第12話

 瀬尾が率いている戦闘部隊が到着するまで、あと十分強。

 その報告を受けてから約五分が経過していた。

 出来る限りの手回しは済んでいた。本部までの最短ルート上には、彼らの移動を邪魔する存在は無いはずだ。敵が待ち受けていれば話は別だが、今のところそれはなかった。

 本部内にある作戦司令室に、間宮が入ってきた。素早く敬礼する機関員を無視し、部屋の後部に置かれた指揮官席に向かう。しかし席には座らず、立ったまま巨大モニターに映し出された画面を睨むように見つめた。普段の穏和そうな雰囲気は消え去り、いかにも切れ者然とした気配を漂わせていた。

 モニターは中央にメイン画面があり、その周囲にやや小さめの画面がいくつも表示されていた。中央が特災機関本部を、他は周辺を映している。

 現在、全ての画面に機動隊及び自衛隊が戦っている様子が映し出されていた。

 敵の姿も明確に映っている。灰色を基調とした、軍服にも似た服装。頭は獣の骨を模したような、不気味な模様のヘルメットで隠されている。連中の持つ武器の程度は、通常の軍隊が使用する物と大差は無いようだが、一人一人の動きは明らかに敵が勝っている。おそらく何らかの肉体改造を施されているのだろう。その身体能力の差が、やがて大きな差になることは目に見えていた。

「柳井。戦況は?」

「今はまだ戦闘員のみの襲撃ですが、それでもこちらが不利です。既に犠牲者は、両隊合わせて四十を超えています」

 指揮官席の側に座っている女性オペレーター、柳井目久美(やないめぐみ)が答えた。黒髪をショートカットにした、切れ長の目を持つ理知的な雰囲気の女性だ。この状況でも、答える声は落ち着いている。

 司令室には二十人近くのオペレーターが、それぞれの席で慌ただしく動いている。自衛隊と機動隊への指示、一般人の避難を担当している警察との通信も彼らの仕事だ。

「我々の部隊は?」

「本部防衛のため、当施設内に」

「予備の装備は? オルカはどれぐらい残っている?」

「正常に作動するものは、百四十八丁です」

 柳井の答えは、どんな時でも淀みなく返ってくる。戦闘部隊の武器の予備数など、他の機関員であれば、おおよその数字しか出ないだろう。しかし彼女は、正確な数量を記憶していた。

「どうされるのですか?」

「オルカを半数ずつ、自衛隊と機動隊に貸与する。他の武器も同様だ。どうにかして届けてくれ。人間相手の通常装備では、戦闘員に対してならいいが、キマイラが出てくれば気休めにもならん」

「了解。――装備保管室に通信。緊急措置として、オルカの予備を自衛隊及び機動隊に貸与します。搬送は――」


 的確な指示を出していく柳井の声を冷静に聞きながら、間宮はひっそりと拳を握った。

 今頃政府の連中は、怖れて震え上がっているかもしれない。しかし彼らへの同情の気持ちは全く無かった。この状況を招いたのは、政府連中だと言ってもいいのだ。

 特災機関が設立されたのは、キマイラ、そして『Peace Maker』が出現してからだった。

 機関設立のための特別予算を組み、設立後は自衛隊や警察に回される予算の一部をこちらに使うほど、特災機関は優遇されていた。最新装備の開発や、研究所の維持、そして情報操作のため、それら予算は事実上必要な予算ではあったのだ。しかし金と、そして人員をも奪われた連中が、良い顔をするはずがない。馬鹿らしい横やりが入ることもあった。

 後に『Peace Maker』との戦闘が激化していくにつれ、彼らもその厳しい現実を目の当たりにすることになる。その時になってようやく彼らは、下らない政治的ないがみ合いをしている場合ではない、と気が付いた。特災機関と他機関が上手く連携できるようなったのは、その頃からだ。

 そして『Peace Maker』が崩壊した一年前、機関の縮小が決定された。

 何度となく間宮が直接交渉に赴いたが、一度下された決定は覆らなかった。

 敵が組織としての形を失ってしまった以上、特災機関を現状のまま維持するだけの理由は無い、というのが政府側の言い分だった。確かに組織自体は敵の首領を倒し、崩壊させた。しかしキマイラや戦闘員などの構成員は、無数に逃亡している。政府側もそれらの事情には理解を示し、残党狩りの必要性は認めた上で、縮小を決定したのだ。

 どんな同情の言葉を聞かされようと、間宮には彼らの本心が読めていた。

 自衛隊や警察など、本来必要な場所に金を戻したいのだ。勿論そこには、自分達の懐に入ってくるものを取り戻したい、という意味もあるのだろう。

 国民の安全と自分達の利権、一体どちらが大事なのか。

 最初に決定事項を伝えた瀬尾などは、怒りを露わにそう怒鳴ったものだ。各地の研究所の閉鎖、及び政府機関への譲渡を藍に伝えた時、彼女は悲壮な顔を見せたが、黙って頷いた。個々人の力ではどうしようもないことが分かっていたからだ。


「長官、弓埜博士からの通信です」

 肩越しに振り向いた柳井が、間宮を見上げてきた。一つ頷き、指揮官席に設置されたインカムを頭に付ける。藍の安否が気になっていたが、無事だったらしい。内心安堵しながら、間宮は回線を繋いだ。

「間宮だ。無事だったか」

『私は大丈夫です。現在戦闘部隊の車両で、本部に向かっています』

「君の援護に向かった部隊は?」

 一瞬の沈黙があり、すぐに藍の声が返って来た。

『……申し訳ありません。私を狙ってきたキマイラの攻撃で、殆どの方が戦闘不能に。すぐに救助を向かわせてください。小宮インターを降りて数分の国道上です』

 肩越しにこちらを振り向いた柳井と視線が合う。間宮が頷きを返すと、柳井はすぐさま外部との通信を繋げた。その付近の消防と病院に、救助要請を出す。

「博士、君を狙ってきたキマイラは」

『今も私達を追跡中です』

 その言葉に、若い女性オペレータが目を見開いて振り向いた。今の言葉では、藍が本部に到着すれば、キマイラも一体ついてくるということだ。驚くなという方が無理だろう。

 そして間宮は、次に藍が言うであろう言葉も予想していた。


『長官、許可を』


 あまりに突然な、意味不明の許可申請に、柳井が怪訝な顔を向けてきた。

「本気か?」

『お願いします! 今の事態を解決するには、あれを使うしか……!』

 通信機越しではあったが、藍の声からその必死さは伝わってきた。恐らく運転しているのは藍自身だろう。運転に関して、藍が玄人顔負けの腕前を持っているのは、特災機関内では有名だった。しかし、今はどんな顔でハンドルを握っているのか。

「……使えるのか?」

『使用者に関しては、候補の方が同行を』

「使用者が被る危険の有無を聞いている。以前のようなことはないのか?」

 間宮は藍の言葉を遮って尋ねた。それに対する藍の返答があるまでに、一秒にも満たないが、僅かな間があった。

『分かりません』

「博士、それでは」

『長官。この一年間、私は私の出来る限りのことをやってきました』

 藍の言葉に遮られ、間宮は開きかけた口を閉じた。


『そうすることが、私の義務――いえ、使命だからです。父の分も含めて、全ての責任は私が負います。これまでも、これからも。だからお願いします。許可を』


 間宮の脳裏に、弓埜仙治の顔が浮かび上がった。傍目からは研究者には思えない、厳つい体格と面構え。特災機関設立当初からの知り合いだった。不思議と気も合い、友人だったと言ってもいい。

 間宮は元々陸上自衛隊の指揮官であり、その時はまだ弓埜仙治のことは知らなかった。弓埜仙治が、知られもしない名前の地方大学の教授をしていた頃だ。彼を発見したのは政府が用意した調査員だが、引き抜きに赴いたのは間宮自身だ。

 技術開発部に所属する人間を求め、機械工学や生化学などに精通する人材を探している時だった。企業の研究所からだけでなく、在野の研究者や科学者を、徹底的に洗い出していた調査員が、かつて弓埜仙治が学会に発表した論文に目を付けた。それは高機動戦闘員の元になるような、脳の未使用部に関するものだった。しかし当然ながら、実証実験の記録などは無く、学会では殆ど無視されていた。

 しかし間宮はその論文から、何かを感じ取っていた。それが何かは分からなかったが、ともかく間宮は自身の直感を信じて、弓埜仙治に直接会いに行った。とても研究者には見えない外見ではあったが、弓埜仙治は特災機関への協力を、意外なほど簡単に承諾した。

 娘である藍を、自分と一緒に機関に参加させることが条件として。

 藍と引き合わされた時、彼女はまだ機械科を専攻とする大学生だった。

 年齢よりも幼く見える外見に最初は戸惑ったものだ。とても役に立つとは思えなかったが、父である弓埜仙治は、その頃から娘の才能に気付いていたのかもしれない。

 実際に、技術開発部の兵器開発担当の一人に選ばれた藍は、現在でも使用されている超音波振動銃を生み出した。勿論開発の段階では、他の科学者達との共同作業となったが、草案は藍のものだ。

 その後、高機動戦闘員に必要な装置の完成前に、弓埜仙治は拉致された。その後任として選ばれた藍は、周囲からの重圧の中、高機動戦闘員を実戦可能段階まで持っていった。

 彼女自身はその危険性を認識し、最後まで反対していた。

 しかし、高機動戦闘員の活躍により『Peace Maker』の壊滅には成功した。しかし払った代償は大きく、戦いの後、高機動戦闘員は結局封印された。

 三人の人間の人生を潰したのだ。藍が感じる責任は、間宮には想像できないほど重く、大きなものだったはずだ。

 その後、高機動戦闘員の再開発を藍が言い出した時、間宮は心のどこかで彼女の行動を予想していたことに気が付いた。

 奥底に悲壮な狂気を宿したような藍の目に気圧されたというのもあり、結局再開発の許可を出した。知っているのは間宮と、技術開発部の一部の人間、そして諜報部の部長だけだ。諜報部の人間は、藍が必要としていた、新たな装着者を探し出すために必要だった。


『長官』

「……分かった」


 藍の焦れたような声に、間宮は小さく頷いた。意志を固めた目は、戦闘が続く正面のモニターを見据えたまま、動かなかった。

「私の特権で、君の計画発動を許可する。速やかに帰還し、敵を殲滅せよ。関係者にはこちらから伝えておく」

『っ……! 了解です。感謝します』

 藍の謝辞には何も返さず、間宮は黙って通信を切った。インカムを外して机に置くと、ようやく間宮は柳井に目を向けた。

「悪いが、少し外す」

「どちらへ?」

「技術開発局だ。装備貸与の件は瀬尾に伝えておいてくれ」

 間宮は柳井の返事を待たずに、踵を返して歩き出した。

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