9.取り返しのつかないこと、取り返しのつかない事態
「……
アシュメルは本当に哀しそうにそう言った。
「……君は、科学の結晶なのに……。科学って、役立たずだな……」
俺は、思わずつぶやいた。
「科学は、神の御業を人の手に掴んだものに過ぎない。すべてを与える、神の前にま見えれば。或いは、願いが何でも叶うかもしれない……」
アシュメルは呟くようにそう言った。
「神に会う……? そんなこと、できるのか?」
「神は天にあってあまねく地上を見下ろしている。そして、時に肉体を持つ。地上にいる人間に憑りつくんだ」
「神か……。すべてお見通しの神様。そんなもんがいるとでも?」
俺とアシュメルが話している横から。ステッドが唾でも吐き捨てるような口調で言った。
「アシュメルって言ったな。お前、神の存在を信じているみたいだけど。そんなもんがいるなら、なぜこの世はこんなに不条理に満ちている? なぜ、俺たちは親に捨てられ、なぜ、その後得たささやかな幸せな環境まで奪われなきゃならなかった?」
「……わからない。科学は、神の意思を規定することはできていないから……」
「要するに、科学者や機械の手には余るってことだな? ハン! 青っ白い顔して終日終夜必死に機械に向かってるのに、頼りにならないことだぜ。この国の科学者さんはよ!!」
「……そんな言い方はないだろう。みんな一生懸命なんだから」
「……全知全能の力。神はそれを持っているらしいじゃないか。ならば、なぜ。世の中に魔神なんて存在を許す?」
「……それもまた必要であるから……。かもしれない……」
「ふっざけるな!!」
アシュメルの顔をステッドがぶん殴った。アシュメルのメガネが吹っ飛んだけど、アシュメルは別に怒ることなく言葉を続けた。
「……話を聞きなよ。君たちが持っている神のイメージは、今までの世の中で、神の依り代となった者たちの残存思念なんだ。伝えちゃいけないことかもしれないけど、わかっていることを一つ教えよう。魔神の存在は、人が神へと至る道を示しているんだよ」
「意味が分からねえよ!!」
ステッドのイラついた声に、アシュメルは冷静に答える。
「魔神は、人から様々なものを奪うことによって。人間の中に『感情』を創る。『欠損』を創る。『憎しみ』を創る」
「……?」
「つまり、魔神は。人間の『心』の素を創る」
「何言ってるんだ?」
「感情を制御すること、欠損を補うこと、憎しみに身を焦がして愛を求めること。これが、人間に与えられた役割。魔神が与えた、『感情』『欠損』『憎しみ』。これらを用いていわば『心』や『夢』という絵を描くことが、楽曲を創ることが、舞踏を演じることが。人間の生涯の間になすべきことだ」
アシュメルの言っていることがわかってきた。
「つまり……。神は魔神を使って人間を苦しめて、そののたうち回って吐き出す上澄みを愛でると? そう言うことかい、アシュメル」
「……アルバド君。君は、わかってると思うんだけど。産まれたときから、何の傷も持たない人間が、いかに弱く脆く、価値を持たないかを」
「その論法だと、俺とステッドがゴミの街に産まれ落ちて、親に捨てられたのも……。試練だとか言い出しそうな口ぶりだな?」
「……言いづらいけど、その通りだと思う」
「てめぇ、いい加減にしろよっ!!」
ステッドが、またアシュメルを殴る。アシュメルは、別に何ということも無いように立ち上がる。でも、その口を突いて出た言葉は。
「データ収集役も……。いい加減に辞めたいな……」
そんなものだった。
「グロテスクな実情だな、神と魔神と人間の関係って……」
俺がそう言うと。
「綺麗ごとだけじゃ、世の中回らないよ。汚れ役や打たれ役や貧乏くじを引かされるものがいないと、世界に『成功』や『夢がかなう』なんて状態は存在しないんだから……」
アシュメルが唾を吐いた。ステッドに殴られて、頬を切ったらしく。
真っ赤な血を含んだ唾液だった。
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