第16話 元実験室の【トレー】と【シャーレ】
「トレーの爽君、やっぱり素敵ね」
突然の
宗方ひなたの母。
実験室の元研究者、シャーレ。彼女がデイスプレイ越し、ボクに向けて満面の笑顔をたたえていた。それが今、ひどく禍々しく――悪魔的に感じてしまう。
「シャーレ……」
「お久しぶりね、トレー。こちらのモニターは、マスコミ関係の情報検索用だから支障はないでしょ?」
ことも無げに言う。確かにマスコミはおろか警察ですら、この騒ぎにまだ何の反応も見せていない。
あえて、そんな端末を狙ったのか。
システム化はシャーレの十八番だった。【
そんなシャーレだ。ハッキングしたうえで、情報を整理。ボクがどうデータを処理したのか取捨選別、データベース化して今に至るワケか。
(相変わらず、食えないヤツだよね)
ボクは表情を変えないように努め、シャーレに視線を注ぐ。
「デバッガーとしての精度が上がってるだけじゃないわね。環境構築、遠隔干渉、能力向上、情報管理、サンプル調整までするの? ひなたとの適合シンクロ率も以前より高い。実験室を離れて、よくここまで調整したわね?」
「シャーレのレポートに合わせて調整しただけ。爽君のロードマップとしては順当。むしろ実戦経験が足りないから
「実戦経験なんかさせたら、目立って仕方ないわ。でもよく考えて作戦立案してると思うわよ? ひなたの優柔不断さは今後の課題だし、幕引きには丁度いいでしょ」
「むしろ幕開けだと思うけど?」
「言い方はなんでもいいのよ。トレーはトレーの目的で。私達は私達の目的で実験室を潰す。トレーが欲しがってる【エメラルド・タブレット】への近道だもんね。間違いないでしょう?」
「シャーレにとっての【エリクシール】がそうであるように?」
ボクはやっぱり表情を変えず。そしてシャーレは満面の笑顔を絶やさず、質問には答えない。本当に良い性格をしているよ、キミは。そうイヤミの一つでもぶつけてやろうと思った瞬間だった。
ハッキングした監視システムが、宗方ひなたの姿を映し出す。まるで火焔の弾丸が、豪雨のようで。
廃材――羽島公平へと降り注いだ。
「やるじゃない」
シャーレは嘆息を漏らした。
「トレーの【デバッガー】は自分達がどう見られているのか良く理解しているのね。本当に、頭が良い子。実験室が記録として保存している
そうシャーレは笑みを溢す。彼女はすでに検索を済ませている。持ち得ている情報はほぼ一緒。
シャーレの指摘は歯痒いが、まさにその通りだった。
実験室にとって【限りなく水色に近い緋色】の出現は、排除対象レベルに至っていない。まして爽君も彼女達も、まだ
彼女達が苦戦していた相手は、所詮ただの廃材なのだ。実験室が未だ監視対象と誤認しているうちに、
(それに――)
【限りなく水色に近い緋色】としてではなく。宗方ひなた自身に、ボクは興味があった。
爽君がささやかな感情を捧げようと思った少女。監視システムから見る限り、ひなたは戦意が欠如している傾向が見受けられる。ポジティブな言葉を選ぶとしたら――優しさ、か。
爽君を再び
(それだけは絶対に――)
そう思う反面。例え廃材の暴走があったとしても、子どもの誘拐事件解決に爽君が乗り出すなんてこと、これまでなかった。それが、宗方ひなたの影響だとしたら、実に興味深い。
と――ディスプレイ越し、強烈な光が放たれる。
監視システムの一台が沈黙する。桑島ゆかりの放った一撃で、廃材・羽島は吹き飛ぶところまでは視認できた。直後、プツンと音がして、ディスプレイはブラックアウト。電圧の余波で機器が停止したものと思われる。でも――
「な、に?」
ボクは目を疑う。
かろうじて計測できた。保育園の時とは別物の統制された電流、そして無駄なく
爽君が
(なにが起きたの……?)
探究心が疼くけれど、思考を切り替える。データを収集せずに、推測で考えるのは、危険だ。まずは、情報収集。何より爽君が無事なら、ボクはそれで良い。
「さしずめ、
「……シャーレ?」
「なに?」
「ずっと言おうと思っていたんだけどさ――なんで花柄エプロンでフライパンを持っているの?」
「変?」
「いや、変って言うか、ボクは白衣のシャーレに見慣れてるから……」
「そりゃ、私もお母さんだもん。お互い、年をとったってことよ。トレーは全然、変わらないけどね? ひなたが帰ってくるまでに、パンケーキ作ってあげようかな、って思っていてね」
にっこり笑うシャーレに、僕は小さくため息をつく。これが本音なのか、情報撹乱のための手段なのか。その判断はとりあえず、棚上げすることにした。判断する材料が少ないのなら、考えるだけムダだから。
戦況は、爽君の頭脳労働による結果と事前の周到な準備で、終息したかのように見えた。
でも、ボクはこれで終わりだなんて思えない。現在進行形で、【遺伝子実験監視型サンプル・弁護なき裁判団】の監視システムは稼働継続中。データは送信され続けている。逆を返せば、【弁護なき裁判団】が、監視体制を解除していないことを意味している。
(……どう出る実験室?)
ボクは心の中で、そう呟いて。
沈黙したカメラから、監視システムの別カメラへと切り替えた。
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