第2話

 ローター音が近くなり、瀬尾正毅(せおまさき)は顔を上げた。

 空からの報告では、敵は瀬尾が想定していた逃走ルートに戻ったらしい。こちらが封鎖した場所に向かっている。そうなるように部隊の配置を急遽変えて、動かしたのだが。

 各班の隊長へと無線を繋ぎ、問題が無いことを確認する。元々は、目標が通過した地点の班が背後から追い込み。瀬尾が率いる班と連携、包囲して排除するのが目的だった。

 目標の予想外の移動に一度は失敗するかと思われたが、何とか遂行できそうだ。

 十人一組の班を、七組。瀬尾の直属班を入れて、八十人。本部の戦闘部隊は全て動員している。一対八十とは大袈裟に思えるが、万が一にも逃げられてはならないのだ。

 逃亡中の標的が起こした、町中での破壊活動が、少し気がかりだった。かなりの被害者が出ており、現在救助活動が行われている。

 明日からの、特災機関に対する世間の風当たりを考えて、瀬尾はやや憂鬱になった。

 キマイラとの戦いにおける、周囲への被害について、ここ最近何かと世論がうるさくなっている。一年前に比べ、キマイラ絡みの特異災害が減少していることが原因だ。最悪、謝罪会見を求められるかもしれない。だが対応するのは別の部署の仕事だと思い直すことにした。

 瀬尾は改めて周囲を見回した。

 現在は使われなくなった工場群と、事務所として使われていたのであろう建物。

 どの建造物も随分と荒れ果てている。この場所自体、再開発の場所に指定されていた。猫の子はいるかもしれないが、人の姿はない。戦闘を行う場所として文句は無い。化物との戦いをする場所、という意味でも似合いの場所だった。

 瀬尾は緊張を追い払うように、鋭く息を吐いた。手の中にある武器に目を落とす。

 特災機関の技術開発部が作り上げた、対キマイラ用ライフル――『オルカ』。

 銃身は白と黒。やや丸みを帯びた銃身は、その見た目程重くはない。弾丸は貫通弾と炸裂弾の二種。射程や総弾数などは、軍用の物より強化されている。

 だが最大の特徴は、銃身内部に搭載されている『メロン』と呼ばれる装置にあった。

 内部の機構により超音波を発生させ、増幅、収束させながら対象物へと伝播させるという装置だ。収束した音波により対象物の分子が振動、それにより原子核の周囲にある電子が加速する。物が動くと運動エネルギー、即ち熱が発生する。そして対象の物質によっては発生した高熱で、その部位を溶解させることも出来る。

 ようは、超音波振動により対象物の強度を低下させ、こちらの攻撃が通じるようにする装置だ。実際今までの戦闘では、それなりの効果を上げている。

 唯一気に入らないのが、気の抜けた名前だ。しかし開発者曰く、これはシャチやイルカが実際に持つ体内機構の名前らしい。しかし未だに多少の抵抗はある。


『キマイラ接近を確認』


 緊迫した無線の声が聞こえ、瀬尾は思考を現在に切り替え武器を持ち直した。

「各班、迎撃態勢に入れ」

 全部隊に指示を出す。


『キマイラ』――一年前に壊滅させた、犯罪組織『Peace Maker』が生み出した、異形の姿と能力を有する人間のことを、特災機関はそう呼んでいた。

 特災機関に所属する研究員や科学者が調べ続けているが、その製造方法は未だに不明。しかし以前、運良く採取されたキマイラの細胞組織を調べた結果、それが間違いなく人間の物であるという報告結果が提出された。

 それを聞いた時、瀬尾は研究員の頭がどうかしたのかと、本気で心配したものだ。繰り返し行われた研究でも、その結果は変わらなかった。そして生まれたのが、キマイラ、つまり合成獣という呼び名だった。

 一般市民には、キマイラが人間であるとは公表されていない。様々な方面の研究機関の力を借りても、その正体は不明という嘘の結果を流し続けている。もしも事実を公表すれば、隣人や家族が化物になるかもしれないという疑心暗鬼が蔓延し、大混乱になる可能性がある。


 瀬尾は顔を上げ、周囲にいる部下を見た。皆完全防備をした上で、同じ武器を構えている。ヘルメットの中にある表情は見えないが、緊張していることは分かっている。自分ですら緊張するのだ。気楽にいけとは、とても言えない。ただ、皆覚悟はあるはずだ。

『目標視認。距離、二〇〇』

 最前列の班からの報告が入り、瀬尾は他の班に指示を出した。展開している班の、敵を中心とした陣形を狭めていく。

 前方で爆発が起き、同時にこちらからの攻撃も始まった。

 連続する発砲音。標的が逃れようとした方向から、その退路を塞ぐように銃撃が浴びせられている。

 無論、敵も無抵抗ではなく、幾度となく爆炎が上がった。まともに爆発を喰らった何人かの隊員が吹き飛ばされ、仲間の頭上を越えていくのが、遠くに見えた。

 怒りがこみ上げてくるが、全てに動揺してはいられない。瀬尾は口元を歪めて、怒鳴りそうになる声を抑え、無線を入れた。

「正面からぶつかろうとするな。第四班、第五班、側面に回り込め」

 無線からの返事を待たず、瀬尾は合図を出した。

 半円に広がりながら、武器を構えて前へ出る。炎を纏って暴れ回るキマイラの姿が、瀬尾の目にもはっきりと見えた。

 受け取っていた報告よりも、姿が変わっていた。異様に長い、昆虫のような節足が、甲殻の表面や体から幾本も生えている。鞭のように動き、離れた位置の隊員にも攻撃が届いている。

 通常弾ならば受け付けないであろう甲殻にも、超音波振動の効果は出ていた。易々とではないが、貫いている。常人ならば何度死んでいるか分からないほど被弾し、なおも抵抗を続けている。

 あれが人間だと言う研究員は、やはり狂っているとしか思えなかった。

 腕の先から放たれた炎の塊が、隊員が潜んでいる場所へと飛んだ。轟音と共に楯代わりにしていたビルの壁面が爆砕し、中にいた隊員ごと吹き飛ぶ。辛うじて難を逃れた隊員は、倒れている仲間を無視して走った。それでいい。倒すことが先決だ。

 キマイラの後方に位置していた、第六班と七班が、攻撃を開始する。敵の動きが止まった。足を撃ち抜かれたのか、一度地面に片膝をつき、しかしすぐに立ち上がった。

「第一、第二、第三班、退路を塞げ。包囲を縮小」

 好機と見た瀬尾が指示を出す。攻撃の手がさらに激しくなった。

 やがてキマイラが発する炎の規模が弱くなった。右腕は既に根元から千切れている。節足も何本かが消えていた。血とは思えない、どろりとした体液が流れている。牙が剥き出しにされた口は、喘ぐように荒い呼吸を繰り返していた。

 誰が見ても死に体だ。それでも、まだ立っていた。

 しかし流石にそろそろ終わりかと思った直後、一際激しい炎がキマイラの体を包んだ。

 激しい爆発が起こり、周囲が昼間のように明るく照らされる。炎の塊となった巨体が一瞬縮み、打ち上げ花火のように跳ね上がる。

「来ます!」

 言われるまでもなく、瀬尾と部下は既に武器を構えていた。ビルの三階近くまで跳び上がった敵が、こちらにむかって飛んでくる。まるで隕石。

 瀬尾は冷静に武器を構え、トリガーを引いた。他の隊員の銃口も一斉に火を噴く。

 それまで受けた攻撃で脆くなった敵の体に、銃弾が降り注いだ。

 甲殻に守られた肉体が弾雨によって削れ、千切れ飛び、貫かれ、見る間に破壊されていく。瀬尾を見据える怒りと憎しみに燃える眼が、距離を縮めてくる。不思議と、スローモーションのように、はっきりと見えていた。

 誰かの放った銃弾が、二発、三発と、キマイラの頭を貫いた。瀬尾のライフルから発射された弾丸が、キマイラの口腔を撃ち抜く。続けざまに、五発。頭が仰け反った。

「下がれ!」

 怒鳴るように言い、瀬尾は銃撃を止めて後方に走った。班の中央に空間ができ、空中で体勢を崩したキマイラがそこに落下する。細かな炎と肉片が、衝撃で周囲に飛び散った。

 震えながら立ち上がろうとする相手に、銃口が向けられる。瀬尾はそれを制して、距離を取るように合図した。

 全員が武器を構えたまま後退した。弱々しく蠢くキマイラだけが、取り残された。誰も何も喋らない。

 何かに縋るように、まだ動く片手を頭上へと伸ばし、キマイラが口を開いた。どこか悲しい響きを持った声が上がる。まだ戦えるという雄叫びなのか、断末魔の叫びだったのか。

 声が消えると同時に、キマイラの胸が内側から小さな爆発を起こした。まだ纏っていた炎が勢いを増し、体全体を飲み込んでいく。炎の中で、伸ばされた手が溶け、その肉が天を仰いだ顔に落ちる。体を支えていた節足も燃え落ち、体全体が地に倒れた。

 顔が、体が、燃えながら溶ける。崩れ落ち、さらに燃える。異形ではあるが、生物としてあった形が失われていく。

 やがて炎が完全に消えた後、残されたのは煙を上げ続ける大量の灰だけだった。

 夜風に吹かれて散っていく煙と灰を見ながら、瀬尾は銃の安全装置を入れた。


「目標の破壊、成功。作戦終了」


 無線で伝えると、封鎖空間に漲っていた緊張が解けていくのが分かった。

 各班から被害の報告が来た。死者が四人。まともに火炎を喰らったらしく、焼け死んでいる。怪我人は重軽傷合わせて二十人。暫く復帰できない者もいる。多い、と思った。

「……まだまだ、か」

「何か?」

 耳ざとく聞きつけた隊員の一人が、顔を向けてきた。

「何でもない。それより、撤収作業を急げ」

「了解」

 敬礼して走っていく隊員の背を見て、瀬尾はヘルメットの中で苦笑いを浮かべた。

 結果を招いた自分の手際を悔やむべきだった。今はいない者達のことを考えても、仕方がない。『あいつら』の代わりに自分達がやるしかないのだから。

 先に移動用車両に乗り込んだ瀬尾は、ヘルメットを外して肩の力を抜いた。切れ長の眼をした、意外に涼しげな顔が現れた。力を抜いた表情にも鋭さは残っている。短く刈った髪には白いものが混じっているが、歳はまだ四十。しかし体力は二十代と言われていた。

 備えられた長椅子に、脱いだヘルメットを置き、専用のラックに武器を戻した。

「隊長」

 少し休んでから車を出ると、背後から呼びかけられた。振り返ると、高千帆蒼太(たかちほそうた)が立っていた。一つの班の指揮を任せた、二十五歳の若者だ。

 本来なら清々しい雰囲気を持った青年なのだが、今は重く沈んだ眼をしていた。

「どうした?」

「申し訳ありません」

 高千帆はそう言ってうな垂れた。言われて思い出す。確か最初の迎撃班は、高千帆の指揮だった。死者のうち二人は彼の班員だ。

「被害が出るのは当たり前だと、最初に言ったはずだ。今更悔やむな。死んだ部下が生き返るわけじゃない」

「それもありますが……こちらで倒せませんでした。隊長達まで危険な目に」

「馬鹿か、お前は」

「は?」

 意味を問うように高千帆が眉を動かした。瀬尾は一歩詰め寄った。瀬尾は百八十三で、高千帆は百八十。あまり差はないが、威圧感は圧倒的に瀬尾の勝ちだ。

「命懸けの戦いが安全だとでも思っていたのか? 戦闘が危険なのは当然だろうが。謝るということは、お前にその認識が無かったということだ。……お前を班長にしたのは間違いだったかもしれんな」

 高千帆は反論せずに俯いた。

「今我々が行っているのは、残党狩りだ。一年前の戦いに比べれば、戦闘訓練並みの楽な作戦だろう。だがな、それでも死の危険はある。今まで死者が出なかったことの方が、運が良かったんだ」

「……はい」

「戦いで緊張するのは当たり前だ。死を怖れるのもいい。仲間の死を悲しむのも構わん。しかし戦うからには、覚悟を持て」

「はい」

 高千帆が顔を上げた。瀬尾は、少し目を赤くした高千穂の顔を張った。高い音がして、驚いた隊員達がこちらを見てくる。しかし瀬尾が目を向けると、すぐに作業に戻った。

「行け」

「隊長」

「まだ何かあるのか?」

 わざと苛立ったように言うと、高千帆は意を決したように口を開いた。


「自分が、高機動戦闘員になることはできませんか」


 突然の言葉に、瀬尾は目を見張った。

「お前」

「これ以上、仲間を死なせたくはありません」

「だったら訓練をしろ。今まで以上に」

「それはします。しかし高機動戦闘員になることができれば、身に着けた実力以上に強くなれるはずです。そうすれば」

「高千帆」

 次第に熱を帯びていた高千帆の言葉は、瀬尾の一言で遮られた。誰が聞いても分かるほどの怒りがこめられた声だった。

「ヒーローに憧れるのはお前の勝手だが、あれはヒーローではない」

「分かっています。しかし」

「俺は覚悟をしろと言ったんだぞ」

「だからです。高機動戦闘員は最前線で戦い、一般の隊員よりも大きな危険に晒されます。覚悟がなければ言っていません」

「いくら言っても無駄だ。もう新たな高機動戦闘員は必要ない。一年前ならともかく、今の残党狩りならば、我々の部隊だけで遂行できる任務だ。訓練をもっと実戦に近く、厳しいものにして、作戦シミュレーションを綿密にすればこちらの被害も少なくなる」

 瀬尾は高千帆に背を向けた。車に乗り込もうとした背中に、高千帆の悔しげな声が投げつけられた。

「っ……ならばせめて、あの人達を指導員として呼ぶことはできないのですか? 一体、今何をしてるんですか? 何故戦おうとしないんです?」

 瀬尾が肩越しに高千帆を見る。

 その目が泣いているように見えて、高千帆が小さく息を呑んだ。


「高千帆。俺達もあいつらも、確かに戦うことが仕事だ。しかしそれが人生じゃない。あいつらの戦いは一年前に終わったんだ」


 それだけ言い、瀬尾は車のドアを閉じた。

 暫く目の前のドアを眺めていた高千帆は、悔しそうに地面を蹴ると、作業を続ける仲間の方へと戻っていった。

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