第6話

「お約束のものです。まずはそれから試してみましょう」




 エルヴィーラはごくり、と唾を飲んだ。


 布張りの小ぶりな箱を開ける。




「すごいキレイ……サファイアですか?」


「ええ、小ぶりですが綺麗な石ですよね。エルヴィーラさんの目と同じ色のサファイアです。ちょっと里帰りをして宝物庫に眠っているあれこれを漁ってきました」


「……はい?」




 ちょっと里帰りとは王城のことだ。


 城の宝物庫に忍び込んで持ち出してきたということになる。エルヴィーラの手が小刻みに震えだした。




「それ、陛下に許可は……」


「特には。でもまあ、心配ないです。そのくらいの大きさのサファイアは国宝級に高価なものではないですし。ただ百年以上前に魅了の祝福を持っていた持ち主が使用していたという価値はありますけど、エルヴィーラさんが使用してくれた方が城で眠らせるより断然いいでしょう」


「そうでしょうか……」




 ちょっと判断が甘くなっていないか。


 これも魅了のせいで、無意識にエルヴィーラを甘やかしているのかもしれない。




「それに宝物庫のリストからも削除されているような代物なので誰も気づきませんよ。まあ、万が一なにか言われても、婚約解消の慰謝料の一部とでも言いきってしまいましょう」


「ええぇ……」




 リストから削除というのが怖い。


 エルヴィーラは聞かない方がよかったのではないか。




「それより、このネックレスは制御目的で使われていたと判断して間違いないと思いますが、効果を確かめたいですね。ちょっと首にかけてもらえますか? レインハルト、手伝ってあげてください」


「ええ、もちろん。貸して、僕がつけてあげよう」




 成り行きでレインハルトがつけてくれることになった。


 エルヴィーラは髪が邪魔にならないように持ちあげる。




「うん、できた。つけ心地はどう?」


「大丈夫です」




 ジークムントからサッと手鏡を渡された。用意がいい。


 鎖骨よりも少し下で揺れる石は小指の爪ほどの大きさだ。サファイアを囲むように小さなダイヤモンドもついている。




「とっても綺麗ですね。でもこれが制御石かどうかって私にはわからないんですが……」


「ふふふ、そうでしょう。そのためにこの片眼鏡を着用しているのです」




 ジークムントの右目を隠す片眼鏡は祝福が発動されているかを見極めるものだそうだ。


 そんな便利なものが存在するなんて知らなかった。




「先ほどまでずっとエルヴィーラさんの周囲には光の粒子が飛んでいましたが、今は完全に消えていますね。祝福の発動が抑えられたと考えていいでしょう」


「っ! ほ、ほんとですか……! よかった……」




 学園内で誰かとすれ違わない限り実感できないだろうが、信用できるジークムントからそう言われれば不安は大分解消された。


 


(これで日常が取り戻せる……!)




「ありがとうございます、学園長先生。さっそくクラスに戻って試してみますね」


「おや、仮病はもういいのですか?」


「はい、確認する方が大事です」




 ソファから立ち上がる。ネックレスは制服の下に入れておけば気づかれないだろう。


 だが隣から伸びた手がエルヴィーラの腕を引き、ふたたびソファに座らせた。




「確認なら僕としたっていいんじゃないか」


「……会長と、ですか。いえ、あの特にお願いしたいことはないのですが……」


「君の中で昨日の告白はなかったことにされてしまったのかな?」


「……っ!」


「僕と婚約しないかって言ったよね?」




(二回目……!)




 無関係のジークムントの表情がそわそわしだした。何故か彼が目を輝かせている。


 エルヴィーラは視界の端でジークムントの様子を窺いつつ、「魅了にあてられているのだと思ったので」と正直に答えた。




「なるほど。では魅了に左右されていないかを証明する必要があるわけだ。すぐに同じ告白をしてもまだ効果が切れていないと思われそうだな。君の中では何日後に告白をしたら、気持ちが本物だと理解してくれるんだ?」


「え……っと、一週間くらいでしょうか」


「わかった。ではまた一週間後の同じ時間に、ここにおいで。次はもっと熱烈に伝えるから。君が疑いようもなく真剣に捉えられるように」


「……は、はい……」




 ここは学園長の部屋なのだが、彼に承諾を得ずに使用していいのだろうか。


 そう頭の片隅で考えつつ、エルヴィーラは女子生徒の間で囁かれている噂を思い出していた。




(会長の目で三秒見つめられれば恋に落ちる……って、危なかった!)




 あと少し見つめ合っていたら、レインハルトの笑顔に魅了されてしまうのはエルヴィーラの方だったかもしれない。


 エメラルドグリーンの瞳に吸い込まれそうな錯覚を覚え、そんな心地にさせられたことが恐ろしい。




(怖い。私はもう王族とは二度と関わりたくはない……平穏第一!)




 エルヴィーラは今度こそソファから立ち上がり、二人に向けて頭を下げた。


 


「お世話になりました、このネックレスは傷ひとつつけないよう大切に扱います」


「ええ、他になにか困ったことがあればいつでもどうぞ」


「ありがとうございます、失礼します」




 学園長の部屋を退室する。




「よし、次の予定に進まなくちゃ」




 頭がふわふわしそうになるのを引き締めて、エルヴィーラは頬を両手で叩いた。


 一週間後にレインハルトと会う約束は、残念ながら破らせてもらう。




(授業に戻るって言ったけど、悠長な時間はなさそうね……準備していた退学届は明日の朝に提出して、今日は残りの荷造りを即行で終わらせないと)




 レインハルトの婚約話も、熱病に浮かされているようなものだろう。


 一週間もすれば彼の気持ちはコロッと変わっているに違いない。




 軽い足取りで寮に戻り、エルヴィーラは翌日の朝一で学園を去ることにした。


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