第4話

 政府関係の施設が並ぶ霞ヶ関。

 特異災害対策機関の本部は、警視庁のある二丁目の一角に建っている。

 その地下駐車場へ通じる出口から、一台の車がゆっくりと姿を現した。

 灰色の丸い車体は、遠目で見るとまるで鼠のようだ。他の車が来ていないことを確認し、車道へと走り出た。

「あれね」

 風に乱される髪を抑え、烏丸鈴(からすまれい)は目の前を通過した車を見送り、気怠そうに呟いた。

 特災機関本部ビルからは随分と離れた、この周辺では最も高いビル。烏丸はそのビルの屋上の縁に立っていた。やる気の無さそうな顔つきで、走り去っていく車体を眼で追いかける。

 と、頭の中に直接声が届いた。

『上手く捕まえろ。殺すんじゃねぇぞ』

「分かってるけど。でも、そんなに欲しい人材なの?」

『あの博士が俺達の手に落ちれば、特災機関には大きな痛手になる。それに、洗脳して協力させれば、こっちの戦力増強にもなるだろ。まあ、無理ならその時殺せばいい』

「一石二鳥、ってわけね」

『人目に付かない行動はお前が適任だ。頼むぞ。一応釘刺しとくが、勝手な行動はするなよ?』

「信用無いわね、私って」

 烏丸は凝りをほぐすように首を回すと、屋上の縁を蹴り、ビルから飛び降りた。

 その直後、羽ばたく音が遠ざかり、数枚の黒い羽が、音もなく踊るように舞い落ちた。


     §


 弓埜邸は閑静な住宅街の中に建っていた。

 周囲の家屋とは異なる雰囲気を漂わせる、煉瓦造りの古風な洋館だ。

 明治や大正時代の人々が住んでいそうな家、とは良く言いすぎだろう。二階建ての重々しい姿は寧ろ、幽霊屋敷という言葉が相応しい。庭の手入れは殆どされておらず、雑草が伸び放題になっている。鉄格子の正門には機械的な開閉機能など付いていない。


 藍は近くの駐車場に車を置き、徒歩で門までやってきた。所々が錆び付いて耳障りな音を立てる門を、力を籠めて押し開き、中へと入る。明るい太陽の下で見る弓埜邸は、昨夜訪れた時よりもはっきり見て取れるだけに、余計に酷い有様に思えた。

 雑草を踏み分けて進み、辿り着いた玄関扉に手を伸ばして開く。静まりかえった薄暗い邸内は、昼間とはいえ薄気味悪い雰囲気が漂っていた。広い廊下が奥と左右に伸び、途中に幾つかの扉がある。二階へと続く階段は正面の脇にあった。

 元々は随分昔に弓埜仙治が購入し、家族で住んでいた邸だった。

 藍の母、弓埜茜(ゆみのあかね)は、藍が高校の頃に交通事故で死亡した。それ以降は、父が拉致されるまで父と娘の二人だけで住んでいた場所だ。今は藍が一人で使用しているが、やはり一人で使うには広すぎる。そのため、今は殆ど倉庫代わりに使用され、藍自身は普段は特災機関内の幹部に与えられる私室で生活していた。

 一年を通しても数えるほどだが、点検などの所用でこの邸に泊まることがある。一応光熱費は払っているので、電気やガス、水道などは生きていた。

 土足のまま廊下を歩き、居間の扉の前にやってきた。二度三度とノックするが返事はない。腕時計を見ると午前九時半過ぎ。まだ寝ているのか、それとも――。

 頭を振って嫌な想像を払い、藍は恐る恐る扉を開けた。居間と言っても、がらんとした部屋の中に、革張りのソファーとテーブルがあるだけの殺風景な空間だ。カーテンが開かれた窓から日の光が差し込み、室内はぼんやりと明るい。

 ソファーに腰掛けている守矢の背中を認め、藍は安堵した。逃げてはいなかった。

「おはようございます」

 声を掛けると、守矢はのっそりとした動作で振り返った。不機嫌そうにソファーに凭れるその姿は、昨日の汚れきったものから一変していた。

 伸びた髪は首の後ろで一つに束ねられ、髭も一応は剃られている。シャツとズボンも小綺麗なものを身に着けていた。

「とりあえず、食べ物を持ってきました」

 藍は手に提げていたビニール袋をテーブルに置いた。守矢がちらりと中を見ると、珈琲の缶と、何種類もの市販のパンが詰め込まれていた。呆れ果てたように肩を落とし、向かい側のソファーに腰を下ろした藍を眺めた。

「……改めて思ったが、変わった奴だな」

「え?」

「俺を利用しようとするのは分かるが、普通はここまでしないだろ。第一、俺は協力するとは、一言も言っていない。話を聞くだけだ、と言ったんだ」

「分かっています。宿を提供したのは単に、こちらで居所を用意しておいたほうが都合が良いからです。探査装置があるとはいえ、探すのは面倒ですから」

 守矢が室内を見回す。昨夜も簡単ではあるが一応調べている。だが監視カメラのような物は無かった。

 たとえこれが罠だったとしても、今更抵抗をする気は守矢には無い。しかし当然いい気分でもない。藍は守矢の態度に苦笑を浮かべた。

「それに……私と守矢さんのためでもあるんです」

「……どういう意味だ?」

「もしも昨日までのような暮らしをされていて、特災機関に発見されていたら、守矢さんは間違いなく残党狩りの標的にされます」

 恩を売られているような気がして、守矢は聞こえるように舌打ちした。ろくに選びもせずにパンを手に取り、乱暴に包装を破って食べ始めた。


「昨夜も言いましたが、守矢さんとの接触は私の独断、ということにしています。特災機関にばれたら、私は処分を受けることになります。人を隠すことが出来て、私が自由に出入り可能、そしてそれが不審に思われず、しかも早急に用意できる場所……となると、ここしかなかったんです」


 早急と言った通り、守矢がここに連れてこられたのは昨日の深夜だ。

 その時の藍の様子から、余程のことがあるのだろうと感じた守矢は、戦うかどうかは別として最後まで話を聞くことを了承した。それに感謝の言葉を述べた藍は、詳しくは明日お話ししますと言い、弓埜邸まで守矢を運んできたのだ。

 風呂の準備と着替えを用意すると、藍はたいした説明もせず、断ろうとする守矢を残して帰ってしまった。仕方なく守矢は風呂を済ませ、寝室代わりの居間で一夜を過ごし、現在に至るというわけだ。

「ついでに聞くが、これは誰の服だ?」

「父のものですよ」

 藍は当たり前のように答えた。予想していたことではあるが、守矢は思わず自分の体を見下ろした。確かに大柄な人物が着ていたらしく、標準よりも高身長の守矢でも微妙にサイズが合っていない。

「……良いのか?」

「気にしないでください。父は基本的に研究馬鹿で、私も同じようなものなんで、身の回りの物の扱いに特別な思いはないですから。……整理してしまうよりは、余程良いでしょう」

 そう答える藍は、懐かしいものを見るように目を細めた。どことなく暖かく、そして寂しい目。守矢は何と返して良いのか言葉に詰まり、少しの間、居間を静寂が包み込んだ。

「それで、昨日の続きは?」

 沈黙を嫌った守矢が、先に口を開いた。

「ああ、そうでしたね、すみません。……どこまでお話ししましたか?」

「『Peace Maker』再結成の可能性と、高機動戦闘員の戦線への再投入不能、それだけだ。教えてもらおうか」

「……ええ」

 頷きはしたものの、藍は何かを思案しているらしく、眉間に皺を寄せている。

 また泣きそうになるのかと、守矢は不安を感じ始めた。しかし藍の目には、涙は浮かんでおらず、真剣な光が宿っていた。

「戦えない、と言っていたが、どうしてだ? 死んだのか?」

「……亡くなった方も、います」

「なら生きている奴がいるんだろう? そいつらに命令して戦わせればいい。それが戦闘員ってもんだ」

 かつての自分の呼称を言った時、守矢の口の端が僅かに曲がった。

 どちらも自分が信じる組織に所属し、同じ戦闘員という名前を持っていても、守矢と高軌道戦闘員は、あらゆる点で違っていた。

 高機動戦闘員は平和を守る『正義の味方』という言葉を体現したような存在だった。

 俗にいう、ヒーローと呼ばれる者だ。

 もちろん守矢がそう思っていたわけではない。一年前の守矢は、次々と仲間を殺していく彼らに対して、憎しみと怒りを抱き、同時に羨んでもいた。その強さだけを、だ。彼らからすれば守矢達は、ただの雑魚でしかなかった。

 無敵を誇った彼らが、今どうしているのか。知りたいというのが正直な気持ちだ。

「昨日も言いましたが、それは不可能なんです」

「上層部が決定したとか言っていたな。ならもう一度掛け合ってみるんだな」

「いえ、それだけでは、ないんです」

 藍は静かに首を振った。

「どういう意味だ?」

「……説明するよりも、見てもらったほうが、納得してもらえると思います」

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