二、事件が起こってからとそれまで
事件が起こる SIDE先崎秀平
「ダメだ! 開かねえ!」
俺は何度もドアノブをガチャつかせる。シャワー室のドア。その下からは水。水が流れている。
「鍵! 鍵を!」
俺の隣にいたメガネ女が、背後に声を飛ばす。そうしている間にも、足元は水浸し、チョロチョロとドアの下から水流は続いている。
「先生! 高槻先生! いるんだろ? 大丈夫ッスか?」
しかしシャワー室の奥から返事はない。まずい。ますますまずい。
「このドア、外れないかな……」
一緒になってドアの向こうの気配を探っていた、化学部顧問の島田先生がそうつぶやく。
「前にドア枠が壊れて戸板が傾いたことがあったんだ。壊せないかな……修復可能な範囲で」
「このドア、そういえば脆かったですよね?」
いつの間にか俺の後ろにいた加佐見ちゃんが声を上げる。
「蹴破れないかな? 花純!」
「ドア、壊します」
加佐見ちゃんと阿吽の呼吸でメガネ女がそう宣言する。俺はギョッとして彼女を見た。ふぅ、とメガネガールが中段に構える。
「オイオイオイオイ! 壊すったってお前……」
「たぁ!」
渾身のキックが一閃。破壊音と共に蹴り倒されるシャワー室のドア。は? こいつドア蹴り破ってんの? 空手かテコンドーでもやってんのか?
「あっ……やりすぎました」
蹴り倒されたドアは綺麗に真ん中が凹んでて見るも無惨。ひしゃげてさえいる。オイオイオイオイ金属製のドアだぞ。女子高生がそんな簡単に壊すなよ……。
とはいえ、メガネガールのおかげでドアは壊れて水の中だ。一段低くなったシャワールームの床にはタプタプに水が溜まっていて、蹴飛ばされたドアは水面に叩きつけられた。沈んだ金属の板をチラリと見てから、俺は上履きを脱ぎ捨ててシャワー室の中に入る。
「高槻先生っ! 大丈夫ッスか!」
ザッと室内を見渡して、ドアが閉まっているブースを見つける。左右に五箇所ずつ、計十部屋あるうちの、右側の列、真ん中の個室と、手前から二番目の個室が埋まっている。どちらからも水の音。どっちだ。
と、悩んでから思い至る。ドアの下の隙間を見りゃいい。床が水没してるがこの際贅沢は言ってられねぇ。俺はドアの下を見た。手前のドア。光を遮るものは何も見えない。ってことは真ん中のドア。影が見えた。この中か。俺はドアに手をかける。しかし、開かない。
「また鍵かよ?」
木製の戸板はぴったり閉められていて押しても引いてもびくともしない。俺は少しの間ガチャガチャしたがすぐに振り返って、不安そうな顔をしているメガネガールの方を見た。
「やっちまえ」
「や、やっちまえって……」
「おめーなら木の板一枚くらいぶち抜けるだろ。やっちまえ!」
「で、でも、先生……」
「許可する」
島田先生。この人もきっと楽しくなってきているに違いない。
「じゃ、じゃあ……」
と、メガネガールが息を大きく吸った。そして、再び。
「せいやっ!」
メガネ女の強烈な蹴りで蝶番が弾け飛び、戸板は見事に吹っ飛ばされた。しかし綺麗に倒れない。と、いうことはこの下に……!
「先生っ! 高槻先生っ!」
俺は叫んで戸板をどかした。そして、そう、その下にいたのが……。
「高槻先生!」
我らが園芸部と生物部の顧問にして理科教員、高槻正也が裸で倒れていた。俺はメガネガールに配慮して、羽織っていたシャツを先生の裸体にかけた。
警察が来たのは事の発覚から三十分近く経ってからのことだった。誰もがあまりのことにメガトンパンチを喰らったようにポカンとしており、俺なんかは未だにこれが現実のことなのか理解が追いついていなかった。
だが、俺は確かに見た。
紫色の顔をした高槻先生。
裸のまま硬直した俺たちの顧問。
咄嗟に俺のシャツをかけたが、あれも証拠として押収されるんだろうな。
くそ、シャツ二枚しかないのに。母さんに怒られるな……。
「関係者は事情聴取をします。これから設定した部屋に、一名ずつ呼びますので、来てください」
そう告げたポリ公はどうにも日本語が不自由らしく、カタコトみたいな口調だった。しかし国語が苦手でも警官は警官だ。俺たちは従うしかない。
聴取部屋は即興で本校舎の一階に設けられた。ちょうど空き教室があった。そう、俺たち園芸部の部室近く。
一人一人、消されていくように、俺たちはその部屋に呼ばれていった。
俺より先に何人かその部屋に行ったが、みんなしんとして帰ってきた。そしてそのことについて触れるのも躊躇われる雰囲気を纏っていた。誰も何も言わなかった。俺の番が来た。
「先崎秀平くん」
部屋の中に入ると、机が四つ並べられて、そこに先生と警官が一人ずついた。先生は島田先生で、よく知った顔だから怖くなかった。問題は警官の方で、見た感じ女だったが人喰い虎みたいな、ゴリラみたいな顔面をしていた。ま、こういう奴ほどいい奴なんだけどさ。
さぁ、そういうわけで俺が椅子に腰掛けてすぐ。女警官が訊いてくる。
「セミナーハウスに入ってすぐ、異変に気づいたのは君らしいね?」
「ッス」
俺は頷く。
「君から見て何がおかしく思えたのかな」
「そりゃ、帰ってきて床が水浸しじゃ何かあったなって思うっしょ」
「床が水浸し?」
「ッス。正確には、チョロチョロと細い川みたいなのが玄関の方まで真っ直ぐ」
「それでシャワールームに異変があると分かったんだね?」
「ッスね」
「中にいるのが高槻先生だと分かったのはどうしてかな」
俺は素直に答えた。
「消去法ってほどのことでもねーんスけど、俺たちが肝試し行くにあたって引率で来たのはそこの化学部顧問の島田先生で、園芸部顧問兼生物部顧問の高槻先生はセミナーハウスの中で休んでたんスよ。俺たち生徒がセミナーハウスを出る時わざわざ見送りに来てドアに鍵までかけてくれて。鍵がかかったセミナーハウスに入れる生徒はいないし、必然的に高槻先生かなって」
「ドアに鍵?」
「ッス。玄関ドアに鍵。以前夏合宿中のサッカー部の宿泊部屋で盗難があったとかで、セミナーハウスからまとまった数の生徒が出る時は玄関に施錠するんスよ。今回は高槻先生が残ったとはいえ、一人で広いセミナーハウス全体を把握するのは無理だった……っていう判断でもしたんじゃねーッスかね。想像ッスけど。まぁとにかく、高槻先生が俺たちの見送りに来た後鍵をかけたんスよ。俺施錠音聞いたんで間違いねーッス」
「彼の言うとおりの判断をしました」
島田先生が頷く。
「広いセミナーハウスに高槻先生一人で残ってもカバーしきれないということで、通常通りの判断で玄関に施錠を」
「その鍵は島田先生が……?」
と、女警官の問いに島田さんが頷いた。多分、俺らより先に先生の聴取があったんだろう。
「はい。私が鍵を管理していました。事件発覚時、セミナーハウスに帰るにあたって私が鍵を開け、中に入ったところ、先崎が異常に気付き、高槻先生の体調不良を知っていた私が、シャワー室で何かあったのではないかと……」
「そのシャワー室にも鍵がかかっていたんですよね?」
警官の問い。再び島田先生が答える。
「はい。おそらくシャワー室を利用していた高槻先生が施錠したものかと。実際、シャワールームの使用時には防犯のために部屋に鍵をかけることを推奨していました」
「先生自身が鍵をかけた。まぁ、その線は大筋合意できるのですが……」
何かが喉に引っかかっているような物言いのポリ公。
「先崎くん、確かその先にあるシャワー室のブースにも鍵が……」
「かかってましたね」
記憶を引っ張るまでもなく、俺は返事する。何ならあのドアが開かないかガチャったのは俺なんだ。あの部屋が開かなかった事実は証明できる。
「そういや、あの個室二ヶ所埋まってたと思うんスけど、高槻先生がいなかった方には誰かがいたんすか?」
「いや、いなかった」
女警官が首を横に振る。それから続けた。
「一応もう一回聞いておきたいんですけど、先生、施錠されたドアは玄関を除き二枚とも……」
「生徒が破りました」
オイオイオイオイ、何だその言い方。俺たちが悪いみたいじゃねーか。
すると、俺の棘のある目線を感知したのか、先生はすぐに言いなおした。
「私の指示で生徒が破壊しました」
「破壊したのは?」
「麻生花純という女子生徒です」
「はぁ、女子生徒」
ポカンとしてんじゃねーよゴリラ警官。お前だって鉄格子の一つや二つ捩じ切るくれーの顔してるじゃねーか。
「シャワー室のドアは、もともと蝶番の建て付けが悪くて。生徒たちでも知ってるくらい状態が悪かったので、この際だと、私から指示を出しました」
「シャワー室内のブースのドアは……」
「それも私が指示を出しました。木製のドアだったので破壊は比較的楽かと」
「女子生徒が戸を破ったんですね?」
「ええ」
何故か俺と島田先生の声がシンクロする。
するとポリ公の顔が明らかに曇った。困った……なんて表現では生優しいくらい、真に参ったような、将棋で八方塞がった時のような、そんな顔をしていた。
やがて彼女はつぶやいた。
「セミナーハウスには鍵。玄関に施錠。中には被害者、高槻先生だけ」
「はい」
「シャワー室にも鍵。中から施錠」
「ええ」
「シャワー個室にも鍵。同じく中から施錠」
「あ……」
ポリ公が言わんとしているところが分かって、俺も島田先生も、小さく息を呑んだ。しかし警官は続けた。
「この事件、三重密室ですね……」
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