第26話 水原爽④ -Multiple Playback-



 この学校には、情報処理室が四教室あるが、実は知られざる旧情報処理室が存在することを、知る生徒は――そして教師も少ない。

 旧校舎の部室棟の一角にある物置の横。不自然に置かれた自動販売機。


 俺は躊躇いもなく、ホットココアのボタンに指を触れる。

 がこん。


 まるで、缶が落ちたかのような音。

 自販機の光が明滅する。当たりが当たって、もう一本と言わんばかりに。光がぐるんぐるん、せわしなく駆け回る。




 ――Genome authentication completed.(ゲノム認証完了)

 ――Exact match(完全一致)




 その瞬間、旧情報処理室の戸が開く。雑念と積み上げらた教材、教科書、それから体育祭で使用すると思われる、玉入れやら三角コーンらが無造作に積み上げられて。


 と、それもかき分けてるように、壁が開く。

 そして、床が動く。

 俺は、いつものことだからと。特に慌てることなく、その流れに身を任せた。


 ――シャッ。

 背後で、戸がしまる音も、もう慣れた。目の前に広がる、サーバーPCを見やり。あの人はメイン端末を操作することに夢中で、俺が入室しても顔を上げない。ようやく、顔を上げて――ニッとあの人は笑んだ。


「爽君、待っていたよ」

「一切の拒否権はないって命令コードを送信してから、待ってたよって……それは、ちょっとないんじゃない?」


 これぐらいの悪態は許されて良いと思う。どうせこの姉に反抗しても、たいして意味がなにのは承知の上。やっぱり姉さんは、どこ吹く風。


 俺の姉――水原茜と、戸籍データにある。Your・ナンバー・カードにも記されているから、間違いはないと思う。


 実験室の研究者。

 被験者殺しの【トレー】


 彼女は、楽し気に、キーボードを打ち鳴らし、こうしている今もプログラムをこねくり回していた。






■■■






「愛しの宗方さんが心配? 一応、【デベロッパー】が監視はしてくれてるでしょ?」


 くるんと椅子ゲーミングチェアを回転さえながら、そんなことを言う。無邪気に見せて、この瞬間も試験テストを課してくるから、油断も隙もあったものじゃない。


「あいつは戦闘型サンプルじゃないから、緊急時の対処はできないって」


 面倒くささを隠さず吐く俺の言葉に、姉さんは小さく頷いた。どうやら、級痔点の解答だったらしい。


「そうだね。でも、緊急時の対処ができないとなると、宗方さんには、特化型サンプルとしての価値はないんじゃない?」

「ひなたが、大抵のことは対処するよ」


「暴走しちゃう、未発達なサンプルが?」

「だから、俺がいるんでしょ? それに、そのサンプルを管理できない研究者クソがいたから、第7研究所は崩壊したし、実験室は表舞台から姿を消したんじゃない?」

「もぅ、手厳しいあぁ。お姉ちゃんには、優しくした方が良いと思うけどな」


 と言いながら、全然こたえた素振りもない。そうやって、支援型サンプルとしての思考ルーチンを鍛えることに、容赦がないのだ、この人は。


「それに、桑島もいる」


 この一言に、姉さんはどうやら満足してくれたようだった。


「良いね。自分達だけで解決できないのなら、他のサンプルも活用する。時には、敵対サンプルも、ね」


 ニッコリ笑んで、またパソコンのモニターに目を向けた。姉さんが分析しているのは、昨日の警察署を出てからの――ひなたとの一幕。


(……挨拶っていうよりは、まるで挑発だったけどね)


 小さく息をつく。目の前のディスプレイ、そして前面の200インチスクリーンには、昨日のリプレイが投影される。


 ぶぅぅぅん。

 まるでうなり声を上げるように、サーバーの駆動音が響いた。俺は、姉さんから離れて席につく。




 ――試験テストは継続しようね。

 姉がそう言って、笑んだように見えた。






■■■






 ――Analysis video(解析映像)

 ――Multiple Playback(多重再生)







■■■






「そんな生半可な能力で、誰かを助けられると思ってるの?」


 姉さんが、笑顔でひなたに言葉を突きつける。容赦がないって思う。ひなたの表情が凍りつくのが、あの場でも感じたが――改めて、映像で見ると……もっと痛い。そして、姉さんは本当ににお構いなしだった。


「察してるかもしれないけど、僕は元実験室の研究者トレーこと、水原茜。今後ともお見知り置きを、と言いたいけど……宗方さん。そんな生半可な能力スキルじゃ、誰も助けられないよ?」


 姉さんが、一歩、ひなたへ間合いを詰めた。


「申し訳ないけれど、爽君を守るためにボクはボクで監視させてもらっていたんだ。爽君の戦略立案もツメが甘いけど、貴女 あなたが一番、考慮を要するね。特化型サンプルの力に溺れているのか、過信しているのか。どちらにせよ、中途半端な能力スキルだから、【廃材】スクラップ・チップスすら駆逐できない。今の貴女あなたは、研究者のボクにすら劣るよ?」


「姉さん!」


 あの時の俺が声を上げる。減点1……いや、10点か。この段階で姉さんが増長する立ち振る舞いした俺が一番、まずかった。ひなたのコンディションを立て直し、俺が煽り、桑島に口撃こうげきさせる。それぐりあの気概をもつべきだったんだ。


 と、姉さんが俺に向けて手を上げ、制止させる。

 否――圧を受けて、動けなかったというべきか。


「爽君は少し反省すること。君は単なる支援型サンプルじゃない。限りなく水色に近い緋色の【デバッガー】なんだよ? 君の仕事は、調整とサポート、戦略ストラテジーの立案で、勝率を50から確実な100にすること。繰り返すけど、君の仕事は戦闘型サンプルと同ライン上での共闘ではないはずだよね?」


 反論の余地もない。

 対象に圧をかけられる前に【水原爽デバツガー】は動くべきだったんだ。疲労困憊はこの際、何の理由にもならない。


 不安定な【遺伝子研究特化型サンプル】を支援する【デバッガー】がまずすべきこと。それは一にも二にも、サンプルの【調整】コーディネートに他ならない。


 ひなたは調整もされず、試験稼働もできないまま、実戦に突っ込んでいったのだ。その責任は爽にあると姉さんは言っている。


 【調整】が完全にできない環境であれば実戦を避ける。その為のお膳立てこそが、爽に求められた仕事――そう言っている。


 その一方で、姉さんはひなたの弱点を一ストレートに突いた。初戦で機能停止にできなかったこと、そこに原因であると。特化型サンプルでありながら、廃材スクラツプ・チツプスを駆除できなかったのは、ひなたの優しさ――甘さだと、そう断言したのだ。


「もっとも、実戦も訓練も調整もない宗方さんに、そこを突きつけるのは酷だよね? ボクもそこは重々承知しているんだ。だからね、これはボクの提案なんだけど――」


 姉さんがひなたを見る。ずっと浮かべていた社交的な笑み。それがあっさりと消えた刹那だった。悪寒を感じるほどの冷たさが、この場を支配する。


(……映像越しでも、本当にヤばいよね。この人――)


 ゴクリと思わず、唾を飲み込んでしまった。呑まれるな――いや、呑まれても竦んでも良い。でも思考は止めるな。考え続けろ。俺は、懸命にこの時の最適解を探す。だって、水原爽オレが【デバッガー】なのだから。


 と、映像の姉さんは、ふんわりと微笑んで――この緊張を自分で打ち消す。


「……だからね、宗方さん。今回はこれで諦めて?」


 姉さんは、にっこり笑ってそう言う。


「え?」

 ひなたは姉さんを見る。


 ――プロ野球選手、羽島康平の救出は諦めろ。

 姉さんは、そう言っている。

 そして、俺に。


 サンプルを最大限に活かす【調整コーディネイト】のため、支援型サンプルはその頭脳をフル稼働させて、示せ――そう突きつけたのだ。


 ――だからね、爽君。キミが冷静じゃなかったら、誰が冷静になるの?


 感覚通知ナンバリング・リンクスであの時も――そして今もダイレクトに、指摘される。唇を噛み、ただ頷くしかない。


「……宗方さん、貴女あなたには能力があるが勇気が無い。傷つける勇気、傷つく勇気、チームを信頼する勇気、自分自身を信頼する勇気、現状を変える勇気も、ね」


「ひな先輩の弱さは私が埋め―――」


 桑島の擁護フォローも、姉さんの一瞥を前に言葉を奪われる。


「桑島さんは空気が読める子で助かるね。今、あなたには意見を求めていないから、ね。それと弱さを埋める関係はチームじゃない。それは――」


 姉さんが、桑島の双眸を覗きこんで。そして、小さく笑んだ。


「ただの戯れ合いだよ?」

「姉さん!」


 あの時の――映像のなかの俺は声を荒げた。


(ダメだ)


 ――減点100。

 最悪の一言だ。感情に流されて、冷静じゃない。大局をみる以前の問題で、戦術すら編み上げていない。戦略を語る以前の問題だった。


「一つ間違えば、全滅。全員死亡のシナリオも有り得たんだよ? 口惜しいかな、遠藤さん達に借りを作ったカタチになったけどね。でも、彼らの助力で君たちは九死に一生を得たことは間違いないから。国民国防委員会と対峙した時、爽君を含んで、余力はどのくらい残っていたのか、聞きたいね。君たちの生存率は何パーセントだった?」


 姉さんの言葉に、俺達は答えられない。重い空気、それが俺達の答えだった。

 ――希望的観測で、10%以下。実際、あの状況ではもっと低かったと思う。


 ひなたは唇を噛み締め――それでも目を逸らさず、姉さんのことを見た。 


「一つ、テストをさせてね」


 姉さんは笑みを絶やさず、、そう言葉を紡ぐ。


「え?」


「そんなに難しいことじゃないよ。ボクが踏み込むから防御してくれたらいい。なんなら能力スキルを使ってもいいし、ボクを殺すつもりできてくれても良いからね?」


「え? え? え?」


「ひなた、気を付けろ! 姉さんは……自身に遺伝子研究を施した、半遺伝子研究ハーフゲノムサンプルだからっ!」



「え――」


「遅いよ」


 たん、と軽い足音をアスファルトに鳴らす。俺達しかいない閑散とした路上で。

 乾いた風が吹き抜けた、その刹那。

 姉さんはすでに動いていた。


 ひなたが反射的に動く、その前に。

 姉さんが賞底をその首に打ち付けようとして――。


 いわゆる、寸止め。

 姉さんが、その動作モーシヨンを止めた。





「爽君の過保護。宗方さんにファイアーウォールを張ったね」


「…………」


 俺は無言で姉を睨んだ。そんな反抗的な弟もカワイイ――そう言いた気に笑む姉に、腹に立つ。


 でも、次に発した言葉。

 その一言が何より、俺達に現実の厳しさを突き付けた。


「もう一度、言うね。そんな生半可な能力で、誰かを助けられると思って――」






■■■






 ――Stop playing(再生停止)

 映像ハココで、姉さんによって止められた。

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