限りなく水色に近い緋色
尾岡れき@猫部
第1章 限りなく水色に近い緋色
第1話 この研究は
お父さんの書斎に忍び込むのは、これで何度目だろう。
――もう、あの研究データは廃棄したよ。
そう言っていたのに。
スマートフォンのライトを灯す。目をショボショボさせながら、私はようやくお目当ての本を見つけたんだ。
本を手に取って。
パラパラと、めくる。
埃臭い匂いが、私の鼻腔を刺激した。
■■■
この国の遺伝子工学研究、その発端は軍事技術の研鑽からである。
この国は核兵器を持つ事を禁じられていた。その一方で、核をもつ大国と同盟を結ぶ事を余儀なくされる。隣国の脅威、少子高齢化による人口推移からの税収の圧迫、かつてのような経済繁栄はもうあり得ない。
ジリ貧の中、国策として「国が国を守る」ことを正当化する議論。
国民国防委員会という暴力団まがいの組織が出没した事からも、誰もが平和の影で不安を感じていた。
その中で、この研究は生まれた。
この研究で生まれた技術は「核」ではない。だから非核三原則には抵触しない。
この研究で生まれた集団は「軍隊」では無い。何故なら、知識と技術の探求をした学術集団の叡智、そのら答えだからだ。
この研究では、遺伝子を改変された芸術品が数多、産まれた。多くの犠牲のもと、有性遺伝子を選別して。
この研究は公にする事は望ましくない。何故なら、現在の倫理からも、常識からも受け入れられるものではないから。
――だからこそ、特殊部隊として価値があり、抑止力になる。我が国のアイデンティティを保持したまま、発展と治安を得られる。そう時の権力者達は考えた。
遺伝子を接合し、削られ、むりやり変換する。配列を変えられ、勾配し、培養管の中で「生きる」事を強要される。これは厳然たる事実である。
必要な犠牲、そして尊い犠牲のもと研究は進歩を重ねてきたのだ。
そして、人々は、渇望したのだ。
遺伝子研究による新産業革命を、この国が世界で一番に興すことを。
厚生労働省の外郭団体、特殊遺伝子工学研究所はかくして、設立されたのである。
■■■
とくん。
とくん。
私の心臓が胸を打つ。
――そんなの、ウソだ。
そう囁いたのはいったい誰だったんだろう。特殊遺伝子工学研究所、そこに私はいた。それはお父さんもお母さんも認めたうえで、謝ってくれた。
――そんなうわべの言葉なんかどうでも良い。
声が脳裏に響く。
――実験は続いている。
そんなはずはない。お父さんもお母さんも、遺伝子研究は辞めたんだ。実の娘を犠牲にしたくない、って。今はバイオテクノロジーで環境保全を目的に、研究を進めていて。それで、それで……。
ホワイトノイズ。
視界に砂嵐、瞼の裏に焼きついて、何も思い出せない。
――水色、あの日まで忘れたとは言わせないぞ?
あの日?
あの日って?
思い返せば、頭痛がする。ズキズキして、目眩がする。やっぱり、何も思い出せなくて。視界がまっしろい。
「緋色、それはどういうこと?」
誰、緋色って?
まるで、そう呟いたことが、鍵だったかのように。
原初の原典、エメラルド・タブレット。
遺伝子の海で、緋色は泳いでいる。
焔が、ゆらゆらと揺れた。
その姿が、まるで私と瓜二つで。
――サケベ。
そう緋色は囁いた。
あの時の私は、確かに願ったんだ。
――宿主の願い、叶えよう。
望むがままに、ゲノムを書き換えてやる。なによりお前が望んだ感情は、とても心地よい。好物だ。そう緋色が、微笑んでいた。
――サケベ。モット、サケベ。
緋色が囁く。お前の感情を。生きる事を渇望しろ。緋色を生かせ。緋色は【生】を望む。水色は【力】を望む。ソレナラバ、ケイヤクハ、セイリツスル。
「……契約?」
目の前に炎が広がる。違う、そうじゃない。私の掌から、炎が産まれたのだ。どうして、どうして忘れていたんだろう?
――コエニダセ。
緋色が、まるで私の耳元で囁くような錯覚を覚えた。
願え。渇望しろ。【生】を望め。もっと、もっとだ。もっと叫べ。餓えを潤すように。衝動を、激情を、もっと叩きつけてやれ。水色から緋色へ。全てを塗り潰す緋色へ。水色の声を、願いを、緋色に伝えるんだ。
――もっと渇望しろ。
クラクラする。酸素が、酸素が、あの時も足りなかった。だから、手をのばした。
手をのばしても、誰も掴んでくれない。
そんなこと、とっくの昔に分かっていた。
だから、だから――。
私は、あの時
あらん限りの声で、叫んだんだ。
――ユルサナイ!
それで良い。
クスリと微笑む、緋色のそんな声が聞こえる。
気付けば、無意識に私は、パラパラとページをめくっていて。
ページの端が焦げついていたことに気付いた私は、慌てて本を閉じたんだ。
■■■
【限りなく水色に近い緋色。支援型サンプルLINKシステム活用よる、遺伝子緋色と遺伝子水色、共生共存の可能性について】
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