第3話

「どうぞ」

 自販機から戻ってきた藍の手には、汁粉の缶が二つ握られていた。差し出された一本を無言で受け取り、手の中で転がす。何でもいいと言った手前、文句は言えなかった。

 早速蓋を開けて口をつけた藍は、守矢の様子に気づいて助手席を見た。

「冷めますよ?」

「……話が先だ」

 目を合わせないように言うと、藍は少し顔を引き締めて頷いた。

 藍の愛車の中だった。丸みを帯びた、グレーの車体。飾り気は何も無く、後部座席に四角いクッションがあるだけだった。

 汁粉の甘い匂いと、守矢の臭いが混ざって、車内には不快な空気が漂い始めていた。藍が窓を開けずに堪えているのは、礼儀のつもりだろうか。

 数分前、守矢の素性をあっさりと言ってのけた藍は、近くの駐車場に停めていた自車へと彼を案内した。道中、前を行く藍は無防備に背中を見せていた。何の力も無さそうで、逃げるにしても殺すにしても、守矢にとっては容易く出来ただろう。

 しかしそんな気は起こらなかった。あの時、元敵組織の戦闘員であると知りながら、守矢を真っ直ぐ見据えた藍の目に、何かの力を感じたからかもしれない。


「お名前を、お聞きしても?」

「守矢九朗。……知ってるんじゃないのか」

「名前までは。……改めまして、特異災害対策機関に所属しています、弓埜藍です」


 よろしく、と言って左手が出される。しかし守矢はそれを無視した。

『特異災害対策機関』――一年前、守矢が属していた秘密結社『Peace Maker』を壊滅させた政府直属の特務組織の名称だ。戦闘部隊員から科学者まで、あらゆる機関から集められたエキスパートで構成されており、通常の公的機関では対処できない超常的な案件を扱っている。

 噂では、母体となる組織がキマイラ出現前から存在していたという話だが、真偽の程は明らかではない。

 少しの間、困ったように制止していた藍の手が、遠慮がちに戻された。

「まずは、何もせずに話を聞いてくれることにお礼を言います」

「……俺はもう、ただの負け犬だ。今更あんた一人に、何かするつもりは無い」

 面倒臭そうに言うと、守矢は気になっていたことを尋ねた。

「どうして俺のことを知ってる?」

「これです」

 そう言って藍は、スーツの内ポケットからスマホのような機械を取り出した。

 指先の操作で画面を開くと、そこには待ち受け画像ではなく精密な地図が映し出された。さらなる操作で縮尺が変わる。やがて中央に赤い点が現れた。

 それが今自分のいる駐車場であり、赤い点が自分だと気づいた守矢は、怪訝そうに目を細めて藍を見た。

「これは、改造体の探査装置です」

「探査? どうやって?」

「これ自体は、単に信号の受信機です。『Peace Maker』の改造体に使われている機械は、特別な信号を発しています。これはその信号を受信、解析して、正確な位置を――」

「信号? そんなもの、聞いたことがないぞ」

「構成員管理のため、組織が行っていたことでしょう。裏切り者が出て、脱走などがあった場合、すぐ発見できるように」

「……どうして特災機関がそれを知ってるんだ」

「父が教えてくれましたから」

「……博士が裏切っていた、ということか?」

「父は……弓埜仙治は、あなた達に拉致されたんですよ? 裏切りと言えますか?」

 静かだが責めるような声に、守矢は言葉に詰まった。

 確かに『Peace Maker』は、各地から多くの科学者や研究者を拉致していた。拉致された科学者の中の一人が、弓埜仙治だった。彼ら中には、研究さえできれば目的はどうでもいいと、嬉々として協力する人間もいたが、やはり何らかの理由で強制的に働かされていた者の方が多かった。

「キマイラも戦闘員も、死亡した場合は、機密保持のために体内の機械ごと、その肉体が消滅してサンプルが殆ど手に入りませんでした。ですが、『Peace Maker』の壊滅直前、私のもとにこの信号の送信装置が届きました。短い手紙と一緒に」

 ということは、本当の裏切り者がいた、ということだろうか。

 拉致してきた科学者には、厳しい監視が付く。個人的な外部との接触は、一切許されていなかった。装置を娘のもとに送るなど、内部の協力者がいなければ不可能な話だ。組織内に特災機関のスパイが潜入していたのかもしれない。

「『Peace Maker』の敗北を悟り、後に残党狩りが行われることを見越したんでしょう」

「……自分が死ぬことも、予想していたわけか」

 守矢の呟きに、藍は小さく頷いた。

 命が助かると思っていれば、娘に託したりはしないだろう。運が良ければ基地が崩壊する前に、特災機関の仲間に助け出されているはずだ。

「……で、それを使って俺を見つけた」

「はい」

「それで、協力ってのは? 生き残りは死んでくれ、ということか?」

「違いますよ」

 藍は装置をポケットに戻し、残っていた汁粉を飲み干した。ボトル立てに缶を差し込んだ藍は、決意を秘めたあの強い目で守矢を見つめ、言った。


「――守矢さん。私達と一緒に、戦ってください」


 予想もしていなかった申し出に、守矢は唖然となった。瞬きすら忘れて、こちらを見る藍の顔を見つめ返す。ポカンと開いたままの口からは、一言の声も出なかった。

 どれほど見合っていたのか、やがて守矢の口から、短い息が吐かれた。あまりに馬鹿馬鹿しい頼みに、呆れを通り越して乾ききった失笑が漏れたのだ。

「どんな話かと思えば……。寝言は寝て言え」

「ふざけないでください。私は」

「お前こそ、ふざけるな」

 不意に守矢の声が変わった。

 殺意すらこもった眼差しを向けられ、怯んだ藍の首へ守矢の腕が伸びた。

 瞬き一つの間に、守矢は藍の喉を掴んでいた。苦しげな喘ぎを上げて、見る間に藍の顔が赤くなる。引き剥がしたいのか、守矢の手を掴んでくるが、苦しみが勝って力が入っていない。

「昔の仲間を殺せと言われて、簡単に従うとでも思ったのか? 無様に生き残った屑みたいな奴をからかって、そんなに面白いか?」

 藍の体が奇妙に揺れる。否定の動作がしたいのだろうが、喉を掴まれているため、体全体が動いてしまったらしい。

「それが正義の味方の考え方か……。はっ! 何が正義だ。聞いて呆れる」

「――ち、がぅ……!」

 喘ぎ続けている藍の口から、掠れ声が漏れた。締め上げられながらも、藍の目は守矢から外れていない。必死に訴えかけてくる目に、守矢は軽く舌打ちすると、藍の首を掴んでいた手を放した。自由になった藍は、体を折り曲げ、何度も派手に咳き込んだ。

 守矢は自分の手を忌々しげに睨むと、コートのポケットに突っ込んだ。

 最初に言った通り、本当なら手を出すつもりなど無かったのだ。戦う力の無い相手を手にかけることを、一年前から守矢は自分に禁じていた。

 藍はシートに背を預けて荒い呼吸を繰り返していたが、やがて薄く目を開けて、恨みがましい視線を守矢へと投げつけた。

「……違います」

「何がだ」

「今回の依頼は、特災機関の命令ではありません。私の判断で、勝手に行ったことです」

 守矢が訝しげに目を細める。藍は息を整えてから口を開いた。

「ご存じではないでしょうが、半年前から、『Peace Maker』の残党による犯罪が、増加しているんです」

「――何?」

「混乱を招かないよう、表向きは報道を規制しています。……しかし、誘拐、殺人、建造物破壊など、規模は様々ですが増加傾向にあるんです。一年前から現在まで、各地で起こった様々な事件を我々が徹底的に調べた結果、かつての守矢さんの仲間が関わっている犯罪が、半年前から増え始めていることが判明しました」

 話を聞いている守矢の顔に、力が入っていく。

 先ほど腹の底に沈んだばかりの怒りの感情が、再び沸々と湧き上がってくる。

「以前からあった可能性ですが、協議の結果、我々はその可能性が現実になったのかもしれないと考えました。つまり――『Peace Maker』の再結成」

「……それは無い」

 一瞬の間を置いて、妄言だとでも言うように、守矢は鼻で笑い飛ばした。しかし藍は真面目な顔を崩さずに、静かに首を振った。

「昨日、我々が管理している研究施設が、数体のキマイラに襲撃されました。職員は全員死亡。施設に保管されていた数少ない『Peace Maker』の技術サンプル等は、全て奪われました」

「単なる復讐だろう」

「それに、再び各地で科学者や研究者の行方不明事件が起きています。連続で六件」

「それは……」

 ただの誘拐事件。そう切って捨てることは出来なかった。

 こういくつもの条件が重なると、嫌でも組織の再結成という言葉が浮かんでしまう。しかし守矢の心情としては、到底認められることではなかった。

「違う。……絶対に、違う」

「何故そう言いきれるんですか」

「あの御方は……首領は死んだ。お前らに殺された。導く者がいなくて、どうやって結束できる」

「新しい首領が選ばれた、ということでは?」

「それこそ馬鹿馬鹿しい話だ。あの方以外に、俺達を率いる力を持てる奴はいない」

 投げやりな言い方だったが、その声にはどことなく誇らしげな響きがあった。

「で? それが俺とどう繋がる? 見ての通り、俺はこんな様だ。仮に新たな組織が結成されたとしても、声をかけられるはずが無い。俺自身、参加するつもりも無い」

「分かっています。暫く前からのあなたの行動を、調べてもらっていました」

「……どうやって」

「特災機関には、諜報専門の部署もあります」

「お前の独断じゃなかったのか」

「守矢さんに声をかけることに関しては、です。それ以外のことについては、機関内に協力者が数人います。この行動が露見した場合、全責任は私が負う、という約束ですが」

 そう言って藍は笑みを見せた。やや苦笑気味で、口の端を微かに上げる程度ではあるが、彼女が初めて見せる笑顔だった。

 呆れたように鼻を鳴らし、守矢は視線を藍から外した。すぐに笑みを消し、最初からの真剣な表情に戻る藍。

「再結成がなされた、となると一つ問題があります。現在特災機関で動けるのが、一般の隊員だけで構成された、戦闘部隊だけだということです」

「ならお前らの切り札を出せばいい。高機動戦闘員。あいつらの出番だろう」

 その言葉に、しかし藍からの返答は無かった。

 暫く無言の時間が続く。不思議に思った守矢は、窓の外に向けていた顔を車内に戻し、驚いて目を見開いた。

 俯いた藍の目に、光るものが見える。

 流れそうになった涙を袖口で拭き、藍は顔を上げた。

「……高機動戦闘員として戦った方々は、一年前の組織壊滅と共に、任務を終了しました」

「……ならもう一度、任務に就かせればいい」

「それは無理です。上層部が、高機動戦闘員の再投入はしないと、決定しました」

 頑なに首を振る藍に、守矢は妙な違和感を覚えた。

 自分から組織の再結成と、戦力の不利という話を出しておきながら、特災機関の切り札である高機動戦闘員に関しては、先程から否定ばかりしている。

「呼び戻すことぐらいできるだろう。あいつらは今、何をしてる?」

「……任務を終えていますので、呼び戻すことは出来ません」

「だから、どうして」

「もう彼らは戦いません。……いえ」

 藍は今にも泣き出しそうに顔を歪ませて、言った。


「……もう、戦えないんです」

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