第38話 貴族令嬢と工房長の舌戦

 勢いあまったロバートが、両腕を前に伸ばした格好で床にビタンッて顔を打ちつけた。

 うーん、既視感。さっきもこんなだったよな。芝居のおなじ場面をみてるようだ。

 ロバートが顔を上げた先には、オードリー嬢とアルバートが立ってる。ルイーズ嬢は入口のほうにいた。なぜかアルバートが、彼女を素早く扉のほうに押しやったんだ。それからテーブルにあった俺の上着を放り投げて、仕草で「着ろ」ってうながした。


「いきなり、なにをする!」


 体を起こしたロバートが、がなりたてる。


「あら、入れろといったり、入れられたら怒ったり、お忙しいこと」

「オードリーさま、あなたの仕業ですか」

「お望みどおり扉を開けてさしあげましたわ。わたくしに用があるのでしょう?」


 オードリー嬢とロバートのやりとりは、最初から殺伐としてた。すりむいたせいで額と鼻の頭を赤くしたロバートが、大きな体で威嚇するように彼女の前に立つ。


「そのとおりです。オレとの面会を、ずっと拒んでおられましたね」

「あなたと話すことなどないから、無駄にする時間がなかっただけよ」

「オードリーさまは、金の宿り木工房に金杯を依頼された。それなのに期日を過ぎても支払いを拒否されている。これは明確な契約違反です!」

「金の宿り木工房? わたくし、そちらと取り引きをしたことなど一度もありませんわ」


 オードリー嬢のピンクのくちびるが、小バカにするような微笑をうかべた。


「交わしたことのない契約をもちだすなんて、あなたは夢でもみたのかしら」


 ロバートをあおってるよ、オードリー嬢。俺の皮肉は呪いのせいだけど、オードリー嬢のは天然ものだ。

 一方ロバートはというと、こっちもふてぶてしいかんじでニヤリとした。


「あいにくこれは現実ですが? 夢にしたいのはそちらかもしれませんがね」


 ロバートが、手に持っていた紙をオードリー嬢に突き出した。受けとって内容を読むうちに、令嬢の細い眉が逆立っていく。


「たしかにオードリーさまは、金の宿り木工房と直接の契約はされておられない。けれど、エミリアに杯を依頼されましたね。そしてエミリアは、自分が受けた依頼がこなせないときは金の宿り木工房にすべての権利を譲るという契約を結んでいる」


 オードリー嬢に渡されたのは、エミリア嬢と金の宿り木工房との契約書だった。


「エミリア、この内容は本当かしら」

「あ……あの……ロバート兄さまから言われて……。オードリーさまに相談しようと思ってたんですが……」

「答えは『はい』か『いいえ』のどちらかよ」

「……はい、です。……だってわたしが……作れないから……」


 オードリー嬢の背中で、ボボボッと炎が燃え上がった気がした。もちろんそれは錯覚で、彼女が火の魔法を使ったわけじゃないけど、それくらい強い怒りを感じたんだ。


「あなたは、どうして、そんなことをっ」


 これってつまり、オードリー嬢がエミリア嬢に杯を作らせようとした。でも呪いのせいで不器用になって、約束が果たせなくなった。そんなエミリア嬢にロバートが、彼女個人の仕事を全部金の宿り木工房に回す契約をもちかけたってことだよね。

 それだけきくとマトモに思える。でもロバートが申し出たっていうだけで不信感が芽生える程度には、エミリア嬢のお兄さんの態度にはムカついてるぞ。


「金の宿り木工房は、現在なんとエミリアの尻ぬぐいをさせられているというわけです。たかが見習いのために、工房がそんなことまでする必要はありませんがねぇ。でも、しかたない。どんなに不出来でも、チャップマン男爵家の一員ですからね。工房長自ら、わざわざこうして始末をしてやっているんですよ」


 ロバートからにらまれて、エミリア嬢が身をすくめた。ごめんなさい、ごめんなさいって頭を下げる。

 オードリー嬢の幻の炎が、威力を増した気がした。


「まっ、そのおかげでオードリーさまはコイツなんかが作るよりも素晴らしい杯を手に入れられることになったんですから、幸運ですよ」

「あらまあ、そんな勝ち誇るような顔をして。わたくし、胸が痛みますわ」


 オードリー嬢が右手で左胸を押さえる。


「だって、すぐに恥をかいて逃げ去ることになるんですもの」

「まっとうな工房の主が、ようやくお会いできた依頼人に、契約を履行していただきたいと申し上げているのですよ。どこに恥じるところがあるのですか。恥をかいたのは、己の分もわきまえず依頼を受けた見習い職人です。フン、自分の腕前をうぬぼれるからこんな迷惑をかけることになる」


 ロバートの叱責は、まるで吐き捨てるようだった。


「エミリア、おまえは工房の名に泥を塗るところだったんだぞ!」

「ご、ごめんな、さ……」

「まったく、この恥さらしが」


 ロバートはエミリア嬢が自分に迷惑をかけたみたいに言うけど、そうなんだろうか。エミリア嬢は、あくまで個人でオードリー嬢のために宝飾品を作ってたんじゃなかったっけ。だから不器用になって困ったのはオードリー嬢であって、ロバートじゃない。

 工房でのエミリア嬢は見習いで、たいした仕事はまかされてないっていってた。だから名前に泥を塗るって怒られるいわれはないだろう。もしロバートがエミリア嬢のデザインを盗んでいて、いいものが作れなくなって困ってるなら、それは知ったことじゃないしな。


「こういうわけでしてね。杯の作成は、金の宿り木工房との契約となっています」

「その『契約』とやらを、なぜわたくしが認めなければならないの。そんなもの無効です」

「なかったことにするおつもりですか? ほう、伯爵家の力を振るわれると」


 そう言いながらもロバートが、それは実現しないだろうって思ってるのが声の調子からよくわかった。

 オードリー嬢は伯爵家の令嬢だ。といっても、ルイーズ嬢の話によると何番目かの子どもで、家を継ぐ人間はもう決まっているらしい。それにまだ成人前だ。だから金の宿り木工房との契約を強引に無効にしてしまえるほど、伯爵家の権力を使える立場じゃないんだろう。

 ロバートは男爵家の息子だけど、そもそも親が一代貴族っていうだけだから、本人は貴族に含まれない。だから身分でいえば平民だけど、大きな工房の長だし、実家のチャップマン商会はいま勢いにのってるらしい。つまり、そこそこの地位にある人間なんだろうな。

 だからオードリー嬢とロバートの間柄は、単純に貴族と平民の力関係そのままっていうわけではなさそうだ。実質的な権力のない貴族令嬢と世俗的な力のある工房長は、ある意味おなじくらいの立ち位置なのかもしれない。

 ロバートは、表面上はオードリー嬢をうやまってるようにみせてるけど、それが本心でないのはこの短いやりとりからでも伝わってくる。彼女にそんな態度がとれるくらいには、ロバートの立場は強いわけだ。


「わたくしが家の名を借りて不正を行うとでもいうの、バカバカしい。わたくしとエミリアの契約に、金の宿り木工房は入っていません。依頼主の知らないところで、後から交わされた契約など効力をもつものですか」

「さて、それはどうでしょう? こちらは顧問弁護士に確認しましたからね。それでも自信満々でおられるとすれば、オードリーさまはさぞ法律に明るいのでしょうねえ」


 ロバートは、出るところに出てもいいんだぞっていう態度だ。法的な部分はきっちり調べてきたんだろうな。


「だいたい、こっちはなにもおかしなことは言ってないんですよ。金の宿り木工房による杯を、この条件でお引き取りいただきたいというだけですから」


 別の紙がオードリー嬢に渡される。それをチラッと見たエミリア嬢が、すっとんきょうな声をあげた。


「ロバート兄さま、金額を間違えてます! これだと十倍以上……」

「ほお。おまえは、工房長がつけた価格に文句があるのか」

「で、でも、わたしがオードリーさまに約束したのは……」

「うるさい! おまえ、自分が口出しする権利があるとでも思っているのか? 杯を作ったのはオレだ。なんの関係もない人間がでしゃばるな!」


 怒鳴りつけられて、エミリア嬢が身をすくめた。さすがにみていられなくなったのか、アルバートが一歩前に出ようとする。でもそれより先に、オードリー嬢が手にした紙でパシッとロバートの頬を叩いた。


「これは侮辱です」

「ああ、オードリーさまはこれまでエミリアから安く買いたたいておられましたからね。まともな金額をみて、驚かれたのでしょう。しかし金の宿り木工房作となると、見習いの素人から買いつけるのとはわけが違うんですよ。格というものがありますからねぇ」


 俺の目には、オードリー嬢が人形みたいな無表情になったように映った。でも、その横顔をうかがったエミリア嬢が、「ひいっ」って顔を引きつらせた。つきあいの長い彼女には、オードリー嬢がすっごく怖く見えたようだ。だからたぶん、それくらい怒ってるんだろう。


「これを機会に、世間の相場を学ばれてはいかがです? ご参考までに申し上げますと、その金額は我が工房の適正価格です。こちらを悪徳工房のように考えるのはおやめくださいよ」

「黙りなさい」

「それとも、まさかこの程度の金額が支払えないとおっしゃるのでしょうか? でしたら、ウェントワース伯爵家のほうに請求をお回ししましょうか」

「黙るよう言ったのがきこえなかったの、ロバート・チャップマン」


 オードリー嬢が、手にした紙をハラハラと床に捨てた。


「この書類が侮辱しているのは、金額ではないわ。作成は、金の宿り木工房によると書かれている。わたくしが支払えば、杯は金の宿り木工房が作ったものだと認めたことになるわね」

「認めるもなにも、事実ですから。まさか、この、いまのエミリアが、杯を作れるわけがないでしょう」


 オードリー嬢とロバートがにらみ合う。

 ロバートの見た目は、血のつながりがあるってわかるくらいにはエミリア嬢と似てる。でも印象はまったく違う。エミリア嬢とは一緒に昼食をとったけど、ロバートとは食事をしたくない。妹にこんな態度をとる人間といて、物をおいしく食べられるとは思えない。

 人柄は大事だ。そして俺のロバートの人柄にたいする評価は、下降の一途をたどってる。


「オードリーさまは、こいつがもう使いものにならないということを早くお認めになるべきですね!」

「使いものにならないというのは、金の宿り木工房が作る物のことかしら。それなら納得できるわね」

「ありがたいことに、我が工房の作品を気に入ってくださる方は多くおられますよ。見る目がおありなのでしょうねえ」


 暗におまえは見る目がないって侮られて、言い返そうとしたオードリー嬢が、なにかに気がついたように目をパチッと瞬かせた。


「金の宿り木工房の作品……」


 くちびるの両端が上がる。

 すごく黒い微笑みだった。最初に中庭で彼女を見たときの、「いじわるお嬢さま」のイメージがよみがえったくらいの黒さだ。


「あなたはわたくしに、金杯を引き取れと言ったわね。もう完成しているということかしら」

「当然です」

「では、みせなさい」


 ロバートが小屋の外に向かって、杯を持ってこいって声を張りあげる。待機していたらしい人が、駆け出す気配がした。

 杯は工房にあると思ってたけど、そうじゃなかった。エミリア嬢が、高価な作品の一部は屋敷で保管してるんだって説明してくれた。

 戻ってきた使用人は、深紅の布張りの箱を持っていた。ロバートが白い手袋をはめて、箱から両手で抱えるほどの大きさの杯を取り出す。

 それは鳥のかたちの金杯だった。

 頭をもたげた首の長い鳥で、その頭と首が土台と持ち手になっている。胴体から伸びた尾が上に向かって花のつぼみみたいに開いて、液体を入れる部分をかたちづくってた。杯全体に、これでもかってほどたくさん宝石が使われてる。とくに液体を入れる部分の真ん中には、大きな緑の石がドンとはめられていた。

 これは、すごいな。ひとめで、どこでも手に入るわけじゃない特別な品だってわかる。悔しいけど、ロバートが自慢するのも理解できる精巧な杯だった。


「いかがです? 素晴らしいでしょう!」


 ロバートが、杯をうやうやしくオードリー嬢に差し出した。オードリー嬢は受け取らず、捧げさせた杯をじっくりながめてから冷笑した。

 さっきのは黒い笑みで、今度は冷ややかな笑いだよ。


「もし契約についてのあなたの言い分が通ったとしても、こんな駄作を購入する気にはならないわね」


 意気揚々と差し出した杯を駄作と切り捨てられて、ロバートの顔が真っ赤になる。


「駄作ですって? これは、あなたが納得して作らせたデザインですよ!」

「エミリア! デザイン画を出しなさい」


 エミリア嬢が、パタパタと棚に駆けよってノートを一冊抜き出した。そしてあるページを開いて、オードリー嬢に差し出した。

 オードリー嬢がロバートにみせる。俺たちも近づいてノートをのぞきこんだ。

 そこに描かれていたのは、たしかにロバートが持ってきた杯だった。ただ、細部が違った。

 ノートに描かれた鳥は、まるで意思があるかのようにみえた。目が生き生きしてるからだろうか。

 鳥の首の曲がり方がなだらかで、尾羽の一本いっぽんがやわらかく重なりあってる。いちばん違うのは宝石の使い方だ。目とクチバシ、それから尾羽のところどころにあしらわれているだけだ。目は深いけど澄んだ緑色で、他の個所は薄い緑と水色と橙色だ。だから唯一濃い色をした鳥の目が印象に残るんだろう。

 デザイン画のほうが全体的に優雅で洗練されていて、でも力強かった。実物の杯をみたときはきれいだなって思ったけど、これに比べるとゴツゴツしてて、宝石が多すぎたり大きすぎたりしてる。まあ、そこは好みの範囲かもしれないけどな。わかりやすくギラギラしてるのが好きな人だっているだろうし。


「これが、エミリアの提案したものよ。この杯であれば、わたくしは喜んで受けとるわ。けれど、あなたが作ったものはあきらかに質が劣る。劣化品を売りつけようだなんて、金の宿り木工房はなにを考えているのかしら」


 ロバートが、大きな拳でテーブルを叩いた。茶器が揺れて、ガチャンと音をたてる。


「それはデザイン段階のものでしょう! 画と実物の印象が違うことはあります」

「この差を印象が違う程度のものだと言い張るなら、あなたは詐欺師ね。それにエミリアなら、このデザイン画とおなじものを作れます。いえ、これ以上の作品にしてくれるはずよ」


 ふむ。エミリア嬢のデザインをもとに工房で杯を作ったけど、技術不足か感性の違いか、完成品は原画からかなり離れたものになった。だからオードリー嬢は、こんな粗悪品は受けとれないって言ってるのか。

 これは、職人とか工房のプライドを傷つけられるよな。案の定ロバートは、切れるんじゃないかってくらいこめかみの血管を浮き上がらせてる。


「実力に見合わないものに手を出すから、こんな無様な模倣品を作ってしまうのね。己の分をわきまえていない? 腕前にうぬぼれている? さっきは自分のことをおっしゃったのかしら、金の宿り木工房長?」

「なら、作らせればいい! あなたのご自慢のエミリアに腕を振るわせればいいでしょう!」


 声を荒げたロバートが、獰猛な視線をエミリア嬢に投げる。


「あっ、でも、こいつはなにも作れないクズに成り果てたんでしたね」


 うっかりしてた、というように両手を打ち鳴らす。わざとらしすぎるんだよ。


「作れるわ」

「はっ!?」

「エミリアは作れます」

「オ、オオオオードリーさまっ? わたしのこと、ご存じでしょう!」


 突然の宣言に、動揺したエミリア嬢がその場で跳ねて眼鏡が鼻までズレた。

 そうか、オードリー嬢が強気なのは呪いが解けたからか。いまならエミリア嬢は、最初の構想通りの杯を作れる。たしかに、もっといいものが制作できるってわかってるのに、わざわざ劣ったものを買いとる意味はない。

 だけど、そんな事情を知らない当のエミリア嬢にとっては、根拠のない信頼もしくは売り言葉に買い言葉にきこえたんだろう。おろおろとオードリー嬢にすがりついてる。


「わたしには無理です。おわかりでしょう、オードリーさまっ」

「そうねえ、の金杯が完成したら、その無様な杯の隣に並べましょう。どちらが優れているか、誰にでもはっきりとわかるようにね」


 オードリー嬢のにこやかさがコワイ。

 ロバートは黙りこんだ。オードリー嬢の自信と、エミリア嬢の狼狽のどっちを信じればいいのか迷ってるようだ。やがて彼は、低い声で話しだした。


「チャップマン商会は、ウェントワース伯爵家から長年にわたり目をかけていただいております。ですから今後のことも考えて、この杯はあなたさまにお渡しするのが道義だと思ったのですよ」

「あなたの態度のどこに道義があるのか、まるで理解できませんわ」

「では、この杯について、オードリーさまおよびウェントワース伯爵家は無関係ということでしょうか」

「ずっとそう言っているでしょう。その下品な物を下げなさい」


 そこまでいわれて、ロバートがまた激高……しなかった。


「ふ……、ふふふ。そうですか、それがオードリーさまの選択ですか。ハハハッ」


 不気味に笑いだす。どうしたんだ、怒りすぎて錯乱したのか。


「わかりました。この申し出は、オレなりの誠意だったんですがね。それを踏みにじるというなら、どうしようもない」


 おや、売りつけるのを諦めたのか? ロバート作の杯は、たしかにエミリア嬢のデザイン画と並べたら見劣りがするけど出来は普通にいい。だからロバートは、早々に別の買い手をみつけることにしたのかな。

 そう考えた俺は、甘かった。

 ロバートが笑いをうかべた。根性の悪さがありありと浮き出た嫌な笑いだった。


「そうそう、言っていませんでしたがね。この杯は、ウーンデキム祭の出品審査を通っています」


 ロバートの嘲笑が大きくなる。

 オードリー嬢が顔面を蒼白にした。

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