第12話 手をのばす
「――
爽君の言葉の意味を私はゆっくり噛み砕く。
無理だって思う――。
実験室流に言い換えたら。
――通常の方法ならば。
そんな意趣返し。実験室の研究者とサンプルは、そんな言葉遊びの応酬が、日常茶飯事だった。爽君の意図は痛いほど分かる。彼は、私の安全を最優先にしたいんだ。
でも、それは――イヤだ、って思ってしまう。
「……爽君、バケモノの片棒かつぐんでしょ? デバッガーは私を助ける為にいてくれるんでしょ? そして爽君は私を助けるために手を尽くしてくれたんだよね? それなら……私は、あの子を助けたい。爽君、その方法を一緒に考えて」
ひなたは真っ直ぐに、爽を見やる。爽は視線を逸らして、憮然とした表情のままスマートフォンに目を落とした。
「成功する保証はないぞ?」
「確率は?」
「推定40%、でもこれは簡略関数による――」
「それなら、やるだけやりたい。だって、
「……作戦は変わらない」
爽君は、唇を噛む。真っ直ぐに、私を見る。今この瞬間も、彼は計算を繰り返している。彼のスタンスはきっと代わらない。それでも、私のワガママに付き合ってくれる、と言う。その信頼に、私は応えなくちゃいけない。
自分の
「とりあえず、あの壁を吹っ飛ばして」
「やってみるっ!」
二人が頷くと同時だった。
彼女は言葉にならない咆哮を上げる。その目から、理性が失われている。あきらかに、
力がコワイ。誰かを傷つけるのがコワイ。誰かを失うことも。コワイ。コワイ。誰かに手をのばすことも、誰かに後ろ指をさされることも。誰かに背中を向けられることも。――だから今も、爽君が自分に手を伸ばしてくれたことが嬉しかった。
でもその半面、彼女の気持ちを突っぱねる爽君を哀しいと思ってしまう。勿論、世界中の全ての人間と仲良くなれるなんて思ってなんか、いないけれど。
ただ、目の前の彼女は苦しそうだ。それだけ爽にむけて、真剣に想いを傾けて、手をのばそうとした証拠だって、思う。
『ミズハラ先輩……先輩……先輩、先輩!』
伝播する声。私は
覚悟を決めた。
「爽君を信じるっ」
自分の意志で力を放つのはこれが初めてだ。うまくいくだろうか? やっぱり不安が沸き上がる。だけど、私は爽君を信じると決めたから。
力は最小限、学校もできるだけ壊したくない、みんなを傷つけたくない。力を込めて。だから――。
「へ?」
ひなたは目を疑った。その手から――炎は生まれなかった。その変わり、無音で壁が崩壊する。
何か見えない力が、壁を殴りつけた。
「重力操作? さすが、ひなた! 想像以上だ!」
「え?」
鉄骨が剥き出しになることに罪悪感を感じていたのに、爽君から賞賛の声を受け手、面食らってしまう。
「ひなた、もうひと押し! 鉄骨を束ねることはできる?」
「やってみる……」
――できるだろうか?
不安が過る。でも、私は首を横に振る。
できる、できないじゃ無い。
するんだ。
だって、爽君の言葉の
彼は、私を信頼してくれている。
それなら。
そうなら。
私がすべきことは――。
ぐっと拳を握る。鉄骨がぐにゃりと曲がって、一本に束ねられた。と、爽がスマートフォンを操作する。その刹那、天井が崩落する。砂埃が舞い上がって――鉄骨が、赤銅色に染まる。
電流が誘導されたのを、感じる。
「え?」
私は目をパチクリさせ――思わず眺める。
爽君はスマートフォンの操作を続けた。タップ、フリック、タップ、タップ、フリック。その瞬間、暴れくれっていた電気の弾丸は鉄骨に集まり――これでもかと言うくらいに、降り注いでいく。
「……これ、避雷針?」
コクンと爽君は頷いてみせる。
(すごい……)
私は唾を飲み込む。ネックレスから、彼が思い描いた作戦が、流れ込んでくる。彼が狙っていたのは通電しやすい避雷針モドキの確保だった。
天井の資材に含まれていた銅材を分解して、鉄骨に再化合。これがスッテプ1。次のステップは、爽とひなたの空気を、密度の高い不導体ににすることだった。この空間に、埃や湿度を圧縮する。不純物が交じることで、電気抵抗はより高くなる。
もともと過剰帯電保有を消耗させる手として思案していたが、ひなたの
でも、懸念もある。こんなデータ、
「ああぁああっ……あっ!」
彼女の叫びがこと切れ、体を折るように倒れる。慌てて私は駆ける。
「ひなた!」
爽君の案じている声を感じる。でも、私の方が早かった。彼女に触れた瞬間、手を押し返す程の電流が体を駆け巡る。それでも構わず、私は彼女に向けて手を差し出した。
彼女も無意識に手をのばす。
手を握る。電流がさらにひなたの躰を駆けまわった。
バチン、パリンと電流が弾ける。
毛の何本か、きっと逆立っているが、そんなこと気にしていられない。
「ひなた!」
もう一度――何度も爽君が叫ぶ。ダイジョウブ。私は声にならない声を漏らす。ようやく唇だけを動かせた。
よく考えてみたら――本当に腹ただしい。
勝手に実験して、弄り回して。その結果、サンプルだ
実験室の科学者達は勝手過ぎるんだ。そんなに実験したいのなら、自身の体を使えばいいのに。
私の体内を激情が駆け巡る。未だかつて、こんなに怒ったことがあっただろうか?
だから――。
彼女の手を掴む。指とその指が絡んで。
(私は、その手を絶対に離さない)
電流を押し返すような、そんな動きを体の中から感じた。電流を押し返す? 違う、そうじゃない。電流そのものを飲み込もうとする【力】を感じた。
意識の深層、もう一人の私が、嬉しそうに笑った。
舌なめずりをしているように感じた。
――代われ。
――そうしたら、さ。全部、壊してあげるから。
(うるさいっ)
唇が痺れて、声にならない。それでも、感情を叩きつける。
貴女に頼らなくて良い。私は、この子に手を差し伸べる。だって、そう決めたから。
(――それに、私には爽君がいるッ)
私の手に爽君が手を伸ばす。刹那、爽君が苦痛に表情を歪ませた。
「爽君?!」
「迷わなくていい。大丈夫、俺がブーストをかけるから」
爽君が私の
「これは……。でも――これなら……!」
唖然とする。ブレーキをかけたり、倍増したり。暴走することなく、今ならひなたの感覚で【力】を放てる。
これがデバッガーの能力? 思考する。爽が迷うな、と言う。それだけで完全に【力】を使うことへの迷いが消えた気がする。
もう一人の私が。
貴女は、もう意識の底に沈んだ。もう、顔は
私はこの子に手をのばしたい。
だったら――。だから、だから、だから、だから、迷いなく。
私は手をのばしす。
仄かな光は、火垂るのようで。でも私の
「まさか……遺伝子レベル再構成?」
爽君が呟いた。
光が彼女の体を駆け巡って、蓄積した過剰電流をすら、かき消していく。私でも、分かる。彼女を【
光の雨が止んで――童は不安そうな眼差しを爽に向ける。ふわふわする。
膝がぐらぐらした。
この感覚には、憶えがあった。
膝がぐらぐらした。
目が回って。
ぐらんぐらんする。
あの時と同じなら、きっと私は、間もなくフリーズする。
「……爽君?」
「スゴイよ、ひなた。よくやった!」
爽君は私を抱き締める。その髪を無造作に撫でる。気恥ずかしいなんて、言っていられなかった。むしろ、安堵して。爽君の指先の動きが。髪を梳く、その仕草が。今の私には、全て懐かしくて。
膝が力を失い、倒れ込みそうになるのを、爽君が余裕で受け止めてくれる。
あぁ、そうだった。
やっぱり、懐かしい。
あの時もそうだ。
実験室で。
フリーズするぐらい、負荷試験をした時。
爽君、こうやって抱きしめてくれたよね?
今さらだって思う。
本当に――ごめん。
そう、漏れかけた言葉は、爽君似よって、塞がれた。
「ひなた、もう少しだけ頑張られる?」
「え?」
「あそこ」
爽君は指差す。何の変哲もないLED電灯が、電流の影響も重力操作の影響も受けずに残っていて――とても、不自然だった。
「通信電波を感知した。多分、見られてるよ。実験室に、ね」
私はなんとか気力を振り絞って、カメラを見やる。
「放っておいていいと思う。でもそれじゃ踊らされてる感があって、俺も癪だ。どうする?」
「どうするって……?」
「策としては気付いてない素振りを演じ続けることが望ましいけど、ね」
「うん……」
私は拳を握る。爽君の言う通りだ。実験室は、水面下で研究を続けていた。今なお実験室は蠢動し続けている。そして、私はいつまでたっても実験室のサンプル。
そして、何より――。
私はムシャクシャしていた。
(結局、今後も監視され、道具として利用しようとするのが変わらないってことだよね?)
それなら、だったら――。
私はため込んだ感情を吐露するように、拳を固めた。
熱を感じる。無造作にボールを投げるような感覚で腕を――全力で、振り投げる。
生まれる火球が、激しく音をたててカメラに直撃して――弾けた。
そして静寂。力を出し尽くした私は、ゆっくりと爽君の胸の倒れこんでしまう。
瞼が重い。
爽君の体温が暖かい。
甘えすぎだ。
疲労で辛いのは、爽君だって一緒なのに。
(起きなきゃ、起き――)
パチン、パチンと火の粉が弾ける音が、響き続ける。
パシン――。
小さくショートする音が響いて、その後静寂に包まれる。
そっと私の髪に触れる、指先を感じて。
過去も、今も。そんなことをする人は、たった一人しかいない。
ただ、身を任せて。
無防備でいても、許してくれる人。
私のことを、ずっと探してくれていた人。
爽君のことを考えると、それだけで胸が熱くなる。
この感情に、名前を付けるとしたら、なんて言うべきなんだろう?
「お疲れさま、俺のお姫様」
耳元で囁やかれて――。
甘くて。
爽君の温度に溶かされてしまいそうで。
私の意識は、そこで落ちた。
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