第5話
瀬尾が扉をノックして出頭を告げると、部屋の中から入室許可の声が聞こえた。
「――失礼します」
中へと入り隙のない敬礼をすると、正面のデスクに腰掛けていた男が、瀬尾よりもやや軽い敬礼を返してきた。
特災機関の制服を身に着けた、六十前後の初老の男。オールバックの髪だけでなく、口の周りの整えられた髭までが白くなりはじめている。一見するとどこか茫洋とした雰囲気の顔だが、その実誰よりも物事を見ているということを、瀬尾は十分理解していた。
「ご苦労」
男――特災機関・長官、間宮陽助(まみやようすけ)は椅子に座ったまま言った。
敬礼の手を下ろした瀬尾は、デスクの上に投げ出されている書類に気が付いた。
その視線を追った間宮は、呆れたように肩を竦めた。
「……海外の研究機関からの要請だ。キマイラについての合同調査のため、資料となる遺体等を寄越せとな」
「応じるのですか?」
「死ぬと同時に消滅する連中だ。こちらにすら十分と言えるほどの研究材料が無いのに、渡せるわけがない。……まぁ、あったとしても、そう簡単にはな」
最初にキマイラが出現したのは、記録では四年前となっており、『Peace Maker』という組織が出現したのも、それと同時だった。
現在と同様の要請は、その当時から寄せられていた。しかし実際問題、海外諸国に送ることが出来るほどの十分な研究材料は、日本側にも無い。
キマイラ出現当初は、生け捕りを目的とした戦闘も試みられた。その結果、機関側と、周囲への被害が増しただけだった。そのため、以後の作戦行動は全て殲滅を目的として立案され、海外の各機関へも理解を求めた。
その代わり、キマイラについて判明した情報は共有している。同時に『人々に混乱を与えないため』という理由での事実隠蔽は、各国にも納得させた。
それでも研究材料を渡すわけにはいかないのは、万が一そこから新たな技術が生まれ、軍事利用されてはならないからだ。表向きは平和のためと言いながらも、あわよくば他よりも進んだ力を手に入れようと考えているのは、どこの国でも同じだ。
「――話というは、この事ですか?」
視線を書類から間宮へと移し、瀬尾は表情を崩さずに尋ねた。
外国との交渉の話ならば政治家と外渉部の仕事だ。戦闘部隊である瀬尾には関係がない。それとも先日の戦闘に関して、本当に会見を開けとでも言うのだろうか。
間宮は椅子に背を預け、感情の読めない目で瀬尾を見上げた。
「……以前から、弓埜博士が私に言っていたことがある」
間宮の口から出たのは、予想もしていなかった人物の名だった。
「……博士が、何を」
「高機動戦闘員に関係する話だ」
その言葉に瀬尾は目を見開いた。
真っ直ぐに見据えてくる間宮の表情は、普段と同じく掴み所が無いが、腹に一物を隠しているようにも思えた。
「高機動戦闘員は、選別も再投入もしないと決定が下されている。しかし博士は、専用装備の改良と、支援兵器の新開発をしたいらしい」
「……何故です?」
「敵の再結成の可能性があるならば、今のままでは危険だ、と」
言外に、頼りないと言われている気がして、瀬尾の眉間に皺が寄った。
「……確かに昨日の戦闘では、こちらに死者が出ました。しかし再結成は、あくまでまだ可能性の段階です。今、高機動戦闘員を再投入するのは」
「博士は再投入とまでは言っていないよ」
「許可は出されたのですか?」
「まさか。高機動戦闘員に関しては、私一人では決められん。そうだろう?」
瀬尾は頷きながらも、間宮の言葉に不安を感じた。
高機動戦闘員の再投入については、機関内の各部署の代表が集まり、開かれた会議の席で否決された。それに関連する研究等も凍結とされた。
それを覆すとなると、もう一度会議を開かなければならない。
「長官のお考えは」
瀬尾の問いに、間宮は暫く答えず、やがて口を開いた。
「……万が一に備えて、準備をしておくのは構わない、と思っている」
そう言って間宮は、瀬尾の顔を見上げた。
思い切り顰めてしまいそうな顔を、必死に堪えているのだろう。瀬尾の頬が、僅かに痙攣を起こしたように震えていた。
「何故ですか」
「だから、万が一のためだ」
「しかし」
「敵が再結成をした場合、君の部隊だけでは対処しきれない。……違うか?」
瀬尾が言葉に詰まる。
否定したかったが、先日の残党狩りで死者を出してしまっている。一般隊員が持つ武器は対キマイラ用ではあるが、複数の敵が同時に現れた場合、被害は今回の比ではないだろう。場合によっては全滅もあり得る。
そこで瀬尾は、間宮の腹の底がわずかに見えた気がした。
何故今になって、高機動戦闘員の再投入の話をするのか? それは戦闘部隊に死者が出たからではないのか? 間宮は、今が頃合いだと思っているのではないのか。
「弓埜博士の言う、装備の改良と新兵器の開発――」
「先に言っておきます。私は弓埜博士の話にも、再投入にも反対です」
瀬尾は間宮の言葉を遮って言った。
「……何度も言うが、再投入するとは言っていない」
現段階ではでしょう。そう言いそうになり、瀬尾は口を引き結んだ。
ここで感情に任せて間宮に突っかかっても仕方がない。問題は、何故あの女博士がそんな相談をしていたのかだが――それは、本人に聞くのが一番早いだろう。
「……とりあえず、頭に留めておいてくれ」
「――了解しました」
話は終わりだとばかりに、間宮が椅子を回して背を向ける。瀬尾は一礼すると部屋を出た。
渇いた空気が漂う廊下を足早に進む。停止していたエレベーターに乗り込むと、技術開発部のあるフロアのボタンを押した。苛立たしげに息を吐き、背後の壁に背を預けた。
途中で止まることなく、目的の階までやってきた。
エレベーターホールから廊下に出たところで、事務の人間らしき、機関の制服を着た眼鏡の女性と目が合った。よほど険しい顔をしていたのだろう、女性は瀬尾の顔を見た途端、怯えたように身を震わせた。
「……驚かせたか。済まない」
「い、いえ。こちらこそ……あ」
相手が戦闘部隊の隊長だと気づいた女性は、取り繕うように敬礼した。それに返礼し、瀬尾は女性の肩越しにフロアの奥を見た。
「弓埜博士に用があるんだが、どこにいるか分かるかね?」
「あ……博士でしたら……本日は朝から外出されています」
「外出? どこに? 何時頃?」
「確か……九時少し前だったと。外出届には、御実家の点検、となっていましたが」
ごくたまにしかお帰りにならないので、お掃除に時間がかかるそうです、と女性は理由を付け加えた。
「……連絡してもらえるかな。すぐ戻るように」
瀬尾が静かに怒っていることが分かったのだろう。女性はやや引きつった顔で頷くと、小走りにフロアの奥へと消えた。
瀬尾は通行する開発部員の邪魔にならないよう、廊下の壁際に寄って待った。
暫くして、先程の女性がやはり小走りに戻ってきた。
「申し訳ありません。繋がりはするのですが……。お、お掃除に手間取っておられるのかも。とても大きなお家だそうで……」
瀬尾は小さく舌打ちした。
もし別の用事で出かけるにしても、いつでも連絡が取れる状態にしておくのが、この仕事の常識だ。腕時計を見ると、十時ジャスト。約一時間の差。
顔を上げると、女性はその場を去っていいものかどうか、迷っているようだった。
「悪いが、博士の実家の場所を教えてもらえるか」
急な頼みに、女性は「でも」と口籠もった。内部の人間といえど、個人情報を勝手に教えることは禁止されている。
「何か言われたら、私が責任を取る。頼む」
「は、はい」
背筋を伸ばした女性は、先程よりも速い足取りで駆け去っていった。
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