第14話 実験室の研究者、ビーカー③
生徒会室をノックしようとして――その前に、ドアが開いた。
「お待ちしていましたよ?」
「察しが良いことで」
俺の反応に生徒会長はニンマリと笑んだ。
ビーカーは特に迷いもなく、パイプ椅子に腰を掛けた。
会長は、USBメモリーを自分の掌に突き刺した。カーテンが、一斉に締まり、照明が落ちる。俺は、その光景をただ見やる。
あの少女が、ビーカーの眼の前に、佇んだ。
■■■
その少女は押し殺した感情を吐露するように、拳を固めた。
熱反応をシステムは検知する。無造作にボールを投げるようにその腕を全力で、振る。生まれる火球が、激しく音をたてて破裂する。
そして銀の糸が火の粉に紛れて、カメラに向かってのびて――そして沈黙した。
■■■
逆再生をする。少女の動きがあわせて逆回転した。
「ふむ。
「それはアイギスが喜びますよ、ビーカー」
ビーカーは、その少女の映像に向けて手をのばす。質感の再現には至らず、俺の手をすり抜ける。俺は、漫然と彼女の炎に触れて、輪郭をなぞり――その動作を繰り返す。
「燃焼温度3000度か。もっと凝縮できそうだな。それと、擬似的な重力操作を検知したが、やはり発源元はこの子か?」
疑似重力操作――地場を干渉して擬似重力を発生させる。しかし、実行に、あたっては負荷がデタラメなくらい、コストが過剰なはずだ。その場面を改めて再生させる。
「やはり支援型サンプルの介入か。監視システムをハッキングしやがったか」
想定内だが――舌打ちする。
火炎の弾丸に乗じて、織り交ぜられた銀の糸。この正体不明の【
あげくの果てに、データを盗用、ご丁寧に保存済みのファイルまで削除してくれたのは間違いない。
(発源元は支援型サンプル――やはりあの
シリンジがどんなにデータの救出を試みても、監視システムのデータベースに、ファイルは欠片も残っていないだろう。それは安易に想像できた。
この【アイギス】が絶対領域内に保存したデータ以外は。
「だが、それより興味深いのは……」
再生。再生。再生。再生を繰り返させる。
「遺伝子レベル再生成……? コイツがタダの
遺伝子レベル再生成――遺伝子配列を瞬時に操作し、細胞レベルで活性化。免疫力を強制的に高めた。
多分、その過程で
言葉にすれば一行。
だが、特殊遺伝子工学の最先端をいく実験室と謂えど、瞬時に遺伝子レベルに干渉する技術を、俺は知らない。
廃材が
これは、
この技術だけで、実験室の
思わず、爪を噛む。考えれば考えるほど、背筋が寒くなる。支援型サンプルを含め、4体のサンプルによる応戦があった。それならまだ、納得できる。だが、実際は彼女――正体不明サンプルによる圧勝。
支援型サンプルによる明らかな能力行使も確認でき――。
(……いや、違うな)
分析して初めて、支援型サンプルによる干渉を確認した。【アイギス」の絶対領域だからこそ、探知できた。それぐらい、あの少年の【
背筋が本当に凍えそうに――。
と、その刹那。目眩を覚えた。一瞬、視界が歪んだのは、きっと錯覚じゃない。平衡感覚を奪われたような。管理権を手放したような、そんな感覚に囚われる。
乾いた拍手がパンパンパンと鳴り響いた。
「ビーカー、【絶対領域】に第三者の侵入を検知――」
そう報告する生徒会長の言葉を、この手で制する。
彼女の立体映像。その向こう側に、2つの映像が侵入してきた。
一つは、よくニュース映像でも観る首相官邸。優雅に座ってワインを舐めるように飲んでいるのは、この国の首長――内閣総理大臣。
一方の映像は、
「――
俺は最敬礼で頭を垂れた。本来なら権限を有する
「よく教育されているね、ビーカー」
フラスコは満足そうに笑む。
「まさか君が【限りなく水色に近い緋色】のデータに到達するとは思っていなかったよ」
「……」
決して軽んじられているワケじゃない。ただ、実験室において、この研究が室長が管轄する最重要機密であることを意味する。実験室のデータベースが、俺の検索を拒否したことからも、秘匿性・重要性のレベルに、背中の芯まで凍えそうになる。
「君がドコまで、この領域に足を踏み込めるかは未知数だが、気になるなら探究してみたら良い」
予想外の言葉が、フラスコから紡がれて――俺は思わず、目を見開いた。
「あの研究は時期尚早というのが、君の見解じゃなかったのか?」
内閣総理大臣が口を挟んだ。
「確かに、総理。あのサンプルの存在そのものが、悪魔の所業と言えます。しかし、科学に愛されたモノは等しく、悪魔に魂を売り渡したと言っても差し支えないですから。あの
「私には歓喜の感情を抑え切れないように見えるが……確か君の実験室を一度、潰してた子だろう? ゆめゆめ足元を掬われないようにな」
「ご心配なく」
そう、フラスコは確かに
「この世は所詮、全てが実験場ですからね」
ぶぅん、と歪む音がして。
"
"ENTER"
ダイアログが視界に明滅したのも一瞬のこと。
風が頬を撫でて。カーテンが揺れる。
もとの雑然とした生徒会室が、目の前に広がっていた。
(クソッタレ)
結局、フラスコは何も明示することなく、
得体の知れない【限りなく水色に近い緋色】というサンプル名だけを残して。
■■■
「ビーカー、申し訳ありません。保存していたデータは全て削除をされて――」
「別に心配することはない。そうだろ?」
「……まぁ、一応は体裁として、報告をさせてくださいよ?」
生徒会長は小さく微笑む。つい先程、一介のサンプルでは到底踏み入れない経験をしたというのに――やはり、こいつは俺の【子】だと思う。むしろ、これぐらいで臆されていては困る。
「どうせ【
「返す言葉もないですね」
柔和に笑む生徒会長を尻目に、グラウンドで野球やサッカーにいそしむ高校生達を窓から見やった。
このうちの何人が優劣をつけられ、評価され、表舞台に立つことができるのか。そう考えたら学校からという場所は、選別するための
と、校庭を歩く高校生三人の姿が目に飛び込んでくる。【アイギス】の絶対領域までは、切断されていない。俺は手でスクロール、フリップ、空間をスワイプして、視覚情報を拡大する。
間違いない――。
「実験は継続ですか?」
生徒会長も同様に見やる。ビーカー以上に、彼女たちのことを精細に視ているはずだ。
「もちろん。だが、当面は傍観だ。データが欲しい」
「承知しました」
"ENTER"
かくして俺は実験開始を宣言した――。
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