第14話

 男に気付いた時、瀬尾は最初、逃げ遅れた一般人かと思った。

 着崩れてはいるものの、何の変哲もないスーツ姿なのだ。

 しかし男の顔に浮かんだ笑みを見た瞬間、全身から冷たい汗が噴き出した。頭の中で激しく警鐘が鳴り始める。無意識のうちに、左手を挙げていた。

 隊員達が素早く銃剣を構える。その時には全員が、男の姿に気付いていた。

「散開」

 集まった隊員が再び散った。

 合わせたかのように、男の体を眩い光が包み込んだ。

 激しい輝きに、男の姿が掻き消され――直後、光が放たれた。

 極大の稲妻が空中を裂いて走り、着陸しようとしていたヘリを直撃した。

 ヘリの巨体が轟音と共に爆発を起こし、瀬尾達の頭上を猛烈な勢いの熱風が吹き抜ける。それと同時に、四散したヘリの破片が爆発の勢いで周囲に飛び散った。体やメットの上から直撃され、何人かの隊員達が倒れた。

 爆発の衝撃で周囲の建物の窓ガラスが砕け散り、大量に地上に降り注ぐ。陽光を反射しながら降ってくるガラス片が、惨状にそぐわないほど美しく輝いた。

 瀬尾は街路樹の陰に飛び込んでいた。通信を開く。

「各員、接近はせずに、遠距離からの狙撃で攻撃。一カ所に留まらず、常に動き回れ。負傷した者は即時離脱」


「今のヘリはどれぐらいするもんなのかね?」


 聞こえてきた声に、瀬尾は木陰から顔を出した。

 白光が次第に弱まり、一カ所に収まっていく。バイザー越しでも目が眩むほど、一度だけ強烈に輝いた。

「教えてくれよ。自分の壊した物の値段ぐらい、知っておきたいんだよ」

 到底本気とは思えない、馬鹿にしきった口調を発しながら、先程の男が姿を現した。異常な帯電を示すように、体中から細かな電光が弾けている。周囲に展開している特災機関の部隊を睥睨するように見回し、小さく鼻を鳴らした。

 瀬尾は相手の軽口に構わず、攻撃命令を出した。全ての銃口が一斉に火を噴く。

 男がキマイラだということは、既に全員理解している。当然、超音波発生装置は起動していた。いくら人間体であるとはいえ、一切の油断は許されない。

「おいおい。人が喋ってるのに、それはねぇだろ。マナーがなってねぇな」

 男の体に螺旋状の電光が走った。歪んだガラスに包まれたように、男の周囲の空間がぐにゃりと歪む。

「なっ……!?」

 男に到達するはずだった銃弾が、全てその手前の空中で、見えない壁に阻まれでもしたかのように停止していた。よく見れば、空中停止した銃弾が、小刻みに震えているのが分かっただろう。しかし信じられない光景を目の当たりにした瀬尾達は、そんなことには気付かず、ただ言葉を無くしていた。

「悪いな、全部返すぜ」

 再び、男の体に螺旋の電光が走った。

 次の瞬間、何かが爆ぜるような音と共に、停止していた銃弾が、発射された時以上の速度で四方八方に飛散した。街路樹やビルの壁に、次々に穴が穿たれていく。それは隊員達も同様だった。

 銃弾が止まるという異様な光景に、我を失っていた隊員達。どうにか体が動いたのは、一部の隊員達だけだった。避けられなかった者達の体を、容赦なく弾丸が貫いていく。腕や足などは運が良い方だろう。頭や胴体を撃ち抜かれた者もいた。

 一気に数の減った敵を見回し、男は呆れたように鼻で笑った。

「おいおい、意外に鈍いね。今のは避けて欲しかったんだが」

「貴様……」

 瀬尾は街路樹に寄りかかるようにして立っていた。左腕から垂れた血で、足下に赤い模様が作られていく。男は薄ら笑いで見返した。


「俺は黄田皓司(きだこうじ)。一応覚えておいてくれ」


 瀬尾が震える腕でライフルを向けると同時に、生き残った隊員達もそれに倣った。同じ結果になろうとも、攻撃しなければ気が済まないのだ。無駄弾、などと考えていられる状況でもない。

 余裕の笑みで隊員達を見回していた男――黄田の両手が、激しく明滅し始めた。ヘリが撃墜された時の映像が、瀬尾達の脳裏に浮かぶ。

「ああ、大丈夫だ。安心しろ。ちょっと仕事をするだけだ」

 黄田が両腕を左右に開いた。同時に、耳を劈くような破裂音が響き渡る。

 裸眼であれば網膜が灼けるほど強烈な電光が、周囲に広がった。

 爆発的な速度で拡大した白光は一瞬で収まり、今度は逆に黄田へと収束していく。周囲は瞬く間に、元の景色を取り戻していた。

 咄嗟に掲げていた腕を降ろした瀬尾は辺りを見回した。自分を含めて生き残った隊員達に、特に異変は見られない。黄田も広げていた手を下ろし、にやにや笑いを浮かべているだけで手を出そうとはしてこない。

 今のが仕事とは、一体何のことなのか。嫌な予感はするが、現時点で最優先すべき事は黄田と名乗った男――キマイラの殲滅である。

「散開しろ!」

 ヘルメットの通信機を通して指示を出す。瀬尾自身、腕が訴えてくる痛みを堪え、黄田から距離を取ろうと動いた。

 しかし他の隊員達は、今までのような素早い動きは見せなかった。近くで瀬尾の動きがはっきり見えていた隊員は、慌てたようにではあったが、なんとか瀬尾に続いた。しかし離れた位置にいた六人ほどの者は、狼狽えたようにライフルを構えたのみだった。

 黄田がゆらりとした動作で、彼らを振り返る。

「何をしてる、おい――!?」

 彼らが動くよりも先に、黄田が動いていた。立っていた位置から一足飛びに、数メートル離れていた一人に肉薄する。

 いきなり眼前に現れた黄田に身が竦んだのか、動けない隊員の腹に電撃を帯びた拳を叩き込む。まばゆいスパークと共に隊員の体が後方に吹き飛んだ。ビルの壁面にぶつかって止まった体からは、煙の筋が上がっていた。

 一瞬の出来事だったが、それを受けて他の隊員もライフルを構えた。瀬尾の指示を待たずに引き金を引く。

 電光を纏った黄田が走った。放たれた弾丸は、先程のように停止することはなかった。しかし一体どういう仕掛けになっているのか、ことごとく跳ね返された。路面に落下した弾丸が空しい金属音を立てる。

 人間とはかけ離れた速度で接近し、攻撃してくる黄田。その攻撃自体は、単純な打撃や蹴りだったが、力の桁が違っていた。

「全員退避!」

 瀬尾は通信ではなく地声で叫んだ。残された十数人はの隊員が指示に従った。瀬尾は走りながら、通信回線を本部に合わせた。

「こちら瀬尾! ……っ!? 本部、応答せよ! 本部!」

 しかし聞こえてくるのは砂嵐のような、耳障りな音だけだ。

 ビルの角を曲がっても、黄田が追いかけてくる気配はなかった。

 更に角を曲がると、地下鉄の駅へと続く入り口が見えた。瀬尾は階段の降り口で急停止して振り向くと、後続の部下に先に降りるよう合図を送った。全員が降りるのを確認すると、瀬尾はライフルを構えたまま、自らも階段を駆け下りていった。


「正義の味方が、部下を見殺しにして逃げるなんて、ひでぇ話だ。なぁ?」

 倒れ伏した特災機関の隊員の胸を踏みつけながら、黄田は口の端を歪めて嗤った。足に力を籠めると、ヘルメットの下から低い呻き声が聞こえた。

 既に立っているのは黄田だけだった。グレイラーと特災機関員の死体が、辺り一面に転がっている。爆発したヘリの炎が移り、数本の街路樹が燃え始めていた。普段の霞ヶ関を知っている者ならば、目を覆いたくなるほど凄惨な光景だろう。

 言葉通りの地獄絵図だった。

「さて――篠原(しのはら)」

 辺りを眺めながら、黄田が呟くように言った。

『何よ?』

 一呼吸の間を置いて、黄田の頭の中に声が聞こえてきた。先程隠れて会話していた、あの女性の声だ。普通の声量で独り言を喋っているその光景は、端から見ればかなり奇妙に映っている。

「準備は?」

『終わったわ。あんたの方こそどうなの?』

「今終わった。どことも連絡が取れなくなって、今頃大混乱してるだろうよ」

『ならいいけど。』

「そっちの電気は? 消えてるか?」

『ええ』

「そりゃ良かった。んでな。特災機関の連中が、少しだけだがそっちに行くかもしれん」

『……中途半端はやめて、って言わなかった?』

「ストレスが溜まってるんじゃないかと思ってな。連中相手に発散してくれ。じゃあな」

 それきり篠原の声は聞こえなくなった。黄田は軽く首を曲げて骨を鳴らすと、改めて踏みつけている隊員を見下ろした。多少回復しているのか、先程よりも腕や足が動き始めている。

「俺は他の部下のところに行くんでな。お前さんとはここでお別れだ」

 黄田は隊員を踏んでいた足を上げた。足と周囲に、放電現象が起き始める。ヘルメットに光が反射し、隊員の呻き声が大きくなっていく。

 黄田の顔に浮かぶ笑いが、さらに深さを増した。

「それじゃあな」

 友人と別れるような気軽な口調で言うと、黄田は無造作に足を踏み降ろした。

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