第7話 桑島ゆかり② -acceleration-
左耳にはめた、イヤーチップに指先で触れた。意識を傾けすぎて、自転車が少しだけ傾いた。
(集中、しゅーちゅー)
チュー……いやいや、何を考えてるんだ、私。
でも、イヤーチップに触れながら。思わず、ニヤけちゃう。
――桑島、別行動になる可能性が高いから、これを渡しておくね。
プランの最終確認時、水原先輩に渡されたんだ。
――
水原先輩は、そうニッと笑む。
私は、自転車を漕ぎながら、もう一度、イヤーチップに触れた。
本当は、ひな先輩のように、ネックレスが良いと、思ってしまう。
あれは、彼女にカスタマイズされた
(少しでも、水原先輩とつながりたい)
少しでも、拠り所が欲しい。私に残された時間は僅かだから。それなら、生きた
水原先輩は、人間関係に線を引く。誰にでも優しく、さり気なく立ち回って。平等に接する。でも――。
『いいなぁ』
『仲良くなりたい』
そう思った瞬間、線を引かれて。のばそうとした手は届かない。水原先輩は、優しく拒絶する。関係はそこでお終い。
水原先輩に告白をしようとした人を、何人も知っている。全て、玉砕。そのうちの一人が、感情を拗らせた私だったワケだけれど。
(そりゃ、そうよね)
小さく頷く。水原先輩の胸襟には、ひな先輩がいた。そりゃ、誰も入り込めない。彼は、宗方ひなたという子に、全てを捧げる。それぐらいの覚悟をもっていたのだ。
――遺伝子研究特化型サンプル。
ひな先輩も水原先輩も、その位置にカテゴライズされていると言う。
私は正直、実験室の研究はよく分からない。私は所詮、
でも、サンプルとしての常識はそれなりに持ち合わせている。でも、ひな先輩の
(……支援型サンプルって
そういうカテゴリーのサンプルはいたという話は聞く。でも、実用レベルにもほど遠かった。それが研究者達の通説だった。
【ブースト】なら、大脳皮質皮質に埋め込む、サポートチップで事足りる――。
それが、どうだろう?
水原先輩の【ブースト】は、埋め込み型では為し得ない
効率的に能力を行使できたし、細胞への負担も今までで一番、軽かった。
ひな先輩が、遺伝子研究特化型サンプルであることは、対峙した私が肌で感じている。あの底なしの感覚は、向き合った私じゃないと、きっと分からない。
(……怖い)
でも、暖かい。傷つきながら、電流に痺れながら、唇を噛みながら。ひな先輩がそれでも、私に手をのばしてくれた。その時の表情が忘れられない。
――ダイジョウブ。
遺伝子情報の海越し。て細胞単位で、ひな先輩に囁かれた気がした。
――コワくないからね?
そう、全力で抱き締められた気がして。
(……バカだよ、ひな先輩……)
そんな風にされたら、憎めないよ?
水原先輩も、水原先輩だ。ひな先輩は【
ひな先輩が関わるとなると、学校では見せない笑顔を見せる。それは私に対しても。
(ズルくない?)
もう諦められる、そう思ったのに。ひな先輩も水原先輩も、私をサンプル名で呼ばないの。こんなの ますます諦められないじゃん。
ひな先輩と水原先輩の関係は、実験室時代にまで、遡るらしい。そんなフライの間に割り込むの、そもそも無理って思うのに。諦めようって思うのに。
水原先輩は「桑島」って、ふんわり笑顔を浮かべて、私を呼ぶの。それが本当にズルいって思ってしまって――。
「桑島、桑島! 聞こえるか!」
イヤーチップから、水原先輩の声が、
「あ、え……うん?」
自分はなんて腑抜けた声を出しているんだろう。思わず、自転車のバランスが崩れそうになって、慌ててハンドルを切り直した。自転車が、宙を舞って。私は電撃を放つ。アスファルトを抉ってしまうが、構ってなんかいられない。その衝撃をクッションに、体勢を立て直す。
「桑島?」
水原先輩の声に、思わず口火いるが綻んで――ニヤけちゃうじゃん。私のことを心配してくれた。そう思うだけで、力が湧いてくる。
「……あ、大丈夫だよ。それより水原先輩、このまま進んでいいの? アイツ。まったく見えないけど?」
「待って……あぁ、河川敷を北上してるね。桑島、どこの橋を渡れ。多分、奴は北区に入から」
北区は田舎町という表現が似合う田園風景の残るベッドタウンだ。閑静な住宅街に潜む
「あっちはバイクで、私は自転車ってかなりハンデあり過ぎなんですけど?」
「監視マーカーで追跡できているから大丈夫、焦らなくて良いから。俺達もできるだけ早く、追いつくようにする。そ、それと仮に追いついても……即接触は禁、止ね」
後半は息切れしている水原先輩に、私は苦笑を浮かべてしまう。過去に存在した支援型サンプルは、戦闘型サンプルや量産型サンプルに比べて、体力や火力がどうしても劣るという。
実験室のサンプル開発、その主流から外れたのも納得できる。仮に先輩が、特化型サンプルだとしても。サンプル単体では脆弱で、リスクがつねにあるってことだ。それなら――。
(だったら、水原先輩は私が守るよ! 絶対に!)
そう決意して、自転車のグリップを握り直した時だった。
「おい、ひなた、あまりくっつくな。その胸があたって――」
「でも爽君、下り坂でスピード出て、コワイコワイ! 怖いから!」
「……は?」
思わず、蛇行運転して電柱にぶつかりそうになって、電流を流す。その勢いで、自転車は塀の上へ。さらに電流を放ち、ロケットエンジンよろしく飛んでいく。そして、見事に着地――さらに私は後方に電流を放ち、自転車を加速させる。
(……モヤモヤするっ! 水原先輩のバカっ!)
そういえば、と思う。ひな先輩は、バス通学だから自転車が無い。必然的に、水原先輩の自転車に二人乗りになるのは、仕方ないって思うけれど――やっぱり、釈然としない。
私が、羽島公平を追跡中、先輩達は青春のまっただ中。
(自転車の二人乗りなんて、せいしゅそのものじゃん!)
今すぐ、電撃を放ってやりたい気分に駆り立てられた。もう、全部台無しだ。
「水原先輩?」
「な、な、何?!」
水原先輩にいつもの余裕はない。プランを示してくれた時の、先輩とはまるで別人みたい。
私は、つい小さく笑んでしまう。
ひな先輩以外で――違うね、こんなお願いできちゃうの、きっと私だけだから。だったら、とことんワガママになってやるんだ。
「頑張るから、絶対にご褒美くださいね」
「奢れの件?」
「もちろん。その代わり高いですからね?」
私がワルい笑みを浮かべると、水原先輩はイヤーチップ越し、小さく息をついた。
「……桑島、絶対に俺達が行くまで無理をするなよ?」
私は目を点にしてしまう。水原先輩の心配は、この場に及んで、現場にいる私のことで。
気遣ってくれた先輩の優しさが、無性に嬉しい。
ペダルに力をこめて。
単純な自分に苦笑が入り交じって。
「
そう告げて、私は通信を切った。
光をイメージして。そう水原先輩は言った。
電気は信号。
神経からの信号で、人体は動作するのなら。
「
実験室で失敗した、あの試験。今なら成功させることができる気がする。
「
下腿に微粒に電気が走るのを感じる。私は、目一杯ペダルを漕いだ。
風が、髪を靡かせる。その風を切って。むしろ、私が風になって。
(足りない。まだ、足りない。こんなもんじゃ、まだ足りない――)
もっと。
もっと。
もっと!
――
車を追い越して。
風を纏って。
私は、水原先輩のためなら。
風にだって、なれるから――!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます