第395話 家には誰も居ないんだ

轟々と風は唸りながら香椎玲奈の髪を弄ぶ。

ざあざあと降る雨は香椎玲奈を打ち付ける。


…一瞬躊躇ったが普通に家に帰るだけ、誰に遠慮がいるものでも無い。

このままじゃパンツまで濡れてしまう。


雨風は強く、人の気配に気づかないのか香椎玲奈はじっと俺の家を見ている。

後5歩…まだ気付かない…。

自分でもわからない苛立ちを感じながらも一度は向き合わなければならない事だと考えて声をかける。


…別に…香椎玲奈が全部悪いわけじゃ無い。

先日の優奈さんや小幡さんの話からして…またしなくて良い苦労を…自分から背負い込んでしまったんだろう。


俺は香椎玲奈にクレームを言う立場にない。

…ただの同級生で…強いて言うなら…友達…?

でも、婚約してるなら…一言あっても良く無いか?

…友達にはそんなの要らないのかな?そんなに俺たちの間柄って…。

そうだよ、あんなに思わせぶりな態度と無防備な笑顔で…!

…俺は一度逃げた男…だからなの?仕返し?


この一週間ぐるぐる巡ってた事がまたフラッシュバックする。


でも、向き合わなきゃ。

先に進む為、綺麗に終わらせなきゃ。




『…どうしたの?』


…自分でもびっくりするくらい素っ気ない声が出た。

…今まで一度たりとも香椎玲奈に向けたこと無いような低い声。


香椎玲奈はビクッと一瞬跳ねて後ろに居た俺の方に振り向いた。

土砂降りに翻弄されながらも香椎玲奈は綺麗だった。

薄いピンクのヒラヒラしたドレス、少し高めなヒール。

そんな以前なら綺麗でため息吐きそうなドレス姿は濡れて身体のラインがクッキリ出ている上にブラが透けて見えて扇状的なありさま。

綺麗、可愛いよりもエロさが際立つ。

弱々しい香椎玲奈にはさっきの成実さんを遥かに凌駕するエロさがあった。

…そりゃエロさも出るよね…年上の婚約者が居て…

きっと恥辱の婚前交渉をしているに違いない。

…恥辱の。


高級感ある服装とは裏腹に手にはビニール袋をぶら下げてる姿はなんだか滑稽だった。



『…どうしたの?』


再度尋ねる。

香椎玲奈らしくもなく、目を合わせない。

以前は俺が照れて目が合わせられなくなっちゃうほど俺の目をイタズラっぽくキラキラしたその大きな瞳で覗き込んできたくせに。


香椎玲奈は俯きながら蚊の鳴く様な声で、


『…GWの時に…借りたジャージ…返しにきました…。』


雨にかき消されそうなその声は震えていた。


あー、そうゆう導入?で今回の事情説明してくれるんだね?

まあ大体優奈さん達から聞いたけどさ。

ジャージのブランド名はadiós。adiósってさよなら的な意味合いだっけ?


話できる距離まで近づくと…香椎玲奈が震えてるのは声だけじゃなくって身体も震えてる事に気付く。


…いつから?雨が降り始めてから気温は急に下がってきた…。

5月とはいえうちの県は全国的には寒い部類でまだストーブは仕舞われない。

俺だってまあまあ肌寒い。

そんな濡れた状態じゃ、肩や背中出てるそんなヒラヒラした格好じゃ…。


『いつから待ってたの?身体冷えてるんじゃないの?』


俺は心配になって玲奈さんの手を取…取る訳にはいかない。

…婚約者の居る女性の手を不躾に取っちゃいけないよな。


手を取りかけて止める動作を見た香椎玲奈は黙って悲しそうに俯いた…。

全身びしょびしょの香椎玲奈は大事そうにジャージの入った袋を差し出した。

…ジャージ濡らさない様に気を付けて自分がこんなに濡れて…。

相変わらず本末転倒な娘だな…。


『…それだけじゃ無いんでしょ?

家寄ってく?


…今日家には誰も居ないんだ。』


俺は意地悪だったかもしれない。

でも、香椎玲奈はコクンって頷いた。



俺にそんな度胸があるわけが無い。

※断言。


家に入り、バスタオルを手渡し香椎玲奈を風呂場へ案内する。


『…この引き出しが望コーナーで全部洗濯済みだから好きに着て…。』


明日からの修学旅行用にちょうど新しい下着もある。

未使用だから!って望の水色のブラとショーツを置いて出る。

先週買いに行った奴だね…望には悪いけど。


香椎玲奈はコクンと頷いた。


☆ ☆ ☆

先週


望『兄ちゃん聞いてー!お母さんがね!あたしの下着に口出すの!』


望…兄ちゃんに下着の話し振るな。


母『承!聞いて!望ったら色は黒で布地少ない奴とかすけすけばかりチョイスするのよー!』


母さん…止めてくれてありがとう。


『…聞きたく無い。』


俺はそう言いつつ…黒とか透け透け…兄ちゃんはそんなの認めないよ!

母さんグッジョブ!俺は無関心を装いつつそう思った…!



☆ ☆ ☆

出てきたら話ししなきゃな…。

2階の自室へ戻り俺はぼんやりそう思う。

この一週間頭に靄がかかったように思考は冴えず堂々巡りを繰り返す。


濡れた服を脱ぎ、結局パンツまでびしょ濡れ。

洗濯物入れる籠に脱いだ服を突っ込んで持ってきたバスタオルで全身をくまなく拭きながら制汗剤を吹きつける。

…香椎玲奈は俺の服着ると必ず匂うからな…あれ地味にショック…。

自室も一応換気して…何となく部屋掃除しつつベッド綺麗に整えて清潔そうに仕上げる…。



あはは、滑稽だな。

いまさら好感度?稼いでどうするんだ。

何の意味も無いし、多分今日で最後じゃ無い?


まあ絶対有り得ないし、多少お互いを知っているから無警戒だったのかもしれないけど年頃の男の家によく入って来れるよね。

もし襲われたらどうするのさ?


…俺なんか眼中に無いか…?

それとももう経験者なんだから怖く無いのか?


シャワー先に浴びて来いよ?位言っても良かったかな?

…全然面白く無い冗談だし、何に苛立っているのか自分が嫌いになりそう。



でも、心の中に下衆な考えが浮かぶ俺が居る。

婚約者と香椎玲奈の情事を想像する自分。

もう叶う事が無いなら一回位…!

家族居ない男の家にノコノコ入って来てシャワー浴びてるんだからナニされても文句言えないでしょ…。


浮かぶ側から、俺の心の中の武将が全部否定する。

下衆が。


はいはい、俺は下衆ですよ、下衆でゲス!


…あー、しんどい。

俺が香椎玲奈にそんな事出来る訳が無い。


どんなにしんどくても、事実が残酷だったとしても俺は香椎玲奈に嫌われたく無いんだ。


…死ぬほど好きだから。


結局こんな何年も前からわかってる結論をこんな土壇場で出すほどに俺は愚鈍な男。


どんな事実が出て来ても、どんな事を言われても全部受け入れよう。

ずっとずっと好きだったから、彼女の為なら躊躇わずに俺は何でも出来る。

そして玲奈さんの幸せを1番に考えられる男であり続けたい。

ずっとずっと子供の頃から見つめ続けて来たんだもの。


…ただ、もし願いが叶うなら一太刀で綺麗に俺の未練を断ち切って欲しい。

勇将は散り際も潔く…。



本当にここ土壇場に至ってやっと俺は結論が出せた。

いつだって答えは自分の中にある。


何気に景虎さんの助言が毎回クリティカルで俺にジャストフィットする。

ふふ、景虎さんの顔見たい。



日曜17:30外は土砂降りの暴風雨。

雨予報だったけど風もエグい。

俺は自分のベッドに腰掛けたままひとり思考を続ける。


心は痛いし、悲しい気持ちもあるけど結論が出た心は軽やかで爽快。

悟りを開くってこんな気持ちなのかもしれない。


青い、俺はまだまだ青いね。

クスって笑うと階段を登る音がする。


家の誰とも違うリズム。

いよいよ向き合わなければならない。

どんな現実でも今度は逃げないしもう迷わない。



がちゃ。


望よりだいぶ大人しくドアを開ける玲奈さん。

…脱衣所の望箱はそっか、風呂上がりに着るから部屋着がほとんどだったっけ…。


玲奈さんは薄紫のモコモコな部屋着を少しだけ窮屈そうに着ていた。

七部袖で下が…ホットパンツみたいな太もも全開!


しまった…婚約者の居る女の子に着せる服じゃないでしょ!

玲奈さんもシャワーで暖まったのもあるんだろうけど頬を赤く染めて目を逸らして右手で左腕の肘の辺りを抑えてる…。


今日誰も居ないんだから自室じゃ無くていいや!

一階に戻って茶の間か台所の大テーブルで暖かいお茶でも飲みながら話そう。

ゆっくり色んな事を…今日で色々ひとくぎり!


ベッドに腰掛けたたまま、そう結論付けた俺は顔を上げてそれを提案しようとすると玲奈さんはもう俺スペースに入って来ていた。

顔を上げた俺は玲奈さんを下から見上げる形。



立ち上がり声をかけようとする俺は玲奈さんに押された。


そのまま玲奈さんは俺に覆い被さった…!



意味がわからない。

俺は玲奈さんに組み伏せられた格好、


玲奈さんの顔を至近距離でぼんやり見つめる。

俺きっとマヌケな顔していることだろう。



玲奈さんは悲壮感漂わせた悲しげな表情。

…でも…眼だけはギラギラしていた…!


どっちも何も言えない数秒、時計の音ってこんなに響いたっけ?

そんな現実逃避。



お風呂あがりでノーメイクなはずなのに艶々な形の良いピンクの唇から出た言葉は…










『…承くん…

…抱いて…。』






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