第18話 遠藤遼 ―Ryou Endo―


 ――頼んだよ、相棒?


 爽君の声が、暗号化通信ナンバリングリンクスで響く。


「任せて、爽君!」


 それは咄嗟の判断だった。

 私は、自分の足に意識を集中させる。自転車を漕ぐ時の感覚に似ていた。あの時は、エンジンのピストン運動をイメージしてみた。でも今回は違う。一瞬だけで良いから、爽君達との距離を埋められたら、それで良い。最小限のコストで。後は、爽君を守るために力を分配したい。

 


 ――日向、イメージをして。

 爽君が言ったことを、頭の中でもう一度なぞる。


 ふくらはぎが熱くなるのを感じる。爽君の【ブースト】だ。


(レディー、ゴー!)


 心の中で、号令のピストルを発砲させて。それが、スタートの合図。私がイメージしたのは、陸上の短距離走者スプリンター。今、この一瞬で距離を埋めたらそれで良い。


 たんっ。

 蹴る。


 無機質な緑の床にひびが入るが、構っていられない。


 その瞬間、風が生まれた。

 私は、オートバイに跨がる人の前に肉迫した。少なくとも、良い大人が、オートバイで爽君達に危害を加えようとしたのだ。遠慮はしなくても良いって思う。


「じゃんけんのパー、イメージはじゃんけんのパー! じゃんけんのパー!!」


 思考を切り替える。

 エンジンが唸って、ライダースーツに身に纏った男は、さらにエンジンをふかした。

 鼓膜を突き刺すような騒音。


 爽君が、不可視防御壁ファイアーウォールを起動させたのを感じる。


(大丈夫だからね!)


 暗号化通信ナンバリングリンクスでそう、送信をして。

 私は目をそらさない。かがみ込んで、両手を床にそえた。

 音はない。

 でも、確かに能力スキルが起動したことを実感する。



 ――重力操作。



 その瞬間、無音の衝撃が、オートバイを包む。下から。私は掌を上げる。次は上。そして左右、重力に挟まれて、オートバイはひしゃげ――る?


「え?」


 私は目を丸くした。ライダーが声にならない声をあげたかと思えば――炎上することなく、オートバイごと灰になって。まるで、砂塵と化し、崩れ去ってしまった。まるで、最初からいなかったかのように、もうくすんだ灰しか残らない。


 ――ひなた! そいつは、量産型サンプルだ!


 送信される、暗号化通信ナンバリングリンクス。このかんも他のライダー達は、騒音を喚き散らしてくれる。残り、十二体。その全てが、実験室の量産型サンプル?


(どうしたら……?)


 ゆかりちゃんを見る。戦意は衰えていないのが、その目を見れば分かる。とても能力スキルを行使できる状況ではないのは、私の目から見ても明らかだ。


 ――ひなた! 発火能力を起動させて。桑島と、この子は俺が守るから!


 再び、暗号化通信ナンバリングリンクス。そんなことをしたら、何枚の不可視防御壁ファイアーウォールが必要になるのだろう。爽君に何かあったら……でも、私は相棒を信じるって。私、決めたんだ。そう決めたから――。


(爽君を信じる)


 ぐっと拳を握る。

 私の手に、火炎が蜷局を巻く――その瞬間だった。


 一人が、羽島さんの前でオートバイを止める。


 その瞬間、図ったかのように残りのライダー達も制止する。その様相は、統制が取れた軍隊そのもので、寸分のズレもない。


 黒のヘルメット、黒のライダースーツ、黒のオートバイ。改めて、全員同じ出で立ちで、やけに無機質。私は、そんな彼らに薄ら寒さを憶える。


「我々は、国の現状に憂慮する国民国防委員会である。同志を引き取らせてもらう」


 そう言うや、否や。羽島さんの体を蹴り上げた。まるで、サッカーボールのように、彼の体が跳ねる。

 造作ないと言わんばかりに、他のライダーが、軽々と羽島さんを肩に担いだ。

       

(国民国防委員会……?)


 流石の私もニュースで聞いたことがあった。遺伝子工学を軍事転用し、国防に力を入れるよう訴える、強硬派の政治団体。現在の与党とのコネクションがあるという噂があった。


 軍事費の増加、平和憲法の改正。遺伝子タグによる自衛隊入隊の義務化管理。これらを声高に叫んでいるのが、国民国防委員会なのだ。


(……でも、そんな人達がどうして?)


 間髪入れず、爽君から暗号化通信ナンバリングリンクスが送られてくる。


 ――無駄な抗戦は避けるよ。こいつらは、実験室の監視型サンプル。【弁護なき裁判団】の末端、【番号無ノンビルド】だ。


 爽君のメッセージに、混乱する。今、実験室との夫深い接触は避けたい。それは分かる。


(でも、羽島さんが――)


 ライダー達と、爽君との間で視線が行き交って。結局、私は何もできない。


「実に素晴らしかった。諸君らも同志として、この国を変える為、ともに共闘しないか。敵は外夷に限らず。腐敗の政治と、腐乱の国民性にあり。選抜された高い理想をもつ者だけが、日出ずる国の使徒に相応しい」


 ライダーの一人がそう、呼びかける。


 ――ひなたは、答えなくて良いよ。ココは俺に任せて。なんとか、奴らのシステムを停止させるから。


 暗号化通信ナンバリングリンクスが送られてきた。

 私はコクンと頷く。いつでも、爽君の合図で動けるように、能力スキルに意識を傾けて――。


「あなた達に協力する訳ないでしょ! ばーか!!」


 余力ゼロのゆかりちゃんの啖呵。爽君があんぐり口を開けて。そして、項垂れる。それはそうか、って思う。ゆかりちゃんには、まだ暗号化通信ナンバリングリンクスが最適化されていない。単純な信号ならいざ知らず、ゆかりちゃんには、私達の声が


 私は拳を固める。


 実験室にられていても。それが最大の障害になったとしても。難しいことは分からない。それでも、私には絶対に譲れないことがある。


「爽君」

「……ん?」

「爽君は私が守る。ゆかりちゃんも、羽島さんも、娘さんも。みんなのことを!」


 私の言葉に爽君は目を丸くさせ――それから唇の端を綻ばせる。


「それは一緒に守ろうと言って欲しいね、相棒」


 爽君の言葉に、私は自然と笑顔が溢れていると自覚する。私、今までこんな風に笑ったことあっただろうか? 嬉しい。そんな感情がこみ上げてくる。爽君の言葉が、本当に嬉しい。


「私もいるからね」


 とゆかりちゃんがは、パチンと雷光をその手に宿す。でも、見るからにその放電は弱々しかった。


「桑島、お前は羽島の娘ちゃん担当だ。ひなた、全ブーストをひなたにかけるよ。覚悟はいい? ひなただけが頼りだ」


「……分かった」


 こくんと頷く――その瞬間だった。

 遠くでサイレンの音が微かに、響く。


(……警察?)


 私が首を傾げると。


「已む得ない、撤収だ」


 そうライダーの一人が言った。排気音がけたましく鳴り響き、サイレンをかき消す。一斉にライダー達のオートバイが埃を巻き上げ、退避を開始した。


「羽島さんが!」


 私が叫ぶが、爽君に手を引かれ、止められる。

 首を横に振った。

 みのりちゃんの顔を見ることができない。


 ――深追いは危険だ。それに、余力もない。


 暗号化通信で言われるまでもなく、ゆかりちゃんを見やる。戦意は消えていない。まだ行ける、とその目が訴える。でも満身創痍で、電力の弱さが彼女の限界を物語る。


 私ははっとする。


 彼女は廃材スクラップ・チップスなのだ。過剰な活動は、彼女のオーバードライブの引き金となり得る。爽君に淡々と通信で説明をされたら、私は無言で肩を落とすしかなかった。






■■■





 パトカーのサイレンの音が止まった。それから、静寂。間を開けず、背広姿の男が、この廃工場に飛びこんでくる。


「大丈夫ですか?」


 彼は本当に心配そうに、声をかけてくれた。


「は、はい」

「……」


 一方の爽君は無言。暗号化通信ナンバリングリンクスも送ってくれない。無知な私でも、感じ取る。爽君は、彼を警戒しているのだ。そう考えると、タイミングが良すぎると思ってしまう。


(……誰が通報したの?)


 通報したとしたら、保育園に急行するはずだ。そこから、この廃工場まで直行で来るとは、少し考えられない。


 観じた違和感。水滴が落ちて、波紋を広げるように、へと塗り替えられていく。


「僕は県警捜査一課の遠藤遼えんどうりょうです。保育園児が誘拐されたという通報により急行したんですが、まさか過激派政党・国民国防委員会が絡んでいるとはね」

「……は?」


 ゆかりちゃんが、訝しむように視線を投げ放つ。ゆかりちゃんは、やっぱり感性の子だ。私が考えを巡らさないと気づけない違和感を、情報なしで察知するのだから。


「黒いライダースーツに黒ヘルメット、黒オートバイは国民国防委員会が好むスタイルなんだよね。あ、そうそう、これ食べる?」


 と取り出したのは、棒付きキャンディーだった。私は爽君、ゆかりちゃんと視線を交わしながら、仕方なく受け取って――絶句する。


「ハチミツトムヤンクン味?」

「おぉ?意外に美味しいよ、ひな先輩?」


 すでに舐めて、ゆかりちゃんは言う。時すでに遅し――。


(異常はない?)

 そう思うだけで、ドキドキしちゃう。

 後で、知らない人からお菓子をもらったらいけませんって、教えてあげないと。ゆかりちゃん、感性の子過ぎた。


「でしょ?」


 刑事さんは、嬉しそうに笑った。それから、ヤンディーを舐めつつ、私の目を覗きこむ。


「無事で何よりだったね。今回の件で、ちょっと事情徴収をさせてもらいたいんだけれど、いいかな?」


 にっこり笑む。

 私は、爽君を見る。爽君は小さく頷いた。表情をかき消したかのように、感情がうかがえない。

 でも――。


(私は、こういう時の爽君を知っている)


 実験室ラボで見た記憶がある。


 能力スキルを多重行使している時だ。

 瞼の裏側に、映像がチラついた。


 多重暗号化通信シナプスサイン――神経にダイレクトに送られる情報に目眩を憶える。


 映像が送られる。

 カメラが、ライダー達のヘルメット越し、その表情を捉えた。爽君が、監視システムにハッキングしたのだ。


 爽君から、語られる言葉はない。そもそも、この通信方法は実験室の研究者からのアクセスを防ぐため、限定的な情報しか送れない。

 頭がズキズキ痛い。


『この方法は、脳への負担がちょっと強いから。そもそも、長時間は無理なんだけど……できれば使いたくないんだよね』


 突入前のガイダンスで、爽君の説明を思い出すだけで頭が痛くて。言葉がまるで入ってこない。脳への負担ってこういうことなのか、と実感する。


 それでも、意識を傾ける。 


 ニコニコ笑う、刑事さんの表情。

 ライダー達のシールド越しの無表情。


 そのかおが重なって見えた――。

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