回らない寿司、回る首

クロノヒョウ

第1話



「俺さ、生き霊に取り憑かれてるんだ」


「はぁ? 何だよそれ」


 回らない寿司屋のカウンターで同級生の岡田が突然変な話をしだした。


 岡田とは高校まで同じでよく一緒に遊んでいた。


 親が金持ちで頭も良く顔も良い岡田が女に困ることはなかった。


 大学で離れてから徐々に連絡することもなくなっていた岡田から急に寿司をおごるからと呼び出されて来てみれば、だった。


「生き霊に取り憑かれるとどうなるか知ってるか?」


「いや」


「何もかもうまくいかない。夜は眠れない。常に落ち着かない」


 そう言われて見ると岡田の顔は確かに少し痩せて頬がこけたようにも感じる。


 メガネの奥の瞳にも生気がない。


「大丈夫かお前」


「最悪だよ」


「生き霊って、生きてる人間だろ? 心当たりは?」


「ある。絶対あの女だ」


 岡田の話しによるとこうだ。


 大学では特に仲がいいという訳ではなかった。


 同じ学部でそれなりに会話はするが、遊びに行ったり飲みに行ったりということはなかった。


 ただ、ずっとその女からの視線を感じているのが気になっていた。


 大学にいる間、講義の時もランチの時も、時には自分の部屋にいる時も、その何かに見られているような感覚は消えなかった。


「そしたらやっぱりその女が俺のことを好きらしいって噂が流れてきてさ」


「まあ、そうだろうな」


「俺、ちょっと気味悪くなってその女に言ったんだ。悪いけど君のことは好きじゃないからごめんって」


 するとその日以来その女の姿を見かけなくなったそうだ。


 代わりに岡田の身の回りに異変が起こり始めた。


 誰かに見られているような感覚がさらに強くなった。


 もの忘れがひどくなった。


 頭の中で突然あの女の声が聴こえる。


「ヤバいだろ? 寝ようとするとあの女が頭の中に入ってくるんだ。そして俺にささやくんだ。『愛してる』とか『一緒にいたい』とかって」


「……本当に岡田のことが好きなんだな」


「いい加減気持ち悪いって。俺おかしくなりそうだよ」


「その女と話してみれば?」


「嫌だ! かかわりたくないし顔も見たくない」


「じゃあ……お祓いは?」


「行ったさ。生き霊を祓ってくれるっていうお寺に」


「ああ、あの森の奥にある有名な?」


「そう。生き霊返しだって言ってお経を聴きながら森の中を走らされたり身を清めるからって滝にも打たれた。たらい回しにされたよ。でも効果は全くなかった」


「ダメだったか……」


「お前さ、確かサークルが心霊研究部だったろ?」


「え、まあそうだけど……いやいや、それは名ばかりのサークルで実際はただホラー映画観てるだけなんだって。まさかそれで俺を?」


「思い付くことは全部やったんだ。もうお前しかいない。頼む。助けてくれ」


「ちょっと待てよ。俺本当に霊のことなんて、しかも生き霊のことなんて何も知らないって」


「……だめか……」


 明らかに肩を落とした岡田。


 助けてやりたいのは山々だが、本当にどうすることも出来ないのは確かだ。


「やっぱりその女と直接話した方がいいんじゃないのか? 俺も一緒に行ってやるからさ。な?」


「……うん……わかった」


 俺なんかに助けを求めてくるなんて余程のことなのだろう。


 回らない寿司もご馳走になったことだし、後日その女の家に行ってみようということでその日は岡田と別れた。


 岡田は早速大学で女の情報を集めた。


 そしてついに女の家に行ってみることになった。


「誰もあの女と連絡とれてないらしい。もう一ヶ月近くになる」


「なんか怖いな」


「ああ」


 事情を話して聞き出した住所を頼りに俺たちは重い空気の中、女の住むアパートの近くに来た。


「おい、なんだあれ」


 角を曲がった先に何やら人が大勢集まっていた。


 しかもパトカーと救急車まで停まっている。


「行ってみよう」


 俺たちは人混みに紛れその視線の先を覗き込んだ。


 ちょうど担架が救急車に運び込まれるところだった。


「ちょっと! ちょっとすみません!」


「あ、おい!」


 慌てて担架に駆け寄る岡田を追いかけた。


「知り合いかもしれません」


 岡田がそう言うと救急隊員の人が俺たちを救急車に乗せてくれた。


 そして担架に掛けられていたシートをめくってくれた。


「ひっ……」


 俺は目を背けた。 


「岡田、あの女なのか?」


「……ああ。あの女だ」


 俺たちはそのまま救急車に乗って病院と警察でいろいろと話を聞かれた。


 女は死後一ヶ月以上経っていたそうだ。


 自殺だろうと。


 岡田が女に好きじゃないと言ってからすぐのことだろう。


「これは女性の部屋にあったものです」


 そう言って警察から見せられた物は、部屋に貼ってあったという大量の岡田の写真と岡田の日常をこと細かく記した日記。


 それに岡田がなくしたメガネだった。


「なんで俺のメガネ……」


「日記を読む限り、たまたまあなたと同じメガネをかけていたことに運命を感じたみたいですね」


 警察の人もそう言うしかなさそうに困った顔をしていた。


 それからしばらく経ってまた俺は回らない寿司屋に呼び出された。


「この前はありがとうな」


「おう。どうだ岡田。その後は大丈夫なのか?」


「ああ。おかげで眠れるようにはなった。気は重いけどな」


「ならよかったよ。まあ、あまり自分を責めるなよ」


「そうしたいけどな。俺のせいで自殺したのかと思うとな」


「お前は悪くないよ。もう忘れろ」


「はは、そういうわけには」


「そうだ、俺さ、真剣に心霊の研究することにした」


「へえ、そうか」


「うん。岡田がまた生き霊に取り憑かれた、なんて言ってきたら大変だからな」


「俺? もう大丈夫だろ。あんなことは二度とごめんだ」


「はは、そうだよな。それで、あの森の奥のお寺にも行ってみた。そもそも生き霊じゃなかったから祓えなかったんだろうって言ってたぞ」


「なるほど、そうだよな。もう死んでたんだからな」


「そういうこと」


「本当にありがとうな。助かった。今日はたくさん食べてくれ」


「おう、サンキュー」


 俺は今そのお寺に通っている。


 霊について勉強しなければならない。


 あの日から視えるようになってしまった女の霊。


 女は今も岡田に取り憑いていてずっと岡田を見つめている。


 完全に安心しきった岡田には自覚症状はないようだが、明らかに痩せて目の下にはクマが出来ている。


「なあ岡田、今度あの森の奥のお寺に一緒に行かないか?」


「え? もうあそこはいいよ。だいたい俺、森とか虫がいて苦手なんだよな」


 そう言って回らない寿司を食べる岡田。


「はは、そうか」


 早くなんとかしなくては。


 余計なことはするなと言っているかのようにあの女はゆっくりと首を回し俺のことを睨み付けた。




           完





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