第18話

 初めて入る特災機関の本部は、一見すると何の変哲もないビルだった。

 過去の敵の本部。何も知らないままであれば、守矢が訪れることの無かった場所だ。しかし黄田達の話を聞いた今では、敵という感覚も薄れつつあった。

「――そうですか。了解しました」

 カウンター内の内線で、司令室とやりとりをしていた藍は、子機を親機に戻して守矢を振り返った。

「階段で行きましょう。原因は不明ですが、ビル全体の主電源が停止しているそうです。今は予備電源で必要な場所だけ動かしています。途中で止まらないとも限りません」

 そう言うと藍は、守矢を先導して歩き出した。

 ホール脇にあるエレベータを横目に通り過ぎて、奥へと進む。すぐに広い階段が現れた。ガラスの壁に囲まれて、螺旋状に上下に伸びている。階段の横には、各階のフロア説明パネルが嵌められていた。弓埜が所属する技術開発部は上の階にその名があった。

 登っていこうとした守矢を制し、藍が階下を指差す。

「そちらではありません。……鵜飼さんの準備が終わっていればいいんですが」

 藍は祈るように呟き、階段を下り始めた。すぐその後を追う守矢。ガラスの壁は地上階だけで、地下への階段の壁はコンクリートだった。

「――いいんですか? 私達の方について」

 階段を下りながら、唐突に藍が口を開いた。足は止めていない。硬い靴音だけが響く。場所のせいなのか、藍の声は弱々しい調子に聞こえた。

「ああ。奴らを殺せるなら、何でもいい」

 暫く無言の時間が続き、地下二階を過ぎた時、ぽつりと藍が喋り始めた。

「……私って、父に似てるんですよ」

「……無理に話す必要は無いだろ」

「……ええ……でも、何となく喋りたくなって……」

 守矢の溜息が聞こえたのか、藍の後頭部が少しだけ上下した。


「……身の回りの物には無頓着。ろくに掃除もしないし、食事も適当も済ませるし。家を買う時も、私と父の意見がピッタリ合って、あんなお化け屋敷みたいな家になっちゃいました。広いですけど、かなりボロボロだから、随分安かったんですよ。亡くなった母には、父と一緒に随分怒られましたけど」


 話を聞いていると、確かに似ている部分はあるようだ。

 昨夜、初めて会った時、渡された飲み物は缶の汁粉。翌朝の食事は大量の総菜パン。あの屋敷の中にも――処分したものもあるのだろうが――たいした家具は揃っていなかった。


「父の専門は生化学と脳科学で……私の専門は機械工学。分野こそ違いましたが、色々教えてもらいました。……教えてくれる時は嬉しそうに喋っているし、研究している時は怒っているのかと思うほど黙って……まるで別人でした。……今の仲間には、私も同じだと言われるんですけどね」


 壁の表示が、地下三階を示している。踊り場から見えているフロアの内部は薄暗い。予備電源の電力は来ているが、最小限にとどまっているらしい。

 フロアに入った藍に続き、守矢も足を踏み入れる。

 廊下が前と左右に伸びている。目を凝らせば、それらの奥の壁に扉が見える。かなり広い部屋で区切られているということらしい。

「……さっき敵が言っていたこと、覚えていますか?」

「何をだ?」

「研究のためなら悪にでも何でもなる、というやつです」

「……ああ」

「悔しいですけど……科学者という人間には、多かれ少なかれ、確かにそういう部分があるんですよ」

 返事を求めているのかいないのか、藍の語りは続いた。無言を貫く守矢の眉間に、次第に皺が寄っていく。


「どんな研究でも、それは科学技術の進歩のため――ひいては人間の幸福な未来ためです。でもその成果を確認するためには、何度も実験が必要です。様々な……時には、人体実験も。でもそうして完成した物が、必ず平和利用されるとは限りません。もしかしたら兵器に利用されて、大勢の人が死ぬかもしれない。……そんな可能性を考えながらも、研究を止められない。……科学者というのは、そんな悪魔みたいな面もあるんです」


 だから父親が裏切ったのも当然だと言いたいのだろうか。

 藍の言葉は、自分自身を無理矢理納得させようとしているとしか聞こえない。もちろん、そう考えてでもいなければ、藍の心は絶望に潰されてしまうのだろう。

 藍の気持ちを理解しながらも、守矢は不機嫌そうに鼻を鳴らし、歩みを止めた。その気配に気付いた藍が立ち止まって振り返る。薄明かりの下、藍の目は少し赤くなっていた。

「馬鹿かお前は」

「なっ……どうしてですか!?」

「証拠が無い。敵の言うことを簡単に信じるな」

「でも……父の遺体は見つかっていません」

「そんなもんが証拠になるか。自分の意思じゃなく、無理矢理連れて行かれたのかもしれないだろうが」

 言葉に詰まった藍は、ぐっと口を引き結んだ。怒りで顔が赤く染まっていく。

 小刻みに震えながら、守矢に近付いてきた。守矢を睨み上げてくるその顔は、意地を張っている子供のようにも見えた。


「あなたに……何が分かるんですか!? 大切な人を失ったことがあるんですか!?」


 今まで抑えてきた感情を全てぶちまけるような叫び声だった。

 フロア全体に響き渡り、余韻がゆっくりと消えていく。今にも掴みかかってきそうな藍の目を受けて、暫く睨み合いが続いた。

「……まだ『Peace Maker』がでかい組織になる前だ」

 藍から険しい視線を逸らさずに、守矢は静かに口を開いた。


「俺は死のうとしていた時に、首領に命を助けられた。それからずっと、俺は首領に従って生きていた。首領を守り、戦ってきた。首領のためだけにな。正直、正義だの悪だの、知ったことじゃない。『Peace Maker』も特災機関も、本当はどうでもよかった」


 少しずつ、藍の瞳に満ちていた怒りが鎮まっていくのが分かった。固まっていた表情からも、段々と力が抜けていく。


「だから俺にとっては、首領が負けた時点で戦う理由が無くなった。一度は仇討ちってのも考えたが、出来なかった。……あの方は正々堂々と戦って負けたんだ。美学なんて大層なことは言えないが……あの御方の生き方を汚すことになると思ったからだ」


 首領が死んでからもなお、守矢は首領に従い続けた。

 潔く、敗者としての生活をしていた。

 他人から見れば馬鹿らしい生き方かもしれない。しかし守矢自身が決めた生き方だ。誰かが文句を言うことは、決して出来ない。

「だが……そう思っていたのはさっきまでだ。首領は自分を貫いて死んだんじゃない。奴らに裏切られて死んだ……殺されたも同じだ」

 唐突に守矢は藍の胸倉を掴み上げ、顔を引き寄せた。


「あの御方は死んだ。だがお前の親父は生きてるんだろう!? 裏切ったのか連れて行かれたのか、まだ分からんが生きてるんだよ! 会って、親父の気持ちを聞くまで、奴らの言うことなんぞ信じるな!」


 吊り上げられたような格好のまま、藍は目を見開いて守矢を見つめた。廊下が再び静まり返る。やがて藍はうな垂れるようにして頷いた。スーツを掴んでいる守矢の手に、生暖かい水滴が落ちてくる。

 守矢は藍をその場に下ろし、一つ息を吐いた。

「親父の気持ちを聞いて、本心から裏切ったというなら、その時に怒って、その時に泣けばいい。奴らを皆殺しにするまで……俺が戦ってやる。たとえお前が戦えなくなったとしても、俺は死ぬまで戦ってやる。――お前はどうする」

 俯いた藍の視界に、守矢の右手が差し出された。


「……戦い、ます……!」


 藍は震える両手で、守矢の手を強く握りしめた。全身の力をこめるかのような握手。

 次に顔を上げた時、藍の表情から先程までの絶望感はほとんど無くなっていた。その代わりに浮かんでいたのは、悲壮なまでの決意。

 手を放した藍は、無言で守矢を廊下の奥へと促した。奥の角を曲がると、一際大きな扉の前に出た。扉の上には『第六実験室』と記されたプレートが見える。天井の角には監視カメラらしきものがあり、レンズが二人の姿を捉えている。

 突然ノブが回り、内側から扉が開かれた。無精髭を生やして、顔色の悪い白衣の男が顔を覗かせた。藍と守矢を交互に見比べる。警戒して表情を険しくする守矢と目が合うと、男はニヤリと笑った。再び蘭に眼を戻した。

「遅かったな、弓埜博士。こっちは言われた通り、とっくに準備終わってるぞ」

「すみません。――守矢さん、入ってください」

 先に中へと入った藍に続き、守矢も部屋に足を踏み入れた。

 雑然とした部屋だった。壁には何の作業に使うのか分からない機器や、薬品類の収められた棚が並び、幾つかあるテーブルは、何かのデータを記したものらしい用紙で埋め尽くされている。床にも散乱しており、隙間を探す方が難しい。実験室というだけあり、部屋の面積自体はかなり広いようだが、それを良いことに散らかし放題にしている感がある。

「ご紹介します。協力者の守矢九朗さんです。そしてこちらが、技術開発部、生化学班の」

「鵜飼栄だ。よろしく。生化学班は俺一人なんでね、今後名前を出されたら、イコールで考えてくれて良い」

 値踏みするような上目遣いで、握手を求めてくる鵜飼。守矢はその手を無視して藍を見下ろした。

「一人?」

「はい。鵜飼さんは」

「天才なんでね。他の連中なんぞ、俺にとっては邪魔なだけなんだ。まあ、特災機関に所属している科学者に関して言えば、他のとこよりマシな連中が集まってるみたいだけどな」

 人を苛立たせる天才なのではないか。守矢は無意識のうちに拳を握りしめていることに気付き、うんざりしたように息を吐いた。心なしか、隣で笑う藍の顔も引きつっているように見える。

「……鵜飼さん。時間がありません。急ぎましょう」

「それもそうだな。じゃあこっちに来てくれ」

 鵜飼は踵を返すと部屋の奥へと進んでいった。散らかっている紙の山を、当然のように踏みつけていく。藍は出来る限り隙間を見つけて、飛び跳ねるように進む。少し躊躇しながらも、守矢はそのまま踏み進んだ。

 部屋の奥に扉があり、その先の部屋へ入った。

 手術台のような物があり、鵜飼はその横で足を止め二人を振り返った。台には白いシートが被せられており、周囲には計器類が置かれている。シートの盛り上がり方から、台の上に何かが横たわっていることが分かった。

「……これが、お前の言ってた秘策か?」

「はい。……鵜飼さん、お願いします」

「驚くなよ」

 シートの端を掴んだ鵜飼は、大袈裟とも思える動作でシートを取り払った。


 白銀の人型が姿を現した。

 全身を覆うプロテクター。その手足や胴体は一部分が開き、中が空洞になっていることを示している。表面は見たこともないほどの滑らかさと光沢を持ち、ライトの光を受けて白銀に輝いていた。頭部にあたる部分には、頭部全体を覆う機械的なマスクが置かれている。側頭部から後頭部にかけて、流線型の角のような突起が迫り出しており、光の無いバイザー部分に、守矢の顔が映っている。

 それはかつての守矢の前に、敵として立ち塞がった、忘れようもないヒーローの姿だった。


「高機動戦闘員……」

「正確には、彼らが装着していた特殊装甲。その新型です」

「……何だ、あんまり驚かないな」

 守矢の反応を窺っていた鵜飼は、その表情の変わりの無さが不満だったらしく、詰まらなさそうに鼻を鳴らした。

「弓埜。どういうつもりだ?」

 鵜飼を無視した守矢は、眉間に皺を寄せ、訝しげな視線を藍に向けた。

「ご覧の通りです」

「言いたいことは分かる。俺に高機動戦闘員になれ、ってことだろう。……だが実戦投入するのは禁止されてるんじゃなかったのか」

「昔のは、な。こいつは新しく生まれ変わった新型だ」

 藍が何か言いかけたが、彼女の言葉を遮って鵜飼が口を開いた。

「多分、弓埜博士から話は聞いてるだろうから、そこんところだけに答えてやろう。後遺症はない。頭がおかしくなることもないし、寝たきりになることもない」

「本当か?」

「装甲自体の改良は弓埜博士がしたし、搭載する『Extractor(エクストラクター)』に関しては、俺も加わって新しい装置とシステムに仕上げた。まぁ、あんたに専門的なことを言ったところで、理解できるか分からないし時間も無い。どうしても聞きたいなら教えてやるけど」

 馬鹿にしきった口調の鵜飼に対し、守矢の頬が細かに引きつった。鵜飼の隣で心底申し訳なさそうな顔をする藍がいなければ、間違いなく殴っていただろう。

「とにかく今は一刻を争います。詳しい説明は後でします。守矢さん、お願いします」

 守矢は改めて目の前の装甲服を見下ろした。外見は一年前とほとんど変わっていない。違いと言えば、これまで戦ってきた傷跡などが一切無いことぐらいか。

 藍から聞かされた話と、高機動戦闘員の一人、水崎祈の哀れな姿が脳裏に蘇ってくる。

 普通の人間ならば、ここで怖れ、装着を断るだろう。いかに戦いで死を覚悟している人間でも、その後に待ち受けている悲惨な未来が分かっていては、当然決意は鈍る。

 しかし守矢は、薄笑いさえ浮かべて頷いた。


「……奴らを皆殺しにできるなら、何でもやってやる」


 その直後、天井に設置されていた内線のスピーカーから、録音らしき女性のアナウンスが流れてきた。

『緊急事態発生! 地下四階の外防壁が、破壊され――』

 アナウンスはすぐに途切れ、無音が流れた。

 思わず顔を見合わせる守矢と藍。この事態の何が面白いのか、鵜飼は気障ったらしく口笛を吹いた。流石の藍も気分を害し、眉をしかめて鵜飼を睨んだ。

「鵜飼さん」

「良いタイミングだねぇ。こいつとあんたの初任務だ」

 何か言いかけた藍だったが、結局諦めたように息を吐き、守矢を見上げた。

「……本当に、いいんですね」

「ああ」

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