第5話 突入―Rush―
瞬く間に、ゆかりちゃんの両手から、電流が迸る。
ガラスが割れる音を聞いて、私は思わず目を閉じ――耳を塞いでしまった。
(……子ども達は?!)
私の心配を爽君は察知したのか、瞬時にデータを私に送信する。
どういう仕組みなんだろう?
瞼の裏側、投影される。保育園の園舎、その簡略図。中心に複数の黄色い光が明滅している。多分、これが子ども達や保育士さん。紅い光が一つだけ、灯っている。これがきっと実験室のサンプルだ。
爽君からの説明はない。でも、細胞レベルで「きっと、こうなんだ」って理解する。
今は、それで良い――。
「目指すのはホール。他は無視でいくよ」
爽君はきっぱりと断言した。目標時間以前に、予断を許さない状況だ。
例のサンプルは、離婚した実子を人質にこの保育園に立てこもっている。ここまでは爽君が情報収集済み。ゆかりちゃんにも、口頭で伝えている。
――ただし、
爽君は慎重にそう呟く。
「ふふん」
ゆかりちゃんは笑んだ。
「牧恵でもマッキーでも、ドンと来いだよ」
うん、絶対に違う解釈をしていると思うな。爽君も同じことを思ったのか、頭を抱えていた。
それでも、ゆかりちゃんはお構いなし。
「先輩、でも……本当に大丈夫なんだよね? 全無視で特攻って、リスクありそうだけど?」
ゆかりちゃんが聞く。その言葉と裏腹に爛々とした表情を隠さない。当てが外れたら、しらみつぶしに全滅させる。ゆかりちゃんの表情は、そう物語っていた。
「爽君が言うなら、きっと大丈夫」
一方の私は、満面の笑顔を浮かべていると思う。
私は今、満幅の信頼を寄せている。
(不思議だよね)
私は思考を巡らす。転校してから自分の環境が、本当にガラリと変わったと思う。それは爽君が、私に対して真摯に向き合ってくれたから。
――ずっと探してい、ってことだよ。
あの瞬間、私はその言葉が信じられなかった。
爽君が、あの子だっていうことも。
今、この時まで。爽君が私を探してくれていた、ってことも。
全部、ウソで――そして、夢みたい。
思い返したら、胸が暖かくなって。どうしてだろう?
(ちょっと、ドキドキする)
爽君と一緒にいる時間はまだ短いのに。嬉しくて、うれしくて。その気持ちが止まらなくて。そんな感情が自然と湧き上がって、本当に止まらない。
爽君が、あの子だ。
あの時のことを思い出そうとすると――。
(……あれ?)
記憶が混濁している。影が揺れて。誰かに手をはかれて、
あの時代のことが、なかなか思い出せない。でも、ふとした瞬間にあの子の笑顔と、爽君の笑顔が重なる。
爽君がこのバケモノって言われた
――
人を無差別に傷つける力ではなくて。
人を等しく、守ることができる力に。その力が万能で無いとしても。
それを水原爽は実現してくれる気がした。
だったら――。
爽君を信頼して、私は駆ける。そして、拳を握る。
「ひなた、ブレーキを解除するからね」
爽君が、にっこり笑いながら。私を安心させるように、言う。
「ブースターをかけたから。できれば【重力操作】を行使、対象サンプルに集中して欲しい」
「
私は、駆けながら、にっこりと笑んで。そして敬礼のポーズをとってみせた。こんな状況下なのに。やれると思ってしまう。きっと、爽君とゆかりちゃんと一緒ならやれる。
「じゃんけんのぐー」
爽君が併走しながら、言葉を続けた。
「え?」
「イメージをして。じゃんけんのぐー」
「イメージ?」
「俺達サンプルは、結局の所、遺伝子情報に眠っている【力】をいかに起動すさせるか。そこにかかっているんだよね。でも俺達は機械じゃないから、その時のコンディションで、パフォーマンスが変化する。だからね、
爽君は冷静に説明してくれる。私は爽君の言葉をなんども反復し、自分の中に落としこむこもうと務めた。
「桑島」
今度、爽君はゆかりちゃんに声をかけた。
「ひなたの支援を頼む。今度は一点集中で。桑島は光をイメージして」
「光?」
「そう。光が1秒間の間に地球を7周半するって、中学校で習ったでしょ? 音より光は早い。轟音のイメージを消して、光に焦点を当てて」
「分かった」
素直にゆかりちゃんは、コクンと頷く。それだけで、理解しちゃうのだから、ゆかりちゃんはスゴイ。私は、きっと考えこんでしまうと思うから。
「素直でよろしい」
爽はニッと笑った。
「ひな先輩」
「うん?」
「これが片付いたら、パフェ食べに行こう1 水原先輩のおごりで!」
「それ意味わかんないし。なんで俺のおごりなの?」
「うんっ」
私は満面の笑顔で応じてみせた。適度な緊張感は残る。でも、どうしてだろう。強張った感覚は溶けて、自然体に今なら行動ができる。そんな気がした。
「何で? ひなたまで、全肯定? 本当に意味不明だし――」
爽君がため息をつくのが、妙に可笑しくて。私はクスクス笑うのを抑えられない。
やれる、できる。
その手をのばせる。だから私は、拳を固め――そこに全神経を集中することに務めた。
「突入、先手必勝!」
爽君が叫ぶ。
風。風のようで。
時間が止まったようだった。
ホールには、保育園にいた全ての子ども達が集められていた。一人の子を抱き締め、血走った目の大人に、妙な違和感を感じる。
その子は震えていた。
違う、って言っている。
こんなの違う――。
実験室に閉じ込められていた時のことを思い出す。
父も母も。私に会ってくれたのは、実験の時だけ。
成果が良ければ、父と母は褒めてくれた。逆に、成果が得られなければ無言で去る。
実験の内容は、やっぱり良く憶えていない。
いっそ怒ってくれたら良かったのに、そう幼い時の私は拳を握りしめた。
あぁ、思い返せば、また意識が混濁する。
何か、言葉が流れ込んでくる。
聞いたことのない声。
(これって……?)
サンプルに目を向ける。
あの人の意識?
それとも、私の意識?
――お前は役立たずだ。
――お前に価値は無い。
――お前は
――お前は、あのチームに必要ない。
――お前はサンプルだ。もう野球選手じゃない。親でも無い。人間ですら無い。
――お前はもうバケモノだ。
――だから全部、潰してしまえ。
――お前は、お前は、お前は、お前は、――ひな、ひな、ひな――。
「ひなたっ!!!!!!!」
爽君が叫ぶ。その声で私は、ようやく我に返った。
自分の中の仄暗い感情と、爽君が呼ぶ声が入り混じって。
目を大きく見開いて、そして深呼吸をする。
怖くない、もう、怖くないから。
『ひなたがバケモノなら、俺もバケモノだよ』
そう言い切った爽君がいる。
今も、耳元に爽君の声が、優しく響き続けて――心配そうに私を見てくれている、爽君とゆかりちゃんがいる。
(……大丈夫)
爽君が託してくれたイメージ。後はただ喚起することに集中する。
拳を固めて。
ぐー、で。
息を吸い込む。お腹のソコから、声を爆発させるように。イメージを点火させるように。
「じゃ……じゃんけん、の!」
大きく力が渦巻くのを感じた。声を発した途端、さらに大きく膨れ上がっていく。
感じる。
爽君の【ブースター】だ。彼が私に力をくれるんだ。だから、安心してイメージを練り上げることができる。やれる。いける――だから後は、素直にイメージを爆発させるだけで。
「じゃんけんの、ぐー!!!!!!!!!」
拳を前に突き出す。
無音だが、何かが蠢くような、そんなザワザワした感覚が生まれて。そして、それは確かに動いたんだ。
刹那――大きな力が、男を強く弾き飛ばす。
男は宙を舞い、そしてステージ上に、激しく叩きつけられた。
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