……遊び道具はたっぷり。後は本番を迎えるだけ……。


 さて、そうしてやってきた合宿初日だが、この日はひどい暑さだった。セミナーハウスは冷房があったがそれがとにかく弱く、部屋にいてもジリジリ汗をかいた。こんな暑さの中運動をする奴らの気が知れねぇ。俺は遠いグラウンドで声を張っている野球部のことをチラッと思い、あそこは野郎しかいないからつまんねーななどと思い、あの合宿はとんでもねぇ地獄だろうなとげんなりし、そうして目の前にいる美少女、松下美希ちゃんの揺れるスカートを見てドキドキした。園芸部の合宿は別名「お泊り親睦会」なので部活らしい活動はほとんどなく、シンプルに遊んですごすだけ。それもかわいい女の子と! 天国はここにあったか……。

「先崎くん、会場準備手伝ってもらっていいかな? 机を運びたくて……」

「おう、まかせろ!」

 合宿初日のこの日はまず自己紹介も兼ねてちょっとしたレクリエーションから。兼部制度の影響で、入部したもののまだ名前と顔が一致していないという問題は夏休みまで引きずりがちだ。夏合宿は親睦会。ここではじめましての人も、これからもよろしくの人も、同じ宿の下、仲良く楽しくなることで一緒に高校生活をエンジョイしていこうというのが今回の目的だ。

「今夜は部活合同の肝試しがあります。夜のおしゃべり会はその後。今日一日で部内外含め色んな人と仲良くなれると思うので、楽しんでください」

 松下美希ちゃんの一言で新入生含め部員が湧き立つ。何てったってこの肝試し。カップルができることも多いイベントなのだ。ぐしし、俺もこの機会を逃さず松下美希ちゃんと……いや、加佐見典代ちゃん? いやいや、一年生にもいい子がたくさん……。

「二日目には先日部に運び込まれた新種の苗についての勉強会があります。ひまわりと、トウゴマと、キキョウについてです。予習はいりません。みんなで楽しく学んでいきましょう」

 夏らしい草花に目を輝かせる部員ガールズ(野郎は俺以外に二人いるがそいつらは別にどうでもいい)。くーっ、新庄成美ちゃん、高谷由里ちゃん、古川真理沙ちゃん、かわいいー! 

「見境ないのか」

 頭の中でギンが白けた顔をする。うるせー。俺の青春。

「楽しみだね」

 えへへ、と笑い合う男女が一組。おーっと? 新庄成美ちゃん? 隣の男はいったい……? 

 俺は頭の中で索引を引く。新庄成美、二年一組。隣の男子は棚田祐也……二年一組! 

 付き合ってやがるのか? そんな、俺の成美ちゃんがっ! 頭を抱えるが落ち着け俺、まだ確定じゃない。付き合っていなくても単に同じ中学出身とか帰り道が同じとか、何かしら近縁的関係が……。

「新庄さん、勉強会、同じ班になろうか」

「……うん」

 ダメだー! 棚田に誘われて返事をする成美ちゃんのあの目は恋する乙女の目だ。付き合ってるかどうかはさておき成美ちゃんは棚田くんに夢中だ。くそ、俺の青春……。

「先崎くん。後で部室から苗持ってくるの手伝ってくれるかな?」

「美希ちゃん喜んでー!」

 松下美希ちゃんにお願いされちゃノーとは言えない。言ってはならない。言った奴はぶっ飛ばす。

 さて、そんなわけで。

 夏合宿が始まった。天気予報では、この三日間はずっと晴れ。カンカン照りの猛暑だ。外で干上がる野球部の野郎どもを眺めながら、女の子たちと楽しくいちゃいちゃしようじゃねーか。


「んで、何でおめーがここにいるんだよ」

 松下美希ちゃんと一緒にやってきた園芸部室。中にいたのは銀の字こと銀島だった。あいつは長い髪をふわっと揺らすとこちらを見た。

「何だお前か」

「何だじゃねー」

 お前のせいで美希ちゃんと部屋で二人きりのチャンスを逃しちまったじゃねーか。

「盗難事件について追っていたんだ。聞くところによると近頃盗難があったな?」

 銀の字のコメントに、俺は美希ちゃんの方を見る。マジ? 盗難が? 

「あ……うん。新しい子の種が……」

 新しい子。この間うちに搬入されたひまわりたちか。

「黒板横の棚にしまってたんだけどね、数えてみたらいくつか足りなかったの。あそこにしまってることを知ってるのは部員だろうし、多分誰かが持ち出したんだろうけど……」

 オイオイオイオイ……そんなブラックな過去を持つ奴らと俺は合宿しようってわけかよ。どいつだか知らねーけど人のものパクるような奴と安心して宿を共になんてできねーぞ。財布とか無事なのか?

 俺はふと搬入された新種たちを思い浮かべる。ひまわりとキキョウの苗。トウゴマの種。あれらに盗みたくなるような価値あんのかな? 何かまずそうな感じあるけど平気か? 

「情報が欲しい」

 銀の字がぐっと美希ちゃんに迫る。

「発覚時の状況を教えてくれ」

「じょ、状況って言っても……」

「よせよギン。松下さん困ってんぞ」

 しかし美希ちゃんは首を横に振る。

「ううん。盗難の方が問題だから……」

「だそうだ」

「確か、搬入されたその次の日に気づいたの。もしかして狙ってた? ってくらいだった。割と高いやつだったから、結構ショックで」

「何時頃の話だ」

「おめー刑事みたいだな」

「うーん、三時くらい? 夏期講習の人たちが校門のところで集まってたから、少なくとも講習より後」

「なるほど」

 銀の字は丁寧に手元のメモにそれらの情報をまとめた。今時手書きなんて珍しいと思うだろ? 何でもあのメモ、歳の離れた姉貴がくれた大切なものらしい。

 と、銀の字がじとっと俺の方を見る。

「お前が犯人じゃなかろうな」

「なんでだよ。盗むメリットねーだろうが」

「ま、それもそうか」

「俺みたいな品行方正な生徒が盗みなんてするわきゃねーだろ」

「『品行方正』の意味知ってるか」

「知ってるっつーの! 漢検二級だぞこちとら」

 松下美希ちゃんがにっこり笑ってつぶやいた。

「仲良しだね!」

 俺と銀の字は言い返す。

「どこが!」


 さ、そういうわけで、俺はひまわりとキキョウの苗を合宿場であるセミナーハウスに運んで、一息ついた。トウゴマの種は軽いので美希ちゃんが運んでいる。運ぶって言ってもポケットに入れて歩く程度だが。

 にしてもあっちぃ。汗が噴き出るぜ。

「はい。先崎くん」

 美希ちゃんが自販機で買ったキンキンに冷えたNECTARを差し出してくれた。ありがてぇ……! 俺はそれを額に首にぴとっと当てる。

「暑いねぇ」

「いやほんとそれな」

 遥か彼方に入道雲。空をメキメキ突き上げている。一雨くるか? 嵐とか? こちとら一日屋内だからいいけどよぉ。

 と、セミナーハウス玄関でのんびりしていた俺たちの前で、ドアが開いた。中に入ってきたのは、俺たちの顧問。生物教諭の高槻正也先生。

「よっ。暑いなぁ……」

 とか言う割に、あまり汗をかいていない様子の先生。気のせいか、どこかげっそりしている。

「夏バテッスか」

 俺がだらんとした目線を投げると先生は苦笑した。

「バレたか」

「分かりやすいッス」

「まだ体調の管理がな……」

 高槻先生は新卒二年目ってやつらしい。言っちまえばこの間まで大学生。俺たちと大差ない。どうも新学期も始まって四カ月だってーのにまだ環境に慣れていないようだ。そういうナイーブな奴、いるよなぁ。

「ちょっと夏風邪っぽくて」

 ゴロロと喉を鳴らす先生。ならマスクしろっつーの。

「先生、採血の時とか倒れるタイプなんですよね」

 松下美希ちゃんがからかうように笑う。そういうところもかわいい。

「そうなんだよ。昔からちょっと弱くてな。風邪薬にも気を使わないといけない」

「そんな弱いんスか」

「ああ」苦笑する先生。

「そういうわけで、合宿中は基本的に教員用宿泊室で休んでいるよ。何かあった時だけ呼んでくれるか」

「分かりました」

 松下美希ちゃんが丁寧に頷く。

「お大事に」

 あっ、いいなー! 美希ちゃんにお大事にって! 俺も美人ナース松下美希ちゃんにお世話してもらいてー。

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