第7話
約束の一週間を待たずに、エルヴィーラ・ベルネットが学園を退学したという噂が学園中に広まった。
なんでもヘルムート王子に公衆の面前で婚約を破棄された心労がたたって体調を崩したとか、急に降ってわいたようにモテ期に突入し情緒が不安定になったのだとか、はたまた新しい婚約者ができたんじゃないかなど、様々な憶測が飛び交っていた。
一番怖い誘拐説も浮上したが、さすがにないだろうと立ち消えた。
「振られたな、会長。そう落ち込むなよ?」
笑いをこらえながらレインハルトを慰めているのは、副会長のマルクスだ。
幼少期からの付き合いのため、レインハルトとは気安い仲である。
「僕が落ち込んでいるように見えるとでも?」
笑顔で応えるレインハルトの目は笑っていない。
「いや、めちゃくちゃ悪いことを企んでいる顔に見えるな。なんだ、まだ諦めないのか? 普通弟の婚約者って時点で諦めるもんだが、往生際が悪すぎだろう」
「僕は諦めが悪くてね」
(そもそもエルヴィーラに出会ったのは僕の方が先だった)
エルヴィーラとヘルムートが婚約する一年前。ベルネット侯爵が登城したとき、一緒についてきたのがエルヴィーラだった。恐らくその頃からヘルムートの婚約者候補に選ばれていたのだろう。
レインハルトは温室で迷子になった少女を見つけ、束の間遊び相手をした。その頃寝込みがちだった第二王妃のために温室で咲いている花を贈ろうと思っていたのだ。
エルヴィーラとともに作った花束は色とりどりの花で賑やかになった。幼い彼女は自ら髪に結んでいたリボンをほどき、花に括りつけて花束にした。
彼女は精気の塊のような笑顔で、『とっても綺麗にできたわ。一緒に渡しに行きましょう!』とレインハルトを勇気づけたのだ。
実のところ作り上げただけで満足し、渡さなくてもいいかと思っていたが、その笑顔に押されて第二王妃に手渡すことができた。
嬉しそうに喜んだ母の笑顔も、ニコニコと笑うエルヴィーラの笑顔も未だに彼の記憶に残っている。二つ結びだった髪が解けたエルヴィーラを見て、母が残ったリボンで髪を結い直してあげたのも。
優しく穏やかな時間は、レインハルトの忘れられない思い出になった。
将来結婚するなら、彼女のように勇気をくれる人がいい。
ほんのりと淡い恋心が生まれていたとき、エルヴィーラがヘルムートの婚約者に選ばれたことを知った。
王城で見かける彼女からは笑顔が消えて、たくさんの大人に囲まれるようになっていた。朗らかにのびのびと成長できたらよかったのに、一度王家に目を付けられたが最後。周囲がそれを許さない。
厳しい王妃教育でへこたれつつも、エルヴィーラは一度も人前で泣かなかった。
辛いことがあっても誰かに恨み言を言うわけでもなく、最後は努力した分だけ全部自分に返ってくると切り替えていたようだ。
本当は彼女の支えになりたかったのを我慢して、レインハルトはエルヴィーラと関わりを持たないようにしていた。彼女を次代の王位争いに巻き込みたくないから。
順当に考えれば第一レインハルトが王太子となるべきだが、ヘルムートは第二王子といえど正妃の子。正妃が他国の王族の血を引くため身分も高く、ヘルムートを後押しする高官も多い。
その逞しさと健気さを陰ながら見守り続けて数年、エルヴィーラがようやく学園に入学した。
ヘルムートがエルヴィーラを好いていないのは一目瞭然で、またエルヴィーラもヘルムートへの恋心を芽吹かせていなかった。
だがなんのきっかけで恋が芽生えてしまうかはわからない。レインハルトはヘルムートが入学してしばらくすると、とある提案を持ちかけた。
『お前が王位に興味がないことはわかっている。周囲の期待を諦めさせるためにあえて素行の悪い問題児となり、徹底的に評判を落とそうとしているのも。だから僕も目を瞑ってやっている。お前は将来、その高い身体能力を活かせる場所で自由に動けばいい。面倒なことは僕が引き受けよう』
ただし、その代わりにエルヴィーラを解放するようにと伝えた。彼女の人生に責任を持てるのかと。
ヘルムートは短絡的だが愚かではない。王族らしからぬ振る舞いをしているが、計算して動いている。軍部に入れば優秀な人材となるだろうが、いかんせんまだガキなのだ。
エルヴィーラを解放するように告げてすぐに動かないところがひねくれたヘルムートらしいが、それでも結果として問題ない。言葉が通じない相手ではないことが証明された。
「さて、ここにあるのはエルヴィーラの退学届だ」
ぴらり、とマルクスに見せたのは一通の書面。
マルクスが怪訝な顔をする。
「なんでお前が持ってんだ」
「学園長経由でちょっとね。受理されないように邪魔をしておいたんだが、まあ一か所書類に不備があってね。どっちみち受理はできないな」
「つまり、エルヴィーラ嬢はまだ学園の生徒ってことか……それ、本人にいつ通達が行くんだ?」
「出してないよ。僕が直接迎えに行くから」
「えっ」
エルヴィーラは学年の成績上位三位に入る優秀な生徒だ。
教師たちの覚えもよく、勉強熱心だと評判がいい。だが生徒同士の交流は控えめで、仲のいい友人らしい友人は見当たらない。
きっとヘルムートに振り回されただけの思い出しか残っていないだろう。できれば彼女には楽しい思い出を作ってから学園を去ってほしい。もちろん、レインハルトの思い出とともに。
「エルヴィーラは僕の祝福を知らないから、彼女が一週間後に会うつもりがないってことを隠しきれていなかったんだ」
「ああ、公にされてないけど、お前の祝福って【真偽の目】だもんな」
嘘か本当かを見分ける力。
王族にたびたび受け継がれる稀有な祝福だ。王位に立つ者としてこれほど有利な能力もない。
成人すると同時にレインハルトの祝福は公表される。【真偽の目】を持つ優秀な第一王子を次の王にと推す者が大勢現れるだろう。第二王子派もレインハルトに寝返ることが予測される。
「つまり、エルヴィーラは僕に追いかけてほしくて学園を去ったと思うんだ」
「いや、お前から逃げたんだよ」
マルクスが容赦のないツッコミを入れる。
だがレインハルトは折れなかった。
「彼女に警戒されたくなくてついそっけない告白になってしまったけど、次はきちんと言葉と行動で気持ちを伝えようと思うんだ。エルヴィーラは感極まって泣くかもしれないな。抱きしめてあげなければ」
「いるはずのない相手が現れたら叫ぶんじゃないか? 無駄に前向きって怖いな……」
「ついでに学園長からの言伝もある」
マルクスの言葉をさらっと受け流し、レインハルトはつい昨日ジークムントに伝えられた言伝を思い出していた。
『エルヴィーラさんに差し上げたネックレスですが、あれって百年以上前なのでかなり効力が落ちてると思うんですよね。今は問題なくても、女神に授けられた力は生まれ持ったものより効力が強いと思いますし。早くて数日で制御石の効果が切れるかもしれません』
エルヴィーラが身に着けている石は一時的なものかもしれない。
そのうちまた魅了の力が発動してしまうだろう。その前にレインハルトの気持ちを伝える必要がある。でないとまた、魅了の力で言わされていると思われるから。
(魅了で惑わされることにはならないんだけどね、絶対に)
そう断言できる自信がある。
何故ならレインハルトに他者の祝福は効かないから。それは彼のもうひとつの祝福の力だ。
レインハルトは非常に稀なことに、二つの祝福を持っていた。
『……つまり、エルヴィーラに渡した石の効力が消えれば、次は僕が彼女の傍にいることでしか平穏な日常は送れないってことかな。僕が傍にいれば祝福の力が相殺されそうだ。この間の叔父上みたいに』
『ええ、相殺はされますが……まさかあなた、そう仕向けるためにあのネックレスになにか細工をしていないですよね?』
『嫌だな、叔父上。傷をつける暇もなかったでしょう。僕はそこまでしてませんよ』
今はまだ。
もしかしたら次の制御石にはなにか細工を施すかもしれないが。レインハルトもエルヴィーラにとって不利になることはしたくない。
『僕と一緒にいることが一番の安全地帯だと思わせられれば、エルヴィーラは僕から離れられなくなりますね』
『……私は本当の問題児は、ヘルムートではなくてあなただと思うんですよ、レインハルト……』
ジークムントは疲れたように嘆息した。
そんな叔父の憂いは早く解消してあげなくては。
レインハルトは今頃のんびりと過ごしているであろうエルヴィーラを想いながら、今後について予定を立てる。
「というわけで、僕は明日から数日不在にする。後のことは頼んだよ、副会長」
「ちょっ! おま、明日から!?」
急ぎの案件には目を通している。しばらく生徒会に来なくても問題はないし、公務で学園を不在にすることも珍しくはない。
「それにエルヴィーラに、タダより怖いものはないって教えてあげなくては」
「お前、本当に怖いな……エルヴィーラ嬢が不憫になってきた」
「そんな彼女を慰めるのも僕の役目だな」
「また逃げられたら?」
「もちろん迎えに行くまで」
……逃げる=相手の愛を試す行為だと曲解されていることなどつゆ知らず。
エルヴィーラは家族と一緒に南の避暑地で「エビあまーい!」と海鮮料理を堪能していた。
そんな彼女がレインハルトと再会し悲鳴をあげるまで、あと3日。
悪役令嬢なのにモテすぎて困るって、呪いですか!? 月城うさぎ @usagi_tsukishiro
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