第34話 夜の女神さま

 強引に部屋に押し入ってきた男が、俺に向かって「天輝夜あまかがやさま」って叫んだ。

 男は、あごが抜けたのかと思うほど大きく口をひらいてる。その視線をたどったアルバートも、俺を見ておんなじようにポカンと口をあけた。

 俺は腕組みをして、床の男に冷たい目を向けた。


「無礼者が。なにをしに来た」


 俺の見た目は、眼鏡に付与した魔法のせいでいつもと違う。肌の色は真っ黒で、髪は白い。元とはかけ離れた色にしたかったからだけど、目の色は濃い金色だ。最初は赤にしたんだけど、家の鏡でたしかめたら充血してるようにしか見えなかったからやめた。

 ここまでは、アルバートの眼鏡に仕込んであるのとおなじ魔法だ。

 違うのは服装だ。視覚情報をゆがませて、白いワンピースを着ているようにみせてる。これは新しい魔法なのだ。視覚をごまかす魔法はあるけど、服みたいに複雑なものを幻影でみせて、動作に対応してしぜんに動かせるものはなかった。

 ワンピースは、ティリーがもってるのを参考にした。胸のあたりはふんわりしてて、その下から足首まではストーンとしてる。飾り気がなくて体型がわかりにくいから、これを選んだ。

 いま男を見下してるのは、十三歳の女の子なのだ!

 いや、俺だって男だからね、女の子に化けるのは無理があるかもしれない。でも、将来はもっと高身長でムキムキになる予定だけど、いまはまだ外見はそれほど男っぽくない、かもしれない。それに髪が長いから、ワンピースを着て、垂らした髪の毛で顔立ちや体つきをごまかしたら、なんとかなるんじゃないかと思ったんだ。世の中には男っぽい女の子だっているしさ。

 オードリー嬢が、俺やアルバートと密室にいることを他人に知られたら、彼女の評判に傷がつく。だから、もしこの部屋に人が入ってくるようなことがあったら、俺たち二人のうちのどっちかが女の子にみえればいいんじゃないかって考えた。アルバートと俺だったら、長髪だし魔法がいろいろ使える分、俺が化けたほうがいいだろう。


「きまき……オードリー……は、いま惰眠を貪っている。令嬢の眠りを邪魔するとは、よほどの用があるんだろうな?」


 必死になって、なんとか黄巻バネヅタじゃなくて「オードリー」って言えた! 「さま」はつけられなかったけど、がんばった、俺! 口調はどうしようもないから、こういう性格だと思ってくれ、床の人。

 はいつくばってる男は、二〇歳半ばくらいかな。茶色の髪に茶色の目で、体格はけっこういいけど騎士や兵士というかんじじゃない。


「言ってみろ。つまらない内容だったら、ただではおかんがな」


 フッと笑ってみせた。

 呆けたみたいだった男が、床を這って近づいてきた。服の裾にでもさわられたらワンピースが幻影だってバレるから、後ろに下がった。


「よるな、痴れ者が!」

「なんて美しい……目がつぶれそうだ……月光の髪に夜の肌……天輝夜あまかがやの女神さまが降臨された……」


 さっきから俺を見ながらブツブツつぶやいてるけど、大丈夫かこの人。打ちどころが悪かったのか。アマカガヤノメガミサマってなんだよ。

 アルバートに顔を向けたら、こっちも俺を凝視してた。こいつの場合はしかたない。急に俺の髪と肌の色が反転したうえ、ワンピースを着てるんだからな。


「おい、この痴れ者はなんの世迷いごとをほざいてる?」

「……天輝夜の女神か? たしか東のバダビ族が信仰している神がみの一柱だ。夜を司っていて、白銀の髪に漆黒の肌をした冷酷で美しい女神だという」

「ブルーム男爵夫人の依頼で、天輝夜の女神をモチーフにした首飾りを制作するんだ。イメージがまとまらなくて困っていたけれど、この苦労はすべてあなたを目にしたときのこの悦びのためだったんだ!」


 バダビ族って、砂漠地帯の民族だっけ。なるほど、この男はその女神のことを考えてたから、似たかんじの色をした俺を見てその名前を口走ったのか。でも、眼鏡をかけてる女神なんていないと思うけどなあ。


「女神さま。どうか、オレのモデルになってください」

「まっぴらごめんだ。おいア……リュ、こいつを追い出せ」


 アルバート、って呼びそうになって、名前はごまかしたほうがいいかもしれないって気がついた。それで舌を噛みそうになりながら、どうにか言い換えた。


「承知いたしました、お嬢さま」


 はい? 誰がお嬢さまだよ、俺はおまえとおなじルイーズ嬢の使用人っていう設定だろ。

 そうか、だけどこのワンピースだと使用人って言い張るのは難しいのかもしれない。たしかこれは、今年の献花祭でティリーが神殿に花を奉納するときに着たやつだから、質がいいはずだ。よくあるワンピースは腰のところがくびれて裾が広がってるけど、これは胸から下に凹凸がない。背中側の裾は少し長くなってるけどね。こういうのが最近の流行りらしい。俺は女の人の服のことはわからないけど、このワンピースは仕事中の使用人らしくない気がする。

 アルバートもそう思って、とっさに俺をエミリア嬢の友だちの令嬢としてあつかったんだろう。機転が利くなあ。


「どうかご退室ください」


 アルバートは俺と男のあいだに割りこんで、相手を扉の外に出そうとした。


「なんだ、おまえは。オードリーさまの付き人じゃないのか」

「そのようなことを申したおぼえはございません」

「なにぃ? 使用人風情が、オレに生意気な口をきくなっ」


 胸を小突かれて、アルバートがよろめいた。身長や体格は男のほうが勝ってるし、ここで騒ぎを起こすわけにいかないから、下手に抵抗できないんだろうな。


「そう、だいたいオレは、オードリーさまに会いにきたんだ!」


 男が、急に本来の用事を思い出したらしい。きょろきょろ見回して、強引に押し通ろうとする。

 ダメー! オードリー嬢の中には、解呪作業の状態を保つために、俺の魔力の一部が残してある。いまの彼女に刺激をあたえて起こしちゃったら、保持してる作業状況も彼女の魔力もぐちゃぐちゃになるんだよー!

 あせった俺は、男とオードリー嬢のあいだにドンと立ちはだかった。


「きまき……オードリーは寝ているといったが? おまえは、爪の先ほどの脳みそももちあわせていないのか」

「あのオードリーさまが、ここで?」


 伯爵家の気位の高い令嬢が、小屋の椅子で、しかもこの騒ぎのなかで寝てるっていうのはたしかに無理がある。でも、そこを突かれたら困るんだな。


「アリュ、そもそもこのボンクラはどこの馬の骨だ」


 噛んだ舌によるさっきの妙な発音を、そのままアルバートの変装名にしてしまおう。


「それが、こちらの誰何に答えず、扉の外で怒鳴るばかりでしたので」

「勝手に扉に鍵をかけるからだ! 俺はロバート・チャップマン、チャップマン男爵の息子で、金の宿り木工房の工房長だ。オードリーさまとは、商品の取り引きについて話がある」


 鍵はかけてないんだけどな。取っ手は回ってたはずだけど、頭に血が上って気がつかなかったんだろうか。

 それにしても、やっぱりか。なんとなく予想はしてたけど、この男はエミリア嬢のお兄さんだった。髪や目の色、なんとなくの顔立ちは似てる。体格は、エミリア嬢は小さいのにロバートは背が高くて胸板が厚いし、腕も太い。エミリア嬢が箒スズメなら、ロバートは熊イヌってところだ。


「きさまに割く時間などない。出直せ」

「これはオレの親切心なんですけどねぇ。オードリーさまが、うちの工房に契約違反をしておられましてね。そのうえ、ずっと話し合いを拒否して、逃げ回っている。こんなことが人に知られたら、困るのはオードリーさまじゃないですかね?」


 こっちの身分がわからないから、ロバートが俺には一応ていねいな口調になる。ただ、こう、表情が、俺やオードリー嬢を小バカにしてるみたいなんだよなあ。


「この家に来られたときいたから、穏便にすませようと思ったんですよ。あなたは、オードリーさまのご友人ですか? だったら、エミリアはもう使いものになりませんから、以後はオードリーさまとではなく金の宿り木工房と取り引きすることになりますよ」


 ニヤニヤしながら、ロバートがオードリー嬢のところに行こうとする。だから、やめろって! あわててダンッと床を踏み鳴らして、ヤツの注意を引いた。

 精神異状のうち、「恐怖」を増長させる魔法をごくごく軽くかける。


「誰が自由に振る舞うことを許可した。陳腐な脅しはそれで終わりか」

「脅し? オレは正当な権利を行使しようとしているだけですよ」

「うるさい、黙れ。きさまのようなクズに、どんな権利もあるものか。背中を丸めて、みじめにここから立ち去るんだな」

「ううっ、その理不尽さがたまらない。ハッ、いやいや。邪魔しないでください、あなたには関係のないことでしょう」

「私ではなく、きさまが、この場になんの関係もない!」


 できるだけ高慢にギロッてにらみながら、俺はロバートにこまめに魔法をかけていた。恐怖を、ほんのちょっとずつ強くしていく。大気魔法で物理的に胸に圧力をかけたから、息苦しくなったはずだ。脚を拘束して、それから右足をズリッと三シーエムほど後ろにもっていく。

 ぜんぶ魔法の効果だけど、自分が恐怖を感じて無意識のうちに後ろに下がったって思ってくれないかな。怖くなって、自主的に退場してくれ。


「それとも、なんとしてでも眠る令嬢の顔がみたいのか。吐き気がするな、変態め」

「ハア、この蔑みこそ、オレの理想の天輝夜の女神。恐ろしくも美しき夜の女神さま……」


 あれ、ロバートが前に出てきたよ。恐怖を味わってるはずなんだけど、けっこう意思が強いのかな。それとも相手を恐れさせるには、増幅させる感情が恐怖じゃないほうがいいんだろうか。

 威圧する魔法はあんまり上手くないんだけど、使ってみるか。

 威圧魔法と同時に、態度でも威圧してみよう。このあいだアルバートが怒ったふりをして、学園の勉強程度で王子の義務をおろそかにするわけがないって言った、あれは怖かった。声が大きかったり荒っぽい態度をとったりしたわけじゃないのに、氷の刃で内臓をなでられたみたいだった。

 よし、あれを参考にしよう。


「道化師ですら、きさまに比べれば己が分をわきまえているな。五体そろっているうちに出て行け。それとも手足をむしられて、虫のように蠢めきたいか」


 あのときのアルバートの雰囲気を、十分の一くらいで再現してみた。こっちからぶつけるのは少しの怒気と多めの威圧で、あおるのは恐怖と絶望だ。これで、どうだ!

 ロバートの体がクタクタッてくずれおちた。絨毯に尻もちをついて、小刻みに震える。目からは涙が、口からはよだれが垂れる。両足が開いてるから、股間が湿り気を帯びて濃い色になっていくのがみえた。

 ありゃ、少しやりすぎたかな? やっぱり魔法は実施が大切だね、家に帰ったらさじかげんをもっと細かく調整できるように練習しよう。


「どうした駄犬? 歩けないなら四つ足で去ね」


 ロバートの顔色が真っ青になって、それから赤くなった。怖がってるのはたしかなんだけど、どうしてだろう目つきが少し恍惚としてるようにもみえる。なぜかアルバートが、「逆効果だ」ってつぶやいた。

 ロバートは腰が抜けたみたいで、自力では動けなさそうだ。どうしようって思ってたら、アルバートがその首根っこをつかんで引きずって、ポイッと外に放り投げた。

 扉を閉めたら、「開けてください、どうかオレのモデルになってください女神さま!」ってドンドン叩きだしたけど、俺はなにもきかなかったことにした。

 オードリー嬢がいる場所にもどる。後からついてきたアルバートが、周囲をみまわした。


「ここは、防音魔法の範囲内か?」


 そっか、防音魔法は目にみえないからね。魔力の流れで判断しようにも、俺の魔法は感知しにくいんだ。


「自力でわからないのか、愚か者」


 空気で作った壁が、うっすら光るようにした。天井から床までを半径にした半円が俺たちをかこんでるのが、目に見えるようになる。

 音が外にもれないとわかったアルバートは、椅子に腰をおろすとまえのめりになった。苦しそうに体に腕をまわす。

 どうした。さっき小突かれたのが、思ったより強かったのか。怪我でもしたのか!?

 心配する俺の耳に聞こえてきたのは、爆笑だった。


「ノッ、ノアが、女の子に!」

「うるさい!」


 笑いをこらえてたのかよ! たしかにロバートはまだ未練がましく扉を叩いてるから、外に笑い声がきこえないようにするのは大事だろう。でも、体をまるめて笑い転げなくてもいいじゃないか。


「おまえなど、女に化けることさえできないだろうがっ」

「たしかにそうだ、ノアはすごい魔法使いだよ。助かった。でも、天輝夜の女神……クククッ」

「俺のせいか!? あの阿呆が悪い!」

「ひとめで骨抜きにしてしまったね。なんと、女神さまの美貌は恐ろしい」


 今度、アルバートの眼鏡にもおなじ魔法を組みこんでやる。そのときは笑いの女神アルバータって呼んでやるから、おぼえてろ。

 眼鏡を外して、テーブルにおいた。俺の見た目が元にもどる。まだ笑いが残ってるアルバートに、俺はブスッとしたまま声を投げた。


「解呪を始めてからの時間を言え」

「だいたい三時間というところかな。エミリア嬢とルイーズが、一度様子を見に来たよ」


 じゃあいまは昼過ぎか。テーブルの茶菓子は半分に減ってたけど、新しい皿が何枚かあった。アルバートによると、使用人が昼飯をどうするかききにきたけど、食べに出るのも中に人を入れるのもできないから断ったそうだ。その代わりルイーズ嬢が、簡単に食べられるものを差し入れしてくれたらしい。

 俺は冷めた茶をカップに注いであおると、ケーキやクッキーを口に放りこんだ。水分と糖分の補給だ。


「解呪にもどる。もう、誰にも邪魔はさせるな。いくら無能とはいえ、おまえはそのためにここにいるんだからな!」

「かしこまりました、天輝夜さま。女神さまの護衛の任につかせていただきます」

「黙れ!」


 アルバートが、からかって俺に礼をする。

 ムッとして唇を曲げてみせてから、俺はもう一度オードリー嬢の魔力とつながった。

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