第4話 実験室のビーカー④ ―考察Consideration―


【実験室のビーカー】



(……調べれば、調べるほど興味深いな)

 つい嘆息が漏れる。


 室長フラスコから許可キーくだされ――この研究に魅入ってしまった俺がいた。


 遺伝子研究特化型サンプル【限りなく水色に近い緋色】は実験室で機密情報カテゴリーとして保存されていた。それは閉ざされた情報、限られた試験場、限られた研究員しか関われないことを意味する。


 機密研究クローズ・ソース――。

 国政がアンダーグラウンドで支援する実験室の研究において、この意味は何より重い。つまり、国家プロジェクトと同類項というワケだ、あの小娘は。


(……本当に興味深い)


 当時は、その研究者枠に俺は参入できなかった。当時は無名――青二歳の研究者。どうにもならないとは言え、重ね重ね、口惜しい。


 まして、抜擢される研究者の適性もある。

 だが、調べれば調べるほど、首を捻ってしまった。関わった研究者は、総数3名。一般研究であれば、当然の数字だが、国家プロジェクトと考えれば、あまりに少ない。


 この研究の中核であった研究者――シャーレとスピッツ。

 あの当時、一級研究者トップクリエイターしか所属できない実験室において、彼らはあまりに異才だった。【異彩】と言ってもいい。


 普通、実験室の研究者は、サンプルと廃材を生成する割合は概ね2:8。

 無論変動はあるが、統計データは何よりリアルだ。の定理と、研究者達は投げやりに言い放つ。


 それが、だ。実験数こそ少ないが、シャーレとスピッツの研究成果は比率にしてサンプルと廃材の比率が4:6なのである。倍に近いし、廃材の無駄も少ない。


 研究指針と被験素体の選別に天性の着眼があるということか。それだけ能力者サンプル――生体兵器研究の開発は混迷を極めるのだ。


 その中で、偶然にも俺に示された機密情報カテゴリー。


 【限りなく水色に近い緋色】という遺伝子研究特化型サンプル。


 垣間見ただけで、【発火能力パイロキネシス】【重力操作】【遺伝子レベル再構成】と三つの能力を確認できた。


 遺伝子特化型サンプルは、通常、多系統能力マルチ・スキルを保持することはできない。同系統であれば可能だが、それでも負担が大きい。脳や細胞に負担をかけ、生体兵器に改変する事の意味は、容易ではないのだ。


 だからこそ、サンプルは特化型研究がトレンドだ。

 マルチタスクは、百害あって一利なし。これが実験室の一級研究者トップクリエイター達の共通の見解である。


 だが、あの特化型サンプルはそれをいとも簡単に、多系統能力マルチ・スキルの実行を成し遂げた。シャーレとスピッツがどんなカラクリであの被験体を製造したのか、興味はつきない。


 だからこそ、罠を仕掛けてみた。


 フラスコも追加データの収集に大きな関心を示し、特に反対はなかった。

 シャーレとスピッツが今や実験室から退き、実験室には情報がない。ハッキングしたレポート、その全貌は1割にも満たない。


 オーバードライブした廃材スクラップ・チップスを再生させたプロセスも気になる。併走していた支援型のサンプルの存在も気にはなるが【限りなく水色に近い緋色】に比べれば、些事だ。漁夫の利を狙うことは愚かだし、できる事ならば情報だけでなくサンプルそのものを得られたら、僥倖だ。


 あわよくば【限りなく水色に近い緋色】の拿捕を。そうでなかったとしても、情報を得る。ここで得た情報を軸に、さらにデータベースを漁ればいい。いかに機密情報カテゴリーとは言え、完全な秘匿などできるはずがない。


 その為にも、あの特化型サンプルには動いてもらう。きっと、あの子の正義感の強さなら、この招待状に応えてくれるに違いな――い?


 俺の思考を停止させる程の轟音が、その刹那響く。

 モニターが沈黙した。


「な?」


「へぇ?」


 同席していた背広姿の男――ヤツは、呑気そうにに、棒付きキャンディを満喫しながら、器用に口笛を吹く。


「……どういうことだ?」


 俺が用意した機材に問題は無い。現場のカメラ、盗聴器、測定装置、その全てが沈黙したのだ。停止以前のデータを漁っていく。


 スピードが早すぎる。これが【限りなく水色に近い緋色】の底力なのか? ビーカーの思惑など、いとも簡単にかわしてしまう程――の?


「なんだって?」

 目をパチクリさせた。


 電気反応? モニターからは200万ボルトの電圧が保育園全体にまるで誘導されるかのように、一瞬で包み込んだ。


 人間が集合した場所の電圧は極度に低い。その一方で、機材の場所はマックス200万ボルトである。こんな高度な操作を事故で片付けることができるはずがない。驚愕して――思考が止まる。


(サンプル、か?)


 いや戦闘特化型サンプルでは、そんな器用な芸当ができるはずもない。俺が知る限り、データーベースにそんなサンプルは存在しない。それだけ電力操作は、研究として暗礁に乗り上げたジャンルなのだ。それこそ機密情報カテゴリーに登録された特化型サンプルであれば別だが。


(……支援型サンプルだったら?)


 環境構築、遠隔干渉、代替操作、情報管理、それが支援型サンプル、能力スキルの代名詞だ。無論、全てを兼ね備えた支援型はいないし、遺伝子研究特化型サンプルそのものの数が少ないから、支援型に注力するよりは、戦闘特化型研究に集中する方がメリットが高い。


 支援型サンプルの研究は、成果が見えにくいし、評価しずらいのだ。


 例えばブースト。これは無駄なエネルギー放出を一つの軸にまとめ、効率的に効果的に力を制御する技術。本来、支援型サンプルの定番技術だった。しかし昨今、ICチップの埋め込みによる機械的外科手術で、代替が可能となっている。

 支援型サンプルは、実験室の研究ロードマップにおいて、トレンドじゃ無い。


(……だが)


 口腔内がカラカラ乾く。

 過剰帯電保有の廃材スクラップ・チップス。そして、支援型サンプル。それで全ては繋がった。俺の思惑を先読みし、監視システムを沈黙させたということか?


(その上で【限りなく水色に近い緋色】を稼働させる魂胆かよ?)


 一部監視システムは、電圧調整で復帰できそうだ。広範囲の雷撃は万能のようで、ムラが出る。


 復旧に5分。


 だが、前回の【限りなく水色に近い緋色】の能力を見れば分かる。今回の廃材スクラップ・チップスを制圧するのに、5分とかからないだろう、――。


「……俺が出ようか?」


 キャンディを舐めながらヤツは笑む。


「不要だ。廃材スクラップ・チップスの方でなんとかさせる」


「特化型サンプル相手に、か? 実験室の研究者も脳味噌が腐ってきたんじゃないか? 悪魔の実験の繰り返しの代償は、狂気の業火。汝、罪深し。まさに、悔い改める日がきたとはこの事だ! 改めよ、今こそ! 懺悔せよ幾重もの罪を!」


 まるで表情がガラリと切り替わったかのように。可笑しそうに、演技じみた手振りで。その目はまるで本心からそう思っておらず、研究者を嘲弄するかのような笑みを浮かべていた。


「黙れ。お前はお前の仕事をしろ」


「突入も不許可。監視システムは動かない。それでは、遺伝子実験監視型サンプル【弁護なき裁判団】と言えど、為す術もなし。嗚呼、哀れなり。哀れなり」


 表情がまたガラリと変わる。まるで別に人間がログインをして、そしてまたログアウトするかのように。


「……お前は……本職でもそうなのか?」


「まさか。そこは猫被りさ。仮にも公僕、県警捜査一課の警部補だぜ? 殺人現場でキャンディは舐めない。チョコパイにとどめておくって」


「いつか被害者家族に撲殺されろ」


 俺は無視を決め込んで、機材の調整に入った。【弁護なき裁判団】だけはできるだけ利用したくない。ヤツらの行動ログは室長に筒抜けになるのだ。


 システムの復旧作業と同時並行で、廃材スクラップ・チップスにむけて、信号を送る。高周波で、人間の聴覚では聞き取れない周波数だが、廃材スクラップ・チップスは認識するはずだ。


 ナンバリング・リンクスを応用すれば、こういうこともできる。

 


(最大級の返礼をしようじゃないか、君?)



 小癪こしゃくな手で撹乱してくれた支援型サンプルに向けて。

 ニンマリと俺は笑みを浮かべるのだった。

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