Peace Keeper ー死にぞこないの戦闘員ー

マチ

第1話

 正義の味方が守った今のこの世界は、果たして平和なのか。

 生気の失せた目で駅前の雑踏を眺めながら、守矢九朗(もりやくろう)は思った。

 駅の切符売り場へ続く階段に座り込んでいるため、駅利用者達は守矢を避けながら、側を通り過ぎていく。ジーンズもシャツも靴も、擦り切れや破れが目立ち、土や砂で汚れている。羽織るコートもどこかのゴミ捨て場で拾った物のように、他の衣服と同様か、それ以上の酷さだった。

 どこから見てもホームレスとしか思えない守矢に向けられるのは、汚い物を見るような眼。中には露骨に迷惑そうな視線を送ってくる者もいる。しかし伸び放題の髪や髭に隠された顔が、意外にも若く、そして整っていることには誰も気づかなかった。

 一月の寒風が守矢のコートの裾を揺らした。道行く人々は身震いし、首を縮めて襟を掻き合わせる。しかし守矢は、寒そうな素振り一つ見せなかった。

 守矢はビルの壁面に設置された、巨大なモニターを見上げた。

 どこかの事故現場が映し出されている。何かの研究所が火災の後に崩落したらしい。半ば以上が瓦礫となったビルの映像を眺めていた守矢の脳裏には、過去の一場面が蘇っていた。

 崩壊が目前に迫った基地。壁や天井には、至る処に深い亀裂が走り、内部の機構が露出して火花を散らしている箇所もある。どこに目を向けても、死体が目に入った。揃いの灰色の服を着た、かつて人だった物体。それらの中には到底人間とは思えない、異形の怪物に変化したまま息絶えている者もいた。生命活動を停止した彼らは、その体内に搭載された機械の機能により、もうすぐ消滅する。


 あの御方と共に、全てが消える。


 無意識のうちに、拳を握りしめていた。無表情に自分の手を見下ろし、力を抜く。俯いた口の端が嘲るように、わずかに持ち上がった。他の誰でもない、自分に向けられた嘲笑だった。最後の最後に逃げた、自分に対する嘲り。

 あれから一年が経った今、自分に何かができるわけでもない。後悔はもはや遅すぎた。

 だが守矢としては、一年前に死んだ仲間たちが羨ましかった。あの御方の力を抱いたまま、共に死ぬことが出来たのだから。

 もちろん生き残ったのは守矢だけではない。同じように逃げて、生き残った者もいる。時折ゴミ箱で手に入る新聞や、今目の前にある街頭モニターで流れる報道番組では、かつての仲間が、各地で勝手な活動――悪事ばかりだが――をしていることを伝えている。


『――今回の、キマイラとの戦闘による被害を受け、市民の間からは、特異災害対策機関の活動を非難する声も上がっています』


 いつの間にか、報道内容が変わっていた。

 数日前に行われた政府機関の活動で、無関係の市民にまで被害が及んでしまったことが取り上げられている。コメンテーターとして司会者の隣に座る中年男が、自分の意見を全体の意見だと言わんばかりに、得意げに喋っていた。

 かつての仇敵の名に、しかし守矢は僅かに肩を震わせただけだった。戦いから一年。悪者だった守矢にはもう戦う理由が無いのに、正義の味方にはあるらしい。一体、連中はいつまで戦うのだろう。

 その時、視線を感じた。

 僅かに顔を上げ、周囲を見回す。斜め向かいの広い横断歩道の先に、視線の主がいた。

 ごく普通のパンツスーツに身を包んだ、小柄な女だった。成人してはいるのだろうが、ハーフコートが長く思えるほど背が低い。

 そんな女が、何かを決意したような眼で、真っ直ぐに守矢を見据えていた。

 女の顔に見覚えは無い。しかしこちらを見る瞳に宿る強い意志の光には、何故か懐かしさを覚えた。

 歩行者信号が青になり、女が歩き出した。他の通行人と変わらぬ早さで、しかし間違いなく守矢を目指して歩いてくる。

 守矢は口の中で小さく舌打ちして立ち上がった。意外な長身と逞しい体躯に、側を通った中年男性が怯えたように身を引く。それを無視して、守矢は踵を返した。こちらへ来る女が何を目的としているか知らないが、わざわざ待ってやる理由など無い。

 目の前には、頭上を走る線路に沿って、広い歩道が左右に伸びている。左に進めば道は広くなり、繁華街やオフィス街へと繋がっている。しかし右は高架脇の狭い道が、次の駅まで続いているだけだ。そちらへ行く人も少ない。

 守矢は迷わず右を選んだ。人さえいなくなれば、力を抑えず一気に逃げても、目立つことはないだろう。

 人の流れは殆どが街方向か、あるいは駅へと流れている。しかし、まだいなくなったわけではない。そのためなかなか大きな動きが出来ない。一方で、背後から駆けてくる軽い足音が、次第に近くなってきた。

「待って――」

 やがて制止を求める女の声が聞こえた。

 と同時に、守矢の背筋に悪寒が走った。

 咄嗟に振り向くと、すぐ背後まで来ていた女と目が合う。

「えっ!?」

 驚きで目を丸くしている女の頭を、抑えるようにして抱え込んだ時だった。

 体を貫くほどの凄まじい爆発音が、周囲に満ちていた全て音をかき消した。同時に襲ってくる熱と突風。女ごと押し飛ばされそうになる体をどうにか持ちこたえて、きつく閉じていた目を開く。顔を上げると、先ほどまでいた駅前に濛々と立ち込める煙が見え、人々の混乱と喧噪が伝わってきた。

 腕の中で女が呻き、守矢はハッと手を離した。女が驚いたように守矢を見上げる。

「あ……ありがとう、ございます」

 それには答えず、来た道を走って戻り――守矢は言葉を失った。

 つい先程、女が渡ってきた交差点が、消えていた。

 アスファルトの路面がクレーターのように抉れている。そこを中心として、周囲には異様な熱気が漂っていた。

 爆風で吹き飛ばされたのか、人々があちこちに転がっている。血に塗れて全く動かない者もいれば、怪我を負った箇所を抑えて悲鳴を上げている者もいた。辛うじて怪我を免れた者も耳や目をやられたらしく、あちこちから苦し気な声が聞こえてくる。

 車道では爆発に巻き込まれたらしい何台もの自動車が横転、あるいは完全に裏返っていた。燃えている車体も少なくはない。このまま放っておけば、ガソリンに引火して爆発する危険もある。

「……酷い」

 背後から聞こえた声に、守矢は肩越しにちらと振り返った。追いかけてきた女が、顔色を失って立ちつくしていた。しかし目の前の惨状から、視線を外そうとはしていない。外せないのかもしれないが。

 二十歳前後だろう。化粧気は薄く、まだ少し幼さが残っているが、それなりに整った顔立ちだった。背の中程まである黒髪を、首の後ろで束ねている。

「あ……先程は、ありがとうございます」

 守矢の視線に気づいて女が頭を下げた。

 しかし守矢は返答せずに、再び爆発現場に目を向けた。風が粉塵と煙を次第に吹き散らしていく。守矢は瞬きすら忘れて、その奥を見つめた。

 突然、残っていた粉塵を裂いて、人の形をした影が飛び出した。高々と宙を舞い、亀裂の走る路面へと降り立つ。影が手を振ると、まとわりついていた煙が切り裂かれ、その姿が露わになった。

 異様に発達し、不気味に捻れた筋肉を持つ、二メートル近くはある巨体。赤黒い甲殻のような物で不規則に護られている。かつては服だったらしいボロ布が、申し訳程度に絡まっていた。その隙間から覗く肌は、剥き出しの肉のような生々しい赤をしている。

 周囲を見回す頭部には、針鼠のような毛髪が生えている。牙の生えた口元と、見開かれた両目からは敵意しか感じられない。しかしその目は間違いなく人間の目をしていた。

 化物の目がぎょろりと動いた。それが余計に不気味さを増大させる。威嚇のためか、化物は周囲を見回し、顔を歪めた。

 しかし守矢には、それが苦しんでいるように見えた。

 化物の周囲は、陽炎のように揺らめいている。体全体から相当量の熱を放出しているのだろう。

 突然の爆発と化物の出現。現場が混乱に陥るのに、時間はかからなかった。狂ったように逃げ出す人々の間から、恐怖に染まった悲鳴が上がる。

 しかし守矢は、目の前の化物が『人間』だということを知っていた。

 誘われるような足取りで、守矢が一歩を踏み出そうとした時、化物が動いた。

 首を巡らせて、横転していた車の一台に目を止める。化物の周囲が、さらに揺らめいた。左腕に炎が宿る。

(何を――っ!?)

 次の瞬間、化物がだらりと下げていた左腕を大きく振るった。竜巻のように激しく渦を巻きながら、大量の火炎が放たれる。

 砕けた窓から這い出ようとしていた運転手が悲鳴を上げたが、その声もろとも火炎に呑み込まれる。間を置かず、車が爆発した。悲鳴と混乱はさらに大きくなった。

 守矢の中に、怒りがこみ上げてきた。握りしめた拳が震え、顔が歪む。

 その時、上空から不規則に交わる、ヘリのローター音が聞こえてきた。見れば二機分のライトが近付いてくる。


『こちらは特災機関です! 市民は避難してください!』


 ヘリに搭載されている拡声器から、怒鳴るような避難勧告が響き渡った。

 化物は頭上を見上げて、唸り声を上げた。次の瞬間、その巨体が大きく跳んでいた。少し離れた位置にあった、乗り捨てられた乗用車の上に着地する。嫌な音と共に煙を上げ、瞬く間に溶け始める車体の屋根。続けざまに跳んだ。その反動で、屋根が破壊される音が響いた。

 非常識な跳躍力と早さで、異形の姿はあっという間に小さくなっていった。化物を追跡して、ヘリも飛び去っていく。

 守矢はその後を追おうと、ガードレールを飛び越えようとした。しかし横から素早く伸びてきた腕が、袖越しに腕を掴んでいた。射殺してしまいそうな視線を女に向ける。

「放せ」

「待ってください。今は下手に動かない方が」

 女の言葉に、守矢は眉根を寄せた。そんな守矢の手を引っ張り、女は強引に歩き出した。どことなく逃げるような歩き方で、事件現場とは反対の方向へとどんどん進んでいく。殆どの人が駅の方へと逃げる中、上手く人波をかき分けて、路地の方へと進んでいく。

「現在、特災機関の部隊が周辺で動いています。今の『人』は彼らに任せてください。かなり変貌が進んでいますが、一体だけなら大丈夫だと思います」

「っ……お前、誰だ?」

 この女は怪物の正体を知っている。一般市民には正体不明とされている、異形の化物の正体を。そして特異災害対策機関の作戦行動も。

 それが分かると同時に、守矢は掴まれていた腕を振りほどいていた。警戒心を剥き出しにして後退りする。振り向いた女と、真正面から視線がぶつかった。


「……申し遅れました。私、弓埜藍(ゆみのらん)と申します」

「ユミノ、ラン……? 弓埜……?」


 少し考えるようにしていた守矢は、記憶の中にあるその名前に思い当たり、ハッと顔を上げた。口に出していない答えを肯定するように、藍が頷く。

「まさか、弓埜博士の……?」

「弓埜仙治(ゆみのせんじ)は、私の父です」

 藍の口から改めて正解を言われ、守矢は今度こそ唖然となった。思わず頭から爪先までを眺めていた。

 記憶の隅に追いやって久しい、弓埜仙治の姿を引っ張り出す。白衣を着た五十過ぎの男の顔が浮かんだ。感情を殺したような、しかし強い意志を秘めた眼差しで、こちらを睨んでいる。

 守矢は警戒を緩めず、探るように眼を細めた。たとえ本物の娘であっても、今の自分とは何の関わり合いも無い。接触してくる理由が分からなかった。


「何の用だ?」

「私に協力してください」

「協力だと……? お前、俺が誰だか分かってるのか?」


 藍は強い思いを秘めた眼で守矢を見上げ、そして言った。


「秘密結社『Peace Maker』の、元戦闘員。……違いますか?」

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