第48話 あなたにおまかせ

 窓の外の空が高い。

 薄い雲の上に、浅くて澄んだ青の色が見える。木の葉は黄色や赤に色づいて、梢を揺らす風はもう冷たい。

 秋を感じるというより、そろそろ冬になるなあって気持ちのほうが強くなる。両手で抱えた茶碗の温かさがうれしい。

 魔法を使って、茶碗のお茶が冷めないようにすることはできる。でも一定の温度を長時間保つのは案外面倒なんだよねえ。だけどこの部屋には、碧の間みたいにお茶を注ぐ係の人間がいるわけじゃないし、茶器が温かいままだといいかもしれない。たぶんそれくらいはもう思いついた人がいるだろうから、保温の魔法か魔道具がないか調べてみようかな。

 ひとりでのんびりお茶を楽しんでたら、バタバタっと足音がきこえてきて部屋のドアが勢いよく開いた。


「すみません師匠! 授業が長引いて……っ」

「師匠と呼ぶなといっただろうが!」


 予想はついてたけど、やっぱりエミリア嬢だった。

 ウーンデキム祭は、一〇日ほど前に終わった。エミリア嬢は、冠を完成させて出品することができた。

 完成までの期間のことは、正直思い出したくない。

 めっちゃくちゃ大変だったんだよ!

 まず、エミリア嬢が俺の魔法補助を受けて試作することになった。そこで困ったのが作る場所だ。出品期限が迫ってたから、毎日作業をする必要があったけど、俺がチャップマン家に頻繁に出入りするのは差しさわりがある。かといって碧の間は、金属や石を高温であつかうような部屋じゃない。

 この問題を解決したのはオードリー嬢だった。


『第八魔法演習室の使用申請が通りました。本日からウーンデキム祭最終日まで、放課後は毎日利用できますわ』


 学園には、目的に応じて生徒が利用できる場所がたくさんある。その一つが魔法演習室で、授業がないときは魔法の勉強や練習をするために借りることができる。大きさは屋外の運動場から小さな教室までいろいろだ。

 オードリー嬢が借申請したのは、火魔法対策がしてある小部屋だった。長机と水場、実験器具や容器を並べた棚がある。壁や机は耐熱仕様になっていた。

 地獄の特訓の始まりだった。

 地獄っていうのは、主に俺にとってだ。

 エミリア嬢のこだわりはすごかった。

 何度も何度も何度も何度も何度も! おなじかたちを作るんだ。いや、俺の目にはまったくおなじにしか見えなかったけど、彼女にとっては違ったらしい。曲線の角度とか、泡の大きさとか、銅線の分かれ具合とか、とにかくすべてに納得がいくまで、部分ごとに試行錯誤し続けた。


『これと、二つ前の試作品と、どこが違うんだ!』

『線の先端の形状がぜんぜん違うじゃないですか!』

『だから、どの部分がだ。おなじにしかみえんっ』


 四日目に、俺はこんなかんじの悲鳴を上げていた。どっちでもいいじゃないか、次の作業に移ろうよって泣きを入れたら、エミリア嬢にじっとりにらまれた。


『……ノアさまは、魔法を使うとき、素人目にはおなじ効果にみえるから適当にやればいいって思いますか。バレなければ、魔術式の構成なんか手を抜いたってかまわないんですか』


 「そうだ」なんて言えるわけがない俺に、反論の余地はなかった。

 一緒に作業しているうちに、エミリア嬢の俺への遠慮は薄れていった。彼女の仕事には緻密さや精確さが不可欠だから、言いたいことを我慢していたら望む結果は得られず失敗作が増えるだけだ。だから、率直にものを言うようになっていったのだ。


『ちーがーいーまーすー! その温度じゃ柔らかくなりすぎるから、もうちょっと下げてくださいってお願いしました』

『正確に指示しろ! もうちょっと? なんだそれは。一〇度か、五度か、〇・三度か、きさまは何度下げたいんだ!』

『これくらいの力で押したら、この角度でふにって曲がるくらいです。くにゃくにゃ~じゃなくて、ふにっ、です』

『感覚で語るなバカ箒!!』

『だって、一度下がるって、どれくらいなのかわからないです……!』


 遠慮がなくなるのは大歓迎だ。でも、魔法に対する感性が俺とエミリア嬢では違いすぎて、おたがいなにをいってるのかわからないことが多かった。

 おなじイスヴェニア語を使ってるはずなのに、まず共通言語を作るところから始めなきゃならなかった。大変だった。

 試作段階が終わって、ようやくエミリア嬢が本格的に冠を作るって決めたとき、また問題がもち上がった。


『金や宝石を学園に持ってきて……大丈夫でしょうか……』


 それまでは銅や価値のほとんどない屑石で練習してたんだ。でも本物には、金と宝石を使う。

 第八魔法演習室には、オードリー嬢はもとよりアルバートやルイーズ嬢もよく様子をみにきてた。ちょうどそのとき部屋にいたルイーズ嬢が、ハハッと明るく笑った。


『むしろ大丈夫だと思う理由が知りたいね、エミリアちゃん』

『あうう……』

『たしかに学園は警備されてるよ。それでもなにがあるかわからないし、この部屋に価値の高いものを置いておくわけにはいかない。それに万が一盗まれたらどうする? 金額以上の損失を被ってしまうよね』


 宝石は、色や質をエミリア嬢が厳選したものだ。それをまた一からそろえるとなると手間がかかるし、だいたい締切が迫ってるのにそんなことを悠長にしているわけにはいかない。

 つまり、盗まれてる暇なんかないっていうことだ。


『そもそも、作っている最中の冠を毎日持ち運びするつもりか。きさま、正気か?』


 エミリア嬢が目指してるのは繊細な細工物だから、完成品ならともかく部品の段階だとちょっとした衝撃で歪んだり壊れたりするんじゃないだろうか。そうなったら、また作り直しだ。それは、俺のためにもやめてほしい。

 だけど、じゃあどこで作ればいいんだっていう話なんだよね。


『どうにか理由をこじつけて、ノアくんがエミリアちゃんの作業小屋に行くようにしてみるかい』

『いえ、ルイーズさま。それは危険です』


 オードリー嬢の懸念はロバートだった。

 ロバートは、昔からエミリア嬢の試案や作品を見せろとよく強要していた。勝手に小屋に入って、デザイン画や試作品を盗み見することもあった。そんな兄がいる家に制作途中の冠を置いておくのは、土ブタの前に甘い果実を山盛りにするのとおなじことだ。つまり、目の前に餌をおかれて貪らないはずがないっていうのが、オードリー嬢の意見だった。


『たしかに、もっともだね。じゃあ、どこがいいだろう』


 宝飾品が制作できて、高価な物を安心して保管できる、ロバートに邪魔されない場所か。おのれロバート、こんなところでも障害になるとは。


『ウェントワース家の部屋を提供します』


 ここにいないロバートに腹を立ててたら、オードリー嬢がとんでもないことを言った。


『冠は、我が家で作成するのが安全でしょう』

『正気か!? スズメの小屋に行くことさえ面倒なのに、伯爵家だと? きさまがなぜこの部屋を借りたのか、忘れたか』

『忘れていませんが、他に方法がありません。それともエミリアをノアさまの家に通わせますか』

『ありえんな!』

『そうでしたら、ウェントワース伯爵家しかありません!』


 エミリア嬢でさえ率直に話すようになったんだ、元から強気なオードリー嬢が俺にひるむわけがない。何度も反論したけどその都度言い返されて、俺は押し切られてしまった。

 こうして、本番の作成作業はウェントワース伯爵家で行われることになった。

 オードリー嬢のところにエミリア嬢とルイーズ嬢が遊びに行くという口実で、俺はまた護衛に化けて、三人で彼女の家を訪れることにした。

 ルイーズ嬢は、好奇心から来ることにしたらしい。アルバートも来たがったけど、さすがに時間がとれなくて不参加になった。ヤツは最後まで不満を言っていた。


『ルイーズも行くのに、私だけ除け者とは悔しいな』

『黙って仕事をしていろ、王族めが』

『ハハッ、「王族」を面前で罵倒として使われたのは初めてだよ』


 でしょうね、ゴメンナサイ。

 よく俺、無事でいられるなあ。アルバートは懐が深いなあ。ありがたいや。

 さて、授業が終わると俺たちはウェントワース伯爵家に行った。

 オードリー嬢の部屋を見るなり、俺は叫んでた。


『この寄生虫どもが! すべて俺にまかせるつもりだったのか!』

『すみません、すみませんっ』

『いやあ、稀代の大魔法使いノア・カーティスくんがいてよかった。きっと、なんとかしてくれるよね』

『頼りにしておりますわ、大魔法使いさま』

『ノアさま、ごめんなさい……!』


 平謝りなのはエミリア嬢だけだった。うん、いつものことだね。

 オードリー嬢が自分の屋敷を指定したから、作業できる環境があると思った俺は悪くないはずだ。でも、通されたのはオードリー嬢の部屋からそう離れていない客間で、そこには一般的な調度品しかなかった。つまりテーブルと椅子と箪笥、鏡台、それからベッドなんかだ。

 白いテーブルクロスがかかった華奢な丸テーブルは、お茶をするにはいいよね。だけど、超高温や超低温の金属の加工なんかとてもできるものじゃない。


『やっぱりこのお部屋でしたか……』

『エミリアが我が家に滞在するときは、いつもこの部屋ですの。ねえエミリア、ここで胸飾りや指輪を作ったことがあったわよね』

『あれは小物で、仕上げだけでした。だけど今回は、そんな簡単な作業じゃないんですよぉ』


 エミリア嬢は俺への申し訳なさから小さくなってるけど、オードリー嬢は胸を張って腕を組んでいる。明らかに準備不足なのに、どうしてそんなに堂々としてられるんだ。


『ノアさま、必要なものがあればおっしゃってください。そう、ウェントワース伯爵家の直系とはいえ、ただの三女であるわたくしの権限などたかが知れております。わかっています。それでも、わたくしはここが正念場だと思っておりますの』


 不思議がってたら、オードリー嬢が決意を語りだした。


『なにがあろうとやり遂げてみせます。わたくしにできるかぎりのことをすると誓います。命を賭す覚悟がありますわ!』


 ド迫力で言い切られたけど、そんな物騒な覚悟はいらないと思う。冠を作るだけだよ!?

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