第19話 実験室のフラスコ



「ふむ……」


 自分の実験室ラボにビーカーを招いて。

 ここ最近、騒がせているサンプルについて、彼から報告を受けていた。


 私は、彼の話に耳だけ傾けて、試験管を優しく振る。目下、実験は継続中である


 人間的には、話を聞く態度ではないと、激怒するタイプもいるだろう。しかし、時間は有限だ。マルチタスクで行動できるのなら、そっちの方がはるかに効率的だと私は思う。


 空間ディスプレイにデータを示して。プレゼンをする今も、ビーカーら私の研究について、五感をフル稼働で探り、サンプルを活用しデーターベース内を検索。ロックされたビッグデータへ侵入しようとしている。


(……ただ、甘いね)


 この世は、全てが実験場だ。もっとダイナミックにアグレッシブに論じて、実行し検証を。まさにトライ&エラーだ。


 むしろ、エラーを恐れていては、実験なんかできない。

 そういう意味じゃ、ビーカーはまだ青い。でも、そういうトコはキライじゃないと、ほくそ笑む。


 試験官内の薬液がコポコポと音を立て、そして弾ける。

 私はおもむろに室内を見回す。


 所狭しと置かれた実験機材。

 そのうちの一つ、黒く無機質な箱型の機材がぶーんと音を立てていた。有望と思われる遺伝子サンプルのカケラに負荷実験を行い、より強固な遺伝子へ進化するよう管理する。ここで作られた遺伝子プロトタイプか能力スキルを行使できるサンプルとして産声をあげる。


 実験室のスタンダード研究は先天性遺伝子操作。いわゆる、精子・卵子の段階から遺伝子の配合を操作。そして理想のサンプルを作り上げ――育て上げる。だが、精度は不完全だ。


 一方で私やビーカーを始めとした一部の研究者が着手したのは、後天性遺伝子操作。ある程度成熟、適正を見出してから遺伝子を改変させる手法だ。


 昨今の廃材スクラップ・チップスはこの実験の過程で生まれた。遺伝子のデータベース、負荷耐性を見極めるため精度の高い判定技術が必要なのだ。その為にも、 廃材と言う名の実験標本カタログがもっと欲しい。


「ビーカー、珍しいね?」


 素直な感想として、私は言葉を漏らす。


「……は?」


 私の言葉が意外だったのか、目を丸くしている。腹芸をするには素直すぎるきらいがあるが、彼の実験に向き合う姿勢は好ましい。まるで、研究者【トレー】を見ているようだった。


「素直で好ましいって言っているんだ。データを確実に得ていないサンプルを、実直にレポートするなんて」


「私は研究の為なら――」


「いいよ。【限りなく水色に近い緋色】を見た時のショックを受けたのは私も一緒だ。根本的に見方を誤っていたからね」


「は、い……?」


「少し種明かしをすると、あの実験体には今実験している改変遺伝子の中では一番毒々しいものを培養させていたのさ。旧実験室では単純に【緋色】と呼んでいたけどね」


 ぽかんと、ビーカーは口を開ける。

 どうして――?


 彼はきっと、思考をフル稼働さえているに違いない。【スピッツ】は予定通り、研究を開始した。ロードマップ通りだ。彼の思い描く計画は、少しインパクトに欠ける。本当にあのプロジェクトを成功させたいのなら、もっとダイナミックに負荷をかける必要がある。


 ビーカーなら、きっとそれができる。

 これは、私の勝手な期待だ。


「この【緋色】を宿したサンプル……この開発研究者がスピッツとシャーレ、そしてトレーだった、まぁ、プロジェクト責任者が、名目上、私だったワケだけれどね。当時、私はたいして注目はしていなかったが、アレを見て感覚を狂わされたよ」

「……アレ、とは?」


 ビーカーの疑問に、あえて答えない。論より証拠、見た方が良いし。研究者なら、自分で論地を構築すべきだ。


 キーボードを軽く叩く。


 指示した【命令コード】の通り、空間ディスプレイに映像が投影された。燃え上がる、原形を留めていない建造物――窓から、火焔が燃え上がり、包みこんで。そして火炎は貪る。


「これは……第七研究所?」

「ビーカー、君は若いのによく実験室の経緯をよく知っているね。無知な研究は害悪でしかないと私は思っている。君のまっすぐな研究姿勢、私は好きだよ」


「しかし、これは原発事故で機能不全に――」


「たかだか原発事故程度で機能不全になるような設備だと思うのかい? 我々の実験室ラボが?」


 私は微笑をたたえる。

 それこそが、唯一の真実だ。


 彼女の炎は、実験室が鎮火できないくらいに猛狂い暴力的で――そして、美しかった。


「最初の暴走がコレだ。 発火能力パイロキネシスにより、第七研究所が壊滅。その余波で原発事故を誘発した、と言えばまだ救われるが、事実はさらに酷い。暴走した彼女は、街を一つ潰したのさ」


 映像は再生を続ける。美しい炎が、瞬く間に広がり。街に広がる。

 炎に身を包んだ少女――まるで、悪魔の行進。


 彼女が歩んだ跡には、灰とかろうじて残った瓦礫。溶けてしまった何か。少女の歓喜の声。炎上ではなく、破壊。爆発の炎がまだまだ、この劇っはプロローグであると嘲笑うかのようで。


「だからこそ、あの時の私達は見誤ったというべきなんだ。サンプル名は【限りなく水色に近い緋色】だ。ここからは、あくまで私の推論として聞いて欲しい。このサンプルの改変遺伝子は一つではなかったと、今は思っている」


「水色……」


 ビーカーは直感的に呟いたんだろう。思わず、私は笑みが零れる。今でも【緋色】が【水色】の名を連呼する姿が目に浮かぶ。


 ――妾は自由だ、水色。もうお前に縛られることは何もな……。


 彼女の哄笑は、長く続かなかった。

 そこに立ち塞がったのは、一人の少年だった。


 炎をものともせず、彼は【緋色】を抱きしめたのだ。

 ちりちり、髪を皮膚を焼くことすら、些事だと言いた気に。


 ――そう、君?


 なんていうことだろう。今世紀最大の実験は、くだらないラブロマンスで朽ちかけよとしていた。


 ――みずはら、そ、う……。


 掠れた声で。

 緋色は、そう呟く。


 いくつか、言葉を交わしたのが見える。

 少年と少女の唇が動いた。


 でも、システムはその音声を検知できない。

 端末を操作するが、ムダだった。


 そうこうしているうちに、少年がサンプルをさらに抱きしめる。


 ――じゅっ。

 まるで、種火に水をかけたかのように。

 微かにそんな音がして、この実験は終わりを告げたのだ。なんて陳腐で、チープな結末だけを残して。





■■■





「水色……」

 ビーカーが、もう一度呟く。私は小さく、頷いて見せた。


「あえて言うならそうだろうね。【緋色】が 発火能力パイロキネシスに特化した攻撃的な遺伝子サンプルだろうね。その対となるのが【水色】――変容自由な学習型万能遺伝子と言える。まさしくエメラルド・タブレットへの近道と言えるかもね」


 だが、あまりに不完全だ。このサンプルには、まだまだ開発の余地がある。全然、手がつけられていないサンプルに実験室の研究者が、翻弄されたのだ。論理を伴わない研究は、不完全で危なっかしい。


 まして、このサンプルは、街一つを容赦なく潰したのだ。

 これだけのサンプルを未だ、研究者は解明できていない。これは、研究を志す者として汚辱以外の何ものでもなかった。


「シャーレとスピッツが共同研究者にトレーを指名した時、私はもっと疑問に感じるべきだった。トレーは支援型サンプルの開発に特化した研究者だ。あの特化型サンプルの少年は自らを【デバッガー】と名乗っていたんだよね?」


 私はパソコンを操作した。トレーのかつての研究論文が空間ディスプレイに表示された。


 ――遺伝子特化型サンプル、不安定要素補完の為チームアプローチの可能性と検証。


 さらにキーボードを叩く。トレーのかつての研究論文が空間ディスプレイに表示された。


 ビーカーは食い入るように、その論文を読みふける。それ、それで良い。ビーカー、君が追いかけていたのは、時代遅れの支援型サンプルじゃない。まさしく、君が理想としていたチームとしてのサンプルだ。


 完全なブレインの統制の元、遺憾なくそれぞれのサンプルがチカラを発揮する。言うなれば戦場を理解し、攻撃型の特色に応じて配備、稼働撤退を指示、戦局を支配する支援型サンプル。それはまさに軍師のような存在と言ってもいい。


 【デバッガー】である彼は【限りなく水色に近い緋色】を安定稼働させる為の、もう一体の特化型サンプルという側面をもつ。


(良い顔をしているね、ビーカー?)


 思わず、ほくそ笑む。

 トレーのサンプルを甘くみないことだ。どれだけ、その研究の数々が実験室に貢献をしてきたことか。


 ビーカーが、揺さぶりをかける前に先手を打たれたことも。その後、廃材を機能停止にまで追い詰めたことも。攻撃型サンプル二人の動きの良さも。


 通常、実験の副作用故にサンプル達はあまりに我が強い。チームプレイが難しいメンツが多く、研究者は調整に手を焼くのだ。きっと、彼の中で腑に落ちたはずだ。

 あまりに統率の取れていた行動は【トレー】の研究の証左といえる。


「廃材は【弁護なき裁判団】が保護したのだろう?」


 私の言葉に、ビーカーは小さく頷く。言葉は出ない。それも無理もないと思う。


 脳内はこの情報を整理しようと、オーバーヒート寸前だろう。だけどね、ビーカー? そこで終わってはつまらない。研究者が成果を示す、唯一の方法は【実験】しかないのだから。


「それなら、ビーカー。君が提唱する直接脳波干渉信号実験をこの機会にやってみるという手もあるね」


 私は、うっすら笑む。

 ビーカーは目を見開いて躊躇――する間もなく、頷いた。

 今度は、私が目を細め、彼を見つめる番だった。


(良い顔をするじゃないか)

 実験室の研究者らしい顔つきに、歓喜が浮かぶ。



 ――この世は所詮、実験場。


 試験管の中で、薬液がコポコポと音を立てる。試験管越し、自分の歪んだ、笑顔が映る。


 ようやく、実験を開始できるのだ。

 昂ぶる感情を察知したのか、AIが、私に音楽を提案してきた。

 研究時はジャマだが、今はむしろ聞き浸りたい気分だ。




 音が、弾ける。はじけ、はじ、はじ、弾ける。私の感情に合わせて、ボリュームを上げる。轟音となって、反響して――そして、止まらない。


 オーケストラの演奏が、歓喜が紡ぎ、そしてとめどなく溢れだす。



 ――交響曲第九番、第四楽章。


 一方のビーカーは音楽がまるで耳に入らないと言わんばかりで。未だ、食い入るように、映像上の論文を見やる。そんな彼を尻目に。


 滾る。

 恍惚にトランスして。

 そそり勃つ。

 アドレナリンが、一点に集中するような感覚だった。


 スピッツとシャーレに出し抜かれた感があるが、ようやくだ。


 絶対にエメラルド・タブレットを起動してみせる。ただそれだけを念じて――私は蒸留した薬液を飲み干した。





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