第6話 水原爽 Sou Mizuhara


「それじゃ宗方さんは、水原君に教科書見せてもらってね」


 と先生が言い終わらないうちに、水原君は机を近づけてきた。


「おぅ……水原君、積極的だねぇ」


 先生が呆れていた。一方の私は、予想もしない水原君の行動に、バクバク胸打つ心臓の鼓動を抑えられない。金t尿が最高潮で、頬どころか体全身が熱い。


「そりゃ転校生が困っていたら、協力してあげないとでしょ?」


 水原君はニコニコ笑って、そんなことを平然と言う。


「水原君がそこまで積極的なの珍しいよね」

「本当にな」


 前の女子。それから水原君の前の男子がしみじみと頷いた。


「あ、え……宗方ひなたです。よろしくお願いします」

「うん。さっき自己紹介してくれたから、もちろん、名前は覚えているよ」


 そう眼の前の――茶髪の女子は微笑んだ。右耳のピアスがキラリと光る。


「私、野原彩子のはらあやこ。よろしくね」

「僕は金木。金木涼太だよ。よろしく」


 彼――眼鏡の男子が微笑み、声をかけてくれた。


「おぉ、優等生。珍しくがっつくじゃん」

「野原! 違、そ、そんなんじゃないから!」

「ふぅーん? 普段は女子に声かけられても、塩対応のくせに?」

「だから、そんなんじゃないって!」

「え……えっと?」


 まさか、初日からこんなに声をかけてもらえるなんて思っていなかったから、私は思わず慌ててしまう。


「あ、あの……よ、よろしくお願いします!」

 どう言って良いのか分からず、とにかく私は頭を下げた。


 そんな私を見て、二人は呆れる――ことなく、ふんわり笑んでくれている。


 私は目をパチクリさせた。常に、学校の中では身の置き場に苦慮していた。

 オドオドするしかなかった私は常にクラスで浮いていて、格好のターゲットになった。イジメ、憂さ晴らし、お遊び、ちょっとからかって。言い方は変われど、遺伝子研究の被験者という事実が、紛れもなく線を引かせてしまったんだと思う。


 学校が変わっても、人が変わっても。負の感情を誘発させたのは、間違いないく私のせいだ。


 感情が揺れ動く。


 でも【発火能力パイロキネシス】を暴走させるワケにはいかない。私はいつも能力スキルを抑え込むのに、ただただ必死だった。


(――それなのに……どうして?)

 どうして、この人達はそんな風に私に笑いかけてくれるんだろう?


「……でも、野原こそ珍しいじゃないか」


 と涼太が心底、驚いたと言わんばかりに、苦笑を漏らす。


「普段、人と関わらない一匹狼のクセに」

「女子にオオカミって言ってる時点でもう減点だからね?」


 冷やかすように、野原さんは笑う。金木君は自分の失言を理解したのか、慌てて口をつぐんだ。

 と、水原君がため息を漏らした。


「お前ら、やかましすぎだから。ひなたが、授業に集中できないでしょ?」

「なにをさり気なく、名前呼びしてるのよ?」


 野原さんは水原君に胡乱気な視線を送る。


「ひなた、気をつけなよ。コイツ、爽やか王子って言われているけど、本性は腹黒王子だからね」

「ちょっと?! 野原、ひどくない?!」

「事実じゃん」

「事実だね」


 ニッ野原さんと金木君が笑むと――先生が私達の前に立って、ずいっと覗きこんできた。。


「水原君たち、もう授業は始まっているんだけどね?」


 静かに微笑む、先生の笑顔がちょっと怖い。私は、思わず縮こまってしまう。と、水原君は真剣な眼差しで、金木君を見やる。


「そうだぞ、涼太!」

 金木君を指さして。でも、その顔はまるで子どもがイタズラを決めた瞬間のように、笑顔で。 


「爽、お前ってヤツは!」

「ね、腹黒でしょ?」


 野原さんは私に向けて、肩をおすくめて――微笑んでくれた。教室内が笑いで溢れた。

 みんなが歓迎してくれていることを肌で感じて、思わずポカンとしてしまった。


「はい、じゃ続きね。教科書42ページ――」

「ひなた、もっと寄りなよ。それじゃ教科書が読めないでしょ?」


 水原君が、私の手を優しく引く。椅子がちょっとだけカタンと動いた。


 とくん、とくん――。

 心臓が胸打つ。


 彼との距離が近い。甘いミルクのよう匂いが、私を包み込んでいく。。


(……男の子って、こういう匂いがするの?)


 そう思ってから、途端に顔がまた熱くなって。

 違う――嗅ごうとしたワケじゃなくて。ただ距離が近い。それなのに、さらに距離を埋めるように、肩と肩が触れて。


 ただ、肩と肩がふれただけ。それだけなのに、水原君の体温がダイレクトに伝わる気がした。

 心音を刻むビートが、速度を増していく。


 深呼吸して目を閉じる。


(絶対に【発火能力パイロキネシス】を暴走させない)


 それだけを誓って。








■■■







 休み時間の喧騒。目を閉じれば、やっぱり思い出したくない言葉で溢れてしまう。

 これまでクラスメートと交わす言葉なんて、一言、二言。後は一方的な陰口だった。


 ――宗方はキモチワルイ

 ――何考えているかわからないよね


 ――ドンクサイ、ジャマ。

 ――目障り。


 ――ねぇ知ってる? アイツがいると怪奇現象がおきるの?

 ――ボヤの話?


 ――あいつがやったみたいだよ

 ――口で言えばいいのに、陰湿。


 ――消えればいいのに。いなくなれば清々するのに。


 キエテクレレバイイノニ。キエテクレタラ。キエテクレタラ。


 そんな言葉が渦巻いて。でも、そんな言葉をあっさりとかき消して、現実に引き戻したのは――。





■■■






「ひなた?」


 声をかけられて、はっと我に返る。授業はとっくに終わって、放心状態になっていた。心配そうに水原君が私の顔を覗き込む。その距離が、やっぱり近い。今にも彼の息遣いが聞こえてきそうだった。


「え? え……えっと? 水原君?」

「爽でいいよ。俺も”ひなた”って呼ぶから」


 優しく水原君は微笑えむ。彼のダークブラウンの双眸。その瞳に思わず吸い込まれそうになった。


「え? え? え?」


 それ以前に、あまりに近い距離感。思考がオーバーヒートしそうで、私はただ口をパクパクさせることしかできない。


「爽、宗方さんが困ってるだろ?」


 と金木君が助け舟を出してくれた。

 でも、と思う。困るというよりは、困惑だろうか。今までこうやって、優しく見守って、寄り添ってもらったことなんかなかったから。


「というか、水原君ががそこまで執着するの珍しいよね。まぁ確かに、宗方さんは人見知りみたいだから、それぐらいのグイグイ加減が丁度いいかもしれないけどね」


 そう野原さんが言う。


「でも、妬けちゃうなぁ」


 周囲の女子もウンウン頷きながら同調してきた。


「そういう話しはすぐ、女子が混ざってくるよなぁ」

「そういう男子は宗方さんと仲良くなりたいだけでしょ!」


「そりゃそうだろ! こんなに可愛いんだからさ、付き合うこと前提にお友達になりたいよ!」

「バカなんじゃない? だからモテないんだって。いきなり、そんなことを言われたらドン引きでしょ?!」


「いや、素直な気持ちをだな……」

「だから、それがキモいんだって!」


「う……付き合うこと前提じゃなくて良いから!お願い、宗方さん! 友達になって!」

「その前置きもいらない!」


 わーわー、きゃーきゃー。みんなが、私を囲むように笑顔を咲かせている。その喧騒、この空気を変えたのは、やっぱり水原君の一言だった。


「執着かぁ、そうかもね」


 水原君はニッコリと笑って、全肯定する。


「え?」


 予想もしない言葉に私はつい声が漏れてしまう。水原君を見れば、やっぱり満面の笑顔で私を見てくれていた。それが――信じられない。


 それなのに、湧きあがった感情は、妙な懐かしさがあって。

 水原君は……どうしてか、実験室ラボで一緒だった、あの男の子を彷彿させる。


「爽、がっつくなよ。嫌われるよ?」


 金木君が真面目な顔で諫めようとしてくれるけれど、不思議と水原君を前にして、私は妙な安心感を感じていた。


「水原君みたいな人にならがっつかれてもいいけど、ね」

「俺らは?」

「論外!」

「テメー!」


 そんな喧騒の中、自然と水原君は私の手を取る。

 まるで、時間が止まったかのようだった。

 でも、その手は大きくて、包み込むようで――そして、暖かい。


「え?」

「ひなたはお弁当?」


 素直に首を横に振る。


「食堂を案内するよ。一緒に食べよう?」


 それはあまりに鮮やかで。私は水原君に自然と体を引き寄せられていた。


「あ、水原君!」

「爽!?」

「宗方さん!」


 そんな周囲があげる声を尻目に、水原君はまるでイタズラを成功させた子どものように、ニコニコと笑顔を浮かべる。

 やれやれ、と野原さんが肩をすくめるのが見えた。


「行こう?」


 ステップを踏んだ。体が軽い。風を切って。まるで風になるような、そんな感覚を覚えた。私は転びそうになりながら、彼についていくのに必死で。


 ここまで、能力スキルはまるで発動しなかった。むしろ使えなくなってしまったのか、と思わず指先に意識を向ければ、当たり前のように炎が宿り、慌ててかき消す。


(こんなコト、見られたら――)


 見れば、ニコニコ笑っている水原君と目が合う。


(見られ――)


 私はバカだ。思わず心の中で呟く。この能力スキルをコントロールできなかったせいで、何度も拒絶されたのに。思わず、水原君の手を離そうとして――きゅっ強くと、その手を握られた。と、その足が止まる。


「み、水原君?」

「……この学校は広いし、生徒の数も多いからね。それに、ひなたはまだ食堂の場所、知らないでしょ?」

「そ、それは、そうだけど……」

「それに混むからね。最短ルートで良い場所をとってさ。どうせなら、ゆっくり食べたいじゃん。だから今日ぐらい、俺を頼ってくれたら嬉しいよ」


 水原君はにっこり笑んでみせて。それからまた駆け出した。


「ろ、廊下を走ったら――」

「美味しいご飯のためだよ? 早く行かないと席が取れないからね」

「て、手をつなぐのは、やっぱりちょっと恥ずかしいっていうか……」

「そう?」


 水原君はくすくす笑うばかりで、ちっとも私の話を聞いてくれない。


(わざと、だ)

 イジワルだ、って思う。


 でも――。


 こうやって、今も手を引かれて。一緒に駆けるこの瞬間、なぜかワクワクしていた。




(あの子と、こうやって過ごすことができたら――)


 思わず目を閉じれば、思い出してしまう。

 同じように、実験室ラボのなかを駆け回って。その優しく微笑んでくれた、あの表情カオが。


 炎で揺らぐ。

 空気が震えて。


 深紅に彩って。

 平等な暴力が、彼を飲み込もうとする、その刹那――。


 脳裏に刻む映像を一瞬でかき消したのは、やっぱり水原君の声だった。





■■■





「そういえば、ちゃんと言ってなかったよね?」

「え?」


 私は目をパチクリさせる。


「改めて、だけど。水原爽みずはらそう。爽って呼んでくれて良いからね」


 ニッと水原君――爽君は足を止めて、微笑む。周囲の喧騒が、聞こえなくなるくらい、その笑顔に私は引き込まれそうになった。

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