第16話 三人
(先生の話、長すぎるよ!)
ちょっとぐらい、愚痴を漏らしてもきっと許してもらえるはず。彌生先生の顔を思い返して、つい苦笑がつい漏れた。ありがたいって思うけれど。
呼び出されてドキドキしていたら、何のことはない。クラスに慣れたのか、勉強はついていけるのかといった、案じる内容ばかりで。正直、授業は前の学校と範囲が違うので、クエッションマークが浮かぶが、そこは爽君が勉強も見てくれると約束をしてくれている。
(すごいなぁ)
嘆息が漏れる。学内、30位をキープ。彼は支援型サンプル。爽君なら、学内トップと言われても、驚かない。
でも、彼なら目立たないためのカモフラージュとして、わざとトップじゃない位置にいりょうな気がする。
私は急ぎ足で廊下を進む。目指すは旧校舎の屋上だった。
今は焦らず、少しずつやっていこうって、思えるようになった。
この学校には今のところ、渡すを拒絶する人がいない。それどころか、こんな
――ひなたがバケモノなら俺もバケモノだから大丈夫。
そんな風に揺るぎなく、言ってくれる人がいる。どうして、こんな私に? と、思わなくもない。でも自分を信頼してくれる人の言葉を疑うのは、なんだか違う気がした。それなら、しっかり頼ろう。そして、頼ってもらうようになろう。心の底からそう思う。
たんたん、たん。
足音が響く。
階段を駆けて、屋上までもう少し。
息が乱れる。
鍵なら、壊れていると教えてもらったのは昨日のこと。ドアが軋んだ音を立てながら、ゆっくりと開いた。
「遅かったね」
「待っていましたよ、ひな先輩」
そう、ビニールシートを敷いてセッティング万全の水原爽と、あの後輩の女の子――桑島ゆかりに満面の笑顔で、歓迎されたのだった。
■■■
(不思議な感じ……)
胸が温かくなる。私は今まで一人で昼食食べてきた。他者と関わることが少なければ、
その暴走を爽君が抑えてくれることが分かっても、やっぱりコワイと思ってしまう。
一人ぼっちのお昼ご飯は転校初日、ものの見事に爽君に阻止されたわけだけれど。
屋上から街の光景を見やり、母が作ってくれた弁当を食べる。
――ひなたも自分で作ってみたらいいのに。
母にそう言われて、面食らってしまった。でも隣で爽は、自分のお弁当を分けてくれている。全て自分で作っていると聞いた時は、目を丸くしてしまった。
そして何より、桑島ゆかりが甲斐甲斐しく、ひなたにお弁当のおかずを分けてくれる。
でもゆかりが、爽にもおかずを分けようとするのを見た途端、胸がモヤモヤしたのはどうしてか。
「ひな先輩、私が作ったハンバーグどうですか?」
ニコニコ笑って、ゆかりは言う。
「お、美味しい……」
素直にコクンと頷く。隣で、爽も同様に頷いていた。そんな表情を見て、ゆかりは気を良くしたのか、さらにタコさんウィンナーを、ひなたに譲ろうとする。そんな二人の光景を、爽は憮然とした表情で、見やる。
「水原先輩、ヤキモチ?」
「今さらだけど、なんで桑島がココにいるんだって、我に返っただけ」
「ふっふっふー。私が水原先輩とひな先輩を二人っきりに、するワケないでしょ? それより、さっきも告白された水原君は可愛い子と、お昼をしてきたらどうですか?」
ニシシと、ゆかりちゃんは笑って――。
(え?)
一瞬、心臓が止まるかと思った。爽君だって、男の子だ。恋だってするし、自分のプライベートだってある。私に構っている場合なんかじゃ――。
「ひなたの傍にいる時間を削ってまで、他の子と過ごす理由がない」
「言うと思ったー」
爽はぶすっとして。対象的にゆかりはケタケタ笑顔を浮かべている。
2人がまるでじゃれあっているように見えて、それが羨ましいと思ってしまう自分に気付く。だけれど、この胸中を疼く、モヤモヤした感情は、いったい何なんだろう?
思案しかけて、その思考を私は打ち消した。
(――今はそんなこと考えている場合じゃないから)
深く息を吸い込む。
私はゆかりちゃんに向き合あった。言うべき言葉を口にするために。そんな私を見て、彼女は目をパチクリさせた。
「……ゆかりちゃん、ごめんね」
「ひな先輩?」
「ずっとどう言って良いか分からなくて……」
「ひなた?」
爽君も首を傾げる。
「……ゆかりちゃんの
遺伝子レベル再生成で、私ができたこと――それは、
彼女は未だ
爽君とゆかりは顔を見合わせる。そして苦笑が漏れた。やっぱり二人は仲が良い。やっぱりモヤモヤした感情がに囚われそうになって――なんとか、その感情を飲み込む。
「ひなた? この前も言ったけど、
「でも!」
私は思う。実験室に縛られる人間は少ない方が良い。
ゆかりちゃんの爽君を想う、その気持ちは本物だった。でも、ゆかりちゃんは、彼が振り向いてくれないことを自覚したうえで「今のままで良い」と笑う。それなら振り向かせるだけ、そう言い切るから、本当にゆかりちゃんは強いと私は思う。
その強さで、今でも背筋をのばして爽君を見つめている。そんなゆかりちゃんが、私はただただ眩しい。
「私は感謝してるんですよ、ひな先輩?」
ゆかりちゃんが、手をのばす。その指先を青白い電気が奔るのを、満足そうに、彼女は見やる。
「私、ずっと誰かのせいにしてきたから」
「……え?」
予想外のゆかりちゃんの言葉に、私は目を大きく見開く。
「私が認められないのは、私が
「……」
「多分、今でもその状態は変わってないと思うんですよ……でも気分はイイ感じなんですよね」
ゆかりちゃんが、軽く口笛を吹く。その音が、やけに澄んでいるように聞こえた。
「私、ひな先輩のようになりたいって思ったんです」
目をぱちくりさせる。ワタシ?
「先輩は私に手を伸ばすことを迷わなかった。トバッチリで、八つ当たりにも近かったのに」
そんな高尚なものじゃなかった。ただ体が動いただけ――そう言いたかったけrど、何故か言葉にできなくて。私は唾を飲み込む。ゆかりちゃんの笑顔がこれでもかと言うくらいに眩しく感じてしまったから。
「……でも、私と一緒にいるということは、実験室が何らかの形で関わることになるよ?」
「「望むところ」」
爽君とゆっかりちゃんの声が重なった。「だ」「です」と不協和音を打ちながら。
私は目をパチクリさせて。爽君は苦笑を浮かべ、ゆかりちゃんは満足そうに頷いている。
傷つけたり、想ったり、身勝手で、そして忙しくて。
私は目を閉じる。身勝手で私達は弱いかもしれないけど、目一杯生きてる。コワイという感情がやっぱり強い。でも我が儘かもしれないけれど、もっと手をのばした人達がいて。
だから、爽君のことも。そしてゆかりちゃんのことも――もっと知りたい。
コワイ。
でも知りたい。
手を伸ばすのは、本当はコワイ。怖い。でも、爽君はあっさり手をのばしてくれた。それは彼にとっての過去――実験室時代の清算でしかないとしても。
爽君がいたから。
私はゆかりちゃんへ手をのばすことができた。
ゆかりちゃんは今度、ひなたに手をのばそうとしてくれている。
だから、孤独じゃない。孤独じゃないことがコワイだなんて、思いもしなかったけれど。
と、爽君が顔を上げた。愛用のスマートフォンを取り出す。同時に空気がピンと張り詰めたのを私は感じた。それはゆかりも同様だったらしい。
ナンバリング・リンクス。
遺伝子研究サンプルは特有の微弱な脳波を発信している。本来は、サンプル稼働で日常的に漏れ出す、検知困難な高周波シグナルだった。
でも、爽君は違う。ナンバリング・リンクスを、索敵に使用する。
この数日間は、ナンバリング・リンクスを始めとした初歩技術のトレーニングを。そして、転校して躓いている各教科の勉強会に時間を費やした。
爽やかで包容力のある爽君だが、こういう時は容赦なく鬼教官だった。クラスメートの野原彩子が「腹黒王子」と言うのも分かる気がする。
でもそれも、ひなたを思ってのこと。泣き言を零す余裕なんか、あるはずがなかった。それは兎も角として――。
「実験室?」
私は顔を上げて聞く。情報取得に関して、爽君に満幅の信頼を置いている。でも、爽君は言いたくなさそうに、口ごもる。ほどなくして、覚悟を決めたのか小さく息を吐いた。
「
と私を見る。
(そっか)
私は爽君が作ってくれたたこさんウィンナーを味わって――それから、立ち上がった。
「やっぱり、行くの?」
やれやれ、と爽君も立ち上がる。気苦労も一緒に抱えて。だから言いたくなかったんだ、と彼がぼやくのが聞こえた。この相棒は、私を一人で行かせるつもりは毛頭無いらしい。
やっぱりね、とゆかりちゃんも同様に。
歓喜を表すように、その手にさらに青白い電光を明滅させ、臨戦体制に入る。
「……付き合わせて、ごめん」
私は頭を下げる。でも、爽君は破顔するのみで。
「ひなたなら、そう言うと思ったからね。そこは『ありがとう』で良いよ?」
爽君はにっこりと、私に微笑む。
「格好の稼働試験だと思えば、お安いご用だよ」
再度、満面の笑顔。鬼教官、腹黒王子は微塵もブレない。
私は、つられて笑みを零す。ありがとう、そう呟く声は、しっかりと爽に届いた。
爽は、ペンダントを通して、
「
「詳細データを送る。悠長なことを言ってられないかもね」
「……
私はぐっと、拳を固める。火花が、パチンと弾けた。
「なんかいいなぁ」
そう呟いたのは、ゆかりだった。
「え?」
「なんか、二人だけの世界になってる!」
「へ?」
「は?!」
爽君も呆れた表情を見せるが仕方ない、
現状、私にに合うように
「ひな先輩ともそうやって繋がりたいなぁ」
冗談なのか、本気なのか。ゆかりちゃんのセリフに私は頭痛を憶える。
「あんなことや、こんなこと、少し卑猥なこともひな先輩に送信したりして、ね」
いひひ、と笑う。どう答えて良いのか、困惑する私と。深くため息をつく爽君と。
「時間が無いから、行くよ」
と爽君は、強引に私の手を引く。
「え、あ、うん」
「あ! 水原先輩、ズルい!」
「うるさいよ。桑島がいると、ひなたとの時間を確保できないだろ!?」
「ホンネが出た!」
「作戦を立てたいの。話が進まないから、チャチャをいれんな!」
「イチャイチャ?」
「やかましいっ!」
そんな二人のやりとりを聞きながら、私は――爽君の手を、自分からも握る。
(暖かい……コワいけど、爽君が一緒なら、コワくない)
爽がチラリと私を見る。それだけ。ペンダントを媒介にしなくても、伝わる想いがソコにあって。
――行こう?
私を全肯定してくれる爽君がいる。ゆかりちゃんがいる。二人を危険な目に合わせたくないと思う自分と、それでも手をのばしたいと思う自分がいて。やっぱり無視することなんかできない。
だから、爽君の存在をもっと感じたくて。爽君の力をもっと貸して欲しいと思ったその刹那――爽君も、私の手をもう一度、握り返してくれた。肯定の感情がその手を介し、温度で伝わる。
もう片方。
私の手を、ゆかりちゃんが繋いで――。
(だからコワくない)
そう思えた。
「行こう?」
「行くか」
「行きますか」
意識しなくても、自然と3人の声が重なったのは、きっと偶然じゃない。
________________
第1章 限りなく水色に近い緋色 終幕。
「第2章 使い捨てられる廃材たち」へ。
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