第33話 彼女の呪いの内容は

 オードリー嬢の魔力に俺の魔力を接触させて、意識をそこにのせる。

 目の前に、色のない力の濁流がうかぶ。これは俺が魔力に対してもってるイメージだ。このままじゃわからないから、魔力からぐっと自分を引き離す。微視的だった視点が巨視的になって、魔力の流れが人体の血管みたいなかんじでみえた。

 魔力は人によって違う。量もだけど、体内での流れかたとか、癖とか、そういったこともおなじじゃない。

 オードリー嬢の体内には細い筋が走ってるけど、魔力循環はいまひとつかな。属性は物理系の水と雷だ。魔力も魔法も、未発達で鍛えられてない。魔力量は多くなくて、がんばって訓練すればレベル二の魔法をなんとか使えるかどうかっていう程度だ。

 オードリー嬢は魔法学課程の生徒じゃないし、魔法使いとしての力をのばそうと思ってない一般人だったら、こんなものなのかな。


「まったく、なんだこの魔術式の数は!」


 叫んでみた。

 本当に声が出るわけじゃないけど、こうやってときどき「自分」をたしかめていないと、俺の魔力とオードリー嬢の魔力の境界があいまいになりそうだからね。他人の魔力に接しているときにひとりごとをつぶやくのは、わりとよくとられる手法だ。

 そして、叫びでもしないとちょっと心が折れそうだった。

 オードリー嬢の魔力には、ティリーとは比較するのもバカらしくなるくらいの膨大な数の魔術式がからみついていた。


「バネヅタの魔力量と魔力循環程度で、これほどの魔術式を抱えるはずがない。つまり、このほとんどがグラン・グランの呪いとやらか。まったく厄介なものを残したもんだ!」


 この魔術式がひと固まりになって、オードリー嬢への呪いっていう魔法を発動させてる。これから俺がするのは、グラン・グランの呪いの範囲を特定して、それだけを取り除くことだ。

 呪いはオードリー嬢の魔力に深く根づいてるから、まずは効果ごとに区分していかなきゃならない。

 でもなあ、分けすぎると一行くらいの魔術式になって、結局なんの効果に結びつくのかわからなくなるんだ。かといって区切りが大きいと、オードリー嬢の魔力への浸食が強すぎて魔術式を引きはがせない。

 短い魔術式だと、たとえば「もし○○に対して強い(程度は+++参照)感情(===参照)が発生したら、----が起動する」っていうのがあった。でもこれだけでは、○○や参照先、----に入る情報や、これが他のどの指示と組み合わされるのかがわからない。だからこの魔術式だけを取り除いてしまうと、関連する他の魔術式の構造が読み解けなくて、そのうち手づまりになるだろう。


「できるかぎり分解してから、細かい効果ごとに組み合わせるか。グラン・グランがどれだけ優秀だろうが、俺にかかれば楽勝だな」


 はい、いつも通りの虚勢です。俺、本当に解呪できるんだろうかって怯えてます。

 魔術式の数はめまいがするほどあるし、一つひとつのつながりをすべて検証してたら時間がいくらあっても足りない。だから、こういう効果だろうっていうあたりをつけて魔術式の構造を読み解いていこう。これは呪いの最終形態、つまり内容がわかってるからできることだ。そうでなければ、どんな魔術式の組になるのかの検討だってつけられない。

 オードリー嬢の呪いは――。


「好きな対象が自分とそっくりになる」


 これのはずだ。

 ひょっとしたらって思ったのは、碧の間でオードリー嬢を見たときだ。靴紐の結び方がもっのっすっごく下手だった。ありえないくらいひどくて、だから特徴的でもあった。どこかで見た気がしたんだ。

 エミリア嬢が俺の髪を結んだ紐と、うり二つだった。

 もしかしたらって思った。

 だから窓を開けさせて、魔法で風を起こして紐を解いてみた。オードリー嬢がその場で作った蝶々結びは、やっぱり無残なかたちになった。無残結びは、本人が作ったものでまちがいなかった。

 もしオードリー嬢とエミリア嬢の蝶々結びのかたちがそっくりなだけなら、昔からの知り合いだから似ることだってあるだろう。だけどエミリア嬢は、初めて会った日にこう言った。


『すっごく不器用になったんです!』


 別の日には、俺の髪を編んだり、昔といまのデザイン画の違いをみせて嘆いた。


『わたしが……作れなくなったんです。作りたいものはあるのに、指が、思うように、動かないんです』


 エミリア嬢は、昔からああいう結び方をしていたわけじゃなくて、夏茶会の後から急に思うように作業ができなくなった。そして彼女は、自分が不器用になった原因を知らない。

 だから、もし呪われたとすればそれはオードリー嬢で、その呪いは「好きな対象が自分とそっくりになる」じゃないかってあたりをつけた。「不器用になる」とか「物が作れなくなる」っていう呪いはなかったし、そもそも本人だけじゃなく他人にまで影響するようなグラン・グランの呪いはごく少数だったからだ。

 そこで俺は悩んだんだ。呪いは「好きな人」じゃなくて「好きな対象」だ。オードリー嬢が好きなのはエミリア嬢本人なのか、エミリア嬢が作る宝飾品なのか、エミリア嬢をとおして手に入る利益なのか、それとももっと違うものなのか。オードリー嬢がなにを好きなのかによって、たぶん呪いの魔術式は大きく変わる。だからそこを確認しなきゃいけなかった。

 初花の集いで、甲冑の英雄霊に化けた俺はオードリー嬢に、エミリア嬢の技能か、心か、宝飾品か、どれかを選べって迫った。

 彼女の答えはこうだった。


『どれ一つとして、あなたがもっていけるものはありません。すべてわたくしのものです』


 だから俺は、オードリー嬢はぜんぶひっくるめてエミリア嬢が好きなんだって思ったんだ。

 あの時点で、解呪のための手がかりはそろった。あとは解くだけだ。

 この膨大な量の魔術式をね!


「魔術式を、まず『好き』と『対象』と『自分とそっくりになる』に分けるか。たかが黄巻バネヅタの分際で、俺の手をここまでわずらわせるとはな!」


 オードリー嬢の呪いが発動する条件を考えてみた。「好き」は感情だから、感情にかかわってそうな魔術式に赤い色をつけてみる。「対象」は自分以外に向かうもので、それは青。「自分とそっくりになる」は、なんだろう、自分に関連する魔術式のうち感情以外のものをとりあえず黄色にしてみるか。

 感情系の魔術式をもっと細かく分けていって、「すべての感情から好意のみをとりだす」をピンク、「好意の対象を特定する」を朱色……駄目だこれだとすぐ色が足りなくなるし、どの色がなんだったのかわからなくなる。「すべての感情から好意のみをとりだす」は赤のままで、その一連の魔術式に「好意を抽出」って名札をつけて目印にしよう。

 三つの中に入らないのには別の色をつけて、おおざっぱに分けていく。オードリー嬢の魔力がだいたい二〇色くらいに塗れたところで、俺は全体をとらえなおしてみた。


「気に入らん」


 なんか、ピンとこない。このままだと、最終的に使えない文字列が大量に出そうだ。たぶん、いくつかの分類が違うんだろう。あやしいのは、「自分とそっくりになる」のところかな。「動作」の枠組みでくくったけど、そういう区分けじゃないのかもしれない。

 分類して、考えて、修正して、組み合わせて、ちゃんと発動するかを確認する。そんなことをえんえんと、ほんっとうにえんえんとくり返す。

 行きづまったら、俺の中にある「トレヴァーにかけられた呪い」を見直した。もう発動することはない呪いだけど、グラン・グランの魔術式の組み方や書き方の癖を復習するのに最高の教材だから、取り除かずにいたんだ。これを手本にしてオードリー嬢の呪いを見渡したら、新しい発想で解析に取り組めることがあった。

 分類が少しずつ進んでいく。仮に確定させた部分と、迷ってる部分と、まだ手つかずの部分に区分けしていく。

 そのとき俺の魔力が揺れた。


「あれっ、れれ?」


 外の魔法に、なにかがふれた?

 俺は意識をオードリー嬢の魔力に集中させてるけど、もちろん部屋にかけた魔法はずっと展開させたままだ。その物理防御と扉にかけた魔法に、ほんの少しだけ違和感があった。

 なんだろう、誰かが部屋に入ろうとしてるみたいな?

 外からの妨害をアルバートが排除できるなら、このまま解呪を続ければいい。でも、もし阻止できなかったら、意識のない人間が二人椅子に座ってるところをみられるわけだ。しかも手を握ってるようにみえるかもしれない。なにをやってるんだって引き離されたら、ヤバイ。

 俺は、オードリー嬢の魔力に同化してる状態だ。これを強引に切られたら、俺は魔力が強いからいいけど、オードリー嬢の魔力はズタズタになる。鉄柵とそれに巻きついたツタを無理やり離すみたいなものだ。俺の魔力っていう鉄柵には影響がないけど、オードリー嬢の魔力はツタみたいなものだから引きちぎられて悲惨なことになる。それに魔法を解くかたちじゃなく眠りから覚まされたら、オードリー嬢の意識にも体にも負担がかかる。

 しかたない、作業をいったん中断しよう。

 俺は慎重に自分の魔力を引き抜いていった。繊細に、でもできるだけ早く魔力を自分の体にもどして、意識を表面に引き上げる。ただしオードリー嬢の意識が覚醒したら、これまで分類してきた作業が全部消えてしまう。だから彼女には眠ったままでいてもらう。

 目を開けたら、クラッとした。動こうとしたら、体のあちこちがボキバキッて鳴る。かなり長いあいだ、おなじ姿勢で座ってたみたいだ。


「ここを開けろ!」

「ですから、それはできかねます」

「オレの家で、従者風情が大きな態度をとるなっ。それなら主人を出せ!」


 足元がふらついたけど、テーブルに手をついて立ち上がった。

 扉をはさんで、アルバートと誰かが言い争ってる。外にいる人は、扉の取っ手を乱暴に回してる。扉が開かないのは鍵をかけてるからじゃなく、魔法のせいだ。だから取っ手は回るのにどうして扉が動かないんだって、いらいらしたように叫んでる。


「おまえ、ここになにをした? なぜ、開かないんだ!!」


 オードリー嬢は眠ってる。意識のない令嬢が、たとえ護衛といっても男二人と密室にいるっていうのはマズイ状況だ。もしこれまでの成果を捨てる覚悟でオードリー嬢の目を覚まさせても、この事態は変わらない。

 外の誰かが諦めて立ち去ってくれたら一番いい。だけど他の人間を連れてきたらさらに厄介だ。外にいる人間を魔法で意識をなくさせることはできるけど、一生そのままっていうわけにはいかない。

 上着と眼鏡をつけたアルバートが相手を説得してるけど、扉からの声はどんどん大きくなっていく。

 起こらないでいてほしかった非常事態が、発生してしまった。

 テーブルの眼鏡に目をやる。念のために仕こんでおいた変装魔法に、まさか出番がくるとはだ。

 俺は眼鏡をかけると、アルバートの肩をつかんだ。


「外でわめいてるヤツを入れろ」

「ノア! 終わったのか?」

「まだだ。無能なきさまにまかせた俺が愚かだった」

「この状態をみせては、オードリー嬢の名誉に傷がつく」

「おまえには無理でも、有能な俺にかかれば傷などつくものか」

「……信じるからな、ノア」


 すぐに決断をしたアルバートが取っ手を握った。その隙に、俺は丁番を回して二番目の変装魔法を発動させた。念のために、髪はほどいておこう。

 ドンドン叩いてた扉がいきなり開けられたせいで、外にいた人間が転がりこんでくる。床にべちゃっと顔をすりつけたのは、若い男だった。


「このっ、オレを誰だと」


 面を上げて悪態をつきかけた男が、急に黙った。俺とアルバートは、並んで彼を見下ろしている。

 俺を見た男が、わなわなと全身を震えさせた。


「あなたは、あま輝夜かがやさま……!?」


 誰だよ、それ。

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