第39話 意匠登録という問題

 ロバートが、金の杯はウーンデキム祭に出品する審査を通ってるって胸を張る。

 オードリー嬢が、衝撃を受けたように息を呑んだ。

 緊迫する空気、ぶつかり合う視線、そして流れについていけない俺。

 ウーンデキム祭が、いまなんの関係があるんだっけ。えーと、たしかオードリー嬢が、自分の名前を売るためにエミリア嬢の作品を出すつもりだった祭りか。じゃあ、金杯を出品する予定だったのをロバートに横どりされたってことか? でも、それならさっき言ったように、エミリア嬢作の杯を出せばいいだろう。

 なにか、できない理由があるんだろうか。


「この杯は、オレが考え、オレが作った、金の宿り木工房の作品として出品します」

「これはエミリアのデザインでしょう!」

「たったいま、オードリーさまが、この杯はエミリアに依頼したものとは違うから受けとれないとおっしゃいましたよね?」


 これはまた、堂々とした盗作宣言だな!

 俺は、工房のことはわからない。エミリア嬢の件に関わるようになって、気になって少し調べたら、工房内で作られたものはすべて工房長の作品として世に出ることもあるって知った。だからエミリア嬢の案を、工房長のロバートのものにするのが、この世界では普通なのかおかしいのか俺にはわからない。でも、だからって、俺の感覚からするとロバートのやり口は腹が立つしおかしいんだよ。


「杯は、問題なく登録されましたよ」

「わたくしに断りもなく!」

「お話をしようにも、オードリーさまはオレとの面会をずっと拒否されてましたからねえ。それに、もともとオードリーさまは、杯をウーンデキム祭に出品するとおっしゃっていた。気を利かせて手続きをしたまでですよ」


 隠そうとしてるけど、オードリー嬢からそれまでの余裕がなくなってる。反対にロバートは、傲慢なくらい悠々としてる。


「というわけで、オードリーさまはもはやこの杯を出すことが叶わなくなりました。ですから、ウーンデキム祭には別のものを出品されるのでしょうね。もしかして、ご自慢の杯のデザイン画を元に、どこかの見習い職人にでも作らせるおつもりですか? あの見習いは役立たずのはずですが、まあ仮になにか作ったとしましょう。でも、ウーンデキム祭の登録規則は当然ご存じですよね」


 俺は当然ご存じじゃないけど、ロバートが鼻高々にしゃべってるから、オードリー嬢にとって不利なことなんだろう。

 俺とおなじく知らないらしいアルバートが、エミリア嬢に「登録規則とは?」って小声で訊ねた。


「意匠登録のことだと思います。作品が、他の作品とそっくりじゃないことを証明するものです」


 それがロバートの話にどうつながるんだろうって、俺とアルバートが同時に首をかしげる。するとエミリア嬢が補足をしてくれた。


「ええと、以前、お祭りの開催直前に出品された作品がありました。それが、すでに出されていた他の作品にとてもよく似ていたそうで……。どっちも相手が盗作したって主張したあげく、血まで流れたそうです」

「だが、出品は祭りが始まる前だったのだろう? どうやってその作品の意匠を盗めるのだ」

「出品より以前に、作品をみたのかもしれません。それに人によっては、かなり前から作品を会場に持ちこみます。制作者が展示場所をみせていただくことはありますし、お祭りの日より先に関係者が見学されることもあるそうです。事前に他の方の作品をみることは、そう難しくないんです」


 どっちがどっちのアイディアを盗んだのかは、結局明らかにならなかったそうだ。出品者たちがそれぞれ属していた貴族の派閥の仲が悪かったことも影響して、祭りのあとも長いあいだ争いが続いたらしい。


「そういうわけで……、以後、お祭りに出品するときは、その作品の意匠を登録するようになったんです。鏡魔法で作品を記録するってきいてます」


 へえ、面倒なことをしてるんだな。

 鏡魔法は、魔道具の一つだ。物が映る物体、たとえば鏡に、対象が投影された状態をそのまま保存する。けっこう複雑な魔術式だし、記録したいものの数だけ鏡が必要になる。だからお金もかかれば、鏡をおいておく場所もいる。ウーンデキム祭にどれだけの数の作品が出品されるのか知らないけど、その全部に鏡魔法を使ってるなら手間と費用は相当なものになるだろう。


「この規則ができてから、似た意匠の作品は、あとから出されたもののほうが認められにくくなったってきいてます。盗作が疑われて、より厳しい審査を受けることになるんだとか。これに引っかかると、審査に落ちる場合が多いそうです」


 この規則を作っても、不正が完全に防げるわけじゃない。そのいい例が目の前のロバートだ。でも、なにもしないよりはマシなんだろう。

 あれっ、だったら、もしエミリア嬢が杯を完成させても、ロバートが先に出してるから出品が認められるかどうかあやしい。もしくは、エミリア嬢のほうが盗作したっていわれかねないということなのか。


「あなた、エミリアの作品を完全に横どりするつもりなの!」

「横どりいわれましてもね。オードリーさま自らが、この杯にエミリアがかかわっていることを否定されたじゃないですか。だいたいさきほどから申し上げているとおり、金の宿り木工房が杯の制作をしたのはエミリア本人の意思ですよ。自分では作れないからとね。まっ、ほんの少しくらいはデザインの話をきいたかもしれませんが、だからってコイツがこの杯になにか権利をもつわけじゃありません」


 オードリー嬢は視線をロバートに固定したまま、鋭い声を出した。


「エミリア! あなた、こんなことを言われても黙っているつもりなの」

「えっと……?」

「あなたの兄、金の宿り木工房長は、あなたのデザインを盗み、しかもそれを劣悪なかたちで再現して、世間にさらそうとしている。それも、あなたの名をひとことも出すことなく。それでいいというの」

「それは……はい、名前はべつに……」

「あなたには職人の誇りがないの!」


 傍観者の俺でも、横っ面をひっぱたかれたみたいな迫力だった。ましてや当人のエミリア嬢は、本当に平手打ちを食らった気分だったんだろう。「ひゃうっ!」って高い声をあげた。


「自分が生み出したものへの誇りと責任はないというの!」

「でも、それは……作れないわたしが、悪いです……。それに、さっきの杯はロバート兄さまが手を加えたから、わたしのデザインじゃなくなってしまいましたし……」


 ロバートは兄だから、妹の性格を把握して、文句はいわないって予想してたんだろう。彼女が話すたびに、ニヤニヤ笑いが大きくなる。


「オードリーさまは、ウーンデキム祭に出品されると、あちこちで話されていましたね。このままでは、お困りになるんじゃないですか?」


 急にいい人めいた話し方をするロバートが、心底うさんくさい。

 エミリア嬢は、半年前から杯のデザインを考えてたっていってた。そのころから出品するつもりだったなら、オードリー嬢のまわりの人たちはウーンデキム祭のことをいろいろきかされてるだろう。それなのにいまさら出品しなかったら、たしかに面目がつぶれてしまう。

 貴族社会で面目は重要だ。たった一回の失敗で、一生がだいなしになることだってめずらしくない。俺だって知ってることを、オードリー嬢がわかっていないはずがない。現にいま、彼女はいまいましそうにロバートをにらんでる。


「なんでしたら、杯の売買について再検討いたしましょうか? その場合は、価格や今後の取り引きについていろいろ話し合う必要がありますがね」


 ロバートが、書類に書いてあるのより高値で取引するけどねって意図をちらつかせながら、落としどころを提案する。さっきエミリア嬢が、自分がつけるより十倍以上高いっていってたのに、どれだけ欲が深いんだ。

 だけどたしかに、このままだとオードリー嬢は困ったことになる。ロバートとしても杯の買い手を新しく探すより、自分に有利な条件をつけて彼女に売ったほうが手間が省けるし恩を着せることができる。

 この話を呑むのが一番穏便な解決策ではあるんだろう。これくらいの妥協は、貴族社会でも商売の世界でも当然のことなのかもしれない。だけど、第三者の俺がいえたことじゃないけど、ロバートの思い通りになるのは気分が悪いぞ。

 オードリー嬢は口を閉じている。そんな彼女からの返答はもう決まったも同然だと思ったのか、ロバートは次に自分の妹に矛先を向けた。


「この杯をオードリーさまが所有されても、おまえの名が出るわけじゃないぞ、エミリア。勘違いするなよ」

「はい、それは……もちろん」

「杯がシャインフォード公爵の目に留まることがあっても、おまえは一切関係ない」

「わかっています」

「来年からの工房との本契約だが、当然条件は見直す。なにもできない小娘は、下働きでももったいない待遇だ。むしろ雇ってもらえることに感謝しろ、このごくつぶし」

「……はい」


 ロバートは楽しそうに、でも蔑むようにしゃべってる。人前でエミリア嬢を貶められることがうれしくてたまらないみたいだ。この人、自分の妹のことが嫌いなんだろうか。嫌いというか、憎んでいるようにさえみえる。


「もし、意匠権を訴えることを考えているなら、ムダな期待はするな。徹底的に争ってやる。こっちはウーンデキム祭を逃しても困らないからな。一か月や二か月で決着がつくと思うなよ、成人なぞあっという間だ」


 エミリア嬢は、ただ顔を下に向けてる。兄妹だから、小さいころからこんなことばを受け続けてきたんだろうか。


「そうだな、おまえの下らんデザイン画を見てやるくらいはしてもいい。ただ見るだけだがな」


 おいおい、コイツはエミリア嬢の過去のデザイン画まで自分のものにする気か。どこまで妹を喰いものにするんだよ。


「少し手先が器用だからと、調子にのったあげくがこのざまだ。独立なんざできるものか、身のほど知らずめ」

「わ、わたし、そんなこと……」

「オレに口ごたえするな!」

「すみませ」

「ロバート・チャップマン。黙りなさい」


 大きな声じゃなかった。でもオードリー嬢の一言が、ロバートの延々と続く罵倒を止めさせた。


「身のほど知らずはそちらです。あなたのような下劣な人間が長を務める工房と、だれが取り引きなどするものですか。わたくしが制作を依頼したのは、エミリア・チャップマンよ。偽物を製造するしか能のない金の宿り木工房などではないわ」


 ロバートの肩に力が入って、もりあがる。まずい、暴力を振るうんじゃないかって俺が身がまえて、アルバートはオードリー嬢の前に出た。ロバートはいらついたようにアルバートをにらんだけど、怒りをこらえるように拳を握った。


「利益ではなく、感情を優先させるわけですね、オードリー

「たしかに品性は優先させたわね。取り引きする相手を選ばなければ、下賤な性根がうつりそうだもの」

「……やれやれ。最後の機会だったのに、ご自分でふいにされてしまわれるとは」


 殴れない分、これだから小娘はって言いたげに鼻を鳴らす。ほんっと器の小さい男だな。


「どうされるのか知りませんが、後悔されてももう遅いですからね。ウーンデキム祭で、オードリーさまご後援の作品を拝見するのが本当に楽しみですよ」


 負け惜しみみたいなことを口にすると、ロバートが使用人に合図して片手に乗るくらいの小箱を受けとった。今度はなんだと見ていたら、奴はオードリー嬢の横を通り抜けて俺の前に立った。


「我が天夜輝あまかがやの女神よ、ごあいさつが遅れたことをお詫び申し上げます。あらためて自己紹介をさせてください。私はロバート・チャップマン。チャップマン男爵家の三男で、金の宿り木工房の工房長を務めております」


 次の標的は俺だった。

 俺というか女神さまだ。

 現実逃避に俺が遠いところをみつめてしまっても、責められる人はいないと思うんだ。

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