第13話

 戦闘区域に指定されたのは、特災機関本部のある一部の範囲のみだった。

 一部とはいえ霞ヶ関の中だ。周辺は政府関係の建物が並んでいる。当然ながら、議員と職員は既に避難していた。保身も含め、逃げ足だけは早い。

 敵の戦闘員が動いているのは、先程伝えられた報告では本部周辺だけだった。敵の目的は完全に特災機関の壊滅にのみ絞られているらしい。特災機関さえ潰してしまえば、日本国内で連中の邪魔になるものは無い。

 瀬尾は部下を率いて庁舎群の下を駆けていた。藍の援護のために出動したは良いが、すぐに引き返すことになるとは思っていなかった。

 ヘルメット内の瀬尾の表情は普段通り冷静なままだが、内心は敵の策にはまってしまった自分に対して静かに怒っていた。過去の戦いで何を学んだのか。冷静に考えれば予想が出来てもおかしくはなかった。

 だが一つだけ疑問あった。

 何故連中は、ここまで大胆な作戦行動に出たのか。それも突然に。組織壊滅後の一年間はひたすら逃げ隠れしていたにも関わらず。その間に密かに蓄えていた力を一気に爆発させた、という考え方が、可能性としてはもっともらしいところではあるが。

 これまで連中が動かなかったのは、高機動戦闘員という抑止力があったからだろう。

 現在は実戦に出ていないとしても、その影響力は大きいはずだ。しかし彼ら三人の現状は機関内でも限られた人間しか知らない。

 にもかかわらず、敵が行動を起こしたのは、高機動戦闘員がいないという事実を知ったから――いや、おそらくは既に知っていたからだ。

 藍からの報告では、小宮病院で知られたということだったが、それにしては敵の行動が周到過ぎる気がする。高機動戦闘員が動けないという事実を『確認』しただけではないのか?

 瀬尾も藍の性格は知っている。父親が拉致されてからの努力は、十分評価していた。重責に押し潰されず、幾つもの成果を上げた若き天才。彼女が裏切ったとは考えにくい。

 そうなると、藍と一緒に行動している正体不明の男が怪しくなる。一体誰なのか――。

『瀬尾隊長』

 ヘルメット内蔵の通信機から主任オペレーターである柳井の声が聞こえ、瀬尾はすぐに思考を切り替えた。

「こちら瀬尾。どうした」

『本部に保管されていたオルカを、自衛隊及び機動隊に貸与しました。そのため、本部に装備の予備はありません。使用できるのは、現在そちらの部隊が所持している分だけということになります』

「――」

 手持ちのみで戦えと言われ、瀬尾は一瞬怒鳴りそうになったが、どうにかその怒りを押し殺した。

 いくら本部に予備の武器があったとしても、今はその本部に辿り着くことが難しい。使えなければ意味がない。そう考えれば本部の下した決断が間違っているとは言えない。

 また、現在本部周辺に現れている敵は、戦闘員だけらしい。対キマイラの訓練をされていない他機関の部隊でも、特災機関の専用武器を与えておけば戦闘員が相手であれば何とか戦うことは出来るだろう。当然被害は受けるだろうが、自分達が到着するまで持ちこたえてくれればそれでいい。

「了解」

『また、戦闘部隊が現場に到着次第、現場の指揮権は瀬尾隊長に譲渡されます。既に報告はされていますので、ご心配なく』

 全指揮権が特災機関側に委ねられるというのは、対『Peace Maker』戦では珍しいことではない。連携をとって戦ってきたとはいえ、他の公的機関同士のいがみ合いがまるで無かったとは言えない。露骨な足の引っ張り合いこそなかったものの、互いに自分達のやり方で作戦を遂行しようとする部分があった。意地のようなものだろう。

 しかしキマイラが強力になっていくにつれ、現場の指揮権は、特災機関側に譲渡されるようになっていった。餅は餅屋、ということだ。

「弓埜博士はどうなった?」

『博士は無事です。現在本部に向かっています』

「援護に向かった高千帆の班は?」

『……博士を狙っていたキマイラの襲撃に遭い、全員が戦闘不能状態です。現在付近の消防と病院を動かして、救助させています。死者は出ていない模様です』

 瀬尾は内心安堵の溜息をついた。戦う限り命を失う覚悟をしろとは、部下達に常々言っていることだが、無事であるに越したことはない。

『もう一つ、長官からの指令です。弓埜博士を本部に到着させることを、現段階の最優先事項とする。戦闘部隊は他機関と協力、瀬尾隊長の指揮の下、博士到着まで持ちこたえるように、とのことです』

「何だと?」

 瀬尾は思わず声量を上げて、駆けていた足を止めた。自然、後ろに続いていた部隊も停止する。何事かと問いたげな部下達の視線を背に受けながら、瀬尾は柳井に再度問いかけていた。無意識のうちに顔に力が入り、眉間に皺が寄る。

「どういう意味だ?」

『詳細は不明ですが、長官からの直接命令です』

「長官は?」

『技術開発部に行かれています。繋ぎますか?』

 返事もせずに目を閉じ、瀬尾は混乱し始めた頭をまとめようとした。

 藍は確かに優秀な科学者である。だが実戦の指揮が出来るわけではない。彼女を守り本部まで連れていくとなると、足枷以外の何ものでもない。

 長官命令として出されたとなれば従わざるを得ないが、詳しい説明も無いとなると、簡単に納得はできない。

「新兵器でもあるのか?」

『ですから、こちらも詳細は――』

「――!?」

 柳井の言葉はまだ続いていたが、瀬尾の意識は瞬間的にそれを遮断し別の方向へと向いた。

 左手を掲げ、散開の合図を出す。それを受けた隊員の動きは素早かった。

 瀬尾を中心点として、あっという間に広がり、陣形を作る。

 人気のない霞ヶ関の空気が、段々と変わっていく。

 元々この地下には東京地下鉄の霞ヶ関駅、桜田門駅、虎田門駅があり、都営バスと首都高への入り口も通っている。さらに一般人は知らないことだが、議員連中専用の避難通路が設けられているという秘密もある。そのため、人々の避難は早い段階で終わっている。

 しかし――前方のビルの陰から、灰色の人影が飛び出してきた。

 まだ距離はかなり離れているが、獣の骨のような趣味の悪いヘルメットは、見間違えようもない。『Peace Maker』の、『グレイラー』と呼称される下位戦闘員だった。

『瀬尾隊長?』

「敵戦闘員と遭遇! 数は二十程度!」

 簡潔に返すと、瀬尾は通信回線を閉じた。

 手にしていたライフルではなく、腰部に装着していたナイフの柄に手を掛ける。

 革の鞘から払い抜くと、刃渡り三十センチの両刃の刀身が現れた。技術開発部が生み出した特殊合金製の戦闘部隊専用ナイフだ。オルカとほぼ同時期に作られたそれは、接近格闘時の武器、またオルカの追加装備としての用途がある。瀬尾はナイフの柄部分を、ライフルの銃口下部に装着、固定した。

 銃剣と化したオルカを構える。全ての部下がそれに倣った。

 銃剣というと古臭い戦闘術にも聞こえるが、状況によっては有効な戦法になる。特にオルカの銃身の耐久度は、既存のライフルよりも遙かに上だ。打撃用の武器、また防御時の盾としての使用にも十分耐えられる。キマイラが相手である場合は話が別だが、グレイラー相手ならば何の問題もない。

 もっとも今回の場合は、無駄弾が使えないというのも理由である。予備の武器が無いとなれば、一発でも外すことは致命的だ。

「準備は?」

 それぞれの隊員を束ねる班長から、準備完了の報告が返ってくる。瀬尾は掲げた左手を、勢いよく前方へと振り下ろして走り出した。銃剣を構えた隊員が後に続く。グレイラー達との距離は既に、二百メートルほどにまで迫っていた。

 敵が手にしていた奇妙な形の自動小銃を構える。

 周囲のビルの玄関にある立派な柱は、防壁として活用できる。見栄を張るように並ぶ街路樹にしても、それなりに大きなものが植えられており、弾丸を防ぐことは可能だ。

 瀬尾はすぐ近くの植え込みに飛び込んだ。街路樹の根元に身を伏せる。ほぼ同時に大量の弾丸が飛んできた。

 耳障りな音と共に、巨大な街路樹が削られていく。木の葉や木皮の破片が、頭上から雨のように降ってきた。

 瀬尾は腹這いのまま、視線を周囲に走らせた。

 比較的動きやすい位置にいる班の指揮者は二人。瀬尾はヘルメットに内蔵されている通信を入れた。

『三班と四班。敵側面と後方に回り込め。残りで敵の注意を引く』

 了解との声が聞こえ、それぞれの班員が身を起こして走り出した。弾丸の切れ間を狙って近くのビルの脇へと消えていく。

 霞ヶ関周辺の地理は、全員頭の中に叩き込んでいる。目を閉じて進んでも、まず間違うことはない。別の敵に遭遇するかもしれない、というのが唯一の不安だが、そればかりは祈るしかないだろう。

 一瞬、弾雨に隙が出来た。その隙を見逃さず勢いよく身を起こした瀬尾は、街路樹の陰から躍り出た。他の隊員も同時に動く。すぐに銃撃が再開されるが、地面を転がるようにして、前方の建物の玄関口に身を隠した。

 問題無く行けば、先行させた二つの班が回り込むのに三分は掛からない。しかし瀬尾にはただ待つつもりはなかった。

『来ます!』

 誰かの通信音声が聞こえた。柱の陰から顔を覗かせる。

 こちらに向かって走ってくる、グレイラー達の姿。瀬尾達が応戦してこないことに業を煮やし、肉弾戦で片を付けようという腹なのだろうか。確かに個々の戦闘能力では、人体改造された敵側に軍配が上がる。下位戦闘員とはいえ、連中にとってはその方が楽なのかもしれない。

「慌てるなよ」

 瀬尾は銃剣を構え、指示を出した。

 一年前までの戦いで分かったことだが、『Peace Maker』の戦闘員やキマイラは、仲間同士の意思疎通があまり出来ていなかった。連携の実力だけで言えば、瀬尾達の方が上とも言えた。個々の能力を過信しているためだろう、というのが瀬尾の見解である。

 確かに個々でも十分なほどの強さを持ってはいる。しかし瀬尾は、そこに勝利への道を見出していた。

 両者の距離が数十メートルというところで、頭上から音が聞こえてきた。

 ちらと視線を上げる。普通ではあり得ないほどの低空を、一機のヘリが接近してくるのが見えた。密かに呼び戻していた空戦部隊のヘリだ。

「全員伏せろ!」

 見る間に機影が大きくなる。

 機体下部に装備されていたバルカン砲の砲身が動く。一拍を置いて掃き出された銃弾が、グレイラーへと降り注いだ。

 撃ち抜かれた幾つもの敵影が、不自然な踊りのように激しく動き、血を撒きながら舞うように崩れていく。千切れた手足や頭が、玩具のように吹き飛び、アスファルトの上に転がる。周囲の地面の色が、血と臓物で赤黒く染まっていく。

 それでも全ての戦闘員を倒すとまではいかなかった。

 全身を強化改造されているだけあって、目を見張るような反応速度で回避する者もいる。だが多少はまとまっていた敵の位置は、今や完全に散り散りとなっていた。

 掃射が止まり、ヘリが頭上を通り過ぎていった。敵の数は半数以下に減少。十人前後になっている。こちらの数は四十五人。四倍ならば、数で押せる。

「突撃!」

 叫ぶと同時に瀬尾は柱の陰から飛び出した。

 隊員達も一斉に走り出す。銃剣をしっかりと握りしめ、撒き散らされた敵の体の一部を飛び越える。水溜まりを踏んだように、赤い飛沫が跳ねた。

 頭上に向いていたグレイラー達の意識が、特災機関の部隊へと変わる。彼らが応戦体勢に入るよりも早く、瀬尾は一人のグレイラーへ銃剣を突き出していた。

 刃が届く直前、敵が後方へと跳んだ。

 不意を突いたとはいえ、やはり普通の人間と、改造された人間では身体能力の差が大きい。しかし避けられるのは想定済みだ。瀬尾は慌てることなく追い縋った。

 体勢を立て直した敵が、逆に地を蹴った。一瞬で縮まる距離。繰り出された拳を、瀬尾は地面に倒れ込んで避けた。同時に真上へと銃剣を突き上げる。今度こそ、肉を貫く手応えがあった。

 溢れ出した血が、灰色の服を赤黒く染めていく。刃と銃身を伝って流れてくる血は、瀬尾達と同じ赤い色だった。

 だが痛覚すら鈍くされている敵の動きは弱まらない。伸びてきた手を無視し、瀬尾は銃剣を刺したまま躊躇無く引き金を引いた。

 敵の胸に大きな赤黒い穴が空き、大量の肉片と血が飛び散る。吹き飛んだグレイラーは路面を転がり、ヘリの攻撃で死んだ仲間の上に重なって止まった。

 跳ねるように起き上がった瀬尾は、素早く周囲の状況に目を走らせた。部下は全員戦闘に入っている。

「動き回れ!」

 悲鳴が聞こえ、瀬尾は咄嗟にそちらを振り向いた。

 部下の一人が、グレイラーに蹴り飛ばされた。軽々と浮いた体が地面に落下し、バウンドした。瀬尾はメットの中で舌打ちして駆けだした

 気を呑まれたのか、共に攻撃していた三人の隊員の動きが、一瞬鈍くなった。その隙を逃さず、グレイラーが続けざまに襲いかかる。二人が銃床で殴り倒された。

 残る一人が横薙ぎに振るった銃剣が、敵の腕を掠めた。二の腕から出血するが、敵はそれに怯むことなく拳を放った。

「避けろ!」

 全身の筋肉を改造されているグレイラーの力は、通常の人間の比ではない。下手に防げば骨は簡単に折れるか砕けてしまう。そうなると当然戦えない。

 そのため戦闘部隊の訓練でも、防御ではなく回避の方に重きを置いているのだ。

 瀬尾の怒鳴り声が聞こえたのか、隊員の体が後ろに倒れた。殆ど腰を抜かして尻餅をついたような無様な格好ではあったが、敵の拳は間一髪、空気を殴った。

 だが間髪入れず、グレイラーが蹴りを放った。闇雲とも思える動きで振り回された銃剣の刃が、敵の軸足の膝を深々と切り裂く。

 姿勢を崩して片膝をつきながらも、グレイラーの掌は隊員の喉を掴み上げた。

 次の瞬間、隊員の首がぐらりと揺れ、不自然なほど真横に倒れた。

「――!!」

 瀬尾が武器を振るったのは、部下の体が崩れ落ちるのと同時だった。

 渾身の力で、横薙ぎの一閃。特殊合金の刃が、グレイラーの首を深々と切り裂いた。壊れた水道管のように、血が溢れ出す。

 見る間に敵の体、そして地面が赤く染まった。

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