第2話 あの日


 どうして忘れていたんだろう。何度も、夢を見ていたはずなのに。感情が抑えきれなくて。嫌悪感、不快感に私は吐き気がした。


「サンプルの能力上限稼働オーバードライブを確認!」

「総員、退避! 退避!」

「区画閉鎖し、被害を最小限に! メインシステムを守れ――」


 (……五月蝿うるさい)


 慌てふためく大人達に向けて、私は無造作に、火焔の珠を投げ放った。

 爆音。轟音。悲鳴。絶望。全部入り混じって、阿鼻叫喚の様相を示す。そのカタルシス全てを火炎で焼いていく。

 防火加工されたシャッターが、一瞬で溶けてしまった。


 当時、5歳の私。


 実験用拘束チューブを一瞬で燃やした。――いや、溶かしたという表現の方が適切なのかもしれない。


 私の両手から溢れ出た、炎の塊。私は熱さをまるで感じない。その一方で、大人達はその温度に顔を歪ませている、まるで対照的な光景だった。


被験体サンプルを盾にして、避難経路を確保せよ!」


(そういうことなんだね――)



 幼い私は小さく微笑んだ。大人達の意図をようやく理解したのだ。私たちは実験体――単なる道具でしかないから。


 今、ここで嗤っているのは、の私なんだろう?


 生まれた炎をオトナ達に投げつける事に躊躇ない。お父さんやお母さんだって一緒だ。どんなに頑張っても、どんなに耐えても、私のことを見てもらえないのなら。


(全部燃えて、消えちゃえばいいんだ)


 は、そんな明確な意志を共鳴させて、火炎を容赦なく投げ放った。


 



■■■





 周囲は騒然とし、恐慌をきたす。幾つもの視線と目が合って。怯え? 恐怖? それはそうだろう。こんなモノを見せられたら、誰だって恐怖を感じると思う。


 でも仕方ない。私――宗方ひなたは、科学の貢献のために作られた遺伝子研究特化型サンプルなのだから。


 当時からそんな言葉を散々聞かされてきた。お父さんもお母さんもこの研究に夢中で。お父さん達が良い結果を出せるよう、それだけを私は考えるようにしていた。


 私の炎は、その研究成果だった。


 でも――。

 欲しかったのは。私が望んだのは……。


『よくやったね、ひなた』

『えらかったね、ひなた』


 お父さんとお母さんからの、そんな言葉で――。


 でも、その言葉をかけてもうらことは結局なかった。


 両親の目が、驚愕で大きく見開かれたことを――そこだけは、鮮明に覚えている。



 人間ヒトには過分な能力を、私は宿してしまったんだ。


【遺伝子研究特化型サンプル──限りなく水色に近い緋色】


 それが私に与えられた識別記号コードだった。それもこの日で終わりを迎える。だってこの日、私が全てを叩き壊すから。


 私は酸素を手繰り寄せる、こねまわす。まるで無邪気に粘土細工をするように。そして、水彩絵の具で、色を混色するように。織り交ぜ、凝縮させて。点火、発火、燃焼。そんな作業を繰り返して、火炎を作り上げていく。


 五歳の私は、満足気に笑んでいた。

 綺麗な炎ができた。

 そう、心の底から嬉しそうに。



 火炎に、あらんかぎりの感情。その全てをこめて――そして、放り投げた。

 炎が舞い踊る。


 オトナ達の周囲の酸素が奪われていく。口をパクパクさせて、顔を青くさせながら藻掻く。まるで踊っているようだった。


「ひなた!」


 お父さんが叫ぶ。


「ひなた!!」


 お母さんの声が聞こえて――炎がまるで反応したかのように、膨れ上がった。


(待って、待って、止まって!)


 私の鼓動がより激しく打ちつける。

 違うの、そうじゃないの。そう必死に言葉を紡ごうとするのに、声にならなくて。

 炎の勢いが止まらない。



 と、そこに一人の少年が私の前に立った。


 私はこの子のことをよく知っている。

 私はこの子のことをよく知らない。



 網膜越し、視界に色が混じる。

 水色と緋色が思考を塗りつぶす。

 お互いに塗り替えながら。世界がチカチカする。


 頭痛がする。止まってと願う。でも、炎が蜷局とぐろを巻く。炎の向こう側、私に良く似た女の子が笑っていた。

 これは業火だ。私の。私自身の。そして私というサンプルを作った全ての人への。


 そのごうに、この少年は関係ない。怯えた目。震える下肢。でも少年は、私の前に立った。

 真っ直ぐに彼が私のことを見た。多分、大人たちの命令に従って。


 だから――私の感情は緋色一色に塗りつぶされて、そしてぜた。


 炎が槍のように伸びて、意志をもつかのように少年の脇を掠めていく。実験室のメインシステムを火焔が溶かす。爆音が舞い上がった。

 そのまま、白衣を来た人間にだけ焦点を当てて、火の粉を散らす。


 それは火焔の弾丸だった。


 耳をつんざく音は、悲鳴をかき消していく。でも私にとっては、無音で。それが心地良い。

 もうお父さんの声もお母さんの声も届かない。でも、少年が私に向かって何かを叫んでいる。


 ノイズ。

 砂嵐。

 ホワイトアウト。

 そして、やっぱりホワイトノイズ。


 炎が少年を飲み込むのが見えた。


 でも、私は制御コントロールができない。

 頭が痛い。


 止まって、お願いだから止まって!

 声を紡げない。声帯が機能しない。


(どうして? そうして――)


 ズキズキする。体全体がきしむ。感情がさらに暴れ回る。それなのに、意識を手放してしまいそうで。気怠くて、飲み込まれそてしまいそうで。機器類のショートする音すら、無機質な電気信号のようだった。


 私の耳には無機質に響くだけで。

 そして打ち上がる、破壊の花火。


(――え?)


 そんななか、あの少年が私を抱き締めてくれた。その瞬間だけはよく憶えていて――それから、私の意識はココで途絶えた。


 この日。

 厚生労働省の外郭団体『特殊遺伝子工学研究所』

 通称、【実験室】がこの国の表舞台から消え去ったことを、幼い私はまだ知らない。

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