第37話 マジック・ミラー

 小屋に帰ってきたエミリア嬢とルイーズ嬢は、部屋に入ったところで立ち止まってまわりを見回した。


「この光る網のようなものは、なんだい?」


 そっか、ルイーズ嬢たちが出ていったときは、色はつけてなかったもんな。アルバートが、これは防音壁だって説明した。


「こんなふうに光ってる防音壁は初めてみたよ」

「防音魔法の範囲を感知できないバカぞろいだからな。わざわざ目に見えるようにしてやるという、無駄な手間をとらされた」

「なるほど、境界に色をつけたわけだ」


 会話ができるように、俺たちとアルバートは防音壁の外にいた。ルイーズ嬢が、何気なく境界を越えようとする。


「待て、おまえは入るな。箒スズメだけだ」

「えっ、わたしですか。あの、なぜ……?」


 エミリア嬢の疑問にアルバートが答えようとしたけれど、そのまえに彼女の名前が呼ばれた。いまだ足元のおぼつかないオードリー嬢が、防音壁の内側から出てきたんだ。


「エミリア。なにもきかず、アルバートさまのことを信じて」

「はい!? ええと、わたし、そもそもアルバートさまのことを疑ったりしてませんがっ」

「これが終わったら、わたくしからあなたに話すことがあるの。だから、どうかそれまではアルバートさまの言われたとおりにして。お願いだから」


 とりつくろう気力も体力もないのか、オードリー嬢が必死に言いつのる。口調も、それが素なのか、少し砕けてる。エミリア嬢は、頭まで下げそうな彼女にたじろいで、あたふたしながら「わっわかりましたっ」とうなずいた。

 気力を使いきったのか、オードリー嬢はいまにも倒れそうだ。アルバートが、そんな彼女をさっきまで自分が座っていた窓際の椅子にエスコートする。

 俺はルイーズ嬢に、絶対に防音壁の中に入ってこないようにって注意をした。


「わざわざ邪魔なんかしないさ。なにをするのか知らないけど、安心してやっておくれ」


 ルイーズ嬢は、いろんなことをうすうす察してるんだろう。それでも俺が解呪してるところをみせてしまって、「お察し」を「事実」にはしたくない。

 防音壁の内側に入ると、エミリア嬢はさっきオードリー嬢がいた椅子に座ってた。


「エミリア嬢、これからすることは、アレにかかわっている」

「あれ、ですか? なんでしょう……?」

「今年の夏茶会で騒動があったね。それにまつわる、大変困るアレだ」

「呪いですか!? わたし、やっぱり呪われてしまったんでしょうかっ」


 エミリア嬢が呪われてないのは、この反応だけでわかる。呪われた人間は、自分がどういう状態なのかを嫌でも自覚せざるをえない。逆にいえば、自分が呪われてるかどうかわからないっていうことは、グラン・グランの呪いにかかってないってことだ。

 当事者だったら、「呪い」っていう単語だって口にしたくないだろう。


「チュンチュンわめきたてるな、耳がつぶれる」

「で、でも、もし呪われてるなら……わたしのいまの状態が呪いのせいなら……っ」

「おまえにできることはなにもない。いや、一つある。黙っていろ」


 まちがった想像で不安にさせるより、さっさと終わらせたほうがいいよね。

 防音壁の見え方を、また変えた。壁の外にいるオードリー嬢とルイーズ嬢が、ぎょっとしたみたいにこっちに顔を向ける。光の反射と透過をいじって、防護壁の表面を鏡みたいにして、内側をみえなくしたんだ。でも、こっちからは向こうが普通に見える。


「防音壁の音の伝わり方とおなじようなものか」


 壁の見え方をアルバートに説明したら、そういわれた。うーん、内側から外側の情報はとれるけど逆は無理っていう効果だけをみると、そうともいえるのかな。原理はまったく違うんだけどね。

 エミリア嬢の意識を奪ったら、アルバートがあわてて彼女の肩をつかんだ。


「眠りの魔法だな。事前に言ってくれよ」

「さっきも見ていただろうが。予測しろ」


 エミリア嬢の魔法紋は、左の二の腕の内側にあった。隣に座って、彼女の魔法紋を手のひらで包む。

 保護鍵は五分で開いた。彼女の鍵は、「金、銀、白金」の古イスヴェニア語だった。

 俺の魔力を送りこんで、接触をはかる。

 エミリア嬢の魔力量は、レベル三まで充分に使えそうなくらいあった。ものすごく細い魔力の筋が上半身、とくに両腕に大量に伸びている。細かい魔法をよく使ってるんだろうな。属性は火が主で大気もいけて、ほんの少しだけ土も使えそうだ。


「なんだ、ちっぽけな魔術式だな!」


 グラン・グランの魔術式はすぐみつかった。予想では、エミリア嬢がオードリー嬢に「似る」ための指示がたくさんあるんじゃないかと思ってたんだ。だけどこの魔術式は、「特定の指令を受けたら、その通りに発動する」っていうだけのものだった。

 なるほどな。オードリー嬢にからみついてた魔術式は、エミリア嬢が彼女の「どの部分」に「どのよう」に「どの程度」まで「同一になる」のかが細かく指示してあった。その情報をまとめてエミリア嬢に送る指令もあった。だからエミリア嬢のほうには、送られた情報を「実行しろ」っていう魔術式さえあればいいんだ。

 頭いいな! それに汎用性がある。

 おなじように他人に影響する呪いがあっても、呪いごとに違う魔術式を書かなくていい。元の呪いで条件を設定すれば、相手のところで発動させるための魔術式はおなじものが使える。それに魔術式は簡単な構造であればあるほど誤発動の可能性が減るし、本人への負担や影響が少なくなる。

 量の少ない魔術式だったから、特定して消去するのは難しくなかった。

 それから念入りに探ったけど、こっちに緑の小鬼はいなかった。よかった。またブスブス攻撃を受けたら、神経を削られるところだった。


「この程度か。ものたりん」


 楽でよかったっていう本音とは逆の悪態をついてしまう。

 エミリア嬢からグラン・グランの魔術式を取り除く。魔力接続を切って、目を開ける。

 最初に見えたのは、アルバートの背中だった。

 なんだか部屋が騒がしい。


「あなたと話すことなどありませんわ!」

「ほう。そんな言い逃れ、裁判所で通用するでしょうかね」


 どうした、物騒な単語が聞こえてきたぞ。

 アルバートはテーブルをはさんだ向こう側で、俺とエミリア嬢を守るように身構えてる。なにが起きてるんだって隣に行ったら、オードリー嬢が扉をはさんで言い合ってた。


「そもそもここはオレの家です。扉に鍵をかけて立てこもるなんて、非常識きわまりない真似はやめてくださいよ」

「ここはチャップマン男爵の家で、この小屋はエミリアが男爵から借り受けたものです。三男であるあなたの持ち物ではありませんわね」

「くっ。エミリア! そこにいるんだろう、なぜ黙ってる。扉を開けろ、この役立たずが!」


 わあ、外の怒鳴り声には聞き覚えがあるなぁ。エミリア嬢のお兄さんのロバートだ。この人、俺が誰かと魔力接続するたびに、部屋に入れろって騒動を起こさないと気がすまないのか?

 オードリー嬢が扉越しに会話してるのは、人をここに入れられないからだ。俺が邪魔するなって言ったのもあるけど、防音壁が鏡みたいになっちゃってるからな。部屋の中央に巨大な半円形の鏡があったら、おかしいし怪しいだろう。

 眼鏡をかけて護衛の格好になってるアルバートが、状況を簡単に説明してくれた。


「起きたか、ノア。君とエミリア嬢が意識を失ってから、三〇分もたっていない。五分くらい前にロバートが外に来て、オードリー嬢に会わせろといいだした。みなには、ノアの魔法がかかってるから私か君以外は扉を開けられないと教えてある。いまは、彼を追い払おうとしている最中だ」

「箒スズメの処置は終わった。完璧にな。煩わしければ、あのクズを入れても問題ない」


 早いな、ってアルバートが驚いた。そして、「だが『天輝夜あまかがやの女神』はどうする?」って訊かれた。

 天輝夜の女神ってなんだっけ。そうだ、ロバートが女版の俺をみてそう呼んでたな。


「先に帰ったとでも言え、ボンクラ」

「彼は、女神さまにずいぶん執着しているようにみえた。エミリア嬢の友だちが屋敷から帰ったかどうかを、確認しているかもしれない。それは、まあ、なんとか言いくるめるとしてもだ。このあとノアが護衛のふりをするなら、彼と話してはいけない」


 なるほど、それはそうだ。なにを言っても、ロバートにケンカを売ることになるだろうからね。そう返したら、それだけじゃないってアルバートは首を横に振った。


「ノアの口調は、その、独特だろう。だから、さっきの『天輝夜の女神』と似ていると思われたら厄介だ」


 あー、そういう心配もあるか。それにロバートは短気っぽいから、俺につかみかかってきて眼鏡が外れでもしたら大変だ。色違いだし男だけど、素顔はあの女神とやらだからな。さっきのワンピース女神はどうした、俺とどんな関係だって騒がれたら面倒だ。

 護衛の俺がおとなしくしていれば、やりすごせるかもしれない。でもロバートが俺にからんできたら、どうなるかわからない。危険性が少ない方法をとったほうがいいんだろうなぁ。


「箒スズメ、起きろ。犬にも劣るおまえの兄が来たぞ」


 睡眠魔法を解くと、エミリア嬢が目をこすった。大丈夫そうなのを確認してから、俺は眼鏡をかけて防音壁とすべての防護魔法を解除した。


「ひ、ひょえええっ!?」


 エミリア嬢の悲鳴が部屋中に響きわたる。なにごとかとこっちを見たオードリー嬢とルイーズ嬢が、顔を引きつらせた。


「なっ、あなた、えっ?」

「きみ……まさか……ノアくんか?」

「とんだ愚問だな! 俺は、俺以外の何者でもない。この至高の位置には、何人たりともたどり着くことはできない」

「あ、たしかにノアくんだ。……君たち、人目を忍んで三人でなにしてたのさ」


 なんにもしてないよ! いや、エミリア嬢からグラン・グランの魔術式を引きはがしたけどね。でもルイーズ嬢の言い方だと、いかがわしいことをしてたみたいにきこえるじゃないか。

 俺が白黒反転してワンピース姿になったことと、三人で防音壁の中にいたことは関係ない。だけどそれを説明するには、オードリー嬢の名誉と最初のロバートの乱入から話さなきゃいけない。長くなるし、いまそんな時間はないしって悩んでたら、さっさと扉が開いてしまった。


「なんだ、いまの声は! やっぱりエミリアがいるんだな。おまえ、早く扉を……うわあっ!?」


 力任せに扉を押してたんだろう。魔法が解かれた扉はあっさり開いて、表で騒いでたロバートが転がりこんできた。

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