第16話
特災機関本部のビルが、目と鼻の先に見えている。
上着のポケットから煙草を取り出した黄田は、最後の一本を咥え尖端を指先で軽く摘んだ。小さな放電が起き、火花が散る。紫煙を吹き出しながら、黄田は周囲を見回した。
先程までほぼ互角だった戦況は、黄田が現れたことで一変していた。
自衛隊、機動隊、そしてグレイラー。敵味方入り交じった死体が、悪趣味なオブジェのようにあちらこちらに転がっている。手足や頭が妙な方向に捻れたもの、体の一部が無くなっているものが幾つもある。被害の少ない死体を探す方が難しい。
大量の死体が散らばるその中央に、黄田は悠然と立っていた。
「全く、感心するよ。これだけ弱くて、よく戦う気になるもんだ」
独り言ではない。敵に聞かせているのだ。
黄田をはじめとする『Peace Maker』を、各機関の部隊が遠巻きに包囲していた。出来る限り障害物に身を隠しながら、しかし当然銃口は向けている。いつでも射撃が出来る体勢だ。
「でどうする? 俺達の目的はお前らじゃあないんでな。今逃げるなら見逃してやる」
一斉に発射された弾丸が、返答の代わりになった。
しかしそれらの一発たりとも、黄田を貫くことはなかった。全てが彼の手前で空中停止している。動揺と恐怖が広がっていくのが、目に見えるように分かった。
黄田は肩を竦めて前に出ると、目の前に浮いている弾丸を指先で摘んだ。呆れたように弾丸を眺めていたが、興味を失ったように弾き飛ばして呟いた。
「……だそうだ。やれ、烏丸」
直後、暴風が巻き起こった。
数え切れない数の鋼鉄の硬さを持つ黒い羽根が、風に乗って襲いかかる。悲鳴と血飛沫が周囲に満ちていく。咥えていた煙草が飛ばされ、黄田は眉をしかめた。
「おい、止めろ。もういい」
黄田が言うと、余韻のような微風を残して風が止んだ。硬度を失った羽根が、ひらりひらいと舞い落ちてくる。
嵐の後には、怪我人と死体が更に増えていた。あちこちから、安いホラー映画のような呻き声が聞こえてくる。黄田は何事もなかったかのように歩き出した。煙草の自動販売機の前に立つ。自衛隊員が一人、取り出し口の横に倒れていた。数枚の羽根が深々と突き刺さり、濃緑の迷彩服が自分の血で赤黒く濡れている。黄田は微動だにしないその隊員を、何の躊躇も無く蹴り飛ばした。
「勝てるとでも思ってたのかしら」
二、三度羽ばたく音が聞こえ、黄田の隣に翼をとじた烏丸が下りてきた。乱れた髪を掻き上げると、満足そうに目を細めて退却していく生き残りの敵を鼻先で笑った。
「まともな戦場で戦った経験なんぞ無い連中でも、自尊心だけは無駄にあるもんだ。お前等、することがないなら他の奴らの応援にでも行け」
黄田は面白くも無さそうに答えると、生き残っていたグレイラーに指示を出した。敬礼しようとする部下を止め、顎をしゃくる。駆けていく部下達を見ようともせず、黄田は拳を振り上げて自販機に叩き込んだ。爆発したような音と共に、自販機本体が大きく凹む。大量の煙が上がり、壊れた正面側が開くと、黄田は持っていた銘柄と同じ物を抜き取った。
「博士は?」
「もうすぐね。ついさっきこの地域に入ったから」
「ならいいが」
「……どうしたの?」
煙草に火を点け、怠そうに返事をする黄田を見て、烏丸は首を傾げた。
「思ってた以上に面白くねえんだよ。警察やら自衛隊は当然として、肝心の特災機関まで弱いときた。高機動戦闘員がいないからってあんまりだろ?」
「仕方ないでしょ。篠原の方は?」
「地下で特災機関の連中とやりあってる。さっき連絡が来た。可哀想だが、連中の全滅も時間の問題ってところだな。……もっとも、博士が来れば話は別かもしれんが」
差し出された煙草を烏丸が断った直後、エンジンの唸りが聞こえてきた。二人は顔を見合わせてニヤリと笑うと、同時にそちらへ振り向いた。
傷だらけになった特災機関の黒い車両が、猛スピードで走って来る。
「ご到着か」
黄田は吸いかけの煙草を下に落として踏み消すと、車両の行く手を阻むように、悠然と前に歩み出た。一直線に向かってくるフロントガラス越しに、ハンドルを握る藍の姿が見える。
「どうするの?」
「そりゃ挨拶だろ」
黄田は放電を始めた左手を掲げながら言った。目の前の空気を切るように、縦一文字に振り下ろす。鞭のように空間を飛んだ電流が、迫ってくる車両を、左右に両断する形で突き抜けた。
途端、それまでの勢いが嘘だったように、車両の速度が落ち始めた。エンジンルームからはうっすらと煙が上がっている。突然の事態に運転席で慌てふためいている藍を眺め、黄田は待ち構えるように腕を組んだ。
やがて車両は、黄田まで三十メートルほどの距離を残して完全に停止した。呆然とする藍に向け、知り合いであるかのように黄田が軽く手を挙げる。
すぐに我を取り戻した藍は、どうにかエンジンを再起動させようとした。しかしそれが無理だと悟ったらしい。意を決したように表情を引き締めると、運転席のドアを開けて外へ降りた。離れて見物していた烏丸が、手をひらひらと振る。しかし藍はちらりとそれを見ただけで、すぐに黄田に目を戻した。
「……あなたは」
「黄田皓司。今も昔も、『Peace Maker』だ。あんたが弓埜博士の娘さんか?」
黄田の問いに藍は無言で頷いた。
車両の後方から、武器を持った男――守矢が現れ、藍の隣に並んだ。黄田を見て目を見開いたが、黄田自身は完璧に守矢を無視した。
「随分とちっこいな。あの厳つい博士の娘とは思えねえ」
「これは、あなたが」
黄田の軽口は相手にせず、藍は周囲に散乱する無数の死体に目を走らせた。
「いや、俺だけじゃあない。俺達の部下が自衛隊やら何やらと戦ってたんだよ。俺も少しは加勢してやったがな。それでも、半分ぐらいか」
平然と答える黄田。藍の握り拳に力が入っていく。
高速道路から逃亡する際、烏丸は藍達に、急いだところで手遅れかもしれないと言った。本部こそ墜とされてはいないものの、被害状況は手遅れと言ってもいいだろう。連絡が取れない状況だが、瀬尾達の安否も気にかかる。
「あなた達は……一体何がしたいんですか?」
「どういう意味だ?」
「私を捕まえることが目的なんでしょう? そんなことは、本気を出せば病院で出来ていたはず。なのにそうしなかった。これだけのことをしておきながら、私には手を出そうとしない……本当の目的は何なんですか?」
「本当の目的ねぇ。……ま、あんたからすればそう思うだろうな」
黄田は困ったように頭を掻いて、ちらりと烏丸に横目を向けた。
「あいつが言わなかったか? こっちにも色々事情があるってな。……言葉通りではあるんだが、正直に言えば俺も面倒臭いんだよ」
言うと、黄田は道を明け渡すように体を横にずらした。無精髭の生えた顎をしゃくり、先へ進めと促す。
「……何のつもりですか」
「あんたを行かせてやれって、上からのお達しでな。何かあるんだろう? 高機動戦闘員以上の対抗策みたいなものが。それを引き出して潰せ、とさ」
「……後悔しますよ」
離れたところで、吹き出すような音がした。見れば街路樹に凭れていた烏丸が、口元を抑えて肩を振るわせている。
「何が可笑しいんですか」
「あんた達が作るものって、高機動戦闘員みたいな欠陥品でしょ? 確かにあれは強かったけど、使ったら頭がおかしくなっちゃうんじゃあねぇ。また下手な物を持ち出して、後悔するのはそっちなんじゃないの?」
藍の頭に血が上ったのが、端から見てもはっきりと分かった。
元々これまでの出来事で、怒りが高ぶっていたのだ。さらにこの場の惨状を見せられ、限界に近付きつつあったのだろう。怒鳴ろうとでもしたのか、身を乗り出すようにした。しかし素早く肩に置かれた守矢の手が、藍を我に返させた。
「……守矢さん、行きましょう」
藍は押し殺した声で呟き歩き出した。手を出しては来ないと分かっていながら、黄田達を迂回するように距離を取って歩く。
守矢は武器を構えながら、ゆっくりとその後を追った。前を行く藍の足取りがどこかふらついているように思えるのは、辺り一面に無分別に散らばっている死体、バラバラになった体の一部などを避けるためだろう。血溜まりを踏むのは仕方ないが、流石に死体を踏むわけにもいかない。
「おい、お前。守矢だったか?」
唐突に、黄田が名を呼んだ。守矢は立ち止まると、剣呑な目で振り返った。向けられた銃口を気にも止めず、黄田は物珍しそうに守矢を眺めた。
「覚えてるのか……?」
黄田は新たな煙草に火を点けながら、守矢の問いに対して首を横に振った。
「いや、烏丸から聞いただけだ。悪いが戦闘員の個人名までは覚えてねぇよ。……で、理解できないんだが、何でそっち側についてんだ?」
「そいつにも言ったが、成り行きだ」
「おいおい。俺は一応上司だったんだぞ? それなりの口調ってもんがあるだろう」
「今は違う」
「そりゃそうだが……。ということは、本気でもう新しい『Peace Maker』に入る気はないってことか」
「ああ」
守矢ははっきりと頷くと、立ち止まっていた藍を促して歩かせた。
「早く行け」
「でも……」
守矢がついてこないことが不安なのか、藍はちらちらと振り返りながら進んでいく。藍に背を向けたまま、守矢はライフルを構え直した。
二人を見比べながら、黄田は煙草の灰を足下の死体の上に落とした。
「まぁ、別にどんな風に生きようが、そりゃお前の勝手だが、昔の敵に協力するとはな」
「勘違いするな」
守矢は肩越しに藍を振り返った。
特災機関本部の入り口に立つ藍の姿が見えた。こちらを向いて守矢を手招きしている。数歩後退した守矢は、一つ息を吐くと構えを解いて銃口を下げた。
「守矢さん、何やってるんですか。早く」
「弓埜――悪いが、ここまでだ」
「……え?」
急かすように振られていた藍の手が止まった。どういう事かと問いたげに、黄田が烏丸を振り返る。しかし烏丸にも守矢の意図が分かるはずもなく、肩を竦めた。
「ここまで、って……どういう意味ですか?」
「どうもこうも……俺の役目はここで終わりだ」
一瞬、目を見開いたまま固まった藍は、すぐに我に返って声を張り上げた。
「そん……どうして!? 協力してくれるって――」
「弓埜、よく思いだしてみろ。俺がお前に、特災機関に協力するなんて言ったか?」
「それは……」
言っていない。
確かに守矢の言う通り、彼が藍の協力要請に対して了承の意を示したことは、一度もなかった。昨夜初めて出会った時から、藍の家、小宮病院、そして現在に至るまで。
言葉に詰まった藍は、青ざめた顔のまま口を開閉させた。
「でも……だったら、どうして」
「今までお前を助けたのか、か? ……何回も言ってるが、成り行きだ。放っておくのは寝覚めが悪い。それに、烏丸の態度が気に入らなかったんでな」
「態度って……?」
「いまだに戦いたがってることだ。『Peace Maker』と特災機関の戦いは、もう一年前に終わってる。それでもまだ戦おうとしてやがる」
「終わってませんよ……。現に今だって」
「弓埜、聞け」
低く強い声が藍の言葉を遮った。
「俺達は……『Peace Maker』は負けた。首領も死んだ。それでも無様に生き残った連中は、俺も含めてただの負け犬だ。だから負け犬らしく生きてきた。一年間、ずっと」
守矢は皮肉めいた笑みを口の端に浮かべて黄田を見た。
キマイラと戦闘員という違いこそあれど、敗者という立場は同じ。負けを認めずに戦おうとする黄田達を、憐れんでいるようにも見えた。
「だから……あんな生活を?」
「簡単に死ねる体じゃない。死ぬ代わりに、ゴミみたいに生きることにした。……首領も、仲間の一人もいない、お前等が守った世界で、死ぬまで一人でな」
守矢にとっては、単純に死ぬよりも辛い罰だったのだろう。
初めて協力を依頼した時、それまで生気の無かった守矢は、藍の首を絞めて殺しかけるほどの怒りを見せた。それは単に仲間を裏切れという依頼だったからだけではなく、自分を敗者と定めた守矢を、戦いに引き摺り戻そうとしたためでもあるのだろう。
「確かにあんたの言った通り、どう生きようがそれはそいつの勝手だ」
守矢はそこまで言って軽く息を吐くと、黄田と烏丸を交互に見据えた。
「だが烏丸もあんたも俺と同じだ。もう負けてる。死ねとまでは言わないが、潔くするべきだと思うがな。それに首領がいないなら、その組織は『Peace Maker』じゃない」
守矢の視線を受けながら、黄田は天を仰いだ。吐いた紫煙が立ち上り、消えていく。そのまま烏丸の方へと顔を傾けた。烏丸は守矢を眺め、意味ありげな薄ら笑いを浮かべている。
ようやく守矢に向き直った黄田の顔には、あからさまな嘲笑が浮かんでいた。
「お前、何にも知らないんだな」
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