第12話 任せて、水原先輩
きぃ――きぃっ。
自転車のブレーキが軋んだ音を立てる。
ずざっ。
タイヤが砂利に痕を残す。
北区、工業団地。こんな奥にまで来たの、初めてだった。
チェーンが張られ、閉ざされた工場。しばらく放置されていたのは、侵食している蔦を見れば、私でも分かる。
「爽君、大丈夫?」
ひな先輩が水原先輩に声をかけた。軽い脳震盪から復帰した水原先輩曰く、GPSデータは動いていない。だから焦らなくて良い――そう、先輩が言うから。
(……それにしても、ひな先輩っていったい――)
おどおどして、不安そうで。かと思えば、
実験室のサンプルなら、自身の
それが、今は――些細なことが嬉しい。
(変なの……)
些細な幸せを噛み締めて。手を開いて、握って。その度に青白く、放電する。
保育園にいた時とは、まるで別モノのように、力がみなぎった。水原先輩曰く、これはブーストではなく
――遅れついで。
そう水原先輩は言う。
水原先輩が外皮から遺伝子情報に接触、遺伝子レベルで調整してくれたのだ。頸動脈がある場所がコンタクトしやすい。
手根骨よりは、首元。そっちの方がアクセスしやすいって――。
(近い、近いよ――)
済んだ今も、ドキドキが止まらない。
実験室の
水原先輩の計算上では、私の電気ショックで、羽島を活動停止に追い込むことができたはずだった。それができなかったのは、未調整のため、能力稼働効率が悪かったからに他ならない。
――そういうものなんだねぇ。
私が言うと、先輩はがっくり肩を落とす。あれだけ説明したのに、桑島……お前ってヤツは。ブツクサ、その後もお説教が続いたけれど。
(でもね、先輩?)
仕方ないじゃん。
嬉しい、マジで嬉しいって思っちゃったんだもん。水原先輩が私に触れてくれた。先輩が私を気にかけてくれた。それだけで、本当に嬉しい。それだけで勇気を貰った気がする。これなら行ける! 躍動する心を抑えるのに、私は必死で。
「俺はあくまで支援型サンプルだから、完全な調整はできない。カタが付いたら、本格的な調整を手配するから。ちょっと気になることもあったしね。それは、ひなたもだからね?」
「うん!」
「……うん」
快活に頷く私、複雑そうな表情で頷くひな先輩。ひな先輩が、水原先輩の服の裾を微かに引っ張るのが見えた。さり気なく、一瞬だったけれど、水原先輩がひな先輩の手を握る。
私はあえて、見ないふりに徹する。
きっと――水原先輩は、私の欠陥について知ったんだ。私が
自分はそれを代償に、報酬を得たから。もう悔いはない。そう思っていたのに。
けれども、せめて水原先輩にほんの少しで良いから手を伸ばせたら――それが今日、ささやかだけれど、叶ってしまった。だから本当に悔いはないと思う自分がいて。
その反面、私はひな先輩にヤキモチを妬いている。
多分ひな先輩も自覚していないけれど、その心に無自覚なヤキモチを宿していて。
ひな先輩は私のライバルだ。本当なら蹴落としてでも、水原先輩の隣に行きたいはずなのに――ひな先輩を傷つけてまで、奪おうとは、今は考えられない。今の私は、なんて甘いんだろう。
ひな先輩の考え方が伝染したのかもしれない。
ひな先輩は甘い。手をのばして、目にとまる人を助けたいと言う。
それは彼女に危害を加えた存在であるはずの
ひなたは実験室という組織を知らなすぎる。その実験室で、極秘プロジェクトとして開発されていたはずの、特化型サンプルのはずなのに。戦意が欠けていながら、意志が強く――本当にアンバランスで。
そんな【ひな先輩】だから、私に手をのばしてくれた――。
「桑島」
水原先輩の声は、開始の合図。先輩が無造作に指を鳴らした。私とひな先輩にブーストをかけたのだ。
「不具合は?」
「無いよ。むしろ、ぜっこーちょー!」
そうVサインをして見せ、水原先輩は苦笑を浮かべる。その笑顔、もっと見たいと思ってしまう。ぐっと拳を握れば――青白く
「ひなたは?」
「大丈夫、だと思う」
ひな先輩も拳を握る。その手から真紅の炎が渦巻いて。
ひな先輩本来の
この炎が爽を焼き、かつての実験室を壊滅させたのだ。でも、水原先輩はまるで気にしてない――寧ろ、その炎を愛おしそうに見やっていた。
「爽君?」
「水原先輩?」
私とひな先輩に視線を向けられ、ほんの微かに笑みを零す。
「ひなたは心配をしないこと。自分の力を信じて。あの子を助けるんでしょ?」
ひな先輩はコクンと頷いた。
「桑島は無理するなよ? ひなたと俺を頼っていいから。その上でだけど。ひなたをサポートして。頼りにしてるから」
きっと私は、きょとんとした顔で水原先輩のことを見ている。間抜けな顔を晒して。
水原先輩は、憧れの人だった。距離が遠すぎて。彼のことは何も知らないし、今だって水原爽という男の子のこと、少しも分かっていない。
でも少なくとも、彼にとって【ひな先輩】がどれだけ大切な存在かは感じている。それが痛いって思うけれど。でも、ひな先輩を大切に想う自分もいて。
――実験室に抗う為?
――水原先輩を助けたいから?
――ひな先輩の力になりたいから?
――せめてこの命、最後は綺麗に輝かせたいから?
――同じ
――手を伸ばしたいから?
(……自分はなんでこの場所にいるんだろうか?)
思考を巡らしても答えなんか出ない。ただ満たされている自分がいた。
そして、どうしてか――羽島の娘ちゃんの泣き顔。それが瞼にちらついて。そうか、って思う。自分の体を売ってまで、必死で守りたかったモノと、少し似ていたのかもしれない。
(お父さん……)
もういない人のことを思う。結局は守れなかった。自分の体はやがて廃棄されるだけ。そんな私だけれど、水原先輩は、この体を気にかけてくれた。今はそれだけで、本当に十分で――。
だから、私は明るく笑ってみせた。
「任せて、水原先輩」
水原先輩もひな先輩も私が守るよ。
せめて一回ぐらい、誰かを守らせて。泣いていた
ひなた先輩の火花と、私の電流が一緒に弾けて。
それが決行の合図だった。
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