第15話 元実験室の【トレー】①
【元、実験室の研究者トレー】
四方をディスプレイに囲まれて、ボクは情報の分析に没頭する。爽君からの
これ以上、バックアップ――developer《デベロッパー》に負荷はかけられない。それに爽君なら問題ない。彼は特化型支援サンプルなのだ。記録なら、彼が保存してくれる。
一方で実験室の監視システムをdeveloperとともに
(……それにしても、弁護なき裁判団か。懐かしいね――)
つい感傷に浸りそうになって、慌てて思考を切り替える。実験室を相手にするんだ。油断していたら、
実験室の――フラスコの思考で考えれば、あえて監視システムにセキュリティホールを散らしている気がする。だって、ヤツなら絶対にやりかねない。
彼は素知らぬ振りをしながらも、全体の掌握に抜かりがない。言ってみれば、情報はこちらの動向を知る餌なんだ。
それは重々理解した上で、追尾できないように、迂回して接続している。
犯罪ハッカーや詐欺集団の端末を介して、海外サーバーからアクセス。逆探査をしても徒労に終わるし、多分フラスコだったら、ボクがハッキングしたこともお見通し。これは言わば、情報戦を模したギブアンドテイクなのだ。
だから中途半端なアクセスをしようものなら、逆にこちらの情報を根こそぎ奪われる。
それが実験室だということは、ボクが一番よく分かっている。何せ一度は壊滅的な損壊を受けながら、あっさりと復活したんだから。
(実験室の奴らだけじゃないよね……)
スピッツやシャーレにとっては、これも実験だっんじゃないのだろうか。【限りなく水色に近い緋色】を社会に放出することで、彼女がどこまで順応できるか、
その間も、実験室は蠢動を続ける。
表向きは、厚生労働省の外郭団体、特殊遺伝子工学研究所。即ち実験室の継続を、国が断念したかのように装って。
実験室は、社会から消えたんだ。
この選択により、政治の駆け引きが、スムーズに行なわれていくことになる。
穏健派による実験倫理の追求。それを鮮やかに回避した。つまり生体実験施策は人道に悖ると、非難されることを、政府与党は防いだんだ。
(上手くやったもんだよ――)
重ねて、公的監査から外れたことで、第三者機関承認を待たずに、禁忌実験が行える。なんて悪魔的なシナリオなんだろう。国というスポンサーを得て。企業に特許の活用を許し。そして今や、遺伝子工学が当たり前のように、生活のなかに溶け込んでいる。遺伝子認証によるキャッシュレス決済や、ゲノムカードによる住民票を初めとした戸籍管理は、その一例だ。
実験室は、
(ここまでのシナリオ……本当に悪魔的だね)
ため息が漏れる。
実験室の室長、フラスコは仮面の男だ。優男を演じているけれど、その内面は計算高い。ただし誤算もあった。【限りなく水色に近い緋色】のレポート、その本論は研究チームによって隠蔽されたのだ。肝心
研究者スピッツとシャーレは自分の子どもを実験台にした。良心の呵責があったかどうかはともかくとして。実験室の監視を受け入れながら、彼らは一般人に戻ることを選択したのだ。
きっかけは、あの日――【限りなく水色に近い緋色】の暴走。
遺伝子工学第七研究所の崩壊は、周囲直径2キロに及んだ。
正確なデータなどあの状況下で測定できなかったが、推論なら組み立てられる。
酸素を流動的に操作し、集約させた上で圧縮をしたんだろう。それも、高濃度に。
加えて、研究所の実験機材には廃材廃棄用の高濃度圧縮ガスが備蓄されていた。その相乗効果、あの戦慄は、その場に居た人間にしか分からない。
(……それなのに爽君は臆さないんだね)
精神鑑定を行い、メンテナンスも定期的に行っているが、エラーはない。彼は彼の意志で【限りなく水色に近い緋色】に接触した。支援型としてはあまりに感情的な行動だが、それはそれで興味深い。
彼が彼女に抱く感情は恋愛感情なんだろうか。実験室のサンプルは精神的に不安定なることが多いだけに、興味深いテーマだ。それは遺伝子研究特化型サンプルが安定稼働する光明になり得る。
(ま、恋心に横やりを入れるのは無粋だって、思うけどね)
何より、ボクは宗方ひなたという子に興味がある。
第七研究所にいた時代。爽君との
(……当時、爽君のメンテナンスに傾注していたボクが悪いんだけど、さ――。)
でも、
結果、スピッツとシャーレは第一線から離脱。ボクも実験室の籍を捨てて今に至る。
と言っても実験室が放ってくれるはずもなく。結局は情報戦の応酬の最中ではあるんだけれど――。
せめてもの救いは、実験室が戦闘型サンプルの開発に傾倒していること。そして支援型サンプルの発が未だ停滞していることだろうか。つまり今のところ、爽君は実験室に重要視されていないということと、イコールで。
それで良いし、これからもそのままであって欲しい。
【限りなく水色に近い緋色】はデバッガーとリンクすることで、初めてそのポテンシャルを発揮する。
【デバッガー】が【限りなく水色に近い緋色】に特化した支援型サンプルだという事実もまた、完全にボク達が隠蔽した。爽君が実験室と関わることが無ければと、密かに願っていたけれど。それは結局、脆くも崩れ去ったわけで。つい自嘲気味に笑みが漏れて――。
「トレーの爽君、やっぱり素敵ね」
見ていたモニターにノイズが走る――その瞬間だった。
予兆は一切なかった。突然の介入に目を丸くする。ディスプレイ正面に、女の姿が映る。キーボードを叩いて、逆探知を試みるが、それは無駄な努力で――。
「シャーレ……」
宗方ひなたの母。
実験室の元研究者、シャーレ。彼女がデイスプレイ越し、満面の笑顔をたたえていた。
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