第3話 今流行りのおまじない
どうしても目を閉じていると、炎の燃え盛る音が耳の奥底で響いて。そして火の粉が瞼の裏側にチラつく。慌てて、私は目を開いた。
「どうした、ひなた?」
その声に我に返る。目蓋を開いた、その先。いつもの日常風景が広がっていた。
お父さんがが新聞を読みながら、トーストを齧っている。
お母さんは紅茶を飲みながら、首を傾げていた。
「う……。ん、あの、ごめん」
「ん? ごめんって転校の話かい?」
「そ、そう……」
思わず俯く。紅茶越しに映る自分の顔は、自信がない。手が揺れて、ティーカップに伝わる振動が、波紋を広げる。
「もぅ、考えすぎよ」
母が苦笑した。
「だって仕方がないじゃない? ひなたは遺伝子研究特化型サンプルだったんだから」
あっけらかんとお母さんが言う。
「で、でも――」
「
そう父はコーヒーに再び、口をつけた。
「それしかないと片付けるワケにはいかないけれど、この研究に手を出さなければ、ひなたの体が
「え……?」
「俺たちが実験室に所属した理由の一つだけど。でも、朝の食卓で話すことじゃないね。今度、改めて話そう。ひなたには聞く権利があるからね」
「う、うん……」
情報量が多すぎて、私はただただ頷くことしかできなかった。
「教育特区・学園都市の規模は伊達じゃないからね。ひなた、迷わないようにね」
昨日、下見はしているが、あまりの規模の違いに圧倒されていた。ちょっと自信がなかった。
「日和、ひなたの様子をまたLINKで教えてくれない? もちろん、ひなたが直接、LINKしてくれても良いからね」
「う、うん……」
コクコク頷く。
「ということは、教授先生は今日から本格始動?」
「ご明察だよ」
お母さんの投げかけた言葉に、お父さんはニッコリと頷く。
「遺伝子工学技術を利用した砂漠緑化プロジェクト、進むといいわね」
「日和が知っての通り、研究は失敗、失敗、失敗を積み重ねてさらに失敗の先に成功があるからね。ある可能性の全てに手を出すだけだよ」
お父さんは新聞を畳んで、ゆっくりと立ち上がる。
「それじゃ、行ってくるね」
そう言って。お父さんとお母さんは唇を重ねる。
私は思わず、目を逸らした。当たり前のように、この二人はキスをするから、目のやり場に困ってしまう
「もぅ、ひなたが恥ずかしがっているじゃない」
「そういうことを意識する年頃かな?」
ニッとさらにお父さんは笑う。私は、誤魔化すようにディーカップの紅茶を啜って――熱い。舌を火傷した気がする。
「実験が楽しみだ」
「研究バカって、本当にイヤよね」
「本来、君も同類だからね」
言い合う両親を尻目に。
声がやけに耳につく。
――実験が楽しみだ。
実験室にいた時、耳にこびりつくぐらい、お父さんがその言葉を繰り返していたことを、今さらながら思い出した。
■■■
「どうしよう……」
困惑するしかない。下をもしたはずなのに。すでに人の流れに翻弄され挫折しかけていた。
教育学区・学園都市の名は、お父さんが言う通り本当に伊達じゃなかった。
幼児教育部、小等部、中等部、高等部――。
さらには大学部、大学院部、専門研究セクションをいれれば、3000人以上の学徒が交わるのだ。登校時間の人の波を甘く見ていた、と言わざる得ない。
そして私は、今自分がドコにいるのかまるで分からなくなってしまっていた。
バスターミナルの電子地図を起動させて、位置を確認をするものの、いまいちよく分からない。
「どうしたの?」
突然、声をかけられた。
同じ学校の制服を来た男の子が、微笑を浮かべ、私に視線を向けている。
私は自分の胸に手を当てて、深呼吸を繰り返す。
(落ち着いて、私。落ち着いて――)
大丈夫、きっと大丈夫。炎は出ない。暴走しない。こんなとことで、暴れたらダメだから。まず落ち着いて――。
と、彼は私は手をとった。
「へ?」
「大丈夫?」
彼は微笑む。
「緊張しているね」
「え、あ、は、はい――」
慌てて私は答えるが、その後言葉が続かない。
と、クスクスと彼は笑みを浮かべる。
「大丈夫だよ。同じ学校の生徒でしょ? もしイヤじゃなければ一緒に行かない?」
「あ、そ、その。すいません……」
「気にしないで大丈夫。でも、不運だったね」
「へ?」
「バスターミナルのマップって、データが古いんだよ。今、ターミナル周辺は再開発をしているからさ。スマートフォンで検索した方が実は正確なんだよね」
それからね。そう彼は呟いた。
彼は私のの手のひらに指を滑らせ、星を描いていく。一瞬、光が煌めいた。掌から流れ星が溢れた。
「え……?」
「今頃の
言われて、気付く。つい数分までは暴れ狂っていた心臓が、今は鼓動が穏やかになっていて。私は思わず目を丸くした。
(……これなら、きっと暴走しない)
嬉しくて、ついぐっと拳を固めてしまう。
「じゃぁ、行こうか?」
ニコニコ笑って、彼が私の手を引く。
「え? あ、手、手が――」
「だって、この人混みのなか、紛れちゃったらそれこそ迷子でしょ?」
彼の言い分はもっともだが、異性とまるで免疫がない私には、
「こっちだよ」
私は彼に手を引かれるがまま、バスターミナルのなかを歩く。
特別、会話はなかった。
でも妙に心地良く感じるのは、彼が醸し出す安心感からか。ただただ、親切な彼には申し訳ない。
そういえば、って思う。
【実験室】でも、よく研究棟と宿泊棟の場所が分からなくなって――あの子が手を引っ張って教えてくれたんだっけ。
ずっと忘れていたクセに、今さら私はそんなことを思い出した。
(……あの子は、今どうしているんだろう?)
自分の
身勝手だって自分でも思うけれど。
それが私にできる、唯一の贖罪だった。
■■■
そんなことを思いながら歩くこと10分強。
私達は学園都市高等部に、あっさりと到着することができたのだった。
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