第3話
「今なにが……っていうか、女神様? 祝福?」
エルヴィーラの額に冷や汗が滲んでくる。
なんだかものすごく嫌な予感がした。
この国には稀に祝福ギフトを授けられた子供たちが生まれてくる。
身分を問わず特別な祝福を得た者は、必ずこの学園に通う義務があるのだ。
エルヴィーラは祝福持ちではないためその義務はないのだが、そういえばレインハルトもヘルムートも祝福持ちとして知られている。
通常王族は成人するまでなんの祝福が授けられているかは明かさないが、ヘルムートは隠すそぶりもなく日常的に使っていた。彼は重力を調整し、身軽に移動ができるらしい。よく建物の上を歩いている。サボり魔で身体能力が高いヘルムートに好都合な祝福だろう。
「いや、急にそんなこと言われましても……」
(後天的に祝福が授けられることなんてある……? 聞いたことがないんだけど)
祝福は先天的に与えられるものとして考えられている。一般的に七歳を迎えるまでに祝福持ちか否かがわかるらしい。
貴族の中でも祝福を持たない者は多いが、やはり持っている者の方が優遇されることはある。貴族の割合としては3:7だそうだ。
「図書室で文献があるかしら……って、きゃっ!」
通路の角を曲がったところで人とぶつかった。
よろけそうになったが、倒れる前に相手に支えられた。
「すまない! 大丈夫か?」
「いえ、こちらこそぼんやりしてて……」
支えてくれたお礼を言おうとした瞬間、なぜかエルヴィーラの肩を掴む手に力が入った。
(え?)
見知らぬ男子生徒の茶色の瞳がうっすら光っている。その見慣れない現象を見て、エルヴィーラの頭に疑問符が浮かんだ。
「あの、大丈夫……」
「好きだ」
「……え?」
「君に一目で恋に落ちた」
「はい?」
(今この人頭打った? いや、よろけたのは私の方だし)
「救護室に行こう! 足をひねっているかもしれない」
よろけはしたが、足首を痛めてはいない。
だが男子生徒はエルヴィーラを横抱きにしようとし、瞬時に一歩下がった。
「いえいえ、大丈夫です! この通り元気なので! では」
本能的に危機を察知し、エルヴィーラは脱兎のごとく逃げ出した。
(えー! 今のなに!? 怖い!)
今まで一目惚れをされたことなんて一度もない。
一目惚れをされるような美女ではない自信もある。
婚約を解消されたエルヴィーラを慰めているだけなのだろうかと無理やり納得させて、図書室の扉を開けた。
受付には顔見知りの図書係の男子生徒が静かに読書している。
「こんにちは、クラウス先輩」
「ああ、エルヴィーラさん、こんにちは。今日も調べもの……」
クラウスが眼鏡越しにエルヴィーラを捉えた。
すると彼の緑色の瞳がほんのりと不思議な光を宿した。
「……やれやれ、僕はとんだ
クラウスがパタン、と本を閉じた。
普段は読書好きで物静かな生徒なのに、急に饒舌になって驚いてしまう。
「は? え、シュテルンって、なに……?」
この学園の正式名が王立シュテルン学園だ。
次代の星を育てるという由緒正しい学園であり、各分野の専門性も高い名門校である。身分を問わず門戸を開けているが、その多くは貴族だ。このクラウスも確か伯爵家の次男だったはず。
クラウスはエルヴィーラの手を両手でギュッと握った。
「もちろん君のことさ、エルヴィーラたん」
「……たん?」
「ああ、失礼。興奮してつい心の声が駄々洩れになってしまった。君の輝きに気づかなかった今までの自分を恥じている。どうだろう、エルたん。僕と一緒に今宵、学園の屋上で本物の星を愛でないか?」
「愛でません。あの、用事を思い出したので失礼します!」
握られていた手を力づくで振りほどき、エルヴィーラはふたたび図書室の扉を開けた。
(なに、なにー!? いつもは物静かなのに、先輩どうしちゃったの!?)
変なものを食べたのだろうか。
ぶつかった相手は面識のない男子生徒だったため、百歩譲って一目惚れをされたのかもしれない。
だがクラウスとは顔見知りだ。
博識で研究家な彼の変わりようは、なんだか新種の熱病を疑いたくなる。
(ひぃいい……ッ! 鳥肌が消えない……)
エルヴィーラたん……いや、エルたんと呼ばれたことは即行で忘れよう。
だがこの不思議な現象は一体どういうことか。
「こら、君! 廊下を走るのは危ないだろう」
「っ! すみません」
エルヴィーラを呼び止めたのは天文学の教師だ。容姿端麗で二十代後半と若く、女子生徒から人気が高い。彼自身もこの学園の卒業生である。
今年度から天文学を取り始めたエルヴィーラは当然相手を知っているが、向こうはエルヴィーラの顔を覚えているかはわからない。
彼はエルヴィーラと目が合った直後、相好を崩した。
目尻がほんのりと下がり、エルヴィーラを心配そうに見つめ、距離を詰めて来た。
廊下の端に詰め寄られ、エルヴィーラの背中に壁が当たった。トン、と彼の手がエルヴィーラの真横に置かれる。
(これは巷で言う、壁ドンってやつでは……!?)
知識はあるがされたことはない。
混乱しすぎて頭が真っ白になりそうだ。
「君が痛い思いをしたら私の心臓が止まってしまうかもしれない。可愛い脚が転んで怪我をしたら大変だろう?」
「……はい?」
「急いでいるなら私が目的地にまで運んであげよう。その後私の研究室でお茶でもどうだ? お菓子もあるぞ。君の口に合うといいんだが」
まるで口説かれているような心地になり、エルヴィーラの頬が盛大に引きつった。
やはり三人目の男の様子もおかしくなった。
「走りませんし、転びません。あと今ダイエット中なのでお菓子も遠慮します、失礼しますっ」
教師の腕の下をくぐり、限りなく早歩きでこの場を去る。
だが彼は「待ちなさい」と追いかけてくる。
(ちょっ……追いかけられたら脚が長い方が有利……!)
この不可思議な現象の解明には、エルヴィーラだけの知識では無理だ。
(あ、そうだわ)
追いかけてくる教師に向かい、「学園長に呼び出されているので」と告げた。
「……そうか、では学園長室から戻ってきたら私の研究室に来るといい。いくらでも慰めてあげよう」
(いや、懲罰を受けるわけではないんだけど)
なにを思ったのか、エルヴィーラが落ち込むことになると思っているらしい。
脱力したい気持ちでその場から立ち去り、一目散に学園長室を目指した。
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