第17話

「知らない? ……何を?」

「お前の言う通り確かに昔の『Peace Maker』は負けた。だがな、別に俺達が負けたわけじゃない。負けたのはあの首領と、奴に従ってた連中、つまりはお前等だけだ」

 そう言って黄田は煙草を指先で叩いた。風に吹かれて細かに散らばりながら、自衛隊員の死体の上に灰が落ちる。

 黄田の言う意味が分からず、守矢は眉をひそめた。

「考えてみなさいよ。変だと思わなかったの?」

 街路樹から背を離した烏丸が、黄田の言葉を継いで話し始めた。ゆっくりと歩を進め、黄田の隣に並ぶ。

「どうして基地の場所が特災機関にばれたのか。いくら戦況が不利だったって言っても、あんな秘密基地が簡単にばれるなんてあり得ないでしょ。――情報が漏れてなきゃ、ね」

 烏丸の言葉の意味を察し、守矢の顔から血の気が引いた。体温が一気に下がったように感じる。周囲の音がどこか遠くなり、静けさが一段と増す。

「……まさか、あなた達」

 言葉が出ない守矢の代わりのように、背後で藍の呟き声が漏れた。

「そうだ。――俺達が首領を裏切ってたのさ」

「何……?」

「もちろん俺と烏丸だけじゃない。お前と同じ戦闘員も、特災機関が言う俺達みたいなキマイラも、協力していた科学者連中もだ。ま、数はあんまり多くなかったがな」

 言葉が終わらないうちに、守矢は何も言わずにライフルを上げ、ろくに照準を合わせずに引き金を引いた。

 烏丸は瞬時に空に飛び上がり、黄田は小さな口笛と共に地を蹴る。紙一重のところで、弾丸はそれまで二人のいた空間を貫いていった。気持ちを逆撫でする烏丸の高笑いが、守矢の頭上へと降ってくる。姿は既に消えていた。

「何にも知らなかったくせに、格好つけてご高説なんてね。道化もいいとこだわ」

「笑ってやるな。哀れなもんじゃねぇか」

 引き金から指を外さず、守矢はライフルを振り回した。間断なく掃き出される弾丸は、しかし黄田達には一発たりとも当たらない。黄田へと飛んだ弾丸は、全て空中で弾かれていた。顔面の数センチ前まで迫ってきた弾にも、黄田は平然と肩を揺らして守矢を見た。

「しかし驚きだな。俺達の仲間は、特災機関の襲撃がある前に逃げたから生き延びて当たり前だが、何にも知らないお前みたいな戦闘員が生き残るなんてよ」

 唐突に弾丸が途切れた。弾倉が空になったらしい。ライフルを地面に投げ捨て、黄田に向かって突進した。藍の制止の声も届いていない。勢いを乗せた拳を振り下ろした。

「おいおい。馬鹿な真似はやめとけ」

 拳を躱した黄田は、反対に守矢の腹を膝頭で蹴り上げた。身長だけならば勝っている守矢の体が、軽々と浮き上がる。その直後、風を切って飛来した黒い羽根が、守矢の左腕に突き立った。衝撃が突き抜け、押し潰されたように地面に倒れ込む。

 呻く守矢の肩を、黄田の靴底が踏みつけた。

「たかが戦闘員のお前と、きっちり改造されて力を持った俺達とじゃあ、勝負にならないことぐらい考えるまでもないだろうが」

 一度足を離した黄田は、起き上がろうとした守矢の体を容赦なく蹴り飛ばした。宙を飛んで派手に地面を転がる。街路樹の根本にぶつかって、ようやく止まった。羽根の外れた左腕が力なく垂れ、血溜まりが跳ねた。

「守矢さん!」

 流石に耐えられなくなった藍が飛び出した。激しく咳き込む守矢の側に駆け寄り、その背を抱き起こす。しかし怒りに満ちた守矢の目は、黄田達にだけ向けられていた。

「……何故だ」

「裏切った理由か? 他の奴は知らないが、俺は簡単に言えば、面白くなかったからだ。……首領が講和路線を言い出したことがあっただろう。覚えてるか?」

 守矢の沈黙を肯定と受け取ったのか、黄田は新たな煙草に火を点けてから続けた。

「基本的には首領の決めた方針が、組織の方針になる。幹部連中にも講和に同調する奴らはいたしな。だが結局は、特災機関との戦いが激しくなって、講和の話はどっかにいっちまった。その頃からだ。水面下で裏切り工作が始まったのは」

「……最後の戦いより、前だと?」

「そうだ。最初に裏切りを決めた奴らは、講和なんぞと言い出した首領を見限ったほんの数人だ。だがそれだけじゃあ裏切ったとしても、その後が続かない。だからまずは仲間を増やすことにした」

「例えば私とか、ね」

 音もなく着地した烏丸が、指先で自分の胸を叩いた。

「で、多少は人数も増えたし、後は情報を流して逃げるだけ、と思ったんだが……一つだけ問題があった。次の首領をどうするか、だ。仲間内から選べばいいと思ったが、さすがにあの首領と同じぐらいの力を持ってる奴はいなかったからな。中途半端な奴を選んだら権力争いでまた面倒なことになる」

「だから私達は、首領を連れて行くことにしたの」

 その言葉に守矢の目が見開かれた。

「連れて行く……生きてるのか、あの方は」

「違う違う。正確には、首領の『力』だけよ。平和的解決なんて、そんなことを考える奴はいらないわ」

「力、だけだと……? そんなことが」

「出来るのよ。そういう便利な装置を作ったから。幸い、優秀な科学者が何人も私達の仲間になってくれた。……例えば」

 烏丸は視線を藍へと動かし、口を笑みの形に曲げた。

「弓埜仙治博士、とか」

 すぐ側で、藍の息を呑む音が聞こえた。痛みのおかげで少しずつ冷静さを取り戻し始めた守矢は、藍に横目を向けた。青ざめた顔をしたまま、目を見開いている。小さな唇がわなないていた。

「父が……?」

「そう。あんたの親父さんはまだ生きてる。生きて、自分の意志で、娘であるあんたの敵に回ったんだ。今じゃあ新生『Peace Maker』の大幹部さ」

「嘘です! どうして、父が――」

「ああ、そうだ。博士から伝言があったんだ。送った物は役に立ったか、ってな」

 藍の言葉を遮って、黄田が声を上げた。藍の顔色が変わる。

「送った、物……?」

「昔の組織の改造体に使っていた、信号の追跡受信が出来る装置さ。ちゃんとあんたの所に届くようになってたはずだがな」

 言われて守矢は昨日のことを思い出した。車の中で藍が見せた、守矢を発見するために使った機械。藍は父親から届けられたと言っていた。てっきり死に際の博士からの物だと思っていたが――。

「さっき黄田が言ったでしょう。上からのお達し、って。それこそ、あなたの父親からの指示よ。娘の作った新兵器が見たいんですって。そして完全に破壊しろってね」

「研究のためなら悪にでも何でもなる。科学者ってのは怖いねぇ」

 守矢は体を支えてくれている藍の腕が、激しく震えているのを感じた。視界の端に見える藍の顔は呆然としている。その頬を、小さい水の粒が伝っていく。

 焦点の合わない瞳で涙を流し続ける藍。その横顔を見ているうちに、再び守矢の中に怒りがこみ上げてきた。しかし先程のように、頭に血が上るというものではない。深く静かに、心の奥底から沸き上がってくる怒り。感情で我を忘れることはなさそうだった。

「……弓埜」

 藍の腕からは力が抜けており、最初とは反対に、守矢が支えるような形になっている。声をかけながら藍の肩を揺さぶると、その瞳が、あるかなしか程度に反応した。ゆっくりと藍の瞳が動き始める。涙で濡れた顔が守矢を向いた。しかし震える口を見る限り、まだ喋ることは無理なようだ。

 守矢は腕の痛みに耐え、藍の体を支えて立ち上がった。にやにや笑いを浮かべている黄田達から目を離さず、じりじりと後退していく。

「安心しろ。新しい兵器を持ってくるまで、手出しせずに待っててやる」

「でも出来るだけ早く持ってきてね。暇だから。あ、一つ良いこと教えてあげるわ」

 烏丸は右手の人差し指を伸ばすと、その先を足下に向けた。

「特災機関の戦闘部隊、いたでしょう? 今あの人達って、地下で戦ってるのよ」

「地下……」

 少しずつだが、藍の顔に生気が戻り始めた。

「そ。私達とは別行動をとってる、篠原って女とね。ま、戦いって言っても一方的でしょうけど。まだ連絡はないけど、もしかしたらとっくに皆殺しにされてるかも」

 烏丸の言葉を受けた藍は、涙を拭って相手を睨み付けた。

 瀬尾達が、仲間がまだ生きている。

 確定はしていない希望が、折れかけた心を支える力に変わっていく。

「……あの人達は、そんな簡単にはやられません」

「もしかしたら、って言ったでしょ。早く新兵器を持ってきて、サクッと私達を倒すことが出来れば、助けられるかもしれないじゃない」

 藍は無言で踵を返すと、体を支える守矢の手をすり抜けた。まだ頼りない足取りで、本部の方へと歩き出す。

 取り残された形の守矢は、唇を強く噛みしめてその後ろ姿を見つめた。

「で。あんたはどうするわけ? ここで死ぬ? それとも浮浪者に戻る?」

 少しの間、守矢は俯いて拳を握りしめていた。しかし顔を上げると、鉄になった足を動かすかのように、ゆっくりと藍の後を追って歩き出した。

「あれだけ偉そうに言ってたくせに、結局そっちにつくわけね」

 守矢の足が止まった。左腕を伝って、血の滴が足下に落ちる。

 自分の行動が正しいのか、感情に流されているのではないのか。

 守矢の躊躇いを示すように、その手が、肩が、小刻みに震えている。

「……お前等は、あの御方を裏切った」

「そりゃそうよ。あのまま戦い続けても、負けは目に見えてたしね」

「それが許せない、だから特災機関側につく、ってか。案外単純な男だな」

「……黙れ」

 怒りを押し殺した声で返す守矢。単純だとは自分でも分かっている。しかし腹の底から生まれる怒りは、守矢自身にもどうしようもない。

 黄田は見えていないと分かっていながらも、ひょいと肩を竦めた。

「ま、勝手にしな」

「たかだか戦闘員一人が加わったぐらいじゃあ、無駄だと思うわよ?」

 黄田達の言葉が終わると、守矢は黙って歩き始めた。声に出して決意した分、踏ん切りが付いたのか、先程よりも足取りは軽かった。

 いつの間にか、藍の隣に並んでいた。待っていたらしい。ちらりと見下ろす。

 その横顔に見えるのは、先程協力を断った時のような、怯えた目ではない。昨夜の交差点で会った時と同じ、強い意志を秘めた瞳。それが藍の本当の目なのだろう。

 守矢は何も答えず、ただ藍と並んで歩いた。

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