事件が起こる SIDE麻生花純

「いきなり飛び出してきたあなたが悪いんでしょ?」

「あのなぁ! 肝試しだぞ。幽霊が『はいどうもこんにちは』なんて出てくるわきゃねーだろうが」

 つーか普通怖がった勢いで脚が出るか? 園芸部の不良にそう凄まれたが私は言い返す。

「正当防衛です」

「過剰防衛だろ」

「だいたい何で先に出たはずのあなたがこんなところにいるんですか。おかしいでしょ」

「サービス精神だコラァ! たまたま宿が一緒だったド地味なお前らにささやかな花を添えてやろうと思ったまでだ」

「余計なお世話だし、失礼です。何もあなたのように頭の中が花火みたいな人間ばかりで構成されていません、この世の中は!」

「倒置法たぁご立派だな。ビン底メガネ理系女」

「私の眼鏡はビン底じゃないしたまにしかかけないし理系なのは悪い事じゃありませんけど? だいたいあなたのんちゃんが目当てのチャラ男でしょ? 夜闇に紛れて襲いかかるなんて変態!」

「んだとコラァ……!」

「まぁまぁ花純ちゃん」

 のんちゃんこと加佐見典代が止めに入ってくれたおかげで私は自分の不躾さに嫌気がさす。ああ、もう。確かにトラブルだったけど、どうしてこんな……。

 ことは数十分前、肝試しの最中に遡る。

 化学部恒例の肝試し、今年は三部活合同で行うことになった。すなわち、同じ時期に合宿をしていた化学部、生物部、園芸部。学校裏手の林道を懐中電灯一本で通り抜けるという催し事の最中、近くの木立からいきなり男が飛び出してきたのだ。突然の出来事に、私は咄嗟にかましてしまった……全力の足刀蹴りを。

 で、潰れたカエルみたいな悲鳴の後に地面に寝転がっていたのがこいつ。園芸部の不良、先崎秀平(というらしい。のんちゃんから聞いた)。何でも学年随一のナンパ男。女子に優しいとは言えるが下心が見え見えでいやらしい……らしい。

 こんな不真面目そうな奴が何で園芸部の……と思ったのだが、よくよく考えてみれば園芸部の部長は松下美希ちゃんだった。かわいい。まったく、この人は美人なら見境ないのだろうか。

「内臓飛び出るかと思ったわ。なんつー蹴りかましてんだおめー」

「あなたが飛び込んできたからこうなったんでしょ?」

「やめなよ花純。さっきから話がぐるぐる回ってる」

 む、と私は口を閉ざす。ああもう、このナンパ男、調子狂うな……。

「とにかく帰ろ? 私たちが帰らないと先生心配するよ?」

 言うとおりなのでのんちゃんに従う。ナンパ男の方はといえば、いつの間に回復したのだろう、すりすりとのんちゃんのそばへ。私はすかさず間に入る。べー!

 そんなこんなで、何とか化学部と生物部のみんながいる林道のスタート地点に帰ってくると、知らないうちに園芸部の子たちが合流していて、私たちはちょっとした大所帯になっていた。中にはもちろん松下美希ちゃんもいたのだけれど……ナンパ男はのんちゃんに夢中らしい。

「そういえばさ」

 私は何とかのんちゃんとナンパ男の間に入り続けながら訊ねる。

「のんちゃんって、兼部してたよね。夏合宿かぶらなかったの?」

 するとのんちゃんはにやっと笑った。

「かぶってる。新聞部と文芸部、あと生物部と園芸部」

「えっ、園芸部とか新聞部とかにも所属してるんだ!」

「実はね。どれも中途半端にしか関与してないけど……」

 じゃあ、今一緒に合宿してる園芸部は一応知り合いなんだ。そう思いながら化学部の点呼をし、引率の島田先生に「化学部全員います」と告げると園芸部の松下さんや生物部ののんちゃんもそれに続いた。園芸部、生物部、化学部、無事全員肝試しから帰還した。

 ナンパ男はといえばいつの間にかターゲットをのんちゃんから松下さんに戻したらしく、忠犬よろしくぴったり付き添っている。パタパタ振ってる尻尾が見えそう。

「高槻先生大丈夫かな」

 ふと、生物部の一年生がそうつぶやいた。高槻先生は新人だからか色々任されていて、生物部の顧問も園芸部の顧問も兼任している。島田先生も「高槻先生は大変だなぁ」なんてつぶやいてたし、なかなかハードな教師生活を送っているのではないだろうか。

 そんな高槻先生は、夏風邪を引いたのか「ちょっと熱っぽい」とのことで肝試しにも同伴せず、セミナーハウスに残って貴重品の管理をしてくれている。肝試しの後は合宿ミーティングがあるし、早く帰って先生を安心させてやろう。

 そんなことを思いながらセミナーハウスに帰ってきた時だった。島田先生が玄関の鍵を開けて、「いやに静かだな」とつぶやいた。それをきっかけに物事が徐々に悪い方向に転がっていったような気がする。

 まず中に入ったところで、あのナンパ男が声を上げた。

「水……?」

 と、彼の目線を追うと、確かに床の上に小さな川が、一筋つーぅっと、できていた。どこからか、水が流れている。それも結構な量。

「先生……?」

 ナンパ男が不穏な声を出した。その暗い響きに、私の中の何かが共鳴して、嫌な感情を掻き立てた。

「どうした?」

 一番最後にセミナーハウスに入った島田先生が声を飛ばしてきた。玄関口で団子みたいに固まった二十名弱の生徒たちも、じっと私たちの方を見ている。しかしナンパ男は構わずこう続けた。それは切羽詰まった声だった。

「体調悪いって言ってたよな……」

 ナンパ男が手早く上履きに履き替える。

「この方向……シャワールームか?」

「先崎くん……」

 と、声をかけようとした松下さんに、ナンパ男が指示を飛ばした。

「美希ちゃんは他の部屋を見てきてくれるか? あと誰でもいい、ベランダも! 異変があったら教えてくれ!」

 テキパキしている。私はナンパ男の意外な一面に少し驚きながら、彼の後に続いてシャワー室の方へ向かった。

「先生? 先生?」

 ひと足先にシャワー室の前に着いたナンパ男がドアを何度も叩いていた。私は訊ねた。

「返事ないの?」

「ああ。しかもやっぱり水はここから……」

 と、足元を示す。確かに、ドア下部の隙間から水、いや温度的にはお湯が、こんこんと湧き出ていた。私もナンパ男も、上履きどころか靴下までびしょびしょになるのも構わずドアを見た。

「中で何かあったのは間違いねぇ」

 と、ナンパ男がつぶやいた段になって、島田先生が駆けつけてきた。

「今事務室に連絡を入れてきた」

 さすが、大人は手際がいい。

「先生! 先生!」

 ナンパ男は何度もドアを叩いている。

「くそ、中から鍵がかかってる……当たり前っちゃ当たり前だが……」

 ドアノブをがちゃがちゃさせるナンパ男。と、のんちゃんが後ろからパタパタとやってきた。

「高槻先生が中に?」

「多分……」と、私は答える。のんちゃんが返してきた。

「さっき先生たちの部屋見てきたけど誰もいなかった」

「じゃあ、やっぱりこの中か……」

 のんちゃんの報告に島田先生が絶望を顔に滲ませた。

「このセミナーハウスのマスターキーが事務室にある。手配してるから少し待つしかない」

 しかしこうしている間にもお湯はどんどん溢れていく。

「ダメだ! 開かねぇ!」

 何度目かのドアノックをしたナンパ男が途方に暮れる。私も後方に声を飛ばした。

「鍵! 鍵を!」

 と、唐突に島田先生がつぶやいた。

「このドア、外せないかな……」

 は、外すって何を……。

 と、ぶつぶつと先生が説明を始める。何でも以前ドア枠が壊れる事件があったらしく、戸板が大きく傾いたそうだ。

「このドア、蹴破れないかな」

 のんちゃんがいきなり物騒なことをつぶやく。け、蹴破るって……。

「花純!」

 と声を飛ばされて、急に私の中でスイッチが入った。名前を大声で呼ばれるのは私が通っている空手道場の慣わしだからだ。

「ドア、壊します」

 ふぅ、と息を整える。力を発する時は丹田から。道場の先生のそんな言葉を思い出す。

「たぁ!」

 掛け声ひとつ、渾身の蹴り一閃。

 私の足はドアの真ん中に吸い込まれていった。直後、激しい衝撃と共に蹴り飛ばされるドア。あっ、やりすぎた。

 ナンパ男がすぐさま中に入る。廊下から一段低くなってるシャワー室の床は完全に水没して足首辺りまでお湯が張っていた。しかしナンパ男は構わずジャブジャブ進んでいく。

「高槻先生っ! 大丈夫ッスか!」

 ナンパ男のくせどこからそんな声が出るんだろうってくらい張りのある声。お腹まで響きそうな。

 シャワー室内のブースは二ヶ所埋まっていた。しかしナンパ男は足元に目をやると、埋まっている二ヶ所の内奥の方のドアを叩き出した。ここにいる……らしい。

「また鍵かよ?」

 ナンパ男が困惑する。ブースには木製のドア。内側から……鍵? 

 と、いきなりナンパ男が振り返る。

「やっちまえ」

 や、やっちまえって……。

「おめーなら木の板一枚くらいぶち抜けるだろ。やっちまえ!」

 いや、学校の設備……。

「許可する」

 島田先生。先生楽しくなってません?

「じゃ、じゃあ……」

 私は再び中段に構える。

「せいやっ」

 と、ドアを蹴飛ばす。破壊されたドアは綺麗にブースの中に倒れ込み、私たちは中に入れるようになったわけだけれど……。

「先生っ! 高槻先生!」

 ナンパ男が叫びながら戸板をどける。そして、そう、その下にあったのが……。

 裸で倒れる、高槻先生。

 しかしそれより、気になることがひとつ。

 水面に浮かぶ、吐瀉物。ぐちゃぐちゃになったそれらは床の上を揺蕩って私たちの足を汚していた。虚空を掴む、硬直した指、腕。と、ナンパ男が動いた。

 自分が着ていたシャツを脱いで、先生の体にかけたのである。

 私たちの目に、男性の裸が入らないように。

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