第13話 羽島公平 ―over drive―


【羽島公平】



 視界が歪むのを感じた。握っていたボールが――黒光りした鉄球が、白い野球ボールに、ぬるりと変わる。


 ぴちょん。

 配管から漏れる水滴。


 カビ臭い匂い。

 その景色が、あっさりと消えて。俺は、野球スタジアムの――マウンドの上に立っていた。


 バッターボックスに立つ、打者バッターの顔なら、仄暗くて見えない。

 速球を武器に、バッター達を三振で抑え続けた。

 歓声と拍手がその度に湧き上がる。


 俺――羽島公平は、誰もが認めるエースだった。


 甲子園、期待の星。プロになる事はもう約束されていた。各球団、スカウト達の視線を感じながら。


 自分が気にすべきことは、ドラフト会議でどこの球団と契約するか。どうせなら、優勝へ最短のチームが良い。ただ、そんなことは後で考えれば良い。


 今は、自分の投球が勝利へつなぐ。それだけを信じて。マウンドで、投球を続けた。


 チームに最大の貢献をしたエースピッチャーが投げる速球。高校球児としては目を見張る155キロをマーク。ストレートのみならず変化球も多彩に駆使し、試合を支配していく。そして、完封。ゲームセット――。


 喜びの声が上がる。

 熱狂が観客席を占め――て?


 妙に静まり返るベンチを、俺は思い返した。


 おめでとう。

 そう誰かが呟いた。


 お前一人で勝った甲子園。

 おめでとう。


 思考がぐらぐら揺れる。

 そして――。

 プロになり、思うように成績が上げられなくなった。


 第一志望の優勝常連チームは、クジを外し。交渉権は、市民球団としての歴史がある弱小チームに配属された。


 お前はお前しか信用しないんだな――監督の冷然とした言葉が突き刺さる。

 三振をとるが、点を取れないチームに苛立つ日々が続く。


 そして敵チームの情報戦が始まる。羽島公平オレの癖、傾向を科学的に分析する。そして俺が登板した時の連携の悪さは、すでに各チームに知れ渡っていた。


 結果、三振数も多いが、点を取られる事も多くなる。

 そこから、エースの陥落は早かった。


 どうして?

 オレハ、エース、ダ。勝テナイノハ、アイツラ、ガ、弱イから────。


 そもそも結果を出せなていない。和を乱す選手を第一線で起用できない。

 そう監督は機械的に通告し、俺は二軍に落ちた。


 這い上がる為には速球に磨きをかねるしかない。だがエースとして持て囃された高校球児から、すでに五年。無茶なトレーニングで、体は悲鳴を上げた。


 肩が故障したのは半年前――。


 アナウンサーの妻は、とうの昔に娘を連れて、家を去った。いつから言葉を交わしていなかったのか、とうに忘れた。つい、自重気味な笑みが零れてしまう。


 勝てない投手はマウンドに上がる資格は無い。プロ野球選手は結果が全て。稼げないって、そういうことだ。そんな選手は、とっととプロから決別すべきだ。そう豪語していたのは、この俺だ。


 妻は、そんな俺を見て、将来に不安を感じたにに違いない。元より、熱烈な恋愛結婚でない。共通の知人を介しての――いわゆる合コンが出会い場。そこから、トントン拍子のスピード結婚。俺自身、恋愛の意味なんか、よく分かっていなかった。


 戯言が耳に残る。

 ――あなたを応援したいだけなの。


 誰だ、そんな事を言ったのは?


 ――体を壊してまで、結果を残して欲しいなんて、思っていないわ! あなたはあなたもう、一人の体じゃないって分かって!


 なんて戯言だ。野球選手という生き物は、勝つか負けるかしかない。生き残れない選手に価値なんて無いんだ。


 ――お父さんは私のヒーローなの。


 誰だ、そんなことを言ったの?

 近くで蠢く生き物が、似たような単語を発するが、その言葉が――言っている意味が分からない。


「お父さん!」


 オトウサン、ってどういうイキモノだったっけ? 認識できない。エラー。エラー。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。error。えらー。


 ――思考がぐるぐると回る。

 その思考を、肌が焼くほどの熱が止める。


 熱風が頬を焼く。焔が弾丸となって、俺の足元に叩きつけられる。敵の攻撃方位ルートを確認。撃退に向けて思考をシフトする。


 火弾が次から次へと雨のように注いで、俺の体を焼く。


アツイ――)


 外皮を焼く。だが、筋力局所強化体である俺に致命傷のはならない。でも……そもそも、なんだっけ? なんだ……筋力局所強化体って?


 『 能力最大上限稼働オーバードライブで感覚神経も焼き切れたてしまった、と。なるほどね』


 声がする。誰だ?

 俺に干渉、ヲ、スルナ――。


『痛覚は君ににとって意味を為さない。危険信号を感じる事なく、目的を遂行するのみ、か。でも、安心して良いよ。事が済んだら、ちゃんと俺たち【弁護なき裁判団】が処理してあげるから』


 目的?

 ナンダソレハ?

 ベンゴナキ、サイバンダン?


 分からない。

 分かるのは――。


 障害トナル者ノ排除。


(了解だ。排除する)


 俺はボールを――鉄球を握る。筋力が波打つのを感じる。火弾へ応酬するように、鉄球を放つ。


「お父さん!!」


 何かが羽島を阻む。それを全力で振り払った。


 障害トナル者ハ排除セヨ。

(了解だ)


 鉄球を放つより多く、火の雨が降り注ぐ。俺は気が付かなかった。彼をお父さんと呼ぶ存在が無傷である事も、俺に肉迫するもう一人の存在にも。


 火弾が止まった。


 制服姿の少女が俺の目の前で、不敵に笑んでいる。拳を握る、その手が青白く、光り輝いた。

 そして、パチンと電流が弾ける。


 この少女が危険だ。本能が、そう警告する。


 ――警告ワーニングwarningワーニング、warning、warning、warning、warning、warning、warning、warning、warning、warning、warning、warning、warning、warning、warning、warning、warning、warning、warning、warning、warning、warning、warning、warning、warning、warning、warning、warning、warning、warning、warning、warning、warning、warning、warning、

わーにんぐ、わーNing、ワーニング。


 彼女の手に集中する、弾け続ける光。その意味についても。


 声にならない声。俺は獣のように咆哮を上げる。少女を潰そうと、新たな鉄球を掴んで。そして、投球姿勢モーションに入る――。


 俺の理性は、ここで灼き切れた。

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