第5話 バケモノ / 大丈夫という言葉


 とく。とく。とくん。

 胸が早鐘を打つのを感じる。


 胸に手を当てて。

 私は深呼吸をする。


(お願いだから、暴れないで)


 発火能力パイロキネシスが暴走しないように、何度も何度も自分に言い聞かせる。


 今までの学校でのことが、脳裏によぎる。

 目蓋の裏側が、真っ赤に染まる。


 授業中、体育館、職員室で感情が昂まった時に、かならず燃え上がる火種。火炎。焔。


 原因不明の不審火と、新聞に書かれたこともあった。

 みんな、何も言わない。

 口を噤む。

 

 ――あいつのせいだ。

 視線に、そんな感情を塗り込められて。

 転校は必然だった。


 だから絶対、この学校では暴走しないように、【能力スキル】を抑え込まないと。もうお父さんとお母さんには迷惑をかけられない。


 拳を固める。


 もう一度、深く息を吸い込んだ。それから目を閉じて、光を遮断する。

 ノイズ。砂嵐が目蓋の裏で、渦巻いていく。心臓の鼓動がバクバク脈打つのが止まらない。


(落ち着いて! だいじょうぶ、大丈夫だから!)


 ザーッと雑音が鼓膜を鳴らす。

 ピン。

 誰かのスマートフォンの着信音が鳴り響く。


 あの時の音に酷似していた気がした。

 こういう時に限って、思い出したくもない記憶が、再生されてしまう。





■■■




 あの時も電子機器に囲まれ、無機質な音が耳を刺激してきた。


 だから電子音を聞くと、実験室で調整されていた、あの時の記憶が沸き上がる。

 感傷じゃない。単純に、事実。それから過ぎ去った過去として、私は受け止めているつもりだった。


「……君はサンプルだ」


 そう言ったのは研究者の一人。識別名コード【フラスコ】だった。

 彼は遺伝子工学研究所――通称実験室の室長。つまり研究者達の代表だった。


 彼――【フラスコ】は、私がその意味を理解している理解していないに関わらず、言葉を紡いでいく。呆然と私は彼の言葉を聞くしかない。


「君はサンプルだ。だから感情は必要無い。迷いも必要無い。君の価値は、有用な道具であるということだ。道具は使われる事を恐れない。それは摩耗を恐れないということだ」


 彼はコンピュータ上の数字を確認しながら言葉を進める。


「だがそんな中で、君は両親に愛されたいという感情に支配されている。それはマヤカシであることを認識すべきだ。二人は実験室における”シャーレ”と”スピッツ”でしかない。彼らもまた器具だ。研究のために感情は排他した。そんな二人に愛情を求めるなど、愚行じゃないか?」


 彼のご高説は続く。この時のことを思え返せば、いつも頭痛がする。疼くような、そんな違和感を頭頂部に憶えて。


 (……この時だったんだよね)


 この時、私は反抗の狼煙のろしを――感情の赴くままに、火炎パイロキネシスを燃やし上げたのだ。

 どうでもいい、つまらない独演会だった。


 フラスコは、管理側だ。彼を始めとした研究者は、自分達が優位だと信じて疑わない。


 別に私が道具である事に異論はない。私達サンプルに決定権はない。実験を繰り返し、細胞の調製を繰り返す。それがサンプルの存在意義だ。宗方ひなたには、それしかできない。そんなこと、とっくの昔に分かっていた。


 でも――。


 私は許せなかったんだ。

 両親に対する感情を否定されたことが。


 私にとっては、それが【ぜんぶ】だったから。


 報われない事はもう知っている。手をのばすことすら許されない。道具? そんな生易しいモノじゃない。研究員達が常に言ってるじゃないか。


【化け物】


 と。


 すでに知っていたから。自分の能力スキルだって。


 私はバケモノで、私はドウグで、未来も幸福も、そもそも私にはない。幼いながらに、もう知っていた。


 でも、それでも――。

 この感情を否定されたことが許せなかった。


 そんな感情から生まれた火炎。

 身勝手な炎が焼きつくした事で手に入れた自由。

 政府による低レベルの監視があることを除けば、私は本当に自由だった。


 その自由を得た代わりに、私はあの少年を焼いてしまった。

 ざらざらとした記憶の中で、炎が彼を焼く。それなのに、彼は私を心配させまいと笑顔を向けててくれる。今でも、あの少年の顔が忘れられないのた。。


 あの少年の笑顔が、朝の彼が重なって。

 なんで?

 どうして?


 胸を焦がすような感情が芽生えるのはどうして?

 私は大きく息をついた。


 (だって、私はバケモノなのに……)


 何を望んでいるんだろう――。





■■■






「大丈夫」


 実験室の隅っこで。膝を抱えて蹲っていた私に、そうやって声をかけてくれたのは――。







■■■






「大丈夫」


 目を開ける。光が飛び込んできた。彼の声にかき消されるように、電子音もノイズも消える。

 教室の後ろから、彼が言葉を投げかけてくれていた。私は目をパチクリさせる。


 彼は、私に向けて微笑み、それから小さく頷いてくれた。


「ゆっくりで大丈夫だよ」


 そう言ってくれる。


「水原君?」

そう? お前、あの子と面識あんの?」

「うん。朝、職員室まで案内したからね」

「抜け駆けかよ?!」

「まぁ、宗方さんと一番最初に俺がお話したのは、間違いないかな?」


 クラスメートに向けて、彼はニコニコ笑って言う。

 へ? って思う。肩の力が抜けたような、そんな感覚を憶えて。


(そうだよね)


 思わず、心のなかで呟く。もうすでに、クラスメートと、お話をしていた。少なくとも彼――水原君が、私のことを知ってくれている。そう考えただけで、安堵している自分がいる。


 その彼が、ゆっくりで良いって言ってくれた。


 彼の影響もあるのだろうか?


 クラスのみんなが彼と同じように、暖かい眼差しを向けて、私の言葉を待ってくれている。

 もう一度――もう一度、深呼吸をする。 

 そして、大きく息を吐き出した。


「む、宗方ひなたです! あ、あの、よろしくお願いしますっ!」


 なんとか、それだけ言えた。深々と頭を下げる。

 しぃんと静まり返った教室内。


 これはいわゆる、スベったってヤツなんだろうか?


 胸が痛い、ドキドキして。心音が早く打って、バクバクする。でも、その鼓動をかき消すように。パチパチ、と掌を打つ音がして、思わず目を丸くしてしまった。


 彼――水原君が、拍手をしてくれたのだ。

 その拍手に誘われて、隣が、前が、先生が、みんなが拍手で私を包んでくれる。


「え? へ?」

 

 水原君がふんわりと笑む。

 がんばったね、と。そう爽が言ってくれた気がした。

 と、クラスメート達が間髪入れず、興味と好奇心を爆発させた。


「ひなたって呼んで良い?」

「身長ひくいっ! めっちゃカワイイじゃん!」


「あの……! 好みの男性は?」

「もしかして俺みたいな?」

「そういうこと、初対面で言われると引くからヤメ!」


「さり気ない気遣いがないよねぇ、男子達って」

「無理無理。水原君みたいな人、そうはいないって」


「なんで俺?」

「いつも一番早く行動してくれるのが水原君だからでしょ」

「そんなことは――」


 水原君も困惑した表情を浮かべながら、私に視線を送る。そして苦笑を漏らす。

 緊張しているはずなのに、彼の笑顔を見ただけで、無意識に、私も笑みが溢れていた。


(……あれ? 私、笑ってる?)

 学校で、笑顔を浮かべたの、いつ以来だろう?

 自分に唖然としていると、教室内がどうしてか興奮が湧く。


「笑顔がカワイイよ、宗方さん!」

「ちょっと、誰かバカ男子つまみ出して!」


 私はみんなのテンションについていけず、目を点にしていても。歓迎の儀はまだまだ続く。そんな私に、水原君が手を振って。


 頬が緩む。

 私も小さく、水原君に手を振り返していた。

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